十一 カミさんと 下界の人

文字数 4,635文字

 フウフウ吹いて冷ましたのに、まだミルクコーヒーが熱い。またもやミルクコーヒーをすする。

 トラがホットミルクをなめながらいう。
「サナも猫舌になりおったか・・・」
 トラが顔を上げた。あたしを見あげている。
「ところで下というのは下界か?それとも単純に、物理的な下のことか?」

 ミルクコーヒーをフウフウ吹きながら、あたしは横目でトラを見る。トラは何か知っているようだ。
「うん、一階の住人。三月に住人が出てから空いてたけど、新人が入ったみたいだよ・・・。前の住人は出るときあいさつに来たけど、今度の住人はあいさつに来るかな?」
「まあ、自然の成り行きに従うじゃろうて・・・」
 そういってトラはまたミルクをなめている。
「あたしが?それとも、下の住人が?」
「どっちもじゃよ。良きにしろ悪しきにしろ、ことは成るべくして、成る方向へ進むのじゃ」

「まだ、出会うタイミングではないってこと?」
 フウフウ吹いていても、なかなかミルクコーヒーが冷めない。なんかおかしい。
 そう思いながら、ミルクコーヒーが入っているマグカップを見る。
 マグカップは温めていない。コーヒーはドリップした。こんなに熱くなっているはずがない。フウフウ吹いて冷ましているのに、なんで冷めるのに時間がかかるんだろう・・・。
 あれ?もしかしたら・・・。

 ふたたび、あたしはトラを見る。
「ねえ、トラ・・・」
 トラが顔を上げた。あたしを見ている。
「なんだ。サナ?」

「あたしの状態を、まわりが示すことがあるんか?」
「心の象徴として、あるじゃろな・・・。なんか、ありおるんか?」
「うん、さっきからミルクコーヒーが冷めないんだ。おかしい・・・」
「ははあ、加具土神(かぐつちのかみ)さんじゃのう・・・」

加具土神(かぐつちのかみ)さんって、なんだ?」
 そういってあたしはミルクコーヒーを飲んだ。ようやく冷めてきた。
「そうさな・・・。ちょっと待ってくれ。これで飲みおえるゆえに・・・」
 トラはミルクカップに顔を入れて、ミルクをなめている。

 トラが顔を上げた。そして、おもむろにいう。
「よいか。よく聞け。加具土神さんは、原大和朝廷(げんやまとちょうてい)に使えた広報官的仕事をしておった人物ぞね。今でいう、超能力者ぞね。心のエネルギーの管理をする神ぞね。
 加具土神さんはな、火の神で、野火が拡がるごとく迅速にことを伝える神といわれておる。
『神の心にかなったものはうまくゆく。
 己の心に火を点け、人の心に己の心を伝えよ』
 加具土神の言葉ぞね」
 トラは手で顔をなではじめた。

 あたしはなんだか喉がカラカラな気がしてミルクコーヒーを飲んで喉を湿らせた。 
「ミルクコーヒーが冷めなかったんは、加具土神さんが近くにいたってことか?」
「わしは、『ことは成るべくして、成る方向へ進む』というた。森羅万象の全てから、自然の流れを読めということじゃろう。加具土神は、神の言葉どおり、サナに、
『神の心にかなったものはうまくゆく。
 己の心に火を点け、人の心に己の心を伝えよ』
 と伝えようとしとるんじゃと思うぞ・・・」

「そういうことなら、マグカップが熱かったんは納得できる。
 あたし、なりゆきにまかせて一階の住人は観察するよ・・・」
「うむ、それでいいのじゃ・・・」
 そういってトラは髭をなでている。どこかで見た光景だ・・・。


「ところで、原大和朝廷(げんやまとちょうてい)ってなに?
 日本の古代史を記録したんが古事記、日本書紀っていわれてるけど、あれ、事実をねじ曲げた大ウソだと思うんだ。
 理由は、二千くらい前のことが、いい加減に書かれてるよね。中国の歴史文献に日本のことが出てくる時代を、古事記、日本書紀は神話的に扱いすぎてる・・・」
 そういって、あたしはミルクコーヒーをグビリと飲んだ。ちょうどいい温度になっている。

 トラが顔を髭をなでながらいう。
「たしかにそうじゃよ。日本における二千年くらい前のできごとが、神世(かみよ)の時代のはずがなかろうて。古事記、日本書紀は当時の為政者が、大和朝廷以前の、出雲(いずも)の国の存在を隠すためにねつ造した、偽りの歴史書ぞ。

 二千年ほど前の日本で繁栄していたのは出雲(いずも)日向(ひむか)じゃよ。
 大和朝廷ができる以前、出雲の国の開祖の大王(おおきみ)が出雲の国を支配し、女大王(おんなおおきみ)が日向の国を支配しておった。
 出雲の国の開祖の大王は日本をひとまとめにするため、日向に攻め入り、日向の国の女大王を現地の妻にしたため、出雲の国と現地の妻が支配する日向の国が一つにまとまったのじゃ。
 この頃、大和は豪族たちが支配する地方だったが、出雲の大王の一族は日本をまとめるため、大和豪族と手を組んで大和を支配しておったのじゃ・・・。

 しかし、出雲の国の開祖の大王が亡くなると、日向の現地妻が支配する日向の国が圧倒的に勢力を拡げ、現地の妻は、亡き大王に代って女大王(おんなおおきみ)となり、出雲と日向を支配し、大和へ侵出しようとしおった。
 そこで、女大王は、大和豪族と手を組んで大和を支配していた出雲豪族の相続人が末娘になったことを利用し、出雲豪族の相続人である末娘の婿養子として、日向の国から女大王の孫を大和に送りこんだのじゃ。
 当時は末永く子孫を残すため末子相続の習わしがあってな。末子が女子なら、他所から婿養子をもらったのじゃ。
 この婿養子が、古事記日本書紀で、大和朝廷の開祖といわれた人物じゃよ。

 大和朝廷の開祖が婿養子などというのは格好が悪かろうてに・・・。
 そこで、「東征」などと威勢のいいことをでっちあげおったのじゃ。
 日向におった女大王は、その後も、己の息子や孫を大和へ送りこんで、大和朝廷の母体を築き、大和朝廷を牛耳ったのじゃよ・・・」
 トラが髭を撫でるのをやめた。あたしを見あげている。

 あたしはミルクコーヒーをグビリと飲んだ。なんだか、おもしろくなってきた。
「出雲の国の大王って誰なん?
 日向の女大王は?
 大和朝廷の開祖に成った婿養子?」

 トラがあたしの膝に乗った。あたしを見つめながら言う。
「出雲の国の大王は布都斯(ふつし)と呼ばれ、須佐之男神(すさのおのかみ)として祀られた人物じゃ。
 日向の女大王は日霊女(ひみこ)天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大和朝廷の開祖となった婿養子は伊波礼彦(いわれひこ)神武天皇(じんむてんのう)じゃよ・・・」

「なんてことなの!日本の歴史が・・・」
「全て、皇室に記録されておるが、宮内庁は事実を公表はせぬよ。
 公表すれば、これまで日本国民を騙したことになるゆえ・・・」

「でも、日向豪族が古代に大和朝廷を樹立したんだから、事実をねじ曲げる必要はなかったのに・・・」
「出雲豪族は、出雲と日向と大和の支配者が出雲の国だと主張しおった。そのため、出雲の国譲りの原因となった戦争に突入しおった。
 結果は出雲の国が敗退して、日向の国が全てを支配しおったのじゃ。
 日向豪族と出雲豪族のあいだで取り引きがあってな・・・。敗走した出雲豪族は科野(信濃)へ逃れ、諏訪に棲みついて科野の国を建国した。当時の科野の国は大和朝廷から独立しておった・・・」

「女は怖いね。子孫を残すために、正妻の一族を滅ぼしたんだね・・・」
「それでもな、原大和朝廷や大和朝廷の初期には、
『妻は出雲から迎え、婿は日向から迎えよ』
 といわれておったんじゃ」
「すごい。出雲と日向と大和の融和策だね!」
「当時の為政者のほうが利口だったんじゃよ。
 古事記、日本書紀を作った為政者はアホぞね・・・」
「なるほどね・・・」


 話が原大和朝廷へそれたが、元にもどそう。
 トラの説明によれば、加具土神さんは、原大和朝廷に使えた広報官的仕事をしていた人物・超能力者だ。火の神で、心のエネルギーの管理し、迅速にことを伝える神だ。
『神の心にかなった者はうまくゆく。
 己の心に火を点け、人の心に己の心を伝えよ』
『ことは成るべくして、成る方向へ進む』
 これが加具土神さんの言葉だ・・・。

 ことの成り行きを総合すると、
『加具土神さんは、あたしの相手が一階にいると教えてくれた』
 ということにたどり着く・・・。 
 もう十時。今日木曜は講義は休講。一日休みだ。あわてることはない。

 しかし、トラに、
『なりゆきにまかせて一階の住人は観察するよ』
 と話したが、やはり気になる。
「相手は医者なんだろう?」
「そうとはかぎらん。未来の医師かも知れぬよ」
「そうなると医学部か・・・」
 どんなヤツか、顔を見に行こうかな・・・。
「やめておけ。成るようにことが進むゆえ、へたなことはするな。よいな?」
「自然の流れに棹させば、全てがオジャンってことか?」
 あたしの問いにトラが妙な顔をしている。
「・・・全てがぶち壊しになるってことか?」
 今度は、トラが納得している。
「そうじゃ。放っておけば、向こうから、サナに会いに来るよってにのう・・・」
 トラがそう話していると、ドアチャイムが鳴った。

「ほれ。来きおったぞ・・・」
「はーい・・・」
 あたしは玄関へ行った。

 玄関監視カメラのモニターで確認すると、黒縁メガネのオタクっぽいのが立っている。ちょっと長髪で、明らかに背が高い。
「なんでしよう?」
 あたしはモニターにむかってそういった。
「ああ、下の階に越してきた、二階堂です。
 これ、引っ越しのあいさつ代わりです。
 蕎麦です。乾麺ですから、茹でて食べてください・・・・」
 そうい言って階下の住人は、平たい箱の包みをドアの郵便受けに入れた。

 ゴソゴソと音がして、郵便物を受けとめるドアのカゴ状部分に、平たい箱の包みがコトンと音をたてた。
 おっ!なんと!N市の、〇隠蕎麦ではないか!あたしの母の地元のお蕎麦だぞ。
「あの・・・。ちょっと待ってください・・・」
 モニターでは、階下の住人が背をむけてドアの前から去ろうとしている。

 あたしはドアを開けた。階下の住人はドアに背をむけたままだ。
「あたしは中林さなえ。よろしくね。〇隠蕎麦をありがとう。あたしの好物なんだ・・・」
 あたしがそういうあいだに、階下の住人がこちらをむいた。

 住人はあたしよりはるかに背が高い。黒のトレーナーの上からも、競泳のスイマーのごとき、がっちりした体型がわかる。無造作にのばした長髪に近い髪だ。 
 カミさんと下界の人のご対面だ。
「こいつ・・・」
 一階に越してきた、二階堂・・・。
 あたしは階下の住人の腹に、思いきりパンチを食らわしてやった。

「ウッ!イテテテ・・・」
 階下の住人は胃のあたりをおさえて呻いている。

 あたしが通学する大学は都心の文教地区にある。そして、このアパートは大学のすぐそばだ。
 あたしの実家はM県R市。そして母の実家はN県N市だ。N市の〇隠蕎麦は有名だ。
 そして、ソシテだ!母の旧姓は、二階堂だ。母の実家の苗字は二階堂なのだ。

 このクソバカ、あたしが大学に入るまで、家庭教師するなどといって、あたしの家にちょこちょこ来ていた。
 当時、このクソバカが通学していたのはM県R市のM大医学部で、あたしの家の近所に下宿していた。
 それが、あたしが大学に入って都心の文教地区に引っ越したとたん、勉学が忙しくなったといってプッツン。音信不通だ・・・。
 スマホだってパソコンだってあるのに、いっさい連絡無しだ。あたしが連絡しても返信ナシだ。

 そのことを母に話したら、
「医師になるので忙しいのよ。二階堂の血筋は頭脳だけは優秀だから・・・」
 と妙なことを話してた。
 頭脳だけは優秀ということは、他は優秀でないことだぞ・・・。
 母はクソバカと音信不通になった理由を説明したつもりだったのだろうか?

 そんなことは、まあいい。とにかく、今、そのクソバカが目の前にいる。
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