夜の呼び声:うぉー1000字

文字数 1,124文字

 20時になると山向こうから叫び声が聞こえる。日によって種類は違うが、毎日この時間だ。叫び声は1時間に渡ることもある。
 時には断末魔のような、時には嬌声のような、そして時には恐ろしい獣の唸り声のようなそんな声が響き渡る。

 私は秋に出張でこの寂れた町に引っ越してきた。20時を過ぎると月と星の明かりしかないような小さな町。
 それが2ヶ月ほど前。出張期間は3ヶ月だからあと1ヶ月で本社に戻る。それまでの辛抱だと思って耐えていたが、限界に来ていた。
 一度は管理人には苦情を述べた。

「ああ、あれは仕方ないんだよ」

 管理人は気の毒そうに述べる。

「仕方がないで済むレベルではないと思います」
「あんたが言ってることはわかる。ただ、どうしようもないんだよ」

 確かにそうだ。あの声は山の向こうから聞こえる。遠い。
 だが最近、この山近くの建物では夜になると冬が重く覆いかぶさり滲み出る底冷えが酷くなってきた。爪先から凍るような冷たさに、あの声が酷く染みるのだ。

「まあ、あんたもあと1ヶ月くらいだろ? 多少うるさいだけで害はないんだよ。気にせず新年にいい気分でパーっと都会に帰んな」

 管理人の声は私を少し羨むように聞こえた。五十絡みのこの男は、私と違ってもうここから去ることはできないのだろう。
 そのことに申し訳なさと、それから憐れみを感じたことに罪悪感を覚えて踵を返した。私の背中に声がかかったが、いたたまれなかった。だから返事もせずに部屋に戻った。

◇◇◇

 それからしばらくして、いつしか雪が降り始めた夜、私は熱を出して寝込んでいた。ぼぅと浮かされた気持ちで、時計の針がカチリと8を示す。
 その途端に、これまでよりも一段と悍ましい声が響き始め、ただでさえ痛い頭蓋を揺らす。
 氷のように薄く冷たい布団で震えていると、吐き気まで催してきた。もう駄目だ、苦しい。熱くうねる身体をなんとか起こし、よろよろと洗面に向かう。その途中、窓がビリリと叫び声で揺れた。

 急に腹が立った。言ったって仕方がないのはわかる、わかるさ。遠いんだからどうしようもない。でも我慢の限界ってものがあるだろ。
 上がる熱は私の我慢を容易に破り、聞こえなくても文句だけでも言ってやりたいと思い、思わず怒りと共に窓に手をかけ、勢いよく開け放った。

  ……。

 そこはただ、白銀の世界が広がっていた。
 音など、叫び声など何も聞こえなかった。
 なぜ気づかなかったんだろう。なぜそう思い込んでいたのだろう。あんな遠くに見える山から声なんか聞こえるわけがない。
 それじゃあこの声は。

 急にあの時背中に投げかけられた管理人の言葉を思い出す。

「間違えても確かめようと思わない方がいい。確かめなければ、害は何もないんだから」
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