第191話 揺れる乙女心 Bパート

文字数 4,280文字


 朱先輩との話を早く切り上げたからなのか、夏で陽が高いからなのか蒼の帳が降りて来る前に家に帰って来る事は出来たけれどどうも我が家の男二人の様子が、行きしなよりも輪をかけておかしい。
「コソコソしていないで言いたい事があるならハッキリ言いなよ」
 だけれどお父さんに聞いて朱先輩との関係を邪推されたら喧嘩になるのは目に見えていたから、玄関で靴を脱いで自室へと向かう途中慶に聞くも、私の格好を確認した慶が、
「……ひょっとしてねーちゃん。あのやべー奴『やばい奴って、愛美は不良の男子と遊んでるのか?!』――に会って来たのか?」
 朱先輩がいないからって、またひどい言葉遣いに戻っている。
「慶? 次朱先輩に会ったらその言い方伝えておくから」
 朱先輩が聞いていないからって、酷い事を言うずる賢さまで知恵が回るようになっているとしたら、しっかりと釘は刺しておかないといけない。
「あのやべー奴の前では言ってねえだろ! それにねーちゃんに対しても変な事言ってねーだろ! だからあのやべー奴の前で俺の名前は出すなよ」
「おい慶久? さっきからやばい奴って言い続けてるけど、やっぱり男なんだな?」
 そうか。そう言う事か。相変わらずのお父さんみたいだけれど、あの先生じゃなければ良いっていう話はどこに行ったのか。
「ちげぇよオヤジ。相手は女だけど、あのやべー奴はそこら辺の男よりも遥かにやべーんだよ」
 私が釘を刺したにもかかわらず、朱先輩に対する言い方を変えない慶。
「おい慶久? やっぱり男なのか?」
「ちょっとお父さん? 男、男って言うの辞めてくれる? 大体先生じゃなかったら文句ないんだよね」
 確かに言いたい事があるならハッキリ言えとは言ったけれど、誰が朱先輩に対して立て続けに失礼な事を言っても良いと言ったのか。
 仏の顔は三度くらいまでは良いかも知れないけれど、私はそんなに気は長くないし仏でもない。
 結局慶と言いお父さんと言い、この家に生まれて良かったなって思う反面こう言う何度言っても変わらない男二人には、やっぱり呆れとため息が同時に襲って来る。
「それに慶も。さっきから何回も朱先輩を失礼な呼び方ばっかして。慶がそう言う態度を取り続けるんなら、今の話を朱先輩に今すぐ電話で話して、人生が終わる程の慶の秘密を教えてもらうから」
 今日もナオさんとの時間を後回しにして、私との時間を大切にしようとしてくれた朱先輩に対して働く不義理なんて持ち合わせてはいない。
「……オヤジ。今日、ねーちゃんが会ったのは恐ぇー大人の女性で、男じゃないからオヤジの心配はいらねぇ」
「……おい慶久?」
 私の大きめの釘でやっと全ての言葉を差し替え言い直す慶。それでもまだ不満はあったけれど。
 しかも慶の全面言い直しに弱腰になるお父さん。慶の人生が終わる程の秘密を朱先輩が知っているとは言え、本当に我が家の男二人は弱すぎると思う。
「ちょっとお父さん。愛美に対して何を怖がってるんですか? 慶久も。いくらお姉ちゃんでも女性を怖がるなんて失礼にも程があるわよ。良いわね」
 もちろん“どの口が”とは、お母さんに逆らったら駄目だと理解している私は言わない。
「それから愛美。汗もかいてるでしょうし先に汗を流して来なさい。お父さんと慶久はシャワーで十分だから、愛美の後お母さんもお風呂を頂いたら浴槽のお湯は抜いてしまうから」
 もちろん反論なんて以ての外だと分かっている私は、二つ返事をするだけだ。


 一通り汗も流してスッキリとした家族そろっての夕食時、そう言えば
「昨日先生に“推薦”の願書を提出したから。言うのが遅くなったけれど認めてくれて、応援してくれてありがとう。お父さんも気にして一度お母さんに電話してくれたんだよね」
 忙しい合間を縫って電話をかけて来てくれたお父さん。
「そんなの他の誰でも無い愛美の話なんだから当たり前じゃないか」
 その当たり前が、今の私にとってどれほどありがたくて嬉しくて、力になってくれているか。ここ二週間程のお父さんが取った自分の態度と何とも言えない嬉しそうな表情。
「それに受かったら、もう行くって決めてるのよね」
「そうか。つまり愛美はずっと家から通うんだな。それならお父さんも安心して今まで以上に愛美の応援が出来るな」
 しかもテストすら受けてもいないのに、やっぱりその気になってしまっている両親。
 もちろん悪い気はしないけれど、そこまで通って当たり前って言う雰囲気だと私だって逆にプレッシャーはかかるのに。
「じゃあねーちゃんはこれからも家から通うんだよな」
「そう言う話は受かってからだから、今の時点では何とも言えないよ」
 しかも慶まで安心した表情を浮かべているし。
「でもあの優しそうで頼りになる先生は、当日の体調にさえ気を付ければ大丈夫だって仰ってたじゃない」
「それは今のまましっかりと勉強出来て、成績が落ちなければと言う前提だってば。だからもう一回言っとくけれど、転校させるとか辞めさせるとか間違っても口にしないでよ」
 そのせいで先週はあまり集中出来なかったし、そうでなくても休日返上で課題に取り組めと覚悟と共にマスターキーを預かっているのだから。
「愛美? 優しいとか頼りになるとか言ってるけど、今の学校を卒業するのはお父さんとの約束を守ってこそだからな? どんな理由があってもあの先生とは絶対駄目だからな?」
 なのに、神妙な顔をしたかと思えば本当にお父さんはいつも変わらない。
「駄目なのは分かったけれど、金曜日は忙しかったから願書を渡しただけだったし、後日改めて話はするつもりだからね。それも変な勘違いはしないでよ」
 そのいつもと変わらないお父さんの態度は嬉しいけれど、応援するって決めた先生を悪く言われてこれから約一か月半後の試験の前にケンカなんて嫌だったから、先に釘だけは刺しておく。
「分かったけど、あんな教師格好良いとか憧れるとかも駄目だからな」
 私。そんな事言っていないのに。でもこれが男親の気持ちって言うのなら……それくらいはお父さんに安心してもらっても良いのかもしれない。
 それにお父さんが持って来た安心と呆れの二つの感情はそもそも
「それから一つだけ。それら全部お母さんが言った言葉で、私じゃないからね」
 お母さんが言った言葉のはずなのだ。
「?! 母さん?」
 なのに今更気付いたかのように、かなりの勢いでお母さんに向き直るお父さん。
 まあその反応で、お父さんからお母さんへの気持ちも分かったから私としては安心は安心だけれど。
「お父さん。そんな顔してますけどほとんど一緒にいる私に、何か出来るとでもお思いですか?」
 お母さんの未だ冷めやらぬ情熱を思うと、嬉しそうな表情をするのも分かる。
「それもそうだな――だったら俺たちとしてはやっぱり愛美を応援するだけだな。それに続けるように慶久もしっかりな」
 お父さんの相好を崩した表情を見る限りでは、お父さんの方もお母さんが好きなんだろうなって私にも伝わったところで、
「大丈夫。今度は赤点なんてねーよ」
 私が心配をかけてしまったからか、お母さんがいるからか。最近帰りが早い慶の口から景気のいい返事が聞こえる。
「慶久はこの中間テストでお小遣いの額を決めますからね」
 ……いずれでも無くてお小遣いの為かもしれないけれど。


 その後家族そろっての食事の最後。
「たまにはお母さんにもゆっくり休んで欲しいから、明日は私が夜ご飯は作るよ。だから慶もお父さんも食べたいものがあったら言ってよ」
 今週中頃から考えていた提案をすると、
「愛美(ねーちゃん)が、作ってくれたのなら何でも」
 また作る方としては何とも困る、気のない返事をする男二人。
 せっかくお母さんにもお父さんにもゆっくりデートしてもらって楽しんでもらおうと思っての提案だったのに、私だけが気持ちを空回りをさせてしまっているみたいで寂しくなる。
「……なんかよく分かんねーけど、俺はねーちゃんが作った物なら何でも食うぞ?」
 と、そこから慶の意外な一言。
「だったら、せっかくお姉ちゃんが言ってくれてるんだから好きな物言いなさいな」
 そして優しい表情を浮かべたお母さんが慶に一言。
「……じゃあハンバーグ」
 普段滅多に見せないお母さんからの優しい言葉と表情に照れたのか、視線を逸らしながらの一言。
 今回はお父さんと喧嘩してくれた感謝の意味合いもあるのだから、そのお礼にもちょうど良いのかもしれない。
「分かった。ハンバーグだね。じゃあ明日は出かけて帰って来てから作るから、少し遅くなるかもしれないけれど、楽しみに待っててよ」
「おう」
 明日何を作るのか無事に決まったところで、
「愛美。お父さんは愛美の気持ちに対して何でも良いって言ったんだから、お父さんの分は用意しなくても良『っ?!』いわよ」
「ちょっと待ってくれ! 俺は愛美が作ってくれた物なら何でもってちゃんと――」
「――そう言うのが一番困るんです。大体最近のお父さんは愛美を困らせてばかりじゃないですか」
 お父さんとお母さんの言い合いが始まるけれど、
「困らせてって……ここ最近の話だったら全部年頃の娘を心配する親心じゃないか」
「何が親心なんですか。せっかく愛美がリクエストを聞くと言ったのに、何でも良いなんて返事をするお父さんのどこに親心があったんですか」
 そこに何の嫌悪感も無ければ、いつも通り我が家で一番強いお母さんと一番弱いお父さんがいるだけだったから、二人の心配をする事なく自室へ戻ろうと席を立つと、
「愛美なら当然お母さんと違ってお父さんの――」
 私が再び“あっ!”って思った時には時すでに遅くて。
「――私と違って何ですか? まさか私が愛美と違って優しくないとか、また怖いとか言い出すんですか?」
「いや?! そう言う訳じゃ無くてだな、ただ俺は……」
「愛美。女心の分からないお父さんが女心を理解してくれるまでは、夜ご飯は作らなくて良いわよ――と言う訳で、明日愛美の手料理が食べたいなら、明日私を遊びに連れて行ってくれた上で、私を楽しませて――女心を理解して――下さいね」
 でもそこから出た先の言葉は、いつもとは違ってお父さんが大好きなお母さんからの大胆なデートのお誘いだったから、
「じゃあ私は自分の部屋で勉強しているね」
“夫婦喧嘩は犬も食わない”夫婦げんかに娘の私が首を突っ込むものじゃない。私はそのまま自室へと戻る。
「やべぇ……女心とか意味わかんねぇ……」
 ……慶のつぶやきを背に。

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