4 人さがし
文字数 2,429文字
バカ・ボム(馬鹿爆弾)。
冗談のような名前だが、日本軍のその兵器に、アメリカ軍はこうニックネームを付けたのだ。
アメリカでは考えられない、常識外れの兵器。
全長六メートル。一人乗りのグライダー。
機首に一.二トンの爆薬を装填し、敵艦に体当たりする。
全重量が二.一トンだから、半分以上が爆薬である。
グライダーとしては、速度が四百六十キロほどだが、機体後部に三本のロケット噴射筒を持ち、急降下時に噴射すれば時速九百キロに達する。
人が乗って操縦する、巡航ミサイルといってよかった。
特攻のために作られた、日本海軍のロケット兵器。
日本名「桜花 」。
ランサー・ベイの沈没が、日本の攻撃によるものであり、事故でないことはわかった。 それにしても、私の疑問は晴れない。
なぜこの戦果が公式に記録されていないのか。
私は、今度は旧日本軍の関係者を探すことになった。
当たりはなく、ネットでの応答もなかった。
そんなある日、私は茨城県を訪ねた。
東京から東北東へ百キロ。本州東辺の太平洋に面した鹿嶋市。
鹿島コンビナートの工場群が立ち並ぶ中に、それはあった。
神ノ池 海軍航空基地。
昭和十九年十一月に移動してきた「桜花」部隊、第七二一航空隊の根拠地だ。
現在、その跡地は、鹿島港の水路の北側にあたり、製鉄会社の工場となっている。敷地の一部は、南側の神栖市にまたがっている。
鹿島港の南端には、基地名の由来となった「神之池」が現存する。
神之池は、戦後の鹿島港開発で埋め立てられ、当時の四分の一ほどの大きさか。
今、その周辺には、体育館や、文化施設があり――平和の象徴だ。
製鉄工場の正門近くに、ひっそりと「桜花公園」があった。
石碑を過ぎ、残されているコンクリート製の掩体壕に近づくと、暗がりに白く浮かぶものが……桜花の機体である。
小さな翼をぴんと張り、少しも汚れてはいない。
すでに陽が昇っていた。
いつもなら、港や工場へと大型の車両が行き交うのだろうが、今日は八月十五日。
お盆休みのためか、道路はまばらだった。
私は、もう一度桜花の機体を見た。台座にじっとしている。
そこへ、一人の老人が現れた。
品のいい身なりだ。
彼は、桜花の前に来ると眼を閉じ、掌を合わせた。
私は、自然と言葉が出た。
「失礼ですが、桜花のご関係の方で?」
「ええ。これに乗ってました」
白髪の老人は、背を伸ばし、静かに私を見た。
偶然だろうか、私はその姿に、アメリカで会ったファロン氏を思い出した。
「私、モリノといいます。実は大戦中の桜花について、調べているのです。差し支えなければ、お話を聞かせていただけませんか」
間があった。
「いいでしょう」と老人は答えた。
「終戦の日に、こんなところで出会うのも、何かの縁かもしれません。ここでも何でしょうから、ホテルでどうです。谷田部といいます。車を待たせてある。センチュリーホテルでよければ」
「ありがとうございます。突然にすみません」
老人は、先に立って歩き出した。
センチュリーホテル・カシマは、この辺では格式のあるホテルの一つである。
私は、早朝の高速バスで来ており、日帰り予定で、宿は取っていなかった。
道ばたに、黒塗りのセダンが止まっていた。
初対面の人の車に乗り込むのも不用心と思ったが、私から申し出た頼みだ。
心配な気持ちもあり、運転手を見やると、怪しい人物とも思えない。彼は車からすっと出てきて、老人にドアを開ける。
老人は、ホテルのオーナーででもあったのだろうか。年齢から、もう現役は退いているだろう。
車は走り出した。
鹿嶋市から南へ、すぐ神栖市に入り、五キロほどで到着した。
運転手は、老人を降ろすと、車を回しにそのまま行ってしまい、私は老人と二人してホテルへと入った。
フロントの女性が我々を見つけ、カウンターを出ると、こちらへやってくる。
老人が尋ねた。
「十五階は?」
「今日は空いているはずです」
「じゃ、一日入れておいてくれ」
「承知いたしました」
エレベータを案内される。
「ここでいいよ」
「かしこまりました」フロントの女性は、お辞儀をしてエレベータを送った。
十五階に着くと、もう連絡が入っていたらしく、従業員が待っている。
「いらっしゃいませ。いつもの部屋でございますか」
「うん。一日取った。ちゃんと払うよ」
「いえ」と言って、彼は微笑んだ。
通された部屋は二十名ほどが入る洋室で、日当たりがいい。
長い方の壁は、一面のガラス窓で、展望室のようだ。
「ここは、「蘭の間」といってね。レストランの一室なんだが、あまり知られてないんですよ」
窓からは、東の鹿島工業地帯が一望できる。
鹿島港の向こうは、すぐ太平洋。そしてその先には――アメリカがある。
「食事用のまっすぐな椅子だから、あまりくつろげんかもしれんが」
「とんでもない、十分です」
老人はテーブル席に座り、飲み物の合図だろうか、ボーイに向けて、右の人差し指をくるっとさせた。そして、窓の外の空を見つめた。
私を見、話しかける。
「どうぞ座って。あなたは、あの桜花を見にわざわざ」
「はい」
わたしは、ここへ来るまでの調査について話した。
「桜花による空母の撃沈が、記録されないことがあり得ますか」
「それは、まあ」
「ご存じなので?」
「事情があるのですよ」
「教えてください」
谷田部氏は、口をきゅっと結んだ。
給仕がアイスコーヒーを運んできた。
「ずっと、話すつもりはなかったが、こんな日が来るのでは、とも思っていたのです。私も、そう長くはないでしょう」
「いいえ、お元気そうに見えますが」
「あれは、わたしが十八の時。そう、その辺を飛んでいた」
老人は、話を始めた……
冗談のような名前だが、日本軍のその兵器に、アメリカ軍はこうニックネームを付けたのだ。
アメリカでは考えられない、常識外れの兵器。
全長六メートル。一人乗りのグライダー。
機首に一.二トンの爆薬を装填し、敵艦に体当たりする。
全重量が二.一トンだから、半分以上が爆薬である。
グライダーとしては、速度が四百六十キロほどだが、機体後部に三本のロケット噴射筒を持ち、急降下時に噴射すれば時速九百キロに達する。
人が乗って操縦する、巡航ミサイルといってよかった。
特攻のために作られた、日本海軍のロケット兵器。
日本名「
ランサー・ベイの沈没が、日本の攻撃によるものであり、事故でないことはわかった。 それにしても、私の疑問は晴れない。
なぜこの戦果が公式に記録されていないのか。
私は、今度は旧日本軍の関係者を探すことになった。
当たりはなく、ネットでの応答もなかった。
そんなある日、私は茨城県を訪ねた。
東京から東北東へ百キロ。本州東辺の太平洋に面した鹿嶋市。
鹿島コンビナートの工場群が立ち並ぶ中に、それはあった。
昭和十九年十一月に移動してきた「桜花」部隊、第七二一航空隊の根拠地だ。
現在、その跡地は、鹿島港の水路の北側にあたり、製鉄会社の工場となっている。敷地の一部は、南側の神栖市にまたがっている。
鹿島港の南端には、基地名の由来となった「神之池」が現存する。
神之池は、戦後の鹿島港開発で埋め立てられ、当時の四分の一ほどの大きさか。
今、その周辺には、体育館や、文化施設があり――平和の象徴だ。
製鉄工場の正門近くに、ひっそりと「桜花公園」があった。
石碑を過ぎ、残されているコンクリート製の掩体壕に近づくと、暗がりに白く浮かぶものが……桜花の機体である。
小さな翼をぴんと張り、少しも汚れてはいない。
すでに陽が昇っていた。
いつもなら、港や工場へと大型の車両が行き交うのだろうが、今日は八月十五日。
お盆休みのためか、道路はまばらだった。
私は、もう一度桜花の機体を見た。台座にじっとしている。
そこへ、一人の老人が現れた。
品のいい身なりだ。
彼は、桜花の前に来ると眼を閉じ、掌を合わせた。
私は、自然と言葉が出た。
「失礼ですが、桜花のご関係の方で?」
「ええ。これに乗ってました」
白髪の老人は、背を伸ばし、静かに私を見た。
偶然だろうか、私はその姿に、アメリカで会ったファロン氏を思い出した。
「私、モリノといいます。実は大戦中の桜花について、調べているのです。差し支えなければ、お話を聞かせていただけませんか」
間があった。
「いいでしょう」と老人は答えた。
「終戦の日に、こんなところで出会うのも、何かの縁かもしれません。ここでも何でしょうから、ホテルでどうです。谷田部といいます。車を待たせてある。センチュリーホテルでよければ」
「ありがとうございます。突然にすみません」
老人は、先に立って歩き出した。
センチュリーホテル・カシマは、この辺では格式のあるホテルの一つである。
私は、早朝の高速バスで来ており、日帰り予定で、宿は取っていなかった。
道ばたに、黒塗りのセダンが止まっていた。
初対面の人の車に乗り込むのも不用心と思ったが、私から申し出た頼みだ。
心配な気持ちもあり、運転手を見やると、怪しい人物とも思えない。彼は車からすっと出てきて、老人にドアを開ける。
老人は、ホテルのオーナーででもあったのだろうか。年齢から、もう現役は退いているだろう。
車は走り出した。
鹿嶋市から南へ、すぐ神栖市に入り、五キロほどで到着した。
運転手は、老人を降ろすと、車を回しにそのまま行ってしまい、私は老人と二人してホテルへと入った。
フロントの女性が我々を見つけ、カウンターを出ると、こちらへやってくる。
老人が尋ねた。
「十五階は?」
「今日は空いているはずです」
「じゃ、一日入れておいてくれ」
「承知いたしました」
エレベータを案内される。
「ここでいいよ」
「かしこまりました」フロントの女性は、お辞儀をしてエレベータを送った。
十五階に着くと、もう連絡が入っていたらしく、従業員が待っている。
「いらっしゃいませ。いつもの部屋でございますか」
「うん。一日取った。ちゃんと払うよ」
「いえ」と言って、彼は微笑んだ。
通された部屋は二十名ほどが入る洋室で、日当たりがいい。
長い方の壁は、一面のガラス窓で、展望室のようだ。
「ここは、「蘭の間」といってね。レストランの一室なんだが、あまり知られてないんですよ」
窓からは、東の鹿島工業地帯が一望できる。
鹿島港の向こうは、すぐ太平洋。そしてその先には――アメリカがある。
「食事用のまっすぐな椅子だから、あまりくつろげんかもしれんが」
「とんでもない、十分です」
老人はテーブル席に座り、飲み物の合図だろうか、ボーイに向けて、右の人差し指をくるっとさせた。そして、窓の外の空を見つめた。
私を見、話しかける。
「どうぞ座って。あなたは、あの桜花を見にわざわざ」
「はい」
わたしは、ここへ来るまでの調査について話した。
「桜花による空母の撃沈が、記録されないことがあり得ますか」
「それは、まあ」
「ご存じなので?」
「事情があるのですよ」
「教えてください」
谷田部氏は、口をきゅっと結んだ。
給仕がアイスコーヒーを運んできた。
「ずっと、話すつもりはなかったが、こんな日が来るのでは、とも思っていたのです。私も、そう長くはないでしょう」
「いいえ、お元気そうに見えますが」
「あれは、わたしが十八の時。そう、その辺を飛んでいた」
老人は、話を始めた……