第11話
文字数 2,522文字
ようやく日の出が昇ろうとしている早朝、柳北小学校の屋上で、教師の龍泉寺拓臣はフェンスに止っている使役黒梟の豊瑞翔の瞳を覗き込んだ。その瞳には深夜の異形たちの様子が映像となり、一部始終が映し出された。
「豊瑞翔、ありがとう。いい仕事ぶりだね」
龍泉寺拓臣は使役梟の豊瑞翔の頭を撫でると、豊瑞翔は頭をグルンと傾け、得意げにホッホォーッと鳴いた。
「また、頼むぞっ」
黒梟はバサッッと羽音を翻し鳥越神社の方角へ飛んでいった。
龍泉寺 拓臣は使役黒梟豊瑞翔の映像から異形は特に恐るるに足りない雑魚鬼だと確信した。凶悪で最強の鬼ならば京で陰陽師をも打ち負かすことが出来よう。それよりもだ。鳥越商事の社員となっている白いスーツの男。額に刀傷の精悍な顔つきのマサがアヤコの側にいることが気がかりでならなかった。
奴のあの顔、あれは平安の世で対峙した陰陽師 蘆屋道満に瓜二つ。奴こそ道満の血を繋ぐ子孫に間違いない。だとしたら、平安から現世まで我が一族の手柄を横取りしてきた男の記憶は、当然全部受け継いでいるだろう。鎌倉の世では、戦さの最中、我が姉として転生した文子姫を呪詛した道満が、今度は何を企んでいる。麒麟の神器を、己が手にしようとしているのか。今度こそ、許さんぞ、道満っ。亜矢子は誰の手にも渡すものかっ。龍泉寺 拓臣は握り拳を強くギュッと固め、フェンスにゴンッと拳を打ち付けた。
空もだいぶ明るくなり、校門の外には新聞配達の自転車が何台も走り始めている。小学校では飼育されていたニワトリが朝の時刻を高らかに告げていた。
鳥越商事の社員で元浅草金杉組の若頭だったジンギこと三筋 豪は、嫌な夢を見たせいで浅草老松町のアパートの部屋で早く目覚めた。隣りにはジンギと同棲しているキャバレー「よしこ」のホステス、リカコがすぅすぅと寝息を立てている。ドロッと濃い厚塗り化粧を落とした寝顔はまだ18歳の少女の顔だ。リカコはゼンザに連れられて行ったキャバレー「よしこ」のホステスだった。客の水割りを手慣れた仕草で出すのはいいが、相手をしていて面白くもなんともない。それでも、あどけない笑顔が気になり、いつのまにか通い詰め、今ではリカコと同棲に至っている。
「私の名前って、凛っていう漢字に、これまた難しい漢字でさぁ、右に声がついて、下に香るの字のつく馨、それでもって、子どもの子って書いてリカコと読むんだけどねぇ。これがさぁ、子供の頃から漢字が難しくってぇ、今でも自分の名前をちゃんと書けないのよぉねぇ」
そう言う口癖があり、器量の良さはそれほどでもないが、危なっかしいところがあって、なんとなく放っておけない女から、
「あんたぁ、病院に行ったらさあ、妊娠4ケ月って言われたんだよぉ。ねえ、どうしようぉ…」
そんな話を昨夜聞いたばかりだった。
「そりゃぁ、なんだぁ。まぁ、そのぉ、二人とも親になるってこったぁろう」
答えた通りだった。ジンギ自身、いつかはこんな日が来るんだろうと思っていた。リカコを恋しているとか愛しているとか、言葉にしたことはないが、この女となら所帯を持っても悪くはねぇな、と考えていた。
「えぇぇえ? あたい、あんたに諦めなって言われるかと思ったよぉん……嬉しいよ、嬉しいよぉ、あんたぁああ」
リカコは涙で顔をぐしゃぐしゃにし、ジンギの胸に飛びつくと
「ほんとぉーにぃ、ほぉんーとぉ、嬉しいよぉぉおぉーん……」とわんわん泣きじゃくった。
リカコの声がジンギの耳にずっと焼き付いている、そんな朝を迎えていたのだった。
ジンギは流し台でさっさと歯磨きすると背広を着こんだ。浅草金杉組時代の元舎弟の東坂に、「三筋の兄貴よぉ、耳を揃えて必ずきぃーっちりとぉ返すからよぉ、頼むよぉ」と何度も頭を下げられて、貸し付けた金の返済日が昨日だった。千円、二千円の日銭じゃねえ。親父さんに頼み込み、壱万もの銭を貸した。それが昨日の夜まで待っても東坂は現れなかった。ジンギはアパートの横に停めていた250ccの北川製のバイク「ライナー」に跨ると、上野寛永寺を回り込み、中仙道沿いに走り、巣鴨の染井霊園近くにある東坂の住むアパートへ向かった。やっぱり昨日、マサ兄いからバイクを借りてきて良かったぜ。面倒くせぇなぁ、今朝の回収はよっ。これで踏み倒されたんなら、鳥越の親父さんに合わす顔がねえ。
東京の朝の道はまだ空いていた。赤信号に一度も引っかかることなく、ジンギは巣鴨の二階建てのアパートの前に到着した。一階の東坂の部屋のドアには、「金返せ」「殺すぞ」の紙が何十枚も貼られている。いつから貼られていたのか、それらが風に呷られたのか、下に落ちているものもあった。部屋のドアをドンドンと叩くが物音も何も聞こえない。見上げるとドア上にある電気のメーターも止まっている。裏に回って窓から室内を覗いたが、主だった家財道具は既になかった。うちに借りに来たのは夜逃げの金目当てかよぉっ。クソォーツ、舎弟もクソもねぇなぁ。まったくゼンザといい、東坂といい、どいつもこいつもトンズラ決め込みやがってよぉ、ふざけんじゃあねえっよ、こん畜生ぅがぁよぉー……怒りに任せて、ペッとその場に唾を吐き捨てた。
ジンギが走り去るバイクの後ろ。吐き捨てられた唾の下から黒い塊がにゅるにゅると現れた。塊は路面で何かの餌らしきものを啄む鳩の背中にビョョーンと飛び乗った。黒い塊から銀色の2本螺鈿の角と牙のある口がポコッと突き出る。
「この怨の持ち主は……うっん、おうーよぉ。微に匂っているぞぅ、これは間違いなく麒麟の近くで、くっつけた匂いじゃて。ヒョエッへッへッへェ、もぉう、誰ぁーれぇにも渡さぁん。初めに見つけたのは、わしじゃからなぁ」
黒い塊はヒョへッと不気味に笑った。白鳩は背中に異変を感じて目をグリグリ回し、くほっくほぉっと唸る。その瞬間に塊はシュルルッと音を立て、全身をビクンビクンと震わせている鳩の身体に塊を霊化し憑依させた。路面に残っている数羽の鳩を後にして、黒い塊に憑りつかれた白鳩はパタッパタッと、その場で羽を広げ、空高く舞い上がった。
白鳩はジンギの走り去るバイクの後を猛烈な速さで飛び、追いかけていた。
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