7 出撃
文字数 2,066文字
昭和二十年三月十四日、グアムの南方数百キロのウルシー環礁を発した米国海軍第58機動部隊は、ミッチャー中将に率いられ、西日本の日本軍基地の攻撃に向かった。
沖縄上陸を前に、日本の航空戦力を叩く手はずである。
日本軍は、十七日深夜に敵艦隊を発見し、十八日未明から攻撃を開始した。
桜花の神雷部隊は、沖縄戦に備えて出撃を命ぜられず、温存されていた。
しかし、十九日に連合艦隊の本拠とも言うべき広島の呉軍港が空襲されるに至り、第五航空艦隊は用兵を考慮せざるを得なくなる。
そして、二十日になり、翌日の出撃準備が下命された。
二十一日。早朝に発進した海軍の高速偵察機「彩雲 」から、午前十一時過ぎに報告が入った。
「敵艦隊を発見。空母六隻。鹿屋の南、六百五十キロ。付近の視界五十キロ」
桜花は、敵艦の約三十キロ手前で、母機から放たれる。視界条件は十分だ。
宇垣司令長官は、神雷部隊の飛行隊長、野中少佐を呼び出した。
「野中、桜花を使うぞ」
「わかりました。準備はできております」
航空隊の岡村司令が言う。
「護衛の戦闘機が、足りんかな。桜花を抱えた陸攻は鈍重だ」
護衛の零戦 は、十機しかなかった。明らかに足りなかった。が、野中少佐は口をつぐんだ。
「今が使う時だ」宇垣は決断した。
「護衛機をかき集めましょう」岡村が言った。
護衛機は、富高基地から二十三機を受け、合計三十三機となったが、戦闘機搭乗員たちは連日の迎撃に駆り出されており、被害も増えていた。
一式陸攻は、二個中隊十八機が出撃する。うち桜花搭載機は十五機。残り三機は身軽にして、対空戦に専念する。
出撃を知らされた桜花隊員たちは、気負うでもなく、着々と準備を進める。
すでに数日前から、周囲の戦闘機、攻撃機部隊の出撃が相次いでおり、自分たち自身の心構えはできていた。
ただ、彼らの任務は特攻であり、出撃すれば還らないことだけが違っていた。
まるで普段の訓練のように、ことは進み、神雷部隊は桜花搭乗員、母機搭乗員ともに指揮台前に整列した。
宇垣司令長官、岡村司令の訓示が終わり、別れの杯が交わされる。
訓示されるまでもなく、彼らは祖国のために奮闘する決意であった。今更の儀式である。
最後に、野中隊長が指揮台に立ってほえた。
「行くぞ、みんな。ひと暴れするぞっ」
おうっ、やったるぜ。ここぞとばかり、男たちのどなり声が連なった。
そして彼らは、自分たちの機へと走った。
早川中尉は、桜花訓練の教官として、神ノ池基地からここまで隊員たちと一緒に来ていた。
今回の出撃において、彼は部下の戦果を見届けるべく、同行を申し出た。その希望は承認され、遠山中尉機に同乗し、共に出撃することになった。
谷田部二飛曹は、桜花搭乗員の中で最年少であり、彼を運ぶ母機の機長は、上野中尉だった。上野中尉と教官の早川中尉は、海軍兵学校で同期生の間柄だった。
桜花と母機の搭乗員同士は、息が合っていなければ戦えない。それで、彼らの編成は固定され、同一の顔ぶれで訓練を重ねていた。谷田部と上野機の塔乗員たちも、互いに気心が知れていた。
機内に集った彼らは、もちろん谷田部の運命を知っている。その手前、彼に対しては普段どおりであることを心がけた。
すでに発進前の機体点検がすみ、プロペラが回り出したところだ。
上野機の機番は、721―28、今回は第二中隊第二小隊の三機を率いる。
谷田部は、機長席の後ろから上野に話しかけた。
「機長、今日はよろしくお願いします」
「お前は、いつも指揮官席でいいな」
桜花の発進まで役割のない谷田部は、機長席後ろの、普段は空席となっている指揮官席をあてがわれていた。
「ああ。そうだ、谷田部。これをやるよ」
「何です。おれにですか」
「ふん。ドロップだよ」
上野機長は、銀紙に包まれたドロップを手渡してきた。紙を開くと、中に色鮮やかな飴玉が十粒ほどある。
「へえ、すごい」
今時、菓子は貴重品となっていた。
「出る前になめとけよ。余ったら返せ」
「ええ、だって、おれにくれたんでしょう」
「それはそうだが。もったいないだろ、ドロップ」
二人がやり合っていると、機の副長ともいうべき、林操縦士が操縦室へ戻ってきた。
「搭乗員揃い。機内点検異常なし」
すでに小隊の僚機二機からは、発進準備完了の連絡を受けている。
林の報告を受け、上野は中隊長に無線通話する。
「こちら第二小隊、上野。小隊全機、発進準備完了」
「了解。第一中隊一番機発進は十一時三十五分予定。順次離陸後、各中隊ごとに集合する」
「上野機、了解」
母機の陸攻十八機、護衛戦闘機の零戦三十三機、総数五十一機の大部隊だった。
味方の偵察機は、敵の空母六隻を報告していた。
しかし、敵艦隊は二グループに分かれており、実際は十二隻だった。そして、その空母に搭載されている出撃可能な戦闘機は、百五十機に達していた。
沖縄上陸を前に、日本の航空戦力を叩く手はずである。
日本軍は、十七日深夜に敵艦隊を発見し、十八日未明から攻撃を開始した。
桜花の神雷部隊は、沖縄戦に備えて出撃を命ぜられず、温存されていた。
しかし、十九日に連合艦隊の本拠とも言うべき広島の呉軍港が空襲されるに至り、第五航空艦隊は用兵を考慮せざるを得なくなる。
そして、二十日になり、翌日の出撃準備が下命された。
二十一日。早朝に発進した海軍の高速偵察機「
「敵艦隊を発見。空母六隻。鹿屋の南、六百五十キロ。付近の視界五十キロ」
桜花は、敵艦の約三十キロ手前で、母機から放たれる。視界条件は十分だ。
宇垣司令長官は、神雷部隊の飛行隊長、野中少佐を呼び出した。
「野中、桜花を使うぞ」
「わかりました。準備はできております」
航空隊の岡村司令が言う。
「護衛の戦闘機が、足りんかな。桜花を抱えた陸攻は鈍重だ」
護衛の
「今が使う時だ」宇垣は決断した。
「護衛機をかき集めましょう」岡村が言った。
護衛機は、富高基地から二十三機を受け、合計三十三機となったが、戦闘機搭乗員たちは連日の迎撃に駆り出されており、被害も増えていた。
一式陸攻は、二個中隊十八機が出撃する。うち桜花搭載機は十五機。残り三機は身軽にして、対空戦に専念する。
出撃を知らされた桜花隊員たちは、気負うでもなく、着々と準備を進める。
すでに数日前から、周囲の戦闘機、攻撃機部隊の出撃が相次いでおり、自分たち自身の心構えはできていた。
ただ、彼らの任務は特攻であり、出撃すれば還らないことだけが違っていた。
まるで普段の訓練のように、ことは進み、神雷部隊は桜花搭乗員、母機搭乗員ともに指揮台前に整列した。
宇垣司令長官、岡村司令の訓示が終わり、別れの杯が交わされる。
訓示されるまでもなく、彼らは祖国のために奮闘する決意であった。今更の儀式である。
最後に、野中隊長が指揮台に立ってほえた。
「行くぞ、みんな。ひと暴れするぞっ」
おうっ、やったるぜ。ここぞとばかり、男たちのどなり声が連なった。
そして彼らは、自分たちの機へと走った。
早川中尉は、桜花訓練の教官として、神ノ池基地からここまで隊員たちと一緒に来ていた。
今回の出撃において、彼は部下の戦果を見届けるべく、同行を申し出た。その希望は承認され、遠山中尉機に同乗し、共に出撃することになった。
谷田部二飛曹は、桜花搭乗員の中で最年少であり、彼を運ぶ母機の機長は、上野中尉だった。上野中尉と教官の早川中尉は、海軍兵学校で同期生の間柄だった。
桜花と母機の搭乗員同士は、息が合っていなければ戦えない。それで、彼らの編成は固定され、同一の顔ぶれで訓練を重ねていた。谷田部と上野機の塔乗員たちも、互いに気心が知れていた。
機内に集った彼らは、もちろん谷田部の運命を知っている。その手前、彼に対しては普段どおりであることを心がけた。
すでに発進前の機体点検がすみ、プロペラが回り出したところだ。
上野機の機番は、721―28、今回は第二中隊第二小隊の三機を率いる。
谷田部は、機長席の後ろから上野に話しかけた。
「機長、今日はよろしくお願いします」
「お前は、いつも指揮官席でいいな」
桜花の発進まで役割のない谷田部は、機長席後ろの、普段は空席となっている指揮官席をあてがわれていた。
「ああ。そうだ、谷田部。これをやるよ」
「何です。おれにですか」
「ふん。ドロップだよ」
上野機長は、銀紙に包まれたドロップを手渡してきた。紙を開くと、中に色鮮やかな飴玉が十粒ほどある。
「へえ、すごい」
今時、菓子は貴重品となっていた。
「出る前になめとけよ。余ったら返せ」
「ええ、だって、おれにくれたんでしょう」
「それはそうだが。もったいないだろ、ドロップ」
二人がやり合っていると、機の副長ともいうべき、林操縦士が操縦室へ戻ってきた。
「搭乗員揃い。機内点検異常なし」
すでに小隊の僚機二機からは、発進準備完了の連絡を受けている。
林の報告を受け、上野は中隊長に無線通話する。
「こちら第二小隊、上野。小隊全機、発進準備完了」
「了解。第一中隊一番機発進は十一時三十五分予定。順次離陸後、各中隊ごとに集合する」
「上野機、了解」
母機の陸攻十八機、護衛戦闘機の零戦三十三機、総数五十一機の大部隊だった。
味方の偵察機は、敵の空母六隻を報告していた。
しかし、敵艦隊は二グループに分かれており、実際は十二隻だった。そして、その空母に搭載されている出撃可能な戦闘機は、百五十機に達していた。