8 戦闘

文字数 5,812文字

 離陸した一式陸攻は、空中集合し、中隊ごとに九機ずつの二編隊を組んだ。
 その上空に、護衛の零戦隊が張り付く。
 攻撃目標は、鹿屋の南方六百五十キロの敵機動部隊。
 約三時間の行程だ。
 高度三千。編隊は巡航速度で南下を続ける。
 上野機は、第二編隊に属していた。左後方には、早川の乗る遠山機が見える。
 機内は現在、常時配置であり、機体前方に八名がまとまって座っている。戦闘時には、うち五名が機内各所の銃座に散らばり、対空戦闘を行う。
 桜花に乗る谷田部は、表情は落ち着いているが、ドロップを口の中でごろごろさせ、頬をふくらませている。見るからに子どもだ。
 偵察席の人見は、双眼鏡を手に周囲を警戒中。

 飛行約一時間でトカラ列島を通過。
「林、操縦替われ」
「はい、預かります」
 上野は左の副操縦員席に座る林に機を任せた。

 二時間を過ぎ、奄美大島が見えてきた。
 前方電信席の海堂が、レシーバを耳にしたまま、機長に叫ぶ。
「隊長機より入電。各機、戦闘配置」
 伝達を受け、上野が機内に令する。
「各員、戦闘配置。林、操縦よこせ」
「はい、操縦を機長へ」
 海堂はレシーバを外すと、機体上部の動力銃座へと向かう。ガラス張りの銃座には防弾板があるが、これは人間より弾倉を守るためのものだ。海堂は操作把手を握り、銃座の回転作動を確認する。
「上方銃座配置よし」
 小宮は、操縦室の床下前方にある航法席を立ち、機体先端の前方機銃へ。前方機銃は、もと七.七ミリだったが、ドイツ製ラインメタルをもとにした十三ミリ機銃に強化されていた。
 この銃は機首の風防枠に設置されている。モーターで風防ごと旋回させ、射撃する。
 小宮は、風防周囲に付けられている予備弾倉を手で確かめた。
「前方銃座配置よし」
 機内後方左右二カ所の側方銃座と、機体最後尾の尾部銃座からも報告があった。
 林副長が、右席の上野に告げる。
「各銃座、配置よし」
 上野は了解すると、後ろの指揮官席に座る谷田部二飛曹にふり向いた。
「準備しとけ、まだ座ってていい」
 谷田部は静かにうなずく。

 神雷部隊を指揮する野中少佐は、第一編隊の一番機に搭乗していた。
 もとより後方で指揮する男ではない。
 一番機の機長が叫ぶ。
「右前方、上方より一機接近」
 偵察員は双眼鏡に目をこらす。
 速度は速い。細い機体だ。
「接近する機は、味方機。彩雲と思われます」
 午前に敵艦隊を発見し、帰投中の高速偵察機「彩雲」。
 野中隊長は、自身の前席に座る松木機長に言った。
「翼振れ」
 一番機は、翼を左右にゆっくりと振る。友軍の合図である。
 彩雲も気づいたようだ。翼を振ると旋回し、陸攻編隊の先頭についた。
 一番機の通信士。
「彩雲より通信。貴隊を誘導す」
「かたじけない」一番機の松木機長は思わずつぶやいた。
 数分ではあったが、彩雲は出来る限りのことをし、鹿屋へ帰投していった。今朝からの偵察任務で、燃料の残量はぎりぎりだった。

 アメリカ空母部隊は、レーダーで神雷部隊の接近をとらえていた。
 これまでのカミカゼ攻撃を恐れたアメリカ軍は、レーダー警戒で敵を察知した場合、これに即応するため、常に哨戒戦闘機隊を飛ばしている。
 艦隊四方に張り巡らされた哨戒部隊は、母艦から敵の侵攻方位と距離を伝達され、直ちに迎撃に入る。カミカゼの特攻は封じなければならない。味方の損害はもちろんだが、兵への恐怖心の伝染が大きな問題だった。

――クーガー4、諸君が一番のご近所だ。行ってくれ。支援はすぐ出す。
「クーガー了解。敵の機数は」
――50機。
「何だって。やつら、どこからかき集めたんだ」
クーガー隊は、機首カウリングに、牙をむいたクーガーの白いシルエットをマーキングしていた。パトリック中尉は、各機に告げた。
「こちらパット。各機ついて来い。近頃めずらしいごちそうだ」
 6機のF6Fのパイロットは、スロットルを押す。エンジンが唸りを上げ、濃紺の機体は北東へと向かった。

 アメリカ海軍第58機動部隊は、ちょっとしたパニックとなっていた。
 近頃、これほどの敵機部隊が接近したことはない。
 司令官ミッチャー中将は、すぐさま命じた。
「戦闘機隊は、全機発進せよ」
 12隻の空母の艦載エレベータが上下し、飛行甲板に絶え間なく機体が揚がる。そして、百五十機の戦闘機が発艦していった。

「敵はまだ見えんか」
 野中隊長はそう言うと、腕組みをし、目を閉じる。
 やがて誰の目にも、はっきりと見えてきた。
 それは、目標とする敵艦隊ではなかった。
 大空に無数に散らばる敵戦闘機の群れだった。
 野中少佐は歯を食いしばった。
 ここまで来て、出くわしたのが戦闘機の大群とは。
「敵戦闘機、百機以上。機数さらに増える。高速接近中」
 出撃前の、護衛戦闘機の不足が的中してしまった。
 目が自然と上空に行く。護衛の戦闘機隊だ。
――頼むぞ。零戦隊。
 今さら伝えることはない。彼らはわかっている。

 零戦搭乗の古沢中尉は、自機の翼を小刻みに振る。
 敵機発見。
 機体を左に傾け、緩やかに機動降下。後続機を敵機群に誘導する。敵機に対してはもっと鋭くやりたいが、今日日の海軍は古参搭乗員を多く失っている。編隊機動についてくるのがやっとの新参者が多い。
 だが、空戦に入れば、そうは言っていられない。死に物狂いにやるだけだ。
 桜花の特攻要員は、その覚悟で来ている。ここで守らねば。

 桜花を、腹の爆弾倉に抱えた一式陸攻は、文字どおり身重だ。
 桜花の母機に改造された一式陸攻は、二四型丁と呼称され、胴体燃料タンク及び操縦席に防弾鋼板を装備、また主翼付け根の燃料タンクは消火液で二重化されていた。両翼の二基の発動機の出力は十七パーセント増加され、最高時速は四百二十キロとされたが、桜花搭載時の速力は半減し、機動力も低下する。
「通信を維持してくれ」
 上野は林に告げた。
「はい」
 林は前部電信席に急ぐと、海堂が使っていたレシーバのコードを目一杯延ばし、そのまま耳に掛けて副操縦席に戻った。
 隊長機から通信が入っている。
――各個に対空戦闘。
 上野は機内に怒鳴った。
「対空戦闘っ。来るぞ」
 機内の各銃手は、機銃を試射する。
「射撃準備完了」各銃手が答える。
「各個に射撃」
「了解」

 アメリカ軍の攻撃が始まった。
 桜花を擁する神雷部隊は、空母を目指し、突入するのみ。
――神雷部隊は編隊を維持。目標到達に努め……
 隊長機からの通信が途絶える。先行する第一編隊は敵の集中攻撃を受けていた。
 上野は、その様を目撃する。
 たちまち第一編隊の後尾を飛ぶ二機がやられる。
 前方の味方機を見つめる。敵の銃弾が翼を抉り、断片が飛ぶ。白煙が噴き出す。銃弾の熱で翼内燃料タンクのオイルが気化。炎を吹き出した。機体がぐらりと傾く。やがて黒煙が混じり、高度を落としていく。
 最後まで見ていられない。もう次の手が、こっちに迫る。
 上野はフットペダルを踏み、方向舵の感触を確かめると回避操作を開始。
「揺らすぞ。各銃手、反撃たのむ」
 上野機は、進行軸をずらしながら、緩降下に入った。

 敵機は、空母レーダーからこちらの位置情報を得ている。有利な態勢から攻撃してくる。反航する速度差を利用し、前上方から一撃された。
「小隊各機、付いてきてるか」
 上野機は、第二小隊の僚機二機を率いていた。
 副長の林が、機体と共に体を揺らしながら、左右後方を確認。
「左、遠山機、右、中田機、航続中」
 敵機は、陸攻の翼下に抜け、反撃の手薄な後下方から再射撃。発動機は無論だが、翼内の燃料タンクを狙われたら陸攻は弱い。すぐさま周囲の数機から白煙が流れる。それが目印となり、さらに攻撃が集中する。
「中田機、被弾」
 ついに中田機が捕まった。右主翼から火を噴き、中程からちぎれる。機は頭を下に逆立ちした。
「中田機、落ちます」
 中田機は煙の渦を巻き、回転しながら視界から消えていった。
「零戦隊は何してる」上野はうめく。
 陸攻は右に左へと回避するが、いかにも動きが鈍い。
 零戦隊は奮戦していた。しかし、味方三十三機に対し、敵百五十機。
 大戦末期、零戦は性能、特に速力が敵機に劣ることから苦戦を強いられていたが、長い航続力と良好な操縦性から、今だに第一線で戦い続けていた。
 古沢は零戦を駆る。後続の僚機ははぐれてしまった。目の前を斜めに敵機が走った。すぐに右バンクをかける。敵は高速旋回し、次の攻撃態勢を整えようとする。
 古沢はスロットルをわずかに絞り、機を極限までの急旋回に入れた。操縦桿を倒す腕に加重がのしかかる。一秒、二秒。敵機の内側に入るまで旋回。
「早く来い」
 もう限界かという時、左から照準器一杯に敵機影が入った。このまま激突かと思うほど接近し、二十ミリ機関砲を斉射。
 F6Fは、破片の中に横倒しとなり、きりもみして落ちていった。

 陸攻は、桜花を抱えたまま、すでに半数が撃墜された。
 空域は乱戦で、空は汚れている。敵味方もはっきりしない。上野機の対空銃手たちは、接近してくる機に打ちまくっていた。
 横方向の通過には、銃の旋回が追いつかない。正面方向で対するとき、敵の操縦士の顔が見える。
 機内には空薬莢と、使い切った弾倉が散乱していた。

 陸攻編隊の隊長、野中少佐の一番機は健在だった。
 左翼側の僚機が、発動機から火を噴く。その機長は一番機に向かって敬礼し、落ちていった。残りの機が、すかさず隊長機の周囲に密集隊形を組むが、すでに数機が機体から煙を引いている。目標の敵艦隊はまだ先だ。
――一撃必殺の桜花を持ちながら、たどりつけんか。
 野中隊長がそう思った時、左肩に激痛が走った。
「うっ」同時に、後方で旋回銃手が床に崩れる。
「隊長」
「俺は大丈夫だ」
「副長、戸田を見てやれ」
 岡野副長は、戸田の応急手当にかかる。戸田は上半身をやられ、頭部の出血がひどい。「戸田、戸田」すでに息はなかった。
 訓練を共にした仲間たちが、次々と落ちていく。機内は、破片が飛び散り、油の灼けた臭いが立ちこめていた。
 桜花も発進させることが出来ず、ただ部下が死んでゆく。もう野中に出来ることは少なかった。

「みんな大丈夫か」
 機内の轟音に負けないよう、上野は叫んだ。攻撃は止まない。回避しつつ、機体を安定させる。機体は上下左右に揺れっぱなしだ。
「はい」
「まだいけます」
 各所から声が上がる。少なくとも死者はいない。
 上野機の前方をゆく、第一編隊は瓦解していた。隊長機と左右の三機しかいない。こちらの第二編隊も同様だ。
「遠山機は」
 副長が、左翼後方を確認する。
「ついてきてます」
 隊長機から通信が入る。
――桜花を投棄せよ。
 副長が復唱する。
 このまま飛んでも、いつかは全滅だ。わかった。
「桜花を投棄する」
「待ってください」
 機内で、機銃の弾倉交換を手伝っていた谷田部が、機長席へと走ってくる。
「待ってください。行かせてください」
「馬鹿言うな。命令だ」
「桜花で、行かせてください」
「だめだ」
 第一編隊の各機が桜花を投棄した。みるみる速度をあげていく。
 上野は、桜花の投下レバーを握る。谷田部がその手にしがみついてきた。
「行かせてください」
 第一編隊はさらに一機が落後し、残る二機が遠ざかっていく。
「放せ。今行ってどうなる。無駄死にだ。桜花に乗れるのは貴様だけなんだ」
 谷田部は涙を浮かべた。
「わかりました」
 谷田部は手を放した。上野は即座にレバーを引く。
 一瞬軽い振動があり、軽くなった陸攻の機体はすうと浮き上がった。
「前に追いつくぞ。まだ作戦中だ」
 谷田部は、その場に座り込んだ。
 上野は操縦桿を操りながら後ろを向き、谷田部の肩をつかみ、言った。
「きっと、次がある」
 谷田部は顔を伏せたまま、返事した。
「はい」

 出撃時は十八機だった陸攻の二編隊であったが、今や四機となっていた。
 第二編隊の上野機と遠山機は、最大速度で先行する隊長機と僚機を追った。桜花は全て捨てられた。
 敵の攻撃とともに、周囲の騒音と振動は続いている。
 桜花を捨てたことで、機体の自由度は上がった。上野は操縦を林に委ね、自身は敵襲を見張りつつ、林への指示に回る。
「右だ。引け、一杯」機体がきしむ。
 機内の銃手たちは、機体の変化に振り回されながら、打ちまくる。しかし、残弾は少なくなっていた。
 隊長機に従う一機から白煙が吹き出した。みるみる黒い筋が混じり、機速が落ちる。発動機をやられている。
 隊長機からも、白い筋が出る。
 上野機と遠山機が続く。敵機はなお追ってくる。機体の左右に曳跟弾が飛ぶ。ガン、と衝撃音。後部だ。
「尾翼か」
「まだ飛べます」
「左、すべらせろ。ちょい上げ。まっすぐ飛ぶな、ずらせ」
 陸攻の残存は、三機。
 その時、隊長機は急降下に入った。
「雲に突っ込みます」
「構わん、付いて行け」
 三機は厚い雲に入り、機影が霞んでいく。
 やがて、見えなくなった。直後、雲中で赤い発光があり、鈍い爆発音が響いてきた。
 敵機は、ここで追撃を中止した。

 鹿屋基地は、桜花の戦果を待ち望んでいた。
 基地の第五航空艦隊司令部には、作戦結果が全く入ってこない。
 司令部が焦燥に駆られる中、傷ついた零戦が一機、また一機とばらばらに帰還してきた。
 古沢機も戻った。帰還した搭乗員は、すぐ戦況報告に赴く。
 整備兵が古沢機を点検したところ、その機体には二十カ所以上の弾痕があり、燃料計はほぼゼロを指していた。
「古沢中尉。よくご無事で」
「うん。乗ってる人間には当たらなかった。また生き残っちまった」
「神雷部隊の桜花は」
「わからん。敵の大編隊に奇襲され、大混乱だ」
 一式陸攻は、一機も戻っていない。
 全滅か。第五航艦司令長官、宇垣中将は、あるいはと考え、こう打電させた。
「敵を発見せざれば、南大東島へ行け」
 すでに夕闇が迫ろうとしている。この発信への応答は、ついになかった。
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登場人物紹介

桜花(おうか)|ロケット推進の特殊攻撃機。大戦末期、日本海軍が使用した、実在の機体。

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