13 迎え
文字数 2,006文字
ホテルの一室は、とうに正午を過ぎていた。
私は、これまでの谷田部氏の話に驚きながら、すべてを飲み込めないでいた。
氏の話は、想像の外だった。
「どうです、何か食べませんか」
谷田部氏が言った。
昼食を取るのも忘れていた。
私の口の中は乾いており、やっと、これだけ答えた。
「ありがとう、すみません」
そして氏は、再び語り出した。
私は、上野機長たちが出撃したその日、ずっと島で待っていた。
陽は、西に傾いていた。
もうその頃には、気持ちも落ち着いていた。
残った私は、上野機長がよく座っていた簡易椅子に座り、西日の向こうには沖縄があるんだな、みんな行ってしまったんだ、と思っていた。
夕陽の中に黒い点が見えた。
動いていた。
私は、埃だらけの手で目をこすり、まっすぐ見つめた。
背後から、別の誰かの声がした。
「一機、向かってくる」
島に残っていた遠野機の銃手たちは、急ごしらえの島の対空銃座にとりつき、迎撃の準備にかかった。
遠野中尉が、双眼鏡を見ながら報告する。
「大型機、損傷している。敵味方、不明」
私は、もしやと思い、
「中尉、双眼鏡借ります」と言って、返事も待たず、引ったくった。
レンズの中に、真っ黒な筋を引く機体が、よたよたと揺れている。
夕陽のまぶしさも構わず、私は機影をじっと見た。
そして叫んだ。
「一式陸攻だ」
「間違いないか」
「はい」
遠野中尉は、すぐさま大声で指示を出した。
「接近する損傷機は味方機。陸攻と思われる。海面不時着に備え、救助準備。短艇出せ」
遠野機の搭乗員たちは、水や救助用具を取りに、倉庫へ駆け出した。
私も向かおうとすると、遠野中尉は私の肩をぐっと掴み、言った。
「お前はいい。迎えてやれ」
私はうなずき、機の向かってくる海へ走った。
私には、わかっていた。ただの味方機ではない。上野機だ。
海辺に着くと、その機体は、ほとんど高度もないほど下降し、陸地までは持たない。
空中に浮かんでいるのがやっとで、止まっているかのような低速。
私は、首から外して肩に掛けていた自分のマフラーを取り、陸攻に向かって、振った。
「頑張れ」
やがて、島の隊員たちが駆けつけて来、一艘だけ岩場につないであった短艇を押し出し、海へと漕ぎ出した。
「俺も乗せてください」
「救助者を乗せると余裕がない。貴様は待っとれ。必ず助ける」
三名だけ乗って、短艇は行ってしまった。短艇の上から、能瀬一飛曹が、私に向けて肘を曲げ、ぐっと力こぶを見せた。
「任せとけ」
一式陸攻は、ついに力尽き、着水した。もうもうたる煙が上がり、すぐ沈み出した。機から人が飛び込むのが見えた。
救助の短艇は、まだそこまで到着していない。不時着地点までは、かなりの距離だ。
不時着機の乗員は泳ぎ始めた。仰向けに浮いて、そのままの者もいた。
やがて、海で救助が始まり、しばらくして艇は戻ってきた。
私は海に飛び込んで駆け寄り、艇を覗いた。
「上野機長」
「谷田部」
機長は、顔が半分やけただれ、右目はふさがっていた。
それでも艇の床に肘をついて半身を起こし、
「早川は、やった。空母だ」と言った。
私は、上野機長に抱きついた。
もう涙で何も見えなかった。
声をあげて、泣いた。
上野機長は、あやすように、私の肩を何度も何度もたたいた。
夕陽が、最後の光を一条投げかけた。
夕陽の射すホテルのその部屋は、薄暗かった。
私の目は、谷田部氏の姿をとらえた。
若き二飛曹が、そこに居る気がした。
幾多の陰が立ち現れ、二飛曹とともに、時間の闇の中へ消え去るのではないか。
私は思わず、声をかけた。
「あの、谷田部さん……」
陰が動いた。表情が微かに見えた。微笑んでいた。
老人は、自分に言い聞かすように、はっきりと言った。
「そう、彼らは還ってきたのです」
谷田部氏の表情は、輝いた。
その時の若者のように。
*
別れる時がきた。
何か聞き足りない気がして、私は尋ねた。
「谷田部さん。あの時のことを、今、どう思われますか」
「もう、昔のことですよ」
「ぜひ聞きたいのです」
谷田部氏は、静かに手を重ねていた。
「じゃあ、話しましょう。人の命を奪うということは、その命ばかりではない、それに続く命、未来も奪うことになるのです。そんなことは、ない方がよい。生かされた私は、ずっとそう思って生きてきました」
谷田部氏は、続けた。
「でも人間は、自分で生まれる時代を選ぶことはできない。たとえ困難な時代に生まれても、自分にできることをしようとし、懸命に行動した人々がいたことを忘れないでください。今日は、話を聞いてもらって、よかった。ありがとう」
そう言って、谷田部氏は、私に向かって手を差し出した。
私は、これまでの谷田部氏の話に驚きながら、すべてを飲み込めないでいた。
氏の話は、想像の外だった。
「どうです、何か食べませんか」
谷田部氏が言った。
昼食を取るのも忘れていた。
私の口の中は乾いており、やっと、これだけ答えた。
「ありがとう、すみません」
そして氏は、再び語り出した。
私は、上野機長たちが出撃したその日、ずっと島で待っていた。
陽は、西に傾いていた。
もうその頃には、気持ちも落ち着いていた。
残った私は、上野機長がよく座っていた簡易椅子に座り、西日の向こうには沖縄があるんだな、みんな行ってしまったんだ、と思っていた。
夕陽の中に黒い点が見えた。
動いていた。
私は、埃だらけの手で目をこすり、まっすぐ見つめた。
背後から、別の誰かの声がした。
「一機、向かってくる」
島に残っていた遠野機の銃手たちは、急ごしらえの島の対空銃座にとりつき、迎撃の準備にかかった。
遠野中尉が、双眼鏡を見ながら報告する。
「大型機、損傷している。敵味方、不明」
私は、もしやと思い、
「中尉、双眼鏡借ります」と言って、返事も待たず、引ったくった。
レンズの中に、真っ黒な筋を引く機体が、よたよたと揺れている。
夕陽のまぶしさも構わず、私は機影をじっと見た。
そして叫んだ。
「一式陸攻だ」
「間違いないか」
「はい」
遠野中尉は、すぐさま大声で指示を出した。
「接近する損傷機は味方機。陸攻と思われる。海面不時着に備え、救助準備。短艇出せ」
遠野機の搭乗員たちは、水や救助用具を取りに、倉庫へ駆け出した。
私も向かおうとすると、遠野中尉は私の肩をぐっと掴み、言った。
「お前はいい。迎えてやれ」
私はうなずき、機の向かってくる海へ走った。
私には、わかっていた。ただの味方機ではない。上野機だ。
海辺に着くと、その機体は、ほとんど高度もないほど下降し、陸地までは持たない。
空中に浮かんでいるのがやっとで、止まっているかのような低速。
私は、首から外して肩に掛けていた自分のマフラーを取り、陸攻に向かって、振った。
「頑張れ」
やがて、島の隊員たちが駆けつけて来、一艘だけ岩場につないであった短艇を押し出し、海へと漕ぎ出した。
「俺も乗せてください」
「救助者を乗せると余裕がない。貴様は待っとれ。必ず助ける」
三名だけ乗って、短艇は行ってしまった。短艇の上から、能瀬一飛曹が、私に向けて肘を曲げ、ぐっと力こぶを見せた。
「任せとけ」
一式陸攻は、ついに力尽き、着水した。もうもうたる煙が上がり、すぐ沈み出した。機から人が飛び込むのが見えた。
救助の短艇は、まだそこまで到着していない。不時着地点までは、かなりの距離だ。
不時着機の乗員は泳ぎ始めた。仰向けに浮いて、そのままの者もいた。
やがて、海で救助が始まり、しばらくして艇は戻ってきた。
私は海に飛び込んで駆け寄り、艇を覗いた。
「上野機長」
「谷田部」
機長は、顔が半分やけただれ、右目はふさがっていた。
それでも艇の床に肘をついて半身を起こし、
「早川は、やった。空母だ」と言った。
私は、上野機長に抱きついた。
もう涙で何も見えなかった。
声をあげて、泣いた。
上野機長は、あやすように、私の肩を何度も何度もたたいた。
夕陽が、最後の光を一条投げかけた。
夕陽の射すホテルのその部屋は、薄暗かった。
私の目は、谷田部氏の姿をとらえた。
若き二飛曹が、そこに居る気がした。
幾多の陰が立ち現れ、二飛曹とともに、時間の闇の中へ消え去るのではないか。
私は思わず、声をかけた。
「あの、谷田部さん……」
陰が動いた。表情が微かに見えた。微笑んでいた。
老人は、自分に言い聞かすように、はっきりと言った。
「そう、彼らは還ってきたのです」
谷田部氏の表情は、輝いた。
その時の若者のように。
*
別れる時がきた。
何か聞き足りない気がして、私は尋ねた。
「谷田部さん。あの時のことを、今、どう思われますか」
「もう、昔のことですよ」
「ぜひ聞きたいのです」
谷田部氏は、静かに手を重ねていた。
「じゃあ、話しましょう。人の命を奪うということは、その命ばかりではない、それに続く命、未来も奪うことになるのです。そんなことは、ない方がよい。生かされた私は、ずっとそう思って生きてきました」
谷田部氏は、続けた。
「でも人間は、自分で生まれる時代を選ぶことはできない。たとえ困難な時代に生まれても、自分にできることをしようとし、懸命に行動した人々がいたことを忘れないでください。今日は、話を聞いてもらって、よかった。ありがとう」
そう言って、谷田部氏は、私に向かって手を差し出した。