第5話 

文字数 1,276文字

 浅草の柳北(りゅうほく)小学校から、鳥越(とりごえ)神社裏にある福宮アヤコの家まで歩いてもわずか10分足らずの距離だった。それでも祖父の政太朗はアヤコを徒歩で通学することを禁止した。
 鴉金屋は日銭とはいえ金貸屋だ。どこぞのヤクザのように高利で貸し付けて、何か月にも渡り、全てをむしり取るような阿漕な取り立てはしない。それでも世の中には金貸しの生業(なりわい)を「金持ち」と決めてかかり、強盗や泥棒、果ては誘拐まで企む者が少なからずいる。娘のトワコを失くした今、唯一の孫アヤコだけは嫁入りするまで傷一つつけることなく育てる。政太朗はそう決意していた。いざ暴漢が現れたという時のため、信用のある4人の社員をアヤコの小学校送迎メンバーにしたのである。
 この日、小学校を下校したアヤコはいつものように迎えにきた車に乗っていた。男衆のメンバーは政太朗の右腕のマサ、パンチ、マクノウチ、トビといつもの4人。

ちょうど左衛門橋通りと蔵前橋通りの交差点の赤信号で止まったところ、元フライ級ボクシングチャンピオンのビクトリー勝田ことパンチが運転席のマサに声をかけた。

「マサ兄い、すんません。自分はここで降ります」
「どうしたんだ、パンチ」

パンチは後部座席から身を乗り出すと、交差点を指さす。
「ほら、あれでさあ、ゼンザの若い女房が古女房にとっちめられてるんでさぁ・・・」

 マサが目を向けると、横断歩道の前で、子どもを胸に抱く若い女が、着物姿の中年女に何度も頭を下げながら泣いていた。

「私も一緒に行く」
アヤコが話の間に入った。

「お嬢、心配しないでくだせえよ、俺が一人で行ってきやす」
振り向きざまにマサも、
「深入りするなよ、パンチ」
「もちのろんでさぁ」
 パンチは車から降りると交差点へ向けて駆けて行った。

「蝶々美花はとびっきりのいい女だもんな。俺だって想い想われの仲になったら、古女房なんか捨てちまうね」
そう言ってペロッと舌を出したのはトビこと、上野池之端の大工で棟梁鳶辰の息子、池之端の辰一だ。

「いい加減にしろよ、トビ公」

「おおっ、こわっ。ジンギの琴線に触れちまったか。悪かったよ、蝶々美花の話は金輪際しねえよ」

 蝶々美花とジンギにどういう繋がりがあるのか誰も知らない。ただ蝶々美花の話を持ち出すと、元浅草金杉組の若頭だったジンギこと三筋豪は、途端に機嫌が悪くなるのだった。

 パンチはゼンザこと元落語家、根岸亭楽々の最初の妻だった初音に駆け寄った。

「姉さん、交差点でみんな見てまさぁ。うちのお嬢も、ほら、あそこ。車の中で心配してるんで、どうかここは気持ちを納めてやってくだせぇ。ほら、これこの通り、俺も頭を下げますんで」

 初音は唇をヘの字に曲げ、白いベンツを一瞥してから、ふんと鼻息を荒くし、パンチを睨みつけた。

「あんたに何がわかるって言うのよ、まったく。鳥越の社長には昔から恩義があるから、今日のところは引き下がってあげるわよ。だけどね、今度、私の買い物先に、ちょろっとでもこの女が現れたら、ただじゃおかないからねっ。まったく気持ちよく買い物していたら、こんな泥棒猫を見ちまって、腹が立つったら、ありゃぁしない」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

福宮 アヤコ(ふくみやあやこ):浅草の柳北《りゅうほく 》小学校に通う6年生の女子。両親が失踪した過去を持つが明るく前向きな性格。勉強はあまり好きではないが、成績は標準になるよう気をつけている。祖父も鳥越《とりごえ 》商事のクセの多い社員も慕っていて、社員からもアヤコは可愛がられている。ある日、蔵の中から放たれた碧い光りを浴びたことにより、突然不思議な力に目覚めていく。


福宮政太朗(ふくみやまさたろう):アヤコの祖父。生まれも育ちも浅草鳥越。江戸時代から続く日銭《ひぜに 》の金貸しで鴉金屋《からすがねや 》の家業を継いだ。親兄弟は全員戦死している。今は鴉金屋の名称を変え鳥越商事有限会社の社長として治まっている。政太朗の妻はアヤコの生まれる前に他界。娘のトワコに婿養子を迎えたが、トワコが失踪後、婿養子は出奔した。それ以来、男手ひとつでアヤコを育てている。かなりの負けず嫌い。鳥越神社のお祭り男でもある。


松葉正太郎(まつばまさたろう):通称マサ、マサ兄《に 》い。本名を知る人は少ない。額に斬られた傷を持つ。昼でもサングラスをかけ、白いスーツに黒いワイシャツ、赤いネクタイ、白い靴の服装を好む。時々、バイクでどこかへ出かけている。口数も少なく謎めいたところがある。


マクノウチさん:元前頭力士の五月海山(さつきかいざん)。痛風が悪化したことで30歳で引退したが、120kgの迫力ある巨体を政太朗が目をつけ、鳥越商事の取り立て家業として社員にした。口が悪いため、ささいなケンカが絶えないが根に持たない性格。鳥越商事に来てから30kgの減量に成功したことを自慢している。浅草出身。

トビさん:上野池之端の大工で棟梁鳶辰の息子。通称は池之端の辰一。中学校を卒業して15年目に棟梁になったが、36歳の年に銀座で建築中のビルから、見習い職人をかばって転落し、左腕を複雑骨折して家業を放棄した。父親の大工棟梁が政太朗と同じ鳥越神社のお祭り男のよしみで口添えされたため社員となった。

ジンギさん:元浅草金杉組のヤクザ、三筋豪。通称は三筋の兄貴。組内で若頭の地位を争っているところ、相手の策略にハマって小指を落とすことになった。ケンカっ早く博打好き。政太朗とは麻雀店で知り合っていて、事の経緯を知った政太朗がヤクザ稼業から足を洗うように勧め、カタギになる約束で鳥越商事で働くこととなった。

パンチさん:元ライト級のプロボクサー、ビクトリー勝田。日本チャンピオンとなり多額のファイトマネーが入ったため、スポーツカーを購入したが、その車で交通事故を起こして視力が悪化してしまう。再起不能と診断されたことでプロから引退する。しばらく無職の生活を送っていたが、中学時代の同級生で元前頭力士の五月海山が鳥越商事に入社したことを知り、政太朗に頼み込み、鳥越商事に入社した。

ゼンザさん:元落語家で前座まで上った根岸亭楽々(ねぎしていらくらく)。根岸亭の師匠の娘、初音と相思相愛になり、初音が妊娠したことで破門されるが、噺家として人気が出てきていたところだったため、師匠も謝罪を受けとめて結婚することで許された。子どもも生まれ3人家族で過ごしていたが、地方に寄席の出張公演した帰り、たまたま遊びに行ったキャバレーで16歳の演歌歌手「蝶々美花」に一目惚れし、二人で駆け落ちした。再度、落語家は破門、根岸亭とは絶縁となっていたが、鳥越神社のお祭りで景気の良さそうな鳥越商事を目にして、政太朗に雇ってくれるよう頼み込み入社した。

龍泉寺 拓臣(りゅうせんじたくおみ):アヤコの通う柳北(りゅうほく)小学校の新任教師。実家は龍泉寺製薬株式会社で、龍泉寺家は平安時代に源氏、平氏と並ぶ橘氏、橘諸兄(たちばなのもろえ=葛城王)を祖に持つ家系であり、呪術道を極めた修験者の長として各地で秘密裏に活動させている。千年以上前世からの記憶を忘れずにいる体質を持ち、特殊な能力も合わせ持つ。

花川戸みつ(はなかわどみつ):政太朗の遠縁。福宮家のお手伝いさん。

清島奏絵(きよしまかなえ):アヤコの通う柳北小学校に転校してきた6年生の女子生徒。実家は清島建設株式会社で、県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)を母とする葛城王の弟で橘佐為(佐為王)を祖に持つ家系であり、霊力を持つ歩き巫女を束ねる一族。龍泉寺拓臣と同じく、千年以上前から前世の記憶を持ち、霊力と合わせた特殊能力を使える。

真島艶乃(まじまつやの):アヤコの通う柳北小学校、6年1組の担任教師。実家は千葉の醤油蔵元で真島醤油造場。蔵元の一人娘で跡継ぎだが、公務員の教職に憧れ、都内で一人暮らしをしている35歳。思い込みが強くプライドが高い性格。ときどき生徒を見下すクセもあるため、真島を慕う生徒はおらず、当然生徒の人気もない。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み