第15話

文字数 1,595文字

 浅草二丁目、浅草寺(せんそうじ )の西の方、伝法院(でんぽういん )通りから曲がったあたりに、焼き鳥屋やモツ煮込み屋、大衆食堂などの十数軒の飲食店が向かい合い立ち並んでいた。それぞれの店は軒先(のきさき )に鉄パイプを組み、そこへ黄色や青色のテントシートを張って屋根代わりにし、シートの下の路面に置かれた丸椅子で、客がビールや焼酎をちょいと一杯引っかける(てい )だった。

 その一角に律子(りつこ )ママが経営するゲイバー「ルイ」があった。開店してまだ3年そこそこしか経っていなかったが、赤坂の有名なゲイバーで修行していたというだけあり、開店当初から有名な作家たちが訪れていて、下町の文豪サロンになっていた。律子ママは島田(まげ )にきっちりと地毛の髪を結い、正絹(しょうけん )の薄桃色の生地に打ち出の小槌(こづち )などの宝物がデザインされた留袖(とめそで )の着物、亀甲(きっこう )文様(もんよう )の帯に草履(ぞうり )という(よそお )いで、端正な顔立ちと品のある振る舞いもあり、どこから見ても女装男性には見えなかった。店内はカウンター8席、向かいあった3つのテーブル席で20人入れば満席の小さな店だったが、2人のアルバイトの女装女給を置き、この界隈の女性ママが経営するキャバレーよりも繁盛していた。

 浅草の柳北(りゅうほく )小学校の小学校教師、真島(まじま )艶乃(つやの )も2週に1度程度、ゲイバー「ルイ」へ通っていた。この日は受け持ちのクラス48名全員に加え、学年半分の200名強のテストの採点をした帰りでグッタリしていた。昭和30年の人口に占める出生率は2.37%、大正末期の5%より格段に少ないが、当時は受け持つクラスの子どもの人数が多く、教師の負担も重かった。真島(まじま )艶乃(つやの )は、運よく1席だけ空いていたカウンター席に腰を下ろすと、腰まである長い黒髪を片手でかきわけた。

「あらあら、真島先生、いらっしゃい。いつもの……よね?」
 律子ママはフサフサする長い睫毛をパチリとさせた。

「それしか頼めないでしょっ、安月給なんだからぁ」

「なあに、あなた、ご機嫌斜めなんじゃないの。学校で何んかあったの」
 律子ママは混んできた店内で、ビール1本に焼き鳥1皿の客一人を相手にするのは勘弁してほしいのよね、とは思うものの、そこは商売人で、カウンター席にいる他の客の方へもちょこちょこ話しかけ、女給たちに指示を出しながら、真島艶乃の話を聞いてやっていた。

 「今日みたいにさぁ、テストの採点しなきゃいけない日なんて、もう残業カクジツでしょ。こんな日はお昼ごはんをしっかり食べておきたいじゃない。だからねっ、気を()かして隣のクラスの龍泉寺(りゅうせんじ )先生の分までお弁当を作って持っていったのよ。この私がよっ。千葉でも有数の老舗(しにせ )蔵元(くらもと )の跡取り娘の私がぁ、わざわざ1時間も前から早起きして他人のお弁当まで作ったのよ、これっ、すごぉーいって、思わなぁい?」

「まあ、えらいじゃない、見直しちゃうわね、その心意気」

「でしょーぉ、なのにさ、龍泉寺先生の家の女中(じょちゅう )が車でお弁当を届けにきたのよ。それも外車の車でぇー。なんなのよぉ、まったくぅ。実家がお金持ちの私だって歩いて学校に行くっていうのにぃ。何んでぇ、うちの学校には外車の車でやってくる連中が3人もいるわけ? 龍泉寺先生はお家が王子だから仕方ないけど、金貸し屋の娘と、転校してきた建設会社のところの娘は、学校の近くじゃないのぉ。なに、金持ちぶって、見せびらかしてんの。小学生なんだから、歩け、クソガキがぁー」

「なに、それでお弁当はどうしたの」

「そう、そう、そうなのよぉー。龍泉寺先生ったら『ありがとう』なんてニッコリ笑った挙句に、その女中(じょちゅう )の手をポンポン。ポンポンって2回も触ったのよぉ。もう、なによぉー、女中の分際(ぶんざい )で。主人に手をポンポンされたぐらい顔を赤くしちゃってさ。ちっとは自分の身分をわきまえろっていうの。女中のクセに。あんた、毎日、龍泉寺先生の顔を(おが )んでるんでしょう。私なんか職員室にいる、ちょっとの間しか拝めないのよ。クッソオっ、まったく生意気な女中で腹立つわぁ」
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登場人物紹介

福宮 アヤコ(ふくみやあやこ):浅草の柳北《りゅうほく 》小学校に通う6年生の女子。両親が失踪した過去を持つが明るく前向きな性格。勉強はあまり好きではないが、成績は標準になるよう気をつけている。祖父も鳥越《とりごえ 》商事のクセの多い社員も慕っていて、社員からもアヤコは可愛がられている。ある日、蔵の中から放たれた碧い光りを浴びたことにより、突然不思議な力に目覚めていく。


福宮政太朗(ふくみやまさたろう):アヤコの祖父。生まれも育ちも浅草鳥越。江戸時代から続く日銭《ひぜに 》の金貸しで鴉金屋《からすがねや 》の家業を継いだ。親兄弟は全員戦死している。今は鴉金屋の名称を変え鳥越商事有限会社の社長として治まっている。政太朗の妻はアヤコの生まれる前に他界。娘のトワコに婿養子を迎えたが、トワコが失踪後、婿養子は出奔した。それ以来、男手ひとつでアヤコを育てている。かなりの負けず嫌い。鳥越神社のお祭り男でもある。


松葉正太郎(まつばまさたろう):通称マサ、マサ兄《に 》い。本名を知る人は少ない。額に斬られた傷を持つ。昼でもサングラスをかけ、白いスーツに黒いワイシャツ、赤いネクタイ、白い靴の服装を好む。時々、バイクでどこかへ出かけている。口数も少なく謎めいたところがある。


マクノウチさん:元前頭力士の五月海山(さつきかいざん)。痛風が悪化したことで30歳で引退したが、120kgの迫力ある巨体を政太朗が目をつけ、鳥越商事の取り立て家業として社員にした。口が悪いため、ささいなケンカが絶えないが根に持たない性格。鳥越商事に来てから30kgの減量に成功したことを自慢している。浅草出身。

トビさん:上野池之端の大工で棟梁鳶辰の息子。通称は池之端の辰一。中学校を卒業して15年目に棟梁になったが、36歳の年に銀座で建築中のビルから、見習い職人をかばって転落し、左腕を複雑骨折して家業を放棄した。父親の大工棟梁が政太朗と同じ鳥越神社のお祭り男のよしみで口添えされたため社員となった。

ジンギさん:元浅草金杉組のヤクザ、三筋豪。通称は三筋の兄貴。組内で若頭の地位を争っているところ、相手の策略にハマって小指を落とすことになった。ケンカっ早く博打好き。政太朗とは麻雀店で知り合っていて、事の経緯を知った政太朗がヤクザ稼業から足を洗うように勧め、カタギになる約束で鳥越商事で働くこととなった。

パンチさん:元ライト級のプロボクサー、ビクトリー勝田。日本チャンピオンとなり多額のファイトマネーが入ったため、スポーツカーを購入したが、その車で交通事故を起こして視力が悪化してしまう。再起不能と診断されたことでプロから引退する。しばらく無職の生活を送っていたが、中学時代の同級生で元前頭力士の五月海山が鳥越商事に入社したことを知り、政太朗に頼み込み、鳥越商事に入社した。

ゼンザさん:元落語家で前座まで上った根岸亭楽々(ねぎしていらくらく)。根岸亭の師匠の娘、初音と相思相愛になり、初音が妊娠したことで破門されるが、噺家として人気が出てきていたところだったため、師匠も謝罪を受けとめて結婚することで許された。子どもも生まれ3人家族で過ごしていたが、地方に寄席の出張公演した帰り、たまたま遊びに行ったキャバレーで16歳の演歌歌手「蝶々美花」に一目惚れし、二人で駆け落ちした。再度、落語家は破門、根岸亭とは絶縁となっていたが、鳥越神社のお祭りで景気の良さそうな鳥越商事を目にして、政太朗に雇ってくれるよう頼み込み入社した。

龍泉寺 拓臣(りゅうせんじたくおみ):アヤコの通う柳北(りゅうほく)小学校の新任教師。実家は龍泉寺製薬株式会社で、龍泉寺家は平安時代に源氏、平氏と並ぶ橘氏、橘諸兄(たちばなのもろえ=葛城王)を祖に持つ家系であり、呪術道を極めた修験者の長として各地で秘密裏に活動させている。千年以上前世からの記憶を忘れずにいる体質を持ち、特殊な能力も合わせ持つ。

花川戸みつ(はなかわどみつ):政太朗の遠縁。福宮家のお手伝いさん。

清島奏絵(きよしまかなえ):アヤコの通う柳北小学校に転校してきた6年生の女子生徒。実家は清島建設株式会社で、県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)を母とする葛城王の弟で橘佐為(佐為王)を祖に持つ家系であり、霊力を持つ歩き巫女を束ねる一族。龍泉寺拓臣と同じく、千年以上前から前世の記憶を持ち、霊力と合わせた特殊能力を使える。

真島艶乃(まじまつやの):アヤコの通う柳北小学校、6年1組の担任教師。実家は千葉の醤油蔵元で真島醤油造場。蔵元の一人娘で跡継ぎだが、公務員の教職に憧れ、都内で一人暮らしをしている35歳。思い込みが強くプライドが高い性格。ときどき生徒を見下すクセもあるため、真島を慕う生徒はおらず、当然生徒の人気もない。

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