タザキが来る:訪れる1500字

文字数 1,432文字

『タザキが来るぞ』

 いつからかよくわからないが、街でそんな噂を聞くようになった。どういう時に囁かれるのかもよくわからない。ただ、『タザキが来る』という言葉は何か不吉な空気を孕んで広まっていった。

 『タザキ』というのは人の名前なのだろうか。それともそういった怪異とか幽霊の類なのか、超常現象のようなものだろうか。何もわからない。ただそれがまた、不穏な、妙に落ち着かない気持ちにさせるのだ。

 俺が最初に『タザキが来る』と聞いたのはいつだったかな。友達と何かを話している時にふと、その言葉を聞いたんだと思う。その前後が思い出せないから、その言葉を招いた文脈そのものはたいしたものではなかったのだろう。
 友達に聞いても『タザキが来る』という発言を俺か友達がしたという記憶はあるが、なんの話か全く思い出せないと言い、眉をひそめた。

 だからといって俺の生活に何かの変化や兆しがあるわけではなく、なんとなく気持ち悪さに追われながら日々は過ぎていった。

 それから暫くして『タザキが来る』という言葉は全く聞かれなくなった。その理由は、その言葉の謎が解明されたとか気にならなくなったとかではない。
 逆だ。
 世の中で『タザキが来る』というカウンターが回っていることをみんなが気がついてしまったのだ。このカウンターは世界で『タザキが来る』と発音される度に回る。つまり世の中の人間が発音を繰り返し、一定数に達すれば『タザキが来て』しまうのだ。

 そもそも『タザキが来る』という意味がわからない。だからそれが恐ろしいことなのかどうかもわからないはずだ。けれどもともかくその言葉は何やら不吉を招き寄せるような不気味な響きを持っていた。
 もう検証することもできない。この間話した友達に会い、思わずお互い『タ……』という言葉だけ思い出したように呟き、黙りこくるということが増えた。
 そういう時は頷きあい、これ以上カウンターを回さないという決意をお互いの目に訴えた。

 だが、誰かが回している。世界のどこかでカウンターが回っている。刻々と、時計の秒針がカチリカチリと回るようにように誰かが回し続けている。もし、『タザキが来』てしまったらどうなるのか。そんな恐怖がざわりと背筋を撫でる。

 その日、俺にしては豪華な夕食を友人と食べていた。けれどもまるで通夜のようだった。美味いはずの食事はあまり味がしなかった。ザリザリとまるで砂を食むような心持ちだった。

「明日、だな」
「そうだな」

 カウンターは回りきり、今にも表面を超えて溢れ出そうとするコップの水のよう。後一滴で決壊する。その時がいつかはわからないが、その瞬間が今でも何らおかしくない。だからこれはもう、余生だ。
 明日の朝までには誰かがカウンターを回しきり、『タザキが来』てしまうだろう。
 その夜はせめてと思って体を清め、悲痛な気持ちで酒をかっ食らって倒れるようにして眠りに落ちた。

◇◇◇

 青空が広がっていた。
 気分は随分久しぶりに晴れ渡っていた。
 不思議だ。

「タザキってなんだったんだろうな」
「本当にな」

 俺は友人と会って、最初にそう呟いた。
 『タザキ』は来た。多分誰かのもとに。
 そして、どうなったかはわからないが、カウンターが回ることはなくなった。
 結局『タザキ』がなんなのかはわからない。水を溢れさせた誰かに何が起こったのかも。そして『タザキ』が何をして、どうなったのかも。
 だが、俺と友達の生活に再び平穏が戻った。

「なんだったんだろうな、本当に」
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