11 決心

文字数 4,309文字

 その日は、ほどなくやって来た。
 昭和二十年四月一日。
「米軍が沖縄に上陸した」
 遠山機の通信機から、情報がもたらされた。
 米軍の上陸に対しては、昭和十九年秋の水戸歩兵第二連隊を主力としたペリリュー島の戦い、続く昭和二十年二月からの小笠原兵団による硫黄島の戦いの戦訓にならい、沖縄の守備隊でも持久戦を企図していた。
 沖縄本島の中部西岸に殺到した米軍艦船は千五百隻。上陸に際し、日本軍の反撃は全くなかった。米軍兵士らは「エイプリル・フールの冗談か」といぶかったという。

 その後の日米の戦いは、熾烈なものとなった。その様は「鉄の暴風」と言われるほどだった。
 遠山機の搭乗員たちは、通信士の間中をはじめとして交替で機内にこもり、通信を傍受、情報の収集にあたる。
「わが第二艦隊が出撃するようです」
 第二艦隊は、日本海軍において、打撃力を誇る実戦部隊に与えられる艦隊名である。
「編成は」
「戦艦一、軽巡洋艦一、駆逐艦八」
 艦隊の全盛期の戦力とは、比べものにならない寂しさだ。
「戦艦は長門か、大和か」
「大和らしい」
 戦艦大和を本土決戦に残さず、沖縄の敵大兵力に差し向ける。
 これは特攻だ。
「出撃は、いつ」
「わかりません」
「その日をつかめ、聞き漏らすな」
「了解」

 四月五日。
 大和を中心とする第二艦隊の出撃日は、翌四月六日と判明した。
「敵は、大和を沖縄に近づけることはすまい。手前で叩くはず」
 上野は頭を抱える。考えるしかない。
「ただし、九州各地の日本の航空機を相手にしては不利だ。大和が九州を南下するまで待つのが上策だ」
 見えた。頭に閃いた。
「敵は、大和を七日に攻撃する。そして、鹿屋の五航艦は、大和の第二艦隊に呼応し、航空攻撃を仕掛けるはず。おそらく七、八の両日だ。こっちは早い方がいい。決まった。俺たちの出撃は、七日だ」
 上野は、通信係を担当中だった永井に尋ねる。
「第二艦隊の出撃時刻はわからんな」
「はい」
 残念だが、仕方ない。
 これがわかるようなら、大和の特攻は失敗だ。

 その日、沖縄東方三百六十キロの南大東島で、神雷部隊の生き残りたちに集合がかけられた。
「集まれ」
 各員が駆け足で来る。
「上野中尉から、攻撃計画の説明がある。よく聞け」林の声が飛ぶ。
 上野は、仲間の搭乗員たちをぐるりと見回すと、説明を始めた。
「出撃日を決定した。出撃は明後日、四月七日。時刻は追って伝えるが、早朝〇六〇〇には、搭乗準備を完了しろ」
 上野は第二艦隊と、予想される五航艦の動きを説明。
「五航艦の攻撃に合わせ、敵の隙を突く」
「離陸後、敵のレーダー探知を避けるため、前回の攻撃の逆で行く。高度五十の超低空で、約七十分飛行。目標の四十キロ手前で、高度三千三百に上昇し、敵情観測。観測時間は一分半。この間に、攻撃目標と最終進路を決定。観測次第、桜花を発進させる。桜花の通常切り離し高度は、四千だが、谷田部、行けるな」
「はい」
「高度三百より上に上がれば、そこで敵に探知される。上昇中の時間をぎりぎり少なくしたい」
「桜花の切り離しは、目標手前二十キロだ。目標到達まで、桜花の速力で二分」
 上野は宣した。
「みんな、頼んだぞ」
 一同「了解」
 谷田部は、気楽な感じで右手を挙げ、了解を示す。発進高度が数百低いが、なんとかなる。あとはやるだけだ。
 遠山機は出撃出来ないが、全ての搭乗員がそろって聞き入っていた。
 零戦搭乗員の牧田は、一番後ろで説明を聞いていたが、姿がすぐ消えた。

 作戦説明を終え、全員が散会した。
 休憩所へ向かう機長の上野を、桜花の教官、早川が呼び止めた。
「上野」
「うん」
「話がある」
「何だ」
 二人は木陰へと外れた。
 早川が切りだす。
「谷田部のことだが」
「奴がどうした」
「あいつは、ここで一番若い。奴を、先に逝かせるわけにはいかない」
「今度は止められんぞ」
「俺は先の攻撃で、育てた部下を見殺しにしている。最後も見届けず、一人で逃げてきたようなもんだ」
 上野は小首をかしげ、早川を見すえた。
 早川は黙っている。
「戦いは始まっている。邪魔は御免だ」
 上野はそう言って、早川を見た。
 早川の目は、見たことのない光を帯びていた。
 上野は促すように、早川に向かってあごをしゃくった。
 しばし、二人は話していた。

 早川と別れた後、上野はある決心をして、副長の林を呼んだ。
「頼み事があるんだが」
「何でしょう」
「書道の道具が一式、手に入らないか」
「なんとかしましょう」
 小一時間後。
 林は、筆に硯、墨を持って戻ってきた。ガラス瓶に水が入っている。
「北の山で、清水を汲んできました」
「それはすまない、ありがとう」
「紙は、どんなものを」
「紙は、いい」
「わかりました」
「ちょっと、一人にさせてくれ」
「了解」

 上野は、硯に水を注ぎ、墨を擦る。そして、竹軸に掛けていた飛行用マフラーを取ると、床へ縦に伸ばした。
 正絹の白いマフラーである。
 上野は、日本本土の方向を向いて正座し、祈る。
 筆を取り、念ずるまま、マフラーに墨書する。
 真っ白なマフラーに、黒々と文字が記された。

 四月六日。
 夜十時。
 横になって休んでいた上野のもとに、通信士の間中が飛び込んできた。
「上野中尉、大和の艦隊が豊後水道を通過しました」
「いつだ」
「十九時五十分です」
「どうしてわかった」
「敵の潜水艦が偵察しています。偵察報告の英語電信を傍受しました」
 間中は、上野に紙切れを見せた。英文が走り書きされている。
「この電文は平文か」
「はい」
「なめやがって」
 敵は、報告通信を暗号化せず、平文で送信している。大和の艦内でも、受信したかもしれない。
 敵の報告発信は、大和艦隊の通過時刻より、一時間以上遅れている。この偵察中の潜水艦は、大和に随伴する日本の駆逐艦を警戒し、安全距離に離れるまで待ったのだろう。
「間中、すまないが、林と小宮を呼んでくれ。それから、蝋燭を三本ばかり頼む」
「はい」
 上野は、出頭した小宮に指示し、機内から海図と計算尺を持ってこさせた。この仕切り部屋に、電灯はない。林が蝋燭を灯す。
 航法士の小宮は、今後の大和艦隊の位置と時刻を計算し、結果をチャート紙に線で記していく。
 第二艦隊は、沖縄まで直進するとは限らない。迂回した場合も計算した。
「できました」
「見せろ」
 上野は二本の線図を見ている。やがて言った。
「林、明日は一一〇〇に集合、搭乗を開始。飛行準備が完了次第、離陸する。以上、皆に伝えてくれ」
「わかりました」
「小宮は、海図と計算尺を機に戻し、休んでよし」
「はい」
 林は、隊員たちが雑魚寝している大部屋へと出て行き、ほどなく戻ってきた。
「集合時刻、伝達しました」
「全員か」
「はい。谷田部と能瀬は、ぐっすり眠ってました」
「起こしたのか」
「いいえ」
「それでいいさ。当初の予定時刻より、遅らせたんだ。問題なかろう」
「あの二人、昼間の時間は、どんな気持ちでいるんでしょうね」
「そうだな。死ぬと決まった身で、毎日暮らしてるんだからな。俺たちは、何もしてやれない」
「ええ」
「林、明日はよろしく頼む」
「はい」
 林は敬礼して下がった。
 上野は、チャート紙を蝋燭で燃やし、処分した。
 夜空に、月はまだ姿を隠していた。
 漆黒の空に、流れ星が一つ飛んだ。

 翌四月七日。
 午前十一時、定刻に搭乗員は集合した。
 作戦計画に変更なし、予定どおり実行。上野機、一式陸攻『改』の搭乗員たちは、各自あいさつだけ交わし、機内へ乗り込む。
 いよいよ発進だ。
 谷田部は、島に残る遠山機の各員と、握手を交わす。
 最後に、能瀬の手を握る。
「谷田部、やれよ」
「ああ」
 能瀬は、人差し指を突き出すと、身振りで拳銃を撃つ真似をした。
 谷田部はそれを見て笑い、別れの手を挙げる。
 集合場所から機体へと向かう谷田部は、後ろから呼び止められた。
「谷田部」早川教官の声だ。
「はい」
 振り向きざま、谷田部は何者かに襟首をつかまれる。
 教官ではない。大柄な尾部銃手の斉藤飛曹長だ。
 間髪入れず、谷田部の腹に、斉藤の空手技が入った。
 谷田部二飛曹は、声もなくその場にくずれた。
「すまん」斉藤は、静かに谷田部を地面におろした。
「許せ。貴様の桜花は、俺がもらう」早川は、桜花へと駆ける。
 陸攻に乗り込みざま振り向くと、谷田部は気を失ったまま、残された遠山機の搭乗員たちに介抱されていた。

 上野は操縦席に座り、飛行前の点検を始める。
 早川は、陸攻の腹に吊り下げられた桜花を点検する。
 やがて、機内に早川が入ってきた。
 そして操縦室まで来ると、背もたれに腕をかけ、機長の上野をのぞき込んだ。
 上野は、飛行前点検表の記入に余念がない。首には、白いマフラーをしていた。
「交替したぞ」早川は、大声で声をかけた。
「うん」
 上野機長は、後ろを振り向き、早川を見てうなずいた。
 発動機の始動スイッチを入れる。
 発動機が唸りをあげ、プロペラが回りだす。
 機内は轟音に満たされた。
 滑走路脇には、遠山機の搭乗員が整列していた。
 谷田部は、地面に寝かされたまま動かない。
 零戦搭乗員の牧田の姿はなかった。

「副長、各員の搭乗確認たのむ」
 林副長は、機長の左の席を立ち、機内を確認に行く。
上野は、後ろの指揮官席を親指で指し、早川に着席を勧めた。
「ゆっくり座っとれ」
 指揮官席のさらに後ろの前方電信席には、海堂が着席していた。通常は、作戦空域までここに座り、通信任務をこなす。そして、戦闘となれば、胴体上面に搭載された旋回銃座に移動する。だが、どのみちこの機の無線は役に立たない。
 林が戻ってきた。
「機内確認よし」
 上野は、機体の点検を終える。
「発進する」
 地上の作業者に合図し、車輪止めが外される。
 上野は左手のスロットルレバーを少しずつ前へ。
 金属音が高まる。
 機体はゆっくりと動き出した。
 左に回頭し、滑走路へと向かう。
 滑走開始位置に停止。上野はブレーキを目一杯掛け、離昇出力までスロットルを上げる。
 回転計を確認し、ブレーキをゆるめる。
 一式陸攻は滑走を始めた。
 滑走路脇では、残りの者が帽子を振って見送っている。
 やがて機は速度をあげ、離陸。上空で右旋回すると、機首を西へと向けた。
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登場人物紹介

桜花(おうか)|ロケット推進の特殊攻撃機。大戦末期、日本海軍が使用した、実在の機体。

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