九 トラの素性
文字数 5,083文字
「トラが話せるようになったのは、ボイスチェンジャーアプリを使うようになってからだよね」
そういってあたしはご飯を食べる。
パソコンのメグは横たわっている。ヘビオはベッドのメグの身体を拭いて下着とパジャマを着せて寝かせている。宝物を扱っている感じた。
「そうじゃ・・・」
「トラに、アプリはどう作用したの?ああ、おかしいな・・・。
アプリはどうしてトラとあたしを選んだの?」
「気づいたなら、隠してもいかんのう・・・。
あのとき、サナは
『祠の神さん。お茶とお菓子をどうぞ。お話できるといいね・・・』
と話した。それで、約束したのじゃよ。サナが二十歳を過ぎたら、話そうと・・・。
それでな。話す方法を探しとったら、パソコンや携帯が進化しおって、わしらを運んでくれた・・・・。
つまり、通信媒体が私たちの意識を運んでくれたのです。
私たちは人間の精神エネルギーが一か所に集中して蓄積した空間に存在していましたが、人間が情報機器を発展させたおかげで、通信媒体を経由して人間の意識にも存在できるようになったのです。
あなた一人では何かと不安でしょうから、トラを進化させ、人並み以上の存在、つまり私たちの代理人、代理猫にしました。
あなたが考えるように、私は祠にいた存在です。人は私を屋敷神・埴山比売神 と呼びますが、本当の名は・・・・。
「サナ。サナ・・・。さ、なっ」
トラがソファーの脚元から、あたしを見ている。
あたしは我に返った気がした。
「あっ?!ああ・・・、考えごとしてた・・・」
なんだ?
今、あたしに話したのは誰だ?祠の神さんか?
だけど、ちがうようなことを本人が話してた・・・。
『通信媒体が私たちの意識を運んでくれた』と話してた・・・。
『人間の精神エネルギーが一か所に集中して蓄積した空間に存在していました』と話してた・・・。
祠の神さんは『意識』だ! 今、それはトラの中にいる・・・。
ということは、あたしと話しているトラは猫じゃないぞ!
トラが小首を傾けていう。
「何をバカなことを思っとるんじゃ?」
「トラは猫じゃないよね?」
思わずあたしはそう訊いてしまった。
「そうじゃ。猫でないぞ。猫賢者だ」
トラはそういってあたしに目配せしている。
「やっぱり、トラは、祠にいた存在なんだね」
「わしはな、猫賢者じゃよ・・・」
トラはうなずきながら笑っている。あたしの言葉を否定はしていない。
そうとわかれば、猫賢者、いや、賢者と呼ぼう。賢者の目的は何だろう。二十歳を過ぎたあたしと話をするだけではないだろう?
「そうでもなかよ。約束したから、サナが二十歳を過ぎるのを楽しみにしておったぞ。
それに、世の中、便利になりおって・・・。
そのせいで、人が努力せんようになったのう・・・。
ああ、夕飯、ごちそうさん。うまかったぞ!」
トラはあたしの思いを読んでそういい、ソファーに跳び乗った。
あたしはあわてて夕飯を食べて、トラとあたしの食器をシンクへ運んで洗い、
「なあ、トラ。あたしと話すだけか?ほかの目的は何?
アプリはあたし専用だろう?そういうのは変だな・・・」
トラにそういって返事を待つが、トラから返事はない。
『通信媒体が私たちの意識を運んでくれた』ということは、アプリ自体が、『意識』ということになる。そして、アプリの機能はトラとあたしの中だ。
アプリで大きく変化したのはあたしより、賢者になったトラだ・・・。
そう思いながら食器を洗い終えて、ソファーテーブルの前にもどった。
「トラの意識はあの祠の神さんの『意識』だよね!」
しばらく間を置いて、トラがいう。
「そうじゃ。わしは祠におった『意識』じゃよ。『賢者』ということにしておこう」
「わかった。でも、賢者なんて呼ばないよ。
トラの目的はなに?あたしをヘビオみたいな者から守るといってたね。
メグを守ること?エッちゃんたち、みんなを守ること?」
「サナを守ることぞ。そいでな。サナの相手を見つけることぞね・・・」
トラはそういって手で(前足ではない)顔を撫でている。
「なんてことだ!」
あたしは驚いた。だけど、しばし呆然なんてことはなかった。
あたしは、今日は水曜だ、なんて妙なことを思いながら、気になる男を思い浮かべた・・・。
「・・・」
な~んも、浮ばなかった。
「なんも思い浮ばんでええんじゃ。サナを理解する者はおるよ。出会うのはもうちっとあとじゃよ」
トラはそういってあたしを見あげている。
「理解するってどういうこと?」
あたしはトラを抱いた。膝の上に乗せた。
「サナとわしじゃ。アプリを理解するっちゅうことぞね」
トラがゴロゴロ喉を鳴らして膝の上で寝そべっている。
「アプリじゃなくって、祠の神さんだろう?」
「そうともいえる・・・」
「トラとあたしは縁結びの神さんだね!」
トラが顔を上げた。
「むむっ!なんぞ?なぜ、それを知っとる?」
まじまじとあたしの顔を見ている。
「メグとヘビオの良縁を考えるってことは、縁結びの神さんってことでしょう?」
そういってあたしはソファーテーブルのノートパソコンを見た。
さっき、ヘビオはメグの身体を拭いて下着とパジャマを着せて寝かせてた。
今も、メグはベットに横たわっている。ヘビオは宝物を扱うようにメグの髪を撫でている。コイツら、晩飯、食ったのだろうか・・・。
トラがあたしの膝の上で顔を上げた。ノートパソコンを見ている。
「帰る途中で、ハンバーガーとシェイクを買ったぞ。チキンバーガーじゃな・・・」
トラがノートパソコンのふたりの心をのぞき見している。
「さてさて、縁結びのあたしの相手は誰だろね?」
あたしはトラを抱きあげて、ソファーに置いた。
何だか、トラが重くなっている。だけど、見た目は以前のままのトラだ。太ったようには見えない。もしかしたら、祠の神さんの分だけ、つまりアプリの分だけ重くなった・・・。アプリに重さがあったのか?
「アプリに重さがあるんじゃよ。
わしの相手でもあるから、サナの相手は知性的でないと困るぞ。
サナの社会学部に、アプレを理解できる者はおらぬな・・・・」
「ITにくわしいほうがいいんか?」
あたしもソファーに座った。トラが隣でゴロゴロ喉を鳴らしている。
「社会学もITも頭脳労働ぞね。アプリは使うには頭脳と精神が必要なんじゃ。これができるのは、そんじょそこらにはおらぬよ」
「じゃあ、あたしの相手はいないってこと?」
トラの顎を持った。こっちをむかせた。トラの顔を左右から両手でつつみ、両目の目尻に親指をくっつけて目尻を顔の横へ引っぱった。トラの目が横へ拡がり、スフィンクスのようになっている。
「お~い。スフィンクス~。いつまで謎解きしてるんだい?本音を吐け!吐かねえと、髭をこうだぞ!」
今度はトラの髭を左右いっしょに引っぱった。トラの口が左右に拡がり歯がのぞいている。
「こら、やめんか。イタタタッタ・・・」
「どんなのがいつ現われるんだ?」
「わからん・・・」
さらに髭を左右にクイクイ引く・・・。
「縁結びの神さんだから、知ってるだろう?ホレホレ・・・」
「三年になったら現れる。わかるのはそれだけぞ・・・」
「来年だね・・・」
「そうじゃ・・・。オオッ!いたかったぞ!髭を離せ!」
「だめだよ。まだ答えを聞いていないことがある。トラは何者だ?どこにいる?」
あたしはまたトラの髭を引っぱった。
「わしは賢者だ。ここにおるぞ・・・」
「ここにいるのは猫のトラだ。トラの中にいる『意識』の本体はどこにいるの?」
「本体は、祠におったが、今はトラとサナの中だ・・・。
わしらは姿を持たぬ種族でな、人間の精神エネルギーが一か所に集中蓄積した空間に存在しておった。同じ所にいても、状況は知れるし、状況を変えることもできる。
だが、それではつまらん。身体で感じることを、意識は感じられないからだ。
人の記憶はわしの記憶ではない。トラが猫マンマを食って『うまい!』と感じた記憶は、猫のトラの記憶で、わしのではない。そこで、トラとサナの身体に共棲させててもらった。
もちろん、サナに共棲しとるんは、わしらの世界の女じゃよ。トラにはわしじゃな・・・」
「それで、なんて種族なの?」
「ニオブだ。オーヴとも呼ばれる。ここではカミーか?」
「元素記号のニオブか?霊魂のオーヴか?神のカミーか?」
「まあ精神生命体ちゅうことぞね」
「なんてことだ!トラとあたしは、カミさんだぞ!
おい!おカミさん!飯にしてくれ!
あいよ!アンタ!
なんてことかいな?」
あたしは驚きを冗談で紛らわした。
「冗談なんていわんでいい。サナもわしも、特別に変ってはおらんよ」
「バカいわないで!猫がしゃべってパソコン操作したら、精神と意識の大変革だ!
なあ、トラ!ヘビオの意識と精神を、『メグ様命』だけにできるんか?」
あたしはトラの髭を今までのクイクイより、小刻みにクンクン引っぱった。
「ああ、可能じゃよ。サナにもわかっとるだろうに・・・」
「そんなら、今まで、メグにヘビオの性格を知らせようとしてきたのはなんだったの?」
そういってあたしはトラの髭をクンクンする。
「イタタッ・・・。
それはな。可能なかぎり、人の精神と意識は自分で変えるんがええんじゃ。
他から影響があったと意識や精神、つまり意識領域や無意識領域が感ずるようではいかんのじゃよ」
自己意識領域は、意識、思考、精神、心、霊、魂の順に無意識領域へ移行するとトラが思っているのが、あたしにわかった。
「ヘビオ自身が『メグ様命』になる必要があるのか・・・」
「そういうことじゃ。コレ、髭を離せ・・・」
「おお、忘れてたっ!」
あたしはトラの髭を離して口のまわりを撫でてやった。トラはゴロゴロ喉を鳴らしてる。
「でも、ヘビオの変化を待ってたら時間がかかりそうだから、ちょっとだけ、ヘビオの意識と精神に手をくわえるよ・・・」
「まあ、ええじゃろな・・・」
「そんでは・・・」
あたしはノートパソコンに映っているヘビオとメグの意識と精神に、つまりふたりの頭脳と身体に、他の相手を選んだ場合の悲惨な生活のイメージを送った。
どんなイメージかというと、ヘビオとメグがたがいに最良の相手であり、ヘビオが何人もの女に手をだして、それが発覚し、家庭内が揉めに揉めて崩壊し、ヘビオが路頭に迷う場面を想像すればいい。
「むむ・・・、よう気づきおったな!それでええんじゃよ!
ふたりの楽しい生活は、今後、ふたりが体験すればいいんじゃ。今から、全て想像できては、生きる意味がなくなってしまうからのう・・・」
「それって、あたしにもいえるんだね・・・」
「そうじゃ・・・」
サナも気づいたか、とトラがニタニタしている。
「だから、あたしの相手がどんな男か、教えないのか?」
「うむ・・・。
さて、メグたちは寝たな。わしも寝よう。パソコンを止めるぞ」
「いいよ・・・」
トラはソファーからソファーテーブルへ飛び移り、ノートパソコンをシャットダウンした。そしてソファーにもどり、逆の「の」の字を書くように、反時計回りにひとまわりして、尻尾を身体に巻きつけると、伸ばした前足(両腕か?)に顎を乗せ、寝息をたてはじめた。いろいろあった一日(水曜)だったからずいぶん疲れているようだ。
テレビのスイッチを入れた。九時のニュースで、猫や犬が人並みに話す事件が生じていないか確認する。まあ、そんなことはないか・・・。
やっぱり、トラのような異変、を報じるニュースはなかった。
さて、実家の祠にいた『意識』、つまり神さんがあたしとトラに共棲したんなら、あたしとトラは神さんだ・・・。埴山比売神さんは何をしたいのかな・・・。
もしかして、あたしとトラがやってることが、埴山比売神さんってことか?
あたしはカミさん。仕事は縁結び。それも、家系を維持するための縁結び。そしてサナの身体に共棲して人として行動すること・・・。
どこからともなく、そんな思いが湧いてきた。
トラは?
トラもあたしの一部。分身と思えばいい。心はシンクロしてる・・・。
そうなのか・・・。
「そうだぞ。はよう寝ようぞ・・・」
トラが寝ぼけたようにムニュムニュいっている。
あたしはカミさんになったというが、そんな感じはまったくない。変ったことはトラが人並みになって、あたしとトラにあのアプリの能力が備わったことだけだ・・・。
ああ、これがカミさんになったことか・・・。
メグたちは、あたしが送ったイメージでおちつくだろう・・・。
あたしも、いつもの日常にもどるだろう・・・。
そういってあたしはご飯を食べる。
パソコンのメグは横たわっている。ヘビオはベッドのメグの身体を拭いて下着とパジャマを着せて寝かせている。宝物を扱っている感じた。
「そうじゃ・・・」
「トラに、アプリはどう作用したの?ああ、おかしいな・・・。
アプリはどうしてトラとあたしを選んだの?」
「気づいたなら、隠してもいかんのう・・・。
あのとき、サナは
『祠の神さん。お茶とお菓子をどうぞ。お話できるといいね・・・』
と話した。それで、約束したのじゃよ。サナが二十歳を過ぎたら、話そうと・・・。
それでな。話す方法を探しとったら、パソコンや携帯が進化しおって、わしらを運んでくれた・・・・。
つまり、通信媒体が私たちの意識を運んでくれたのです。
私たちは人間の精神エネルギーが一か所に集中して蓄積した空間に存在していましたが、人間が情報機器を発展させたおかげで、通信媒体を経由して人間の意識にも存在できるようになったのです。
あなた一人では何かと不安でしょうから、トラを進化させ、人並み以上の存在、つまり私たちの代理人、代理猫にしました。
あなたが考えるように、私は祠にいた存在です。人は私を屋敷神・
「サナ。サナ・・・。さ、なっ」
トラがソファーの脚元から、あたしを見ている。
あたしは我に返った気がした。
「あっ?!ああ・・・、考えごとしてた・・・」
なんだ?
今、あたしに話したのは誰だ?祠の神さんか?
だけど、ちがうようなことを本人が話してた・・・。
『通信媒体が私たちの意識を運んでくれた』と話してた・・・。
『人間の精神エネルギーが一か所に集中して蓄積した空間に存在していました』と話してた・・・。
祠の神さんは『意識』だ! 今、それはトラの中にいる・・・。
ということは、あたしと話しているトラは猫じゃないぞ!
トラが小首を傾けていう。
「何をバカなことを思っとるんじゃ?」
「トラは猫じゃないよね?」
思わずあたしはそう訊いてしまった。
「そうじゃ。猫でないぞ。猫賢者だ」
トラはそういってあたしに目配せしている。
「やっぱり、トラは、祠にいた存在なんだね」
「わしはな、猫賢者じゃよ・・・」
トラはうなずきながら笑っている。あたしの言葉を否定はしていない。
そうとわかれば、猫賢者、いや、賢者と呼ぼう。賢者の目的は何だろう。二十歳を過ぎたあたしと話をするだけではないだろう?
「そうでもなかよ。約束したから、サナが二十歳を過ぎるのを楽しみにしておったぞ。
それに、世の中、便利になりおって・・・。
そのせいで、人が努力せんようになったのう・・・。
ああ、夕飯、ごちそうさん。うまかったぞ!」
トラはあたしの思いを読んでそういい、ソファーに跳び乗った。
あたしはあわてて夕飯を食べて、トラとあたしの食器をシンクへ運んで洗い、
「なあ、トラ。あたしと話すだけか?ほかの目的は何?
アプリはあたし専用だろう?そういうのは変だな・・・」
トラにそういって返事を待つが、トラから返事はない。
『通信媒体が私たちの意識を運んでくれた』ということは、アプリ自体が、『意識』ということになる。そして、アプリの機能はトラとあたしの中だ。
アプリで大きく変化したのはあたしより、賢者になったトラだ・・・。
そう思いながら食器を洗い終えて、ソファーテーブルの前にもどった。
「トラの意識はあの祠の神さんの『意識』だよね!」
しばらく間を置いて、トラがいう。
「そうじゃ。わしは祠におった『意識』じゃよ。『賢者』ということにしておこう」
「わかった。でも、賢者なんて呼ばないよ。
トラの目的はなに?あたしをヘビオみたいな者から守るといってたね。
メグを守ること?エッちゃんたち、みんなを守ること?」
「サナを守ることぞ。そいでな。サナの相手を見つけることぞね・・・」
トラはそういって手で(前足ではない)顔を撫でている。
「なんてことだ!」
あたしは驚いた。だけど、しばし呆然なんてことはなかった。
あたしは、今日は水曜だ、なんて妙なことを思いながら、気になる男を思い浮かべた・・・。
「・・・」
な~んも、浮ばなかった。
「なんも思い浮ばんでええんじゃ。サナを理解する者はおるよ。出会うのはもうちっとあとじゃよ」
トラはそういってあたしを見あげている。
「理解するってどういうこと?」
あたしはトラを抱いた。膝の上に乗せた。
「サナとわしじゃ。アプリを理解するっちゅうことぞね」
トラがゴロゴロ喉を鳴らして膝の上で寝そべっている。
「アプリじゃなくって、祠の神さんだろう?」
「そうともいえる・・・」
「トラとあたしは縁結びの神さんだね!」
トラが顔を上げた。
「むむっ!なんぞ?なぜ、それを知っとる?」
まじまじとあたしの顔を見ている。
「メグとヘビオの良縁を考えるってことは、縁結びの神さんってことでしょう?」
そういってあたしはソファーテーブルのノートパソコンを見た。
さっき、ヘビオはメグの身体を拭いて下着とパジャマを着せて寝かせてた。
今も、メグはベットに横たわっている。ヘビオは宝物を扱うようにメグの髪を撫でている。コイツら、晩飯、食ったのだろうか・・・。
トラがあたしの膝の上で顔を上げた。ノートパソコンを見ている。
「帰る途中で、ハンバーガーとシェイクを買ったぞ。チキンバーガーじゃな・・・」
トラがノートパソコンのふたりの心をのぞき見している。
「さてさて、縁結びのあたしの相手は誰だろね?」
あたしはトラを抱きあげて、ソファーに置いた。
何だか、トラが重くなっている。だけど、見た目は以前のままのトラだ。太ったようには見えない。もしかしたら、祠の神さんの分だけ、つまりアプリの分だけ重くなった・・・。アプリに重さがあったのか?
「アプリに重さがあるんじゃよ。
わしの相手でもあるから、サナの相手は知性的でないと困るぞ。
サナの社会学部に、アプレを理解できる者はおらぬな・・・・」
「ITにくわしいほうがいいんか?」
あたしもソファーに座った。トラが隣でゴロゴロ喉を鳴らしている。
「社会学もITも頭脳労働ぞね。アプリは使うには頭脳と精神が必要なんじゃ。これができるのは、そんじょそこらにはおらぬよ」
「じゃあ、あたしの相手はいないってこと?」
トラの顎を持った。こっちをむかせた。トラの顔を左右から両手でつつみ、両目の目尻に親指をくっつけて目尻を顔の横へ引っぱった。トラの目が横へ拡がり、スフィンクスのようになっている。
「お~い。スフィンクス~。いつまで謎解きしてるんだい?本音を吐け!吐かねえと、髭をこうだぞ!」
今度はトラの髭を左右いっしょに引っぱった。トラの口が左右に拡がり歯がのぞいている。
「こら、やめんか。イタタタッタ・・・」
「どんなのがいつ現われるんだ?」
「わからん・・・」
さらに髭を左右にクイクイ引く・・・。
「縁結びの神さんだから、知ってるだろう?ホレホレ・・・」
「三年になったら現れる。わかるのはそれだけぞ・・・」
「来年だね・・・」
「そうじゃ・・・。オオッ!いたかったぞ!髭を離せ!」
「だめだよ。まだ答えを聞いていないことがある。トラは何者だ?どこにいる?」
あたしはまたトラの髭を引っぱった。
「わしは賢者だ。ここにおるぞ・・・」
「ここにいるのは猫のトラだ。トラの中にいる『意識』の本体はどこにいるの?」
「本体は、祠におったが、今はトラとサナの中だ・・・。
わしらは姿を持たぬ種族でな、人間の精神エネルギーが一か所に集中蓄積した空間に存在しておった。同じ所にいても、状況は知れるし、状況を変えることもできる。
だが、それではつまらん。身体で感じることを、意識は感じられないからだ。
人の記憶はわしの記憶ではない。トラが猫マンマを食って『うまい!』と感じた記憶は、猫のトラの記憶で、わしのではない。そこで、トラとサナの身体に共棲させててもらった。
もちろん、サナに共棲しとるんは、わしらの世界の女じゃよ。トラにはわしじゃな・・・」
「それで、なんて種族なの?」
「ニオブだ。オーヴとも呼ばれる。ここではカミーか?」
「元素記号のニオブか?霊魂のオーヴか?神のカミーか?」
「まあ精神生命体ちゅうことぞね」
「なんてことだ!トラとあたしは、カミさんだぞ!
おい!おカミさん!飯にしてくれ!
あいよ!アンタ!
なんてことかいな?」
あたしは驚きを冗談で紛らわした。
「冗談なんていわんでいい。サナもわしも、特別に変ってはおらんよ」
「バカいわないで!猫がしゃべってパソコン操作したら、精神と意識の大変革だ!
なあ、トラ!ヘビオの意識と精神を、『メグ様命』だけにできるんか?」
あたしはトラの髭を今までのクイクイより、小刻みにクンクン引っぱった。
「ああ、可能じゃよ。サナにもわかっとるだろうに・・・」
「そんなら、今まで、メグにヘビオの性格を知らせようとしてきたのはなんだったの?」
そういってあたしはトラの髭をクンクンする。
「イタタッ・・・。
それはな。可能なかぎり、人の精神と意識は自分で変えるんがええんじゃ。
他から影響があったと意識や精神、つまり意識領域や無意識領域が感ずるようではいかんのじゃよ」
自己意識領域は、意識、思考、精神、心、霊、魂の順に無意識領域へ移行するとトラが思っているのが、あたしにわかった。
「ヘビオ自身が『メグ様命』になる必要があるのか・・・」
「そういうことじゃ。コレ、髭を離せ・・・」
「おお、忘れてたっ!」
あたしはトラの髭を離して口のまわりを撫でてやった。トラはゴロゴロ喉を鳴らしてる。
「でも、ヘビオの変化を待ってたら時間がかかりそうだから、ちょっとだけ、ヘビオの意識と精神に手をくわえるよ・・・」
「まあ、ええじゃろな・・・」
「そんでは・・・」
あたしはノートパソコンに映っているヘビオとメグの意識と精神に、つまりふたりの頭脳と身体に、他の相手を選んだ場合の悲惨な生活のイメージを送った。
どんなイメージかというと、ヘビオとメグがたがいに最良の相手であり、ヘビオが何人もの女に手をだして、それが発覚し、家庭内が揉めに揉めて崩壊し、ヘビオが路頭に迷う場面を想像すればいい。
「むむ・・・、よう気づきおったな!それでええんじゃよ!
ふたりの楽しい生活は、今後、ふたりが体験すればいいんじゃ。今から、全て想像できては、生きる意味がなくなってしまうからのう・・・」
「それって、あたしにもいえるんだね・・・」
「そうじゃ・・・」
サナも気づいたか、とトラがニタニタしている。
「だから、あたしの相手がどんな男か、教えないのか?」
「うむ・・・。
さて、メグたちは寝たな。わしも寝よう。パソコンを止めるぞ」
「いいよ・・・」
トラはソファーからソファーテーブルへ飛び移り、ノートパソコンをシャットダウンした。そしてソファーにもどり、逆の「の」の字を書くように、反時計回りにひとまわりして、尻尾を身体に巻きつけると、伸ばした前足(両腕か?)に顎を乗せ、寝息をたてはじめた。いろいろあった一日(水曜)だったからずいぶん疲れているようだ。
テレビのスイッチを入れた。九時のニュースで、猫や犬が人並みに話す事件が生じていないか確認する。まあ、そんなことはないか・・・。
やっぱり、トラのような異変、を報じるニュースはなかった。
さて、実家の祠にいた『意識』、つまり神さんがあたしとトラに共棲したんなら、あたしとトラは神さんだ・・・。埴山比売神さんは何をしたいのかな・・・。
もしかして、あたしとトラがやってることが、埴山比売神さんってことか?
あたしはカミさん。仕事は縁結び。それも、家系を維持するための縁結び。そしてサナの身体に共棲して人として行動すること・・・。
どこからともなく、そんな思いが湧いてきた。
トラは?
トラもあたしの一部。分身と思えばいい。心はシンクロしてる・・・。
そうなのか・・・。
「そうだぞ。はよう寝ようぞ・・・」
トラが寝ぼけたようにムニュムニュいっている。
あたしはカミさんになったというが、そんな感じはまったくない。変ったことはトラが人並みになって、あたしとトラにあのアプリの能力が備わったことだけだ・・・。
ああ、これがカミさんになったことか・・・。
メグたちは、あたしが送ったイメージでおちつくだろう・・・。
あたしも、いつもの日常にもどるだろう・・・。