第194話 無人の学校 Bパート

文字数 5,259文字


 私に温かいお茶を出してくれた先生が腰を落ち着けたところで、
「岡本さんの顔、本当にきれいに治って良かったわ、あれからご家族の(かた)はどう?」
 そう言えばすごい剣幕のお父さんに追い返されたっきりだったっけ。
「初めは私を辞めさせる、女子高に転校させるって言い張っていましたが、家族全員で大喧嘩をして今は何とか私が、この学校を卒業するって事で理解・納得はしてもらっています。私の方こそお父さんが先生にひどい言葉を口にしてすみませんでした」
 だったら今更感は強いけれど、先生に一言くらいは無いと失礼な気がするからと、私から頭を下げる。
 穂高先生がいくら大人だとは言っても、女の人である事には変わりないのだから怖かっただろうし、びっくりもしたと思うのだ。
「岡本さんは何も悪い事はしてないのだから頭を下げる必要なんてないじゃない。それに子供の心配をするのも親なんだから、親にだけは心配をかけても迷惑をかけても良いのよ。昔から手のかかる子ほど可愛いってよく言うじゃない」
“まぁ、岡本さんは手がかかるってタイプじゃないけど、ご両親が本当に岡本さんを大切にしてるのは十分に伝わったわよ”と付け加える穂高先生。
 なんか健康診断の日とはまるで別人みたいでびっくりする。ここまで来るとなんか企んでいるのかと訝しんでしまいそうだ。
 大体今までの腹黒先生だったら間違いなく私の私服姿を見咎めて、改めて優希君とのデートを邪推しながら聞いて来たはずなのに。
「だからこそ私としては、これ以上親に心配をかけたくなかったんですけれどね」
 私の勝手な行動で、一時期全く笑顔が無くなってしまった我が家。子供が荒れる、少年犯罪に手を染める理由が家庭にもあるって言われる意味が分かった二週間でもあったように思う。
「だったら今日の事もご家族や巻本先生にも言わない方が良いのよね」
「そうして頂けると私も安心ですが、あの生活指導の先生は大丈夫なんですか? 私の今の服装と相まって何か問題になったりしませんか?」
 と言うか、今日の先生は本当にどうしたのか。私に温かいお茶を出してくれた上、私の気持ちを常に考えてくれているような発言と行動。明らかに今までの行動と違い過ぎて逆に怪しい。
「あの先生なら後でもう一度私の方から話をしておくけど……それよりも岡本さん。先週の水曜日から学校へは来てくれてるけど、心の不調とか今までと感じ方や受け取り方が変わったとかは無い?」
 しかもさっきの私の反応と状態から何かを察したっぽい穂高先生。でも男の人が怖いとか大声を出されたら体がびっくりしてしまうとか、乱暴目的や威嚇目的ならまだしも、社会人になったらそんな場面なんていくらでもありそうなものだから、恥ずかしくて言えない。
「大丈夫ですよ。さっきのは誰もいないと思っていた学校内でまさか注意されると思っていなかったので、本当にびっくりしただけですよ」
 今日の他に、部活棟の三階にある役員室へと向かう時、やっぱり誰かと一緒でないと変な汗もかいてしまうし、大声を出されたり聞こえたりするだけで時間が経ったからか、体が強張るまでは行かなくても構えてしまう分、私の気が咎めてしまう。
「……そう。なら今はこれ以上踏み込んでは聞かないけど、本当に些細な事でも良いから何かがおかしい、感じた事の無い不安を感じたら、どんなささいな事でも良いから前に渡した名刺の裏に書いてある電話番号へ連絡をくれればいつでも出るから」
 だけれど、今日の先生は留まるところを知らない。この腹黒なら明らかに私の嘘に気付いているはずなのに、それ以上突っ込んで来ずに、あくまで私をそっとしておいてくれる穂高先生。
「あの先生。その気遣いは嬉しいんですが、今日どうして学校にいるのかとか、どうして私服姿なのかとかは聞かないんですか?」
 だからつい私の方から一歩を踏み出してしまう。
「本当は聞きたいしひょっとしたらって思う部分はからかいたいけど、これ以上岡本さんに何かあったら船倉さんも巻本先生も怖いし、空木さんだって何をするか分からないの。岡本さんは気づいてないかも知れないけどそれくらい周りから慕われてるのよ。
 それに何より本当に岡本さん自身を大切にしてるご両親に申し訳が立たないから、下手な事は聞かないわよ。ついでに言うなら岡本さんからしたら本当に今更だろうけど、これでも私、岡本さんを気に入ってるのよ」
 そしたらまさかの驚きの回答だった。あんなにも優しい朱先輩が怖いとか、あんなにも一生懸命な巻本先生もそうだったけれど、私を気に入っていると言うのが全くもって意外過ぎて、文字通り寝耳に水だった。まあ優珠希ちゃんの印象だけはそのままだけれど。
「朱先輩も巻本先生も本当に優しくて良い人ですよ。それに優珠希ちゃんも情深いですし。もちろん親友である蒼ちゃんもそうですけれど、本当にみんな優しい人たちばかりですよ」
 そう言えば今日優希君も私を涙させたら、蒼ちゃんも朱先輩も怖いって言っていたような気がする。
 だけれどあの兄妹や朱先輩も本当に優しいのだから、私よりも付き合いの長い先生が知らない訳が無いのに。
「そうね。人の性質って言うのは本当に分からないものね」
 その先生が何故か寂しそうな表情をする。ひょっとしたら先生が私を気に入ってくれている事に触れなかったせいかもしれないけれど。
「それじゃあご両親に知られたくない、勘付かれたくないなら途中まで送って行くけどどうする?」
 それでも最後まで、今の私の感覚と言うか変わってしまった男の人の取り方には踏み込まずに、私の気持ちまで考慮した上で送ってくれると言う先生。
 確かに今の先生なら私ももっと先生を信用出来るのかもしれないし、朱先輩とも仲良くしてくれるのかもしれない。
 でも朱先輩と穂高先生は私よりも長いお付き合いなのだから、いくら時間じゃなくて中身、濃度だって言っても私が原因で拗れるとか笑顔の数が減るとかはやっぱり望まない。
 それに何より私が日常に帰るには、やっぱり穂高先生にもいつもの通りでいてもらわないと私自身も調子が狂うし、日常に帰れないと思うのだ。
「先生。ここだけの話。正直、今も体感していますけれど、年齢・立場関係無く本気で好きなら、諦めきれない恋愛だってあると思いますよ」
 例えば巻本先生から私への想いだったり、あの男子児童から私への想いだったり。
「岡本さん。それって――」
 穂高先生が心底驚きの表情で見つめる中、もう一人。私には優希君って言う彼氏がいるにもかかわらず、私の全てを欲しがっている、中々諦めてくれない会長の姿も思い浮かべる。
「本気で好きなら、相手を大切に思いやる気持ちがあるのなら、必ず相手にも周りにも伝わりますよ」
 もちろん放課後だったか休日だったかの下駄箱で、御国さんが体調を悪くしていたあの日、明らかに保健室を忌避したっぽい三人にも。
 それは誰の為にもならないだろうし、先生の笑顔が曇っている原因にもなってしまっているはずだから。
「……そう言う事だったのね。どうしてあの船倉さんがこんなにも岡本さんを気に入ったのか分かった気がするわ。だからこそ、御国さんを含めた空木さんまで心を開いたのね。本当にありがとう岡本さん」
 何か気持ち悪いほど穏やかな声でお礼を言われたんだけれど、私は特別な何かを言った訳じゃ無い。ただ私自身が体感した経験を通して先生に気休めを言っただけだ。
「そんな事ないですよ。優珠希ちゃんに関して言えばまだまだ分からない事とか、教えてもらえない事も多いですし」
 そう。あの髪飾りや御国さんのように愛称で呼ぶことに対する拒否反応もそうだ。それにあれだけの頭の良さなのに、どこで何をしているのか、二年で全く名前の挙がらないあの二人。その証拠に冬美さんですら全く繋がっていなかった優希君の兄妹。
 だけれどそれもまた、私と優希君、優珠希ちゃんの信頼関係が不足しているんだとずっと割り切ったつもりではいるけれど……
「……正直、私は岡本さんが知らないあの子たちの秘密と言うか、プライベートな話は知ってるの。だけどそれこそ養護教諭の守秘義務で言えないのよ。それは本当にごめんなさい」
 やっぱりあの二人にも、何かの事情はあるのか。だけれど、私はそれを他人から聞くのではなくて他の誰でもない、積み重ねた信頼「関係」の上で、優珠希ちゃん自身の口から教えて欲しい。
「良いんです。優希君とお付き合いを始めた当初から、優希君と築き上げた信頼「関係」の中で話してくれるのを待とうって、話してもらえるように優希君と優珠希ちゃんからの信頼を勝ち取ろうって決めているんですよ」
 だけれど、頭を撫でる事を許してもらって以来未だに何も教えてもらえていない私。悔しい、もどかしい、辛い、寂しい。
 色々な感情がない交ぜになってもいる。
 それでも優珠希ちゃんからは“私と縁が切れるのは嫌だ”って涙ながらに語ってくれているのは耳にしているのだからあの優珠希ちゃんの言葉だけは信じたい。
 それ程までに言いにくい何か、秘密があるのだと思うけれど……本音を言えば、私だって優希君のたった一人の彼女なのだから教えて欲しい気持ちはすごく強い。
「……本当に岡本さんって不思議な子ね。みんなが岡本さんを守りたくなる、応援したくなる気持ちも分かるわ。それに巻本先生が岡本さんに入れ込むのもね」
「先生それって――」
「――大丈夫よ。空木さんから聞いてるんでしょうけど、私自身も実際生徒を好きになって、人には言えない情事を重ねて今の私がいるんだから、巻本先生の気持ちを他言しないのは約束するわよ」
 良かった。そう言う理由ならこれからもあの先生を一番近くで応援できる。
「ありがとう。ございます」
「どうして岡本さんがお礼を言うのよ。お礼を言うのは巻本先生でしょ」
 違うのだ。確かにそれでも理屈は通るのだけれど、私

理想の先生を目指す先生を応援したいのだから、私がお礼を言うのであっている。ただ、これも私と先生だけのやり取りだから、敢えて訂正する必要は無いと思い、
「確かに……そうですね」
 小さく苦笑いながら先生に同意する。
「……それから岡本さん。岡本さんの性格なら完全に余計なお世話になるのは分かってるから、これもまた私の独り言として聞いてくれれば良いからね」
“教頭先生の期待通り、岡本さんならあの二人もどうにかしてもらえるのかしらね”
 今の会話の流れであの二人……。やっぱりあの二人は何らかの理由で……でも、これはあくまで穂高先生の独り言。だから私から聞き返す事は出来ないし、それをした時点で教頭先生の条件“問題の提示、相談は一切禁じます”に触れてしまう。
(136話)
「それじゃ改めて車で送って行くから道案内だけはよろしくね」
「分かりました。前回に続いてありがとうございます」
 だから私は今の先生の独り言が聞こえていない体を装わないといけない。
 その先生の初めて見る屈託のない笑顔。ひょっとしてこの表情を知っているから朱先輩は穂高先生を信用して良いって言ってくれたのかもしれない。


 その車の中で交わされた会話を少しだけ。
「さっきの話の続きですけれど、先生にはいつも通り腹黒らしくありのままの先生でいて欲しいんです」
「ちょっと岡本さん。今、この雰囲気で出て来る言葉が腹黒なの? いくら何でもそれは酷いんじゃない?」
 恥ずかしくてそのまままっすぐ伝えることが出来ないからと、私が少しでも早く日常に帰るためのお願いだったんだけれど、先生が不満そうに私を見て来る。
「酷いですか? でも私はそのせいで何回も悩まされて来たんですから。でも優珠希ちゃんと御国さんだけは何があっても、どんな理由があっても大切にして下さいね。大人が子供(教師が生徒)を守るのに理由は要らないんですよね」
 一度でも気を許した相手には、とことん甘えたがるあの寂しがり屋の優珠希ちゃん。それに優珠希ちゃんの前以外では気の弱い御国さん。この二人と先生はずっと以前から仲が良かったはずなのだ。
「それから私が優希君に本気だって分かって貰えたはずですので、くれぐれも、間違っても優希君には色目を使わないで下さいね」
 自分でも恥ずかしい事を口走ったのが分かったから、私から先生を皮肉らせてもらったはずなのに、
「そうね。あの二人はもちろんの事これからは岡本さんも正しく大切にさせてもらうわよ。それに私の気持ちも決して若い男子を求めた、単なる遊びじゃないって分かって貰いたい人もいるからね」
 私の言葉に決意を新たにした先生。始まりはどうであれ、先生もちゃんと本気なんだったら、朱先輩が幸せな今、穂高先生も応援するだけだ。
 そしてこういう時間は早く過ぎるのが定番と言わんばかりに、気が付けば今日は家族の分のご飯を作るのだからとお願いしていたスーパーの前に着いていたから、そのまま先生の車から降ろしてもらった。

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