第53話 それぞれの想い その4

文字数 4,009文字

「腹は膨らんだか」

「うむ。全く庶民には困ったものだ」

「しかしお前、いくらうまいからって……一体何本食ったんだ」

「し……仕方あるまい。感動したのだ、初めてなのだ……少しぐらい優しく……してくれても……」

「変な言い方をするな」

 二人は喫茶店でコーヒーを飲んでいた。静かで落ち着いた(たたず)まい。まるでそこだけ時間が止まっているような、そんな懐かしい感じのする店だった。店内にはジャズが流れている。

「遊兎は不思議な所を、たくさん知っているな」

「そうか?まあここも地元みたいなもんだしな」

「お前は、私の知らない世界をたくさん知っている……知っての通り、私は子供の頃から天才と言われてきた。おそらく知識だけなら、お前より遥かに多くのことを知っているだろう」

「だろうな。IQだけでも、俺二人分ぐらいありそうだ」

「だが所詮、それらは全て動かずして得た知識だ。ネットの世界に入り、私はこれまで体験したことのない、情報の渦に飲み込まれて感動した。しかし遊兎、お前と出会ってから知ることは、それ以上の感動だ。正に生きた知識だ」

「大袈裟だな」

「大袈裟ではないぞ。私の周りにいた者どもの何人が、遊兎の持っている生きた知識や情報を知っているか。おそらく誰も知るまい。やつらは今、私が経験していることを取るに足らない、くだらないものだと笑うかもしれない。こんなものを知らなくても、人生に何の影響もない、そう言うかもしれない。だが、知ってしまった私から言わせれば、やつらの人生こそ薄っぺらい物だ」

「テーマが壮大になってきてるぞ」

「私の素直な気持ちだ」

「だろうな。今言ったこと全部、お前の本当の気持ちだと思う。でもな、沙耶。そう思える、お前の懐の深さこそがすごいんだぞ」

「私の……懐……」

「そうだ。お前のそういう所が、俺は気に入ったんだ。ネットの世界でお前に出会った時、お前の発信する言葉は強烈だった。一言一言に力があった。それに圧倒されるやつも多かった。独善的な意見もあったが、それでもお前の言葉には、一本の大きな軸があってぶれなかった。だから強かった。
 だけど俺がお前に噛み付いた時、色々あったが最終的に俺の意見、いや、俺の存在を受け入れた。そんなやつ、あの世界では希少だ、俺はそう思ったんだ。だから俺はカーネル、お前に惹かれた」

「……」

「お前には強烈な自我がある、ずっとそう思っていた。そんなやつが、自分が認めない価値を受け入れるなんてこと、あるはずないと思ってた。だけどお前は違った。お前はスポンジが水を含んでいくように、いくらでも外の世界を受け入れていく器を持っている。お前は本当にすごいやつだよ」

「ほ……褒めても何も出ないぞ」

「ただで褒めてやってるんだ、安心しろ。だから沙耶、今のその気持ち、ずっと大切にしてくれ。何でもない日常、何でもない風景、何でもない世界に感動してくれ。俺がこれからも、お前の知らない世界に連れて行ってやる」

「本当か」

「ああ」

「約束……してくれるか」

「勿論だ。俺たちは親友だろ」

「ぬんっ!」

 沙耶が悠人の脛を思い切り蹴った。

「がっ……」

「親友なのは分かっているが……今それを言われると不快だぞ。ついいつものノリで話していたが、今日はデートであろうが」

「あ、ああ、そうだったな」

「……ったく、所有物の分際で、生意気な言葉を羅列しおって……考えて見れば、所有物が私に生涯寄り添うのは当然であろうが」

「お前なあ……」

「ふふっ……」




 次に悠人が向かったのは、ゲームセンターだった。ゲームと聞いた沙耶は上から目線で入っていったが、そこにあるのはアナログゲームばかりだった。

「なんなんだこれは……これがゲーム……だと……」

「ピンボールだ。俺が子供の頃、はやってたんだぞ」

 悠人がまず見本を見せる。左右にあるボタンを器用に押して、落ちてくるボールをはじいていく。ボールが当たるたびに周りのブロックの音が鳴り、点数が上がっていく。同じ要領で沙耶も挑戦する。初めはてこずったが、コツをつかむと高得点をたたき出していった。
 射的、コインゲーム、スマートボールなど、デジタルゲーム以外に知らなかった沙耶にとって、それらは新鮮そのものだった。

「いい時間を過ごせたぞ、遊兎」

 沙耶が上機嫌で商店街を歩く。外に出ると夕方になっていて、少し肌寒くなっていた。悠人が沙耶にジャケットを着せると、沙耶は悠人の腕にしがみついた。

「お、おい沙耶」

「よいではないか遊兎。今日はデートだ」

 腕を絡ませ、沙耶が頬を染めて笑った。



 その後駄菓子屋を回り、道端でたこ焼き、焼きそばと食べ歩く。そうこうしているうちに、いい時間になってきた。悠人が最後に向かった場所、それは通天閣だった。
 レトロな街並みの中、存在感のある出で立ちに沙耶が言葉を失った。エレベーターを上り展望台へ。大阪の街並みが見渡せた。

「遊兎、あれは何だ」

「ああ、あれは双眼鏡だ。見てみるか」

 沙耶が無言で何度かうなずいた。

「おおっ!遊兎、すごいぞ!街がこんなに大きく見える」

 沙耶が子供のようにはしゃぐ。

「遊兎、私たちの住んでいる場所はどっちだ」

「あっちの方角だよ」

「そうか……私は今、あの辺りに住んでいるのだな。遊兎たちと……」

「ああ。お前の街だよ、あそこは」

「私の街……くすぐったいな、遊兎」

 沙耶が照れくさそうに笑う。そうしてしばらく見ていると、時間切れになった視界が、ガシャンという音と共に問答無用で真っ暗になった。

「ひゃ……」

 沙耶が驚いて後ずさった。

「お……終わったのか、遊兎」

「びっくりしたか」

「うむ。『時間だ、消えろ』と言われたような気がした」

「はははっ。どうする?もう一回見るか」

「いや、十分楽しんだぞ」

 そう言って笑い、再び悠人の腕にしがみついた。




 マンションについた二人が、玄関先で言葉を交わす。

「今日はありがとな、沙耶」

「礼を言うのは私の方だ。こんな楽しい時間、生まれて初めてだったぞ」

 目をつむり、胸に手を当てて沙耶がそう言った。

「楽しんでくれたのならよかった。考えたかいがあったよ」

「違うのだ、遊兎よ……」

「え」

「確かに新鮮な一日だった。息つく間もなく、新しい世界をたくさん見せてもらった。だけど違うのだ……私が楽しかったのは、そうだからではない。遊兎、お前といたからなのだ……」

 沙耶がゆっくりと悠人に抱きつき、後ろに手を回した。

「沙耶……」

「遊兎、お前は恋愛ゲームの主人公と違い、鈍感ではない。私たちの気持ちを十分に理解している。だが、私たちの中で誰を選ぶのか、それとも誰も選ばないのか……どちらにしてもそれは誰かが泣くことになる。だからその選択が出来ないでいる。その優柔不断さは、ゲームの主人公と同じなのかも知れぬな……」

「……」

「私も同じ気持ちなのだ……選ばれる方も怖いのだ。今のこの関係を壊したくない、誰もがそう思っている。だがそれは、お前が結論を下したその時に壊れるのかもしれない……それが……怖いのだ……」

「沙耶……」

「私はお前のことが好き……だ……ネットのお前はあたたかくて優しくて、頼りがいのある男の中の男だった。そんなお前はきっと、リアルでも同じはずだ、そう信じてここにきた。そして出会い、私はいい意味で裏切られた」

「……」

「リアルの遊兎。お前はネットの世界よりも男前だった。私はお前に憧れていたが、それは兄に対するような憧れだった。
 北條家に生まれた者としての重圧、周りの期待、私の才能や容姿への畏怖・嫉妬……何もかもに私は押し潰されそうだった。
 だがここに来て私は、初めて生きている実感を持てた。お前のその不思議な包容感は、何とも言えない居心地のいいものだった……私はお前と出会って、本当の私になれた、そんな気がしている。そしてこれからもずっと、そうでありたい……そう思っている……」

「沙耶……何があっても、お前はお前だよ。誰が何と言おうと、俺はお前を肯定してやる。お前は……北條沙耶は最高だよ」

「遊兎……」

 沙耶がゆっくりと顔をあげる。
 悠人が驚いた。
 沙耶の頬に、一筋の涙が流れていた。

「遊兎……お前と出会えて、私は本当によかった……ありがとう、私の……遊兎……」

 沙耶の唇が、悠人の唇に重ねられた。
 沙耶の甘い香りがする。少し震えている唇から、あたたかさが伝わってくる。
 しばらくして、そのやわらかい唇がそっと離れていった。

「沙……耶……」

 耳まで真っ赤になった沙耶が、うつむいたまま言った。

「……遊兎、ありがたく思え。私の、その……ふぁ、ファーストキスはお前のものだ……今日この日のことを忘れないために、私の初めてをお前に……くれてやったのだ……」

「お……俺なんかでよかったのか……」

「俺なんかなどと言うでない。この北條沙耶が、唯一認めた男なのだ。お前はその……最高の男だ」

 そう言うと、沙耶は扉に鍵を差した。扉を開けると最後に、

「今日は……ありがとうございました。明日は小鳥と楽しくな」

 そう言って、部屋の中に入っていった。




「……」

 沙耶の唇の感触が残っている。
 悠人の頭は混乱していた。

 この三日、自分なりに考えて弥生、菜々美、沙耶を楽しませようとがんばった。しかし彼女たちはそれ以上に、自分に対して気持ちをぶつけてきた。それは彼女たちにとって、本当に大変な挑戦だったことは容易に考えられた。
 それなのに自分は、一体何をしているんだ。いい年をした大の大人が、自分の気持ちに向き合うことも出来ないのか……そう思うと、自分が情けなく思えてきた。

 三日連続、電気のついていない部屋に入る。明かりをつけるとテーブルには、おにぎりが置かれていた。メモには、

「おかえり悠兄ちゃん。今日も楽しかった?明日はよろしくね 小鳥」

 そう書かれていた。

 この三日間のこと、小鳥のこと、そして小百合のことが頭の中を巡り、この日悠人はなかなか眠ることが出来なかった。
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