十七 高みの見物
文字数 6,639文字
翌日土曜。
リビングで朝ご飯。
ハンバーガーだ。昨日真介が作ったハンバーグが材料だ。あきない味だ。
「午前中は、荷物を運べないから、のんびりするよ。
午後と明日の午前で、全て運べる」
ソファーテーブルの真介からあたしに、ヒマラヤのシェルパのごとく、冷蔵庫を背負い帯を使って背負って二階に運ぶ姿が伝わってきた。
一人用の小さな冷蔵庫というが、あたしより軽いけれど、相手は高さ一.五メートルほどの直方体だ。運びにくい。
それに、背負い帯ってなんだろう?しんちゃんは本当に冷蔵庫を背負うつもりか?
「読んで字のごとく。重い物を背負って運ぶときに使う帯だ。
木綿でできてる。柔道着の帯のような作りだ」
「そっかあ・・。あたしは何を運べばいい?」
「本、衣類、日用雑貨品、小さな家電、そんなとこだ。
持ってきた物をキッチンとリビングの空いてるとこにおいてくれればいい。
部屋に机を入れて本棚を組み立てたら、本を入れる。冷蔵庫は、こっちで使うか?」
「うーん・・・、使わないなあ」
「そしたら、部屋に入れとこう。電子レンジもだね」
「洗濯機は?」
「コインランドリーを使ってるから無いよ」
真介の話を聞いて、あたしは真介のことを知らないのに気づいた。
あたしはしんちゃんに無関心すぎるか?最愛のしんちゃんなのに・・・。
『そうでもなかよ。昨夜は二人とも自分の布団で寝おった。
二人でいっしょに愛しあうようになければ、たがいのことを考えるようになりおる。ほれ、
「親に成れる者が子を育てるのでは無く、子どもが夫婦を親にする」
というじゃろう。あれと同じじゃよ』
「そっか・・・」
「ああ、コインランドリーは乾燥までできるから、楽だ・・・」
「いつも、高見の見物みたいでごめんね・・・」
「どうした?」
真介はハンバーグを皿に置いて、あたしを見ている。
「今まで、しんちゃんにいろいろ心配してもらったのに、あたしはしんちゃんに何もしてあげてなかった・・・」
あたしはこれまでのことを思った。
真介はいつも私の身近に居た。
大学に入る前まで、いつも週末は家に真介が居た。真介はあたしのそばに居て本を読み、勉強し、母と話し、近所に住んでいる祖父母が訪ねてくると話してた。
それなのに、あたしは弓道に夢中で、休日の午後はほとんど弓道の練習をしてた。真介が身近に居るから、安心していたあたしだった。
「そうでもないぞ。高校に入るまえから愛妻になってくれた。・・・。
それに、みんな家族になるんだから、週末はいつも、さなえの家に行ってた。
さなえと婚約したんだから、さなえの家が我家だ・・・」
「婚約は約束で、何もしてないよ。抱きしめられただけだ。ちっちゃいときに・・・」
「一昨日抱きしめたぞ。昨日も。そして今日も・・・」
真介はあたしを抱きよせた。そして、トラも。
「午後になったら、夜に備えて、まっさきにベッドと布団を運ぶ。
ベッドはさなえのお母さんに訊いて、さなえのと同じタイプにした。
くっつければダブルベッドだ・・・」
真介はあたしを抱きしめ、耳もとでそういった。最後は言葉でなく、思いが伝わってきた。
ぼんくらの真介も真剣に愛しあうことを考えている。
「わかった。ハンバーグ食べたら、あたしの部屋とキッチンをかたづけるね・・・」
あたしは顔を離して真介の目を見つめ、思いきり真介に口付けした。
ハンバーグ味の口づけ。これもいいもんだ・・・。
朝食後。キッチンをかたづけた。
あたしの部屋はよけいな物が無い。冷蔵庫と電レンジを置くスペースはある。
「冷蔵庫をここに置いて、その上に電子レンジをのせればいいよ」
あたしは真介にあたしの冷蔵庫の隣を示した。冷蔵庫と電子レンジをかたづければ、真介のテレビと掃除機はどこにでもおける。
「衣類だけでも運んでおく。クロゼットに入れるよ」
真介はあたしの隣の部屋を指さしている。
「食器は?」
「台所用品は、乾燥カゴに入る程度だ。まだ、使っていない」
そう話していると真介のスマホが振動した。不動産屋からだった。
「なんだろう・・・」
真介はスマホをスピーカーモードにした。
「〇〇不動産です。二階堂さんですか?」
「はい。何か急用ですか?」
「いえ、二階堂さんは二階の中林さんと結婚して、二階へうつるのですよね」
「ええ、そうです」
「そしたら、昨日話してた家電ですが、私が立ち会って二階堂さんが入居したときのままで、まったく使っていないと話してましたね。
定価でいいですから、売ってもらえる物があれば新規の入居者に売ってほしいのです。
新規の入居希望者は医学部の学生です。引っ越しにあまり時間をかけたくないといってましてね・・・」
まあ、時間を欠けたくないというより、金でかたづけようというような人でして・・・と不動産屋の思いが伝わってきた。
「とりあえず、譲れるのは冷蔵庫と掃除機、電子レンジの三つですね。掃除機をのぞき、冷蔵庫と電子レンジは使っていません。食器も使ってませんが、これは個人の好みがありますね。どれも研修が忙しくて、使うヒマがなかったんです」
「カタログと購入時のレシート。取ってありますよね?それを見て、家電三点の代金を今日支払います。大まかな金額を教えてください。
食器は見てからにしましょう」
「カタログとレシート、保証書は取ってありますよ。いいんですか?不動産屋さんが代金を肩代わりして?」
「ええ、新規の入居者が使わなければ、私が使います」
「定価だと税金こみで、ぜんぶで十六万四千七百五十円です」
「では、その額で三点を譲ってください。これで、私も肩の荷がおります」
「どうしたんです?」
「いや、新規の入居希望というのは、私の親族でしてね。いろいろ頼りにされてまして・・・」
不動産屋から、あたしの思いもしなかった事実が伝わってきた。
真介も不動産屋の思いを感じ、
「食器も、買ったまま使っていません。見てからでいいですから、良かったら、一万で引き取ってもらえませんか」
「一万でいいんですか?」
「実際はそれより高かったんですが好みがあるでしょうから、見て気に入ったら、考えてください」
「わかりました。家電の十六万四千七百五十円は確定です。よろしくお願いします、十一時にうかがいます」
「わかりました」
通話は切れた。
「親も大変ぞね・・・」
トラが不動産屋の気持ちを思ってそうい言った。
「うん。最近、多いからね。
でも良心的な父親だね。再婚した妻も、前妻と息子の存在を認めてる。
前妻との離婚原因が現妻と娘だからね・・・。
コーヒーをいれる・・・」
「異母妹か・・・」
「わしには兄弟姉妹がおらぬし、子どももおらぬ。考えねばいかんな・・・」
真介とあたしとトラは、自分たちに異母妹がいたらどうしていただろう、と考えていた。
十一時少し前、真介とあたしは、トラをリュックに入れて背負い、真介の部屋へ行った。
「トラ。静かにしててね。気づいたことを伝えてね」
あたしはリュックのトラにそういった。
「了解したぞね。ここから高見の見物をしとるよ」
「うん」
真介の1LDKは整然としている。リビングにベッドと机と本棚、テレビとテーブルがありクッションがあり、ダイニングキッチンに冷蔵庫と電子レンジがある。寝室となるべき部屋は引っ越ししたときの梱包したダンボール箱の類いがそのまま置いてある。
いずれ引っ越すのだからその時使うつもりだった、と真介は説明した。
十一時過ぎ。
不動産屋が真介の部屋に現れた。
「伊藤涼太です」
不動産屋の息子は真介とあたしに礼儀正しくあいさつした。
「早速ですが家電を・・・。これですか。まだ、カバーが・・・」
不動産屋の伊藤さんは、リビングの隅に置いてある家電を見て驚いている。冷蔵庫も電子レンジも、ポリエチレンの透明なカバーをかぶったままだ。掃除機もカバーされている。
「二階堂さんは掃除を・・・、してありますね・・・」
伊藤さんは埃のない室内を見て驚いている。部屋の隅に手持タイプのフローリング用のワイパーがある。
「なるほど、これですませてましたか・・・。食事はどこで?」
「学食です。洗濯は大学生協のコインランドリーです。
買物は生協の販売部です。買物の間に洗濯と乾燥がすみますからね」
「なるほど、洗濯機が不要のわけだ」
「この部屋はクロゼットや戸棚が備え付けだから、便利です。衣類用の家具や本棚が不要ですね・・・」
真介はそういいながら、机の横に置いてある本棚を見ている。壁に備え付けの本棚にはあたしとトラの写真や、家族の写真、花瓶やちょっとした小物などが置いてある。
「それでは食器を見ましょう・・・」
机、本棚、ベッドなどを見ると、不動産屋の伊藤さんはキッチンへ移動した。
「炊飯器は?」
「様子を見て、こっちで買おうと思ってましたが、学食を利用してたから、買わずに今日まで・・・」
真介はそういいながら、シンクの引き出しとシンクの上の戸棚を開けた。
「一つも手をつけてないんですか?」
伊藤さんはあのプチプチの保護シートに包まれた鍋やフライパン、庖丁などのキッチン用品と食器などを見て驚いている。
「二階堂さん。キッチン用品と食器も含め、冷蔵庫と電子レンジと掃除機を譲ってください」
不動産屋の父親ではなく、息子の涼太がそういって頭を下げた。
交渉は全て父親がするものだと思っていた真介とあたしは、一瞬驚いた。
「私からもお願いします。これだけの食器と鍋など、一万では手に入らない。全部で二十万で引き取らせてください。お願いします。
それから、クーリングオフにより、契約金と家賃の全額を月曜の昼にお渡しします」
「ありがとうございます。
しんちゃん。お願いを聞いてあげてね」
あたしの言葉に真介がいう。
「ありがとうございます。家電と食器などは、全部で二十はしないです。十九に近いけど・・・」
真介は恐縮している。「
「正直な人ですね。ここまでの運送代ということで、二十にしましょう。
お前からもお礼をいいなさい」
「お願いします。これで炊飯器と洗濯機があれば、すぐに自活できます」
「わかりました」
「ではこれで・・・」
伊藤さんはうちポケットから封筒を出して真介にわたした。最初から、食器なども含めて二十万で引き取るつもりだったのがわかる。
「ダンボールなどはどうしましょう」
封筒を受けとり、真介は物置になっている部屋を示した。
「そのままにしておいてください。梱包材は必要ですから。
それと、涼太の相談相手になってください。
今、医学部の一年です。何かと忙しくなってきたから、自宅から通う時間が惜しいというのでここに引っ越すことになったのですが、
私としては一人暮らしは心配で・・・」
「父さんは心配性なんだよ。すみません。よろしくお願いします」
そういって涼太は、真介とあたしにペコリと頭を下げた。
真介がいう。
「では、今日と明日で私の荷物を運びだします。冷蔵庫と電子レンジと掃除機、食器とキッチン用品は、このままキッチンに置いてゆきます。
月曜に伊藤さんに会ったとき、部屋のキイをお渡しします」
「わかりました。その時、契約金と家賃を返金します。
月曜の正午に連絡します。
それでは、よろしくお願いします」
伊藤さん親子はていねいにあいさつして部屋から出て行った。
あたしは、まだ外にいるだろう伊藤さん親子を気にして、トラに思いを伝えた。
『ねえ、トラ。あのふたり、何か、あたしたちと関わりがあるのかな?
出会いに偶然はないよね。息子が医学部というのも気になるよね。
また、埴山比売神さん、何か知りたいのかな?ミッションかな?』
『うむ・・。そうじゃと思うが、真意がわからん。
あのふたりの間にトラブルはなさそうじゃ・・・。
真介はどう思う?』
『これから、何かあるんだろうね。さあ、荷物を運ぼうか』
真介が本棚の本を脱衣駕籠に入れはじめた。
ふたりで本を二階の部屋のリビングへ運んで本棚が空になった。
真介は本棚を分解している。
あたしはつぎに分解するベッドの上から、寝具を二階のリビングへ運んだ。
寝具を運び終えたころ、真介が本棚を分解し終えて、本棚のパーツを二階の真介の部屋へ運んだ。
「本棚を組み立てるのはあとにする。ベッドを分解して運び、机とテーブルを運ぶ」
真介はベッドを分解している。
真介から、あたしを一人だけにしておきたくない思いが伝わってきた。
あたしは衣類とテレビ、パソコン、クッション、机の照明スタンド、机の引きだし、お風呂と洗面道具、工具箱、大工セット、油彩道具などをリビングに運んだ。
そのあいだに、真介はベッドを分解して二階の真介の部屋へ運び、机と椅子、テーブルを運んだ。
二階の部屋のリビングは運んだ物でフローリングが見えなくなった。
「全部運んだから、下を掃除してくる」
あたしは真介に掃除機と雑巾を持たせ、部屋を施錠して真介の部屋へ行った。
一階の真介の部屋は、ダイニングキッチンの家電と棚や引き出しの食器とキッチン道具をのぞけばガランとして、今までここに真介がいたようには思えなかった。
「電気と水道の契約を解除してね。休みでも、手続きできるはずだよ」
「わかった。すぐに連絡する・・・」
真介はその場から、電気会社と水道局へ連絡した。
「これで良しだ。
住所はさなえと同じにしてあるから、変更の届けは必要無しだ。
郵便局の住所変更は月曜に、不動産屋に会ってからする」
真介の言葉をあたしは妙に思った。
「しんちゃん。住所があたしと同じってどういうこと?」
「さなえの住民票は実家のままだろう。僕もさなえの家にしといたよ。
だから、婚姻届けも、さなえと同じにして、中林にしておくよ」
「・・・」
あたしは何もいえなくなった。
「ウン?どうした?」
真介が掃除機をうごかす手を止めた。
「ウエーン・・・」
あたしは泣きながら、雑巾がけをした。
「どうした?トラ、さなえはどうしたんだ?」
真介があたしの背中のリュックに話している。トラはリュックの中だ。
「どうした?何ごとぞね?いい気持ちで寝ておったのに・・・。
ここはええぞ。ゆられて、ゆりかごのようじゃよ・・・」
「さなえが泣いてる!どうしたんだ?」
「うるさい!早く掃除機をかけて、雑巾がけしろよ!」
あたしは真介にそういってやった。
やはりしんちゃんはぼんくらだ!あたしは悲しいんじゃない!
あたしの気持ちをわかっていない!
「真介。サナの気持ちがわかったか?サナはとっても喜んどるぞ!
サナ。良かったのう!」
「うん。あちこち引っ越さなくていいんだ!
再来年、実家の周りに就職先を見つける。
それでいいよね?」
あたしは真介を見つめた。
真介はあたしを見た。やっと納得したらしい。
「ああ、いいよ。僕も地元の総合病院を考えてる。
だけど、さなえの卒業年と、僕の終了年がちがうぞ・・・」
「あっ・・・、そうか・・・。そしたら、上を目指す!決めた!
掃除機かけ終わったね。そしたら、はい。雑巾がけしてね」
あたしは真介に雑巾を持たせた。
なにか決めるときは、深刻に考えなくても、ひょんな事がきっかけで決る。あたしの場合はそういうことが多い。
今となっては、それがいい加減な理由で決まって行くのではなく、きっかけがあるのが良くわかる・・・。道筋が決っているのだ。まちがわずに、謎解きすればいいのだ・・・。
「上って、進学するのか?」
「うん・・・」
「それもいいか・・・」
しんちゃんは不満そうだ。
だけど、こんなことは今ここで議論しなくていい。
謎解きが正解ならことはうまく進むし、まちがっていれば、すぐ結論は出る。
とにかく今は掃除が先だ。
「掃除しようね」
「ああ、もう、終る・・・。
戸締まりして、二階の本棚とベッドを組み立てる。
その前に、昼飯にしよう。食べるのを忘れてた・・・」
「ああっ、ほんとだ!
トラ。何もしてないんだから、それくらい教えてくれればいいのに」
「二人、なかよくしとるのに、わしで出たら、じゃまじゃろうに・・・」
「そんなこといって。寝てたんだろう?」と真介。
「あははっ、高みの見物じゃよ・・・」
「さあ、終ったよ。戸締まりしようね。昼飯はハンバーガーにしようね」
また、真介とトラが作ったハンバーグが冷蔵庫に残っている。
「ハンバガか?ハンバカか、なんちゃって・・・。
わかっとるよ。ちょいといってみただけだ」
トラはのんきだ・・・。
リビングで朝ご飯。
ハンバーガーだ。昨日真介が作ったハンバーグが材料だ。あきない味だ。
「午前中は、荷物を運べないから、のんびりするよ。
午後と明日の午前で、全て運べる」
ソファーテーブルの真介からあたしに、ヒマラヤのシェルパのごとく、冷蔵庫を背負い帯を使って背負って二階に運ぶ姿が伝わってきた。
一人用の小さな冷蔵庫というが、あたしより軽いけれど、相手は高さ一.五メートルほどの直方体だ。運びにくい。
それに、背負い帯ってなんだろう?しんちゃんは本当に冷蔵庫を背負うつもりか?
「読んで字のごとく。重い物を背負って運ぶときに使う帯だ。
木綿でできてる。柔道着の帯のような作りだ」
「そっかあ・・。あたしは何を運べばいい?」
「本、衣類、日用雑貨品、小さな家電、そんなとこだ。
持ってきた物をキッチンとリビングの空いてるとこにおいてくれればいい。
部屋に机を入れて本棚を組み立てたら、本を入れる。冷蔵庫は、こっちで使うか?」
「うーん・・・、使わないなあ」
「そしたら、部屋に入れとこう。電子レンジもだね」
「洗濯機は?」
「コインランドリーを使ってるから無いよ」
真介の話を聞いて、あたしは真介のことを知らないのに気づいた。
あたしはしんちゃんに無関心すぎるか?最愛のしんちゃんなのに・・・。
『そうでもなかよ。昨夜は二人とも自分の布団で寝おった。
二人でいっしょに愛しあうようになければ、たがいのことを考えるようになりおる。ほれ、
「親に成れる者が子を育てるのでは無く、子どもが夫婦を親にする」
というじゃろう。あれと同じじゃよ』
「そっか・・・」
「ああ、コインランドリーは乾燥までできるから、楽だ・・・」
「いつも、高見の見物みたいでごめんね・・・」
「どうした?」
真介はハンバーグを皿に置いて、あたしを見ている。
「今まで、しんちゃんにいろいろ心配してもらったのに、あたしはしんちゃんに何もしてあげてなかった・・・」
あたしはこれまでのことを思った。
真介はいつも私の身近に居た。
大学に入る前まで、いつも週末は家に真介が居た。真介はあたしのそばに居て本を読み、勉強し、母と話し、近所に住んでいる祖父母が訪ねてくると話してた。
それなのに、あたしは弓道に夢中で、休日の午後はほとんど弓道の練習をしてた。真介が身近に居るから、安心していたあたしだった。
「そうでもないぞ。高校に入るまえから愛妻になってくれた。・・・。
それに、みんな家族になるんだから、週末はいつも、さなえの家に行ってた。
さなえと婚約したんだから、さなえの家が我家だ・・・」
「婚約は約束で、何もしてないよ。抱きしめられただけだ。ちっちゃいときに・・・」
「一昨日抱きしめたぞ。昨日も。そして今日も・・・」
真介はあたしを抱きよせた。そして、トラも。
「午後になったら、夜に備えて、まっさきにベッドと布団を運ぶ。
ベッドはさなえのお母さんに訊いて、さなえのと同じタイプにした。
くっつければダブルベッドだ・・・」
真介はあたしを抱きしめ、耳もとでそういった。最後は言葉でなく、思いが伝わってきた。
ぼんくらの真介も真剣に愛しあうことを考えている。
「わかった。ハンバーグ食べたら、あたしの部屋とキッチンをかたづけるね・・・」
あたしは顔を離して真介の目を見つめ、思いきり真介に口付けした。
ハンバーグ味の口づけ。これもいいもんだ・・・。
朝食後。キッチンをかたづけた。
あたしの部屋はよけいな物が無い。冷蔵庫と電レンジを置くスペースはある。
「冷蔵庫をここに置いて、その上に電子レンジをのせればいいよ」
あたしは真介にあたしの冷蔵庫の隣を示した。冷蔵庫と電子レンジをかたづければ、真介のテレビと掃除機はどこにでもおける。
「衣類だけでも運んでおく。クロゼットに入れるよ」
真介はあたしの隣の部屋を指さしている。
「食器は?」
「台所用品は、乾燥カゴに入る程度だ。まだ、使っていない」
そう話していると真介のスマホが振動した。不動産屋からだった。
「なんだろう・・・」
真介はスマホをスピーカーモードにした。
「〇〇不動産です。二階堂さんですか?」
「はい。何か急用ですか?」
「いえ、二階堂さんは二階の中林さんと結婚して、二階へうつるのですよね」
「ええ、そうです」
「そしたら、昨日話してた家電ですが、私が立ち会って二階堂さんが入居したときのままで、まったく使っていないと話してましたね。
定価でいいですから、売ってもらえる物があれば新規の入居者に売ってほしいのです。
新規の入居希望者は医学部の学生です。引っ越しにあまり時間をかけたくないといってましてね・・・」
まあ、時間を欠けたくないというより、金でかたづけようというような人でして・・・と不動産屋の思いが伝わってきた。
「とりあえず、譲れるのは冷蔵庫と掃除機、電子レンジの三つですね。掃除機をのぞき、冷蔵庫と電子レンジは使っていません。食器も使ってませんが、これは個人の好みがありますね。どれも研修が忙しくて、使うヒマがなかったんです」
「カタログと購入時のレシート。取ってありますよね?それを見て、家電三点の代金を今日支払います。大まかな金額を教えてください。
食器は見てからにしましょう」
「カタログとレシート、保証書は取ってありますよ。いいんですか?不動産屋さんが代金を肩代わりして?」
「ええ、新規の入居者が使わなければ、私が使います」
「定価だと税金こみで、ぜんぶで十六万四千七百五十円です」
「では、その額で三点を譲ってください。これで、私も肩の荷がおります」
「どうしたんです?」
「いや、新規の入居希望というのは、私の親族でしてね。いろいろ頼りにされてまして・・・」
不動産屋から、あたしの思いもしなかった事実が伝わってきた。
真介も不動産屋の思いを感じ、
「食器も、買ったまま使っていません。見てからでいいですから、良かったら、一万で引き取ってもらえませんか」
「一万でいいんですか?」
「実際はそれより高かったんですが好みがあるでしょうから、見て気に入ったら、考えてください」
「わかりました。家電の十六万四千七百五十円は確定です。よろしくお願いします、十一時にうかがいます」
「わかりました」
通話は切れた。
「親も大変ぞね・・・」
トラが不動産屋の気持ちを思ってそうい言った。
「うん。最近、多いからね。
でも良心的な父親だね。再婚した妻も、前妻と息子の存在を認めてる。
前妻との離婚原因が現妻と娘だからね・・・。
コーヒーをいれる・・・」
「異母妹か・・・」
「わしには兄弟姉妹がおらぬし、子どももおらぬ。考えねばいかんな・・・」
真介とあたしとトラは、自分たちに異母妹がいたらどうしていただろう、と考えていた。
十一時少し前、真介とあたしは、トラをリュックに入れて背負い、真介の部屋へ行った。
「トラ。静かにしててね。気づいたことを伝えてね」
あたしはリュックのトラにそういった。
「了解したぞね。ここから高見の見物をしとるよ」
「うん」
真介の1LDKは整然としている。リビングにベッドと机と本棚、テレビとテーブルがありクッションがあり、ダイニングキッチンに冷蔵庫と電子レンジがある。寝室となるべき部屋は引っ越ししたときの梱包したダンボール箱の類いがそのまま置いてある。
いずれ引っ越すのだからその時使うつもりだった、と真介は説明した。
十一時過ぎ。
不動産屋が真介の部屋に現れた。
「伊藤涼太です」
不動産屋の息子は真介とあたしに礼儀正しくあいさつした。
「早速ですが家電を・・・。これですか。まだ、カバーが・・・」
不動産屋の伊藤さんは、リビングの隅に置いてある家電を見て驚いている。冷蔵庫も電子レンジも、ポリエチレンの透明なカバーをかぶったままだ。掃除機もカバーされている。
「二階堂さんは掃除を・・・、してありますね・・・」
伊藤さんは埃のない室内を見て驚いている。部屋の隅に手持タイプのフローリング用のワイパーがある。
「なるほど、これですませてましたか・・・。食事はどこで?」
「学食です。洗濯は大学生協のコインランドリーです。
買物は生協の販売部です。買物の間に洗濯と乾燥がすみますからね」
「なるほど、洗濯機が不要のわけだ」
「この部屋はクロゼットや戸棚が備え付けだから、便利です。衣類用の家具や本棚が不要ですね・・・」
真介はそういいながら、机の横に置いてある本棚を見ている。壁に備え付けの本棚にはあたしとトラの写真や、家族の写真、花瓶やちょっとした小物などが置いてある。
「それでは食器を見ましょう・・・」
机、本棚、ベッドなどを見ると、不動産屋の伊藤さんはキッチンへ移動した。
「炊飯器は?」
「様子を見て、こっちで買おうと思ってましたが、学食を利用してたから、買わずに今日まで・・・」
真介はそういいながら、シンクの引き出しとシンクの上の戸棚を開けた。
「一つも手をつけてないんですか?」
伊藤さんはあのプチプチの保護シートに包まれた鍋やフライパン、庖丁などのキッチン用品と食器などを見て驚いている。
「二階堂さん。キッチン用品と食器も含め、冷蔵庫と電子レンジと掃除機を譲ってください」
不動産屋の父親ではなく、息子の涼太がそういって頭を下げた。
交渉は全て父親がするものだと思っていた真介とあたしは、一瞬驚いた。
「私からもお願いします。これだけの食器と鍋など、一万では手に入らない。全部で二十万で引き取らせてください。お願いします。
それから、クーリングオフにより、契約金と家賃の全額を月曜の昼にお渡しします」
「ありがとうございます。
しんちゃん。お願いを聞いてあげてね」
あたしの言葉に真介がいう。
「ありがとうございます。家電と食器などは、全部で二十はしないです。十九に近いけど・・・」
真介は恐縮している。「
「正直な人ですね。ここまでの運送代ということで、二十にしましょう。
お前からもお礼をいいなさい」
「お願いします。これで炊飯器と洗濯機があれば、すぐに自活できます」
「わかりました」
「ではこれで・・・」
伊藤さんはうちポケットから封筒を出して真介にわたした。最初から、食器なども含めて二十万で引き取るつもりだったのがわかる。
「ダンボールなどはどうしましょう」
封筒を受けとり、真介は物置になっている部屋を示した。
「そのままにしておいてください。梱包材は必要ですから。
それと、涼太の相談相手になってください。
今、医学部の一年です。何かと忙しくなってきたから、自宅から通う時間が惜しいというのでここに引っ越すことになったのですが、
私としては一人暮らしは心配で・・・」
「父さんは心配性なんだよ。すみません。よろしくお願いします」
そういって涼太は、真介とあたしにペコリと頭を下げた。
真介がいう。
「では、今日と明日で私の荷物を運びだします。冷蔵庫と電子レンジと掃除機、食器とキッチン用品は、このままキッチンに置いてゆきます。
月曜に伊藤さんに会ったとき、部屋のキイをお渡しします」
「わかりました。その時、契約金と家賃を返金します。
月曜の正午に連絡します。
それでは、よろしくお願いします」
伊藤さん親子はていねいにあいさつして部屋から出て行った。
あたしは、まだ外にいるだろう伊藤さん親子を気にして、トラに思いを伝えた。
『ねえ、トラ。あのふたり、何か、あたしたちと関わりがあるのかな?
出会いに偶然はないよね。息子が医学部というのも気になるよね。
また、埴山比売神さん、何か知りたいのかな?ミッションかな?』
『うむ・・。そうじゃと思うが、真意がわからん。
あのふたりの間にトラブルはなさそうじゃ・・・。
真介はどう思う?』
『これから、何かあるんだろうね。さあ、荷物を運ぼうか』
真介が本棚の本を脱衣駕籠に入れはじめた。
ふたりで本を二階の部屋のリビングへ運んで本棚が空になった。
真介は本棚を分解している。
あたしはつぎに分解するベッドの上から、寝具を二階のリビングへ運んだ。
寝具を運び終えたころ、真介が本棚を分解し終えて、本棚のパーツを二階の真介の部屋へ運んだ。
「本棚を組み立てるのはあとにする。ベッドを分解して運び、机とテーブルを運ぶ」
真介はベッドを分解している。
真介から、あたしを一人だけにしておきたくない思いが伝わってきた。
あたしは衣類とテレビ、パソコン、クッション、机の照明スタンド、机の引きだし、お風呂と洗面道具、工具箱、大工セット、油彩道具などをリビングに運んだ。
そのあいだに、真介はベッドを分解して二階の真介の部屋へ運び、机と椅子、テーブルを運んだ。
二階の部屋のリビングは運んだ物でフローリングが見えなくなった。
「全部運んだから、下を掃除してくる」
あたしは真介に掃除機と雑巾を持たせ、部屋を施錠して真介の部屋へ行った。
一階の真介の部屋は、ダイニングキッチンの家電と棚や引き出しの食器とキッチン道具をのぞけばガランとして、今までここに真介がいたようには思えなかった。
「電気と水道の契約を解除してね。休みでも、手続きできるはずだよ」
「わかった。すぐに連絡する・・・」
真介はその場から、電気会社と水道局へ連絡した。
「これで良しだ。
住所はさなえと同じにしてあるから、変更の届けは必要無しだ。
郵便局の住所変更は月曜に、不動産屋に会ってからする」
真介の言葉をあたしは妙に思った。
「しんちゃん。住所があたしと同じってどういうこと?」
「さなえの住民票は実家のままだろう。僕もさなえの家にしといたよ。
だから、婚姻届けも、さなえと同じにして、中林にしておくよ」
「・・・」
あたしは何もいえなくなった。
「ウン?どうした?」
真介が掃除機をうごかす手を止めた。
「ウエーン・・・」
あたしは泣きながら、雑巾がけをした。
「どうした?トラ、さなえはどうしたんだ?」
真介があたしの背中のリュックに話している。トラはリュックの中だ。
「どうした?何ごとぞね?いい気持ちで寝ておったのに・・・。
ここはええぞ。ゆられて、ゆりかごのようじゃよ・・・」
「さなえが泣いてる!どうしたんだ?」
「うるさい!早く掃除機をかけて、雑巾がけしろよ!」
あたしは真介にそういってやった。
やはりしんちゃんはぼんくらだ!あたしは悲しいんじゃない!
あたしの気持ちをわかっていない!
「真介。サナの気持ちがわかったか?サナはとっても喜んどるぞ!
サナ。良かったのう!」
「うん。あちこち引っ越さなくていいんだ!
再来年、実家の周りに就職先を見つける。
それでいいよね?」
あたしは真介を見つめた。
真介はあたしを見た。やっと納得したらしい。
「ああ、いいよ。僕も地元の総合病院を考えてる。
だけど、さなえの卒業年と、僕の終了年がちがうぞ・・・」
「あっ・・・、そうか・・・。そしたら、上を目指す!決めた!
掃除機かけ終わったね。そしたら、はい。雑巾がけしてね」
あたしは真介に雑巾を持たせた。
なにか決めるときは、深刻に考えなくても、ひょんな事がきっかけで決る。あたしの場合はそういうことが多い。
今となっては、それがいい加減な理由で決まって行くのではなく、きっかけがあるのが良くわかる・・・。道筋が決っているのだ。まちがわずに、謎解きすればいいのだ・・・。
「上って、進学するのか?」
「うん・・・」
「それもいいか・・・」
しんちゃんは不満そうだ。
だけど、こんなことは今ここで議論しなくていい。
謎解きが正解ならことはうまく進むし、まちがっていれば、すぐ結論は出る。
とにかく今は掃除が先だ。
「掃除しようね」
「ああ、もう、終る・・・。
戸締まりして、二階の本棚とベッドを組み立てる。
その前に、昼飯にしよう。食べるのを忘れてた・・・」
「ああっ、ほんとだ!
トラ。何もしてないんだから、それくらい教えてくれればいいのに」
「二人、なかよくしとるのに、わしで出たら、じゃまじゃろうに・・・」
「そんなこといって。寝てたんだろう?」と真介。
「あははっ、高みの見物じゃよ・・・」
「さあ、終ったよ。戸締まりしようね。昼飯はハンバーガーにしようね」
また、真介とトラが作ったハンバーグが冷蔵庫に残っている。
「ハンバガか?ハンバカか、なんちゃって・・・。
わかっとるよ。ちょいといってみただけだ」
トラはのんきだ・・・。