十 カミの相手

文字数 4,603文字

 翌日木曜、朝七時。
 ダイニングキッチンで朝食を作りながら、アキとエッちゃんとママに、メグとヘビオは心配なくなったことを連絡しようと思ったが、その理由をどう説明していいか思いつかない。
 そんな連絡をしなくても、ヘビオからみんなに連絡がなければ、メグに転送される連絡はないから、ヘビオに対するメグの疑いも自然消滅になる。

 そうじゃないな・・・。
 メグとヘビオに送ったあたしのイメージで、メグはヘビオを疑わないはすだ。いや、もうメグはヘビオを疑わないし、ヘビオはメグだけを思いつづける・・・。

「そういうことじゃな。わしらが、わしらのすることを、『・・・するはずだ』、とあいまいに思ってはいかん!
 わしらは、カミさんじゃからのう・・・」
 トラが足元に来てゴロゴロ喉を鳴らしている。

「うん。あたしは、あたしが決めたことに、自信を持っていいんだね・・・。
 スムージーできたぞ。野菜少なめで牛乳の多いのが。猫マンマもあるぞ。
 あたしの朝ご飯も、トラと同じか・・・」
 いつもご飯を調理台のキッチンテーブルでご飯を食べていたのでは、なんだかけじめがつかない気がする。こんなとこもカミさんになったためか・・・。
 あたしはキッチンテーブルの焼き鮭とご飯と、野菜少なめで牛乳の多いスムージーと味噌汁と野菜炒めをからダイニングテーブルへ移動して置いた。
 トラはダイニングテーブルの下でトレイに入った猫マンマを食い、スムージーをなめてあたしを見あげ、
「野菜炒めもほしいぞ!」
 というので、あたしはトラの猫マンマに野菜炒めを乗せてやった。

「今日の講義は、十時半からだけど、なんか気になるから、調べるよ・・・」
 あたしはご飯を食べながら、スマホで大学の学生専用ホームベージの教務連絡を調べた。教授の都合で十時半の社会学は休講になっていた。午後の講義も調べたら、午後からの三科目も休講になっていた。

 大学は都心の文教地区にある。
 あたしの実家はM県R市だ。帰るのに一時間もかからない。
 明日の講義をサボれば今日も入れて四日間の休みになる。実家に帰って庭の祠を確認したい気もするけれど、今月(五月)の連休に帰省したばかりだから、帰省して祠のことを母に話したら、電話ですむだろう、といわれるはずだ。
 まあ、母だって祠について何も知らないだろう・・・。

「自分で確認したらええじゃろ・・・。何を知りたいんじゃ?」
 あたしの考えを知って、野菜炒めを食いながらトラがあたしを見ている。あたしも野菜炒めを口に入れ、コリコリとキャベツを噛み砕きながらいう。
「あたしの好み・・・。どんなの人が好みなんだろうと思ったんだよ・・・」
「そうさなあ・・・。サナは身長があるよってに・・・」
 トラは猫マンマを食いながら考えている。いや、何かを感じようとしている。

「背が高いから何?みんなも背が高いよ・・・」
 アキとエッちゃんとママもあたしと同じくらい背が高い。そう思いながら、ご飯と鮭の切り身を口に入れ、味噌汁を飲んだ。トラは猫マンマと野菜炒めを食い、スムージーをピチャピチャなめている。
「背が高い、いい男が現れるじゃうて・・・」

 なんだか、トラの雰囲気が沈みはじめた気がする。これってどこかに漂ってた気配だ・・・。どこだろう?
 あたしは茶碗のご飯をぜんぶ口に入れて鮭も口に入れた。そして味噌汁を飲む。口の中でトラの好きな猫マンマを味わっている。トラだけでなく、あたしも猫マンマが好みになってきている。
 これってあたしはトラ並みってことか?トラは野菜炒めを食ってスムージーも飲んでるんだから、トラがあたし並みってことだ。
 トラがあたしに、トラがカミさんに似たんだぞ。ということは・・・。
 あたしはトラの心に、あたしの心を同調させた。

 あたしの意識に医師が現れた。彼は一人の入院患者を診ている。患者の持病が少しずつ回復している。医師は入院患者が自然治癒したと驚いている。
 なんだこれ・・・。
 医師は誰だ?見覚えないぞ・・・。
 患者は誰だ?あたしか?顔がはっきりしないな・・・。
 トラは、あたしの相手は背の高い男だ、といった。この医師、あたしよりちょっと背が高いだけだ・・・。

「これ、わしの意識の何を探っておるのじゃ?サナの意識を探るのと同じじゃぞ。
 さて、ごちそうさん。うまかったぞ。
 今日は何する?講義は休みじゃろうて?」
 トラはあたしを見あげて、顔を手(前足)でなでている。
「洗濯と買物は週末すればいいから、のんびり昼寝でもするかな・・・」
 あたしは残りのご飯と鮭と野菜炒めを口に入れた。なんだか、トラの主導で一日がはじまる気配だ。

「サスレバ、わしに社会学のテキストを見せてくれ。わしも少しは勉強せんといかん。
 なあ、社会学ってなんぞね?」
 それをあたしに聞くか?あたしの頭ん中を見たら、それくらいはわかるだろう?
 ははあ・・・、あたしの考えを読めるなんていったくせに、実際は読めないんだな・・・。
 
「そんなことはないぞ。ちゃんとこうして対応しとる。考えとることを読んどる証拠ぞ。
 しかしのう、考えておることと、一つの法則ちゅうか概念は、ちょいとちがうでな」
 そういいながら、トラは顔を撫でるのをやめた。あたしを見あげてる。
「どこがちがうの?」
 あたしはご飯を食べ終え、食器をシンクに入れた。

「ほれ、サナが日本人であることと、日本人という概念はちがうようなもんじゃ。
 概念はかんたんには読みとれぬよ・・・」
 なんと!トラが急に、難しい賢者になりおったぞ・・・。
 なんてことだ!あたしまで、トラに似てきたぞ・・・。

 あたしは自分の食器を洗ったあと、トラの食器も洗った。
 賢者といえど、トラは猫だ。あたしとは寄生しているモノがちがう。

「むむむっ、寄生なんぞしとらんぞ!この間、病院で見てもらっただろうに!」
「おお、あたしの意識に現れたんは獣医さんか!
 患者はシロか!トラが賢者並みに考えてたから、シロが人に思えたんだ!」
 あたしは、なるほどと思った。

「ところで、社会学とは、一言でゆうたら、なんぞね?」
「今、そんなことを訊くんか?」
「サナは知らんのか?」
「そんなことを説明できれば、学者になれるよ・・・。
 社会の定義、社会の成り立ちや関係法則、社会の背景にある文化など、普遍性を論理的に説明することだよ」
「かんたんにゆうたら、どういうことぞね?」
「そうだね・・・。社会が成り立っている原因や条件を説明することだよ。
 そんなことより、トラの獣医さんはダメだ。ハッキリいうよ。
 あの人は性に合わない!好みじゃないよ!」
「おおっ!獣医さんではないぞ!心配するな。
 サナは潔癖症的なところがあるゆえ、サナより背の高い、それなりの人ぞね」
 猫のわしを風呂に入れてシャンプーしたり、水洗トイレを憶えさせたり、出歩いてきたら手足を洗わせたり、何かと人並みに教えられおったからのう・・・・。

「そりゃあ、そうだ。ここで暮すのに、トラだけが好き勝手していいはずないだろう?
 猫でも、人並みにすべきだよ。いろいろ、憶えて良かっただろう?」
「まあな・・・。
 わしらが社会学を学んどるは、カミさんとして人の社会を知るためぞね」
「どういうこと?」

 そうこうしているあいだに、食器を洗い終えた。もちろん、あたしの食器とトラの食器を洗うスポンジは別々だ。そして、食器の乾燥カゴも別々だ。これはあたしとトラの意見で決ったことだ。

 うん?
 食器を洗うスポンジも、食器の乾燥カゴも別々にすると決めたとき、トラはあたしと話していなかったな・・・。
 いったい、あの時、あたしは誰と話したんだろう・・・。

「そりゃあ、カミさんに決まっとるだろう・・・」
「あれは、実家からここに引っ越した時だよ。二年前から、カミさんがあたしとともにいたってこと?」
「まあ、そういうことじゃ。屋敷守護の神さんだから、サナを守っとるんじゃ」
 トラはそういってあたしを見あげている。

「あたしは、屋敷ってことか?」
「では、サナの屋敷はどこぞね?屋敷守護とゆうても、物理的な空間だけではないぞ。
 屋敷の主人を守らねば、屋敷の守護の意味がのうなってしまう」
「あたしの守護ということか・・・。
 わかった。以前から、カミさんはあたしの中にいた。そして、今度はあたしとともに、人の世をじかに感じようとしてる。カミさんのあたしとして・・・」
 あたしは手を洗ってタオルで拭き、クッキングヒーターに、水を入れた鍋を置き、スイッチをオンにした。

「トラ。何か飲みたいか?もってゆくから、ソファーに行こう」
「ならば、(ぬる)めのホットミルクを頼むぞ。待っておるよ・・・」
 そういいながら、トラはリビングのソファーへ歩いている。

 あたしは鍋の湯でコーヒーをカップにドリップし、冷蔵庫から牛乳を取りだして、コーヒーに注いでミルクコーヒーにした。そして。鍋で牛乳をちょっとだけ温めて砂糖を加え、トラのミルクカップにホットミルクを入れた。

「トラ。できたよ・・・」
 リビングのソファーでトラは居眠りしている。ネコとは眠子(ねこ)だな・・・。
 そう思いながら、ソファーテーブルの脚元にをトラのミルクカップをのせたトレイを置き、ソファーテーブルにお盆にのせたミルクコーヒーを置いた。
「おお、サナ。ありがとうな・・・」
 トラが寝そべった姿勢から尻を持ちあげ、思いきり前足(前腕か?)をのばして伸びをし、次に後ろ足をのばして伸びをしている。動作が猫には思えない。どう見ても、ストレッチしているオッサンだ。
「オッサンにあらず。賢者ゆえ・・・」
 トラがソファーから飛び降りた。ホットミルクの匂いを嗅いでなめている。

 あたしはカーペットのクッションに座り、ソファーの縁に背を持たせてミルクコーヒーを飲もうとしたが、凄まじく熱い・・・。
「何か知りたいことがあったら、カミさんに訊けばいいんだね?」
「サナの疑問の答えは全てサナの中じゃ」
「どういうこと?」

「神さんがサナとともにいるゆえ、サナが神さんということぞ・・・」
「屋敷守護の神さんがあたしの意識と共棲してるってことは、あたしは埴山比売神さんで、トラは神さんの代理人、つまり、あたしの分身のようなものか?」
「そういうことじゃな。やっと納得したか」
「なっとくしても、実感するのに時間がかかるよ・・・」
 ミルクコーヒーが熱い。フウフウ吹いて冷ましながらミルクコーヒーをすする。

「もうサナは埴山比売神さんゆえ実感は湧かぬよ。
 サナは自分がサナでごく当り前の人だと思うとるじゃろ。それと同じじゃよ。
 わしが賢者のトラであるように、サナはすでに埴山比売神さんぞね」

 なんと!何ということだ!あたしはトラのように変化したのか?
 実感が湧かないのが、その証なのか・・・。
 そう思っていると心に言葉が湧いてくる・・・。

『まわりを感じれば、それで全てがわかます・・・。
 まわりを変えたければ、そのように、まわりの変化を心に描き、それらをまわりに感じさせなさい・・・』

 そういうことか・・・。
「そういうことぞね・・・。
 親しくなる者がどこにおるか、サナの心が落ち着けるところがどこか、とサナの心を感ずれば、相手がどこにいるかわかるぞ。
 ただし、あわててはいかん。自然の成り行きにまかせるのじゃよ。よいか?」
「うん、いいよ。もう感じたよ・・・。その人、下にいるんだ・・・」
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