第4話

文字数 2,556文字

 東京、浅草にある柳北小学校(りゅうほくしょうがっこう)、6年1組。
 教室の教壇には6年1組の担任教師、真島艶乃(まじまつやの)と、ひとりの女子生徒が立っていた。少女はポニーテールの髪を白いレースのリボンで結び、白く透き通った肌に薄茶色の大きな瞳、ほんのりと紅くぷっくりとした唇。長い手肢が水玉のワンピースに映え、少女雑誌に登場する中原淳一の描いた少女が飛び出たようで教室内はどよめいた。

 担任の自称20代と言う教師、真島は黒く長い髪をさっとかき上げた。20代は願望で実際は今年で35歳になろうとしていた。真島は小柄で標準よりふっくらとした体型に胸まである黒髪という容姿。端正でバランスが取れているとは言えないが、本人は十分に端正でグラマラスな容姿だと信じていた。
 真島は左手の人差し指を顎の下に添え、腰をくねり、わざわざ思わせぶりに1オクターブも高い口調で話し始めた。

「皆さぁん、おはようございまぁーすぅ」
「おはようございます」
教室の生徒全員の声が響く。

「それではぁ、あのねぇ、今日からぁ、この学級に転入きた清島奏絵さんを紹介しまぁーすぅ。さあ、皆さん、拍手、拍手ぅ~」

 1組の生徒は真島のこんな態度に慣れたもので、いつもはヤル気のない拍手をするところだが、今回は清島奏絵(きよしまかなえ )の歓迎をこめて盛大な拍手を送った。これには真島も拍子抜けした。しかし相手はガキ。私の言うことを聞かないよりは、マシだわと開き直った。
 それにしても清島奏絵の容姿が可愛らしいのは憎ったらしい。本当このガキ、気に入らない。気に入らなすぎる。けれどもそれをグッと我慢の子で、お愛想笑いの一つでも浮かべていられるのは、清島奏絵の父親の会社で社長秘書と名乗る男から「先生へのご挨拶です。お嬢様をお願いいたします」と受け取った封筒の中に十万円もの大金が入っていたからだ。

 高卒の初任給が六千円にもならない昭和30年代、教師1年分以上の年収を、たかだか小学生の小娘一人の謝礼金に渡せるなんて、どれだけ金持ちの家なんだか。それに担任期間は学級を受け持つ1年こっきり。一人だけ謝礼金を貰って、事がバレたら大変、賄賂もらって懲戒解雇なんて始終冷や汗をかくところだろう。しかし今回は白昼堂々と、しかも校長室で校長先生と学年主任の教頭先生と真島の3人が顔を揃えて、清島建設の社長秘書と対面していた。
 彼らの謝礼金封筒は私の封筒より厚みが倍だったから三十万位は入っていただろう。二人とも「いやぁ、こんなことをしてもらったら困りますよぉ」と口では言っていたが、喉から手が出そうなほど清島の謝礼金を物欲しそうに眺めていたのを真島は知っている。
 校長も教頭も脂ぎった顔に汗を浮かべ、今宵もまた吉原で泡にまみれてハッスルってところでしょうが、私は堅実に貯金だわと、ほくそ笑んだ。

 出来ることなら、そのお金は隣りの教室の新担任、龍泉寺拓臣(りゅうせんじたくおみ)先生と行く新婚旅行の代金にしてもよくってよ。あら、それ素敵だわ、とーっても素敵。あの龍泉寺先生、185cmって、なによ。日本人の身長で有りえるわけ? そんな高身長。石原裕次郎だって180cmに届かないのよ。うーん、彼の太くて濃い眉、色白で切れ長の瞳、つんと通った鼻筋。惚れ惚れしちゃう。俳優の岡田真澄のようにハーフなのかしら。あんな美形の男性が夫だったら、きっと1年365日ずうーっと間違いなく永遠に幸せシンデレラに違いないわ。今まで私のことをオールドミスって呼んでいた連中をギャフンと言わせられるんじゃぁなくって。ようやく私にも春が来たんだわ。35歳まで待った甲斐があるってものよ。覚えてらっしゃい、嘲笑(あざわら)ったおまえたち。みんな見返してやるわ。
 龍泉寺先生のご実家は龍泉寺製薬、政界にも財界にも幅を利かせているみたいじゃない。御曹司との結婚だなんて私の美貌にふさわしさすぎるわ。こんなところで、いつまでもクソガキ連中を相手にしている場合じゃないわ、目指せ、玉の輿よ。龍泉寺先生のハートは私が必ず射止めて見せる。そうそう、実家の母も言っていたわよね、男の心を射止めるんなら胃袋を掴むのが早いって。よぉーし、こうなったら明日のお昼から手作りお弁当作戦だわ。それで私の魅力にイチコロになって、まさかの、いきなり学校でプロポーズとか・・・もう嫌ゃあん。

「うふふ」の声が、妄想の余韻でつい洩れた。

 真島は生徒たちが一斉にこちらを見ているのに気づき、クソガキとももうすぐおさらばよ、と気持ちを切り替え、軽く咳払いした。

「はい、はい、拍手もおしゃべりも止めぇ~。では、清島さん。いいかしらぁ? 皆さんにご挨拶なさぁい」

「はい。初めまして、清島奏絵です。どうぞよろしくお願いします」

 清島奏絵はお辞儀をすると落ち着きと品のある口ぶりで話した。手短な挨拶にもかかわらず、浅草界隈(かいわい)の下町とは違い、良家のお嬢様の雰囲気を(かも)し出している。

「そうね、席は・・・空いている席が他にはないから、清島さん、あの窓の右側で、女子生徒の福宮アヤコさんのお隣りの席におかけなさい」

「はい」

教室から小さな声が上がる。
「ええっ?」
「おい、大丈夫かよ」

 清島奏絵が鞄を持って移動し始めると、男子生徒たちは彼女の華やかな姿形に「おおっ」と唸り、女子生徒たちは「お人形さんみたい」と別の声も上がった。

「本当、お人形さんみたい」
アヤコも心の中で呟いていた。

 真島も一瞬、アヤコの隣りの席に清島奏絵を座らせることに躊躇(ちゅうちょ)はした。けれどアヤコは学校では相当大人しいガキだ。あの、いかがわしい連中、金貸し屋の子分たちも教室にまで押しかけてくることはないだろうと踏んだ。

 清島奏絵はアヤコの隣りの席に座った。
「よろしくお願いします」

 にこやかに笑う可憐な清島奏絵にアヤコはたじろいだ。誰も面と向かって自分へ挨拶してくれる人はいない。そのうえ見たこともないほど可愛らしい少女が、こちらを見ていることに戸惑った。

「こちらこそ、よろしくお願いします」
どきどきしているアヤコの脳裏に声が響いた。

「可愛いわ、おばさま・・・」

「えっ? なんて?」

 アヤコが思わず振り向くとも、清島奏絵はニッコリ、口元に笑みを浮かべていた。
 あれ? いま、おばさまって聞こえた気がしたけど。同じ年齢なのに変だよね、ほんと気のせいかもねとアヤコはぎこちなく笑みを返した。
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登場人物紹介

福宮 アヤコ(ふくみやあやこ):浅草の柳北《りゅうほく 》小学校に通う6年生の女子。両親が失踪した過去を持つが明るく前向きな性格。勉強はあまり好きではないが、成績は標準になるよう気をつけている。祖父も鳥越《とりごえ 》商事のクセの多い社員も慕っていて、社員からもアヤコは可愛がられている。ある日、蔵の中から放たれた碧い光りを浴びたことにより、突然不思議な力に目覚めていく。


福宮政太朗(ふくみやまさたろう):アヤコの祖父。生まれも育ちも浅草鳥越。江戸時代から続く日銭《ひぜに 》の金貸しで鴉金屋《からすがねや 》の家業を継いだ。親兄弟は全員戦死している。今は鴉金屋の名称を変え鳥越商事有限会社の社長として治まっている。政太朗の妻はアヤコの生まれる前に他界。娘のトワコに婿養子を迎えたが、トワコが失踪後、婿養子は出奔した。それ以来、男手ひとつでアヤコを育てている。かなりの負けず嫌い。鳥越神社のお祭り男でもある。


松葉正太郎(まつばまさたろう):通称マサ、マサ兄《に 》い。本名を知る人は少ない。額に斬られた傷を持つ。昼でもサングラスをかけ、白いスーツに黒いワイシャツ、赤いネクタイ、白い靴の服装を好む。時々、バイクでどこかへ出かけている。口数も少なく謎めいたところがある。


マクノウチさん:元前頭力士の五月海山(さつきかいざん)。痛風が悪化したことで30歳で引退したが、120kgの迫力ある巨体を政太朗が目をつけ、鳥越商事の取り立て家業として社員にした。口が悪いため、ささいなケンカが絶えないが根に持たない性格。鳥越商事に来てから30kgの減量に成功したことを自慢している。浅草出身。

トビさん:上野池之端の大工で棟梁鳶辰の息子。通称は池之端の辰一。中学校を卒業して15年目に棟梁になったが、36歳の年に銀座で建築中のビルから、見習い職人をかばって転落し、左腕を複雑骨折して家業を放棄した。父親の大工棟梁が政太朗と同じ鳥越神社のお祭り男のよしみで口添えされたため社員となった。

ジンギさん:元浅草金杉組のヤクザ、三筋豪。通称は三筋の兄貴。組内で若頭の地位を争っているところ、相手の策略にハマって小指を落とすことになった。ケンカっ早く博打好き。政太朗とは麻雀店で知り合っていて、事の経緯を知った政太朗がヤクザ稼業から足を洗うように勧め、カタギになる約束で鳥越商事で働くこととなった。

パンチさん:元ライト級のプロボクサー、ビクトリー勝田。日本チャンピオンとなり多額のファイトマネーが入ったため、スポーツカーを購入したが、その車で交通事故を起こして視力が悪化してしまう。再起不能と診断されたことでプロから引退する。しばらく無職の生活を送っていたが、中学時代の同級生で元前頭力士の五月海山が鳥越商事に入社したことを知り、政太朗に頼み込み、鳥越商事に入社した。

ゼンザさん:元落語家で前座まで上った根岸亭楽々(ねぎしていらくらく)。根岸亭の師匠の娘、初音と相思相愛になり、初音が妊娠したことで破門されるが、噺家として人気が出てきていたところだったため、師匠も謝罪を受けとめて結婚することで許された。子どもも生まれ3人家族で過ごしていたが、地方に寄席の出張公演した帰り、たまたま遊びに行ったキャバレーで16歳の演歌歌手「蝶々美花」に一目惚れし、二人で駆け落ちした。再度、落語家は破門、根岸亭とは絶縁となっていたが、鳥越神社のお祭りで景気の良さそうな鳥越商事を目にして、政太朗に雇ってくれるよう頼み込み入社した。

龍泉寺 拓臣(りゅうせんじたくおみ):アヤコの通う柳北(りゅうほく)小学校の新任教師。実家は龍泉寺製薬株式会社で、龍泉寺家は平安時代に源氏、平氏と並ぶ橘氏、橘諸兄(たちばなのもろえ=葛城王)を祖に持つ家系であり、呪術道を極めた修験者の長として各地で秘密裏に活動させている。千年以上前世からの記憶を忘れずにいる体質を持ち、特殊な能力も合わせ持つ。

花川戸みつ(はなかわどみつ):政太朗の遠縁。福宮家のお手伝いさん。

清島奏絵(きよしまかなえ):アヤコの通う柳北小学校に転校してきた6年生の女子生徒。実家は清島建設株式会社で、県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)を母とする葛城王の弟で橘佐為(佐為王)を祖に持つ家系であり、霊力を持つ歩き巫女を束ねる一族。龍泉寺拓臣と同じく、千年以上前から前世の記憶を持ち、霊力と合わせた特殊能力を使える。

真島艶乃(まじまつやの):アヤコの通う柳北小学校、6年1組の担任教師。実家は千葉の醤油蔵元で真島醤油造場。蔵元の一人娘で跡継ぎだが、公務員の教職に憧れ、都内で一人暮らしをしている35歳。思い込みが強くプライドが高い性格。ときどき生徒を見下すクセもあるため、真島を慕う生徒はおらず、当然生徒の人気もない。

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