第15話 家出少女・沙耶 その3

文字数 4,767文字

「悠兄ちゃん、ただいまーっ」

「お……おかえり、小鳥……」

 遅かったか……と悠人が額に指を当てた。

「なんだ……女の声がしたぞ、遊兎よ」

 小鳥は洗面台でうがい手洗いをしている。

「あ、ああ。沙耶、今から説明しようと思っていた人が帰ってきたよ。しょうがない、直接説明するか」

「悠兄ちゃん、誰か来てるの?」

 小鳥、沙耶、共に視線が合った途端に動きを止め、互いの瞳を凝視しあった。小鳥の瞳は好奇心そのものだったが、沙耶の視線には明らかに敵意が込められていた。

「悠兄ちゃん、この人は?」

「遊兎、この女は何者だ」

 二人の質問に悠人は困惑した。

「まぁあれだ……とにかくまず小鳥、ここに座ってくれ、今から説明するから」

「うん」

 悠人は立ち上がり、小鳥と沙耶にミルクティーを作って置いた。

「小鳥、俺にネットで知り合った友達がいるって話、したよな」

「うん、カーネルさんでしょ。もうすぐここに来るって。あ……この人、そのカーネルさんのお知り合い?」

「いや、小鳥……実はこいつが……カーネルなんだ」

「え?」

「いや、だからな、俺もさっき知ったばかりなんだが、実はカーネルは男じゃなく女で、今目の前にいるこの子……北條沙耶さんがカーネルだったんだよ」

「カーネルさんが……女の子?」

「ああ、そうなんだ。それとな、実は沙耶、遊びにじゃなくて、ここで住むために来たらしいんだ。それでな、家が決まるまでの間、しばらくここで住ませてやることになったんだ……が……」

 小鳥はしばらく呆気にとられていた。悠人は悠人で変な汗をかいていた。何で俺がこんなにパニくってるんだ?そう思いながら。

「そうなんだ」

 その声に悠人が見ると、小鳥はいつもの表情に戻っていた。

「……カーネルさんは実は女の人で沙耶さん……こっちに引越ししてくるから、しばらくここに住む、分かったよ悠兄ちゃん」

 小鳥が親指を立てて笑った。

 よく分からないが、小鳥は俺の言うことは100%信じてくれるんだよな……そして俺の決めたことを全肯定してくれる。これってある意味、男冥利につきるよな……そう悠人が思った。

「すまんな小鳥」

 悠人が小鳥の頭を撫でた。

「沙耶さん、よろしくね」

 悠人の手に満足そうな笑みを浮かべ、小鳥が沙耶に言った。

 一方の沙耶は、悠人に頭を撫でられて喜んでいる小鳥に激しく動揺していた。



 コノオンナハ、イッタイナンナノダ……



「沙耶、紹介するな。こいつは水瀬小鳥。俺の幼馴染の娘で……」

「未来の嫁でーす!」

 そう言って小鳥が敬礼した。

「こら、嫁はいいから」

「だって、同居人に私たちの関係を伝えておくことは必要でしょ」

「だーかーらー」

 一つ咳払いをして悠人が言う。

「卒業旅行ってことで、しばらくうちに泊まってるんだ」

「そして今、悠兄ちゃんのお嫁さんになるべく修行中なのです」

「頼むから、話をまとめる方向に持っていってくれって」

 そう言って悠人が沙耶を見ると、沙耶はわなわなと震えていた。

「な……な……」

「沙耶?」

「よ……嫁……だと……」

 沙耶の中にある何かがはじけた。

 やっと巡り合えた友。それを目の前にいるこの女は、自分のものだとばかりの宣言をした。それは許されないことだった。

「よろしく、沙耶さん」

 そう言って小鳥が手を差し出した瞬間だった。



 パシッ……



「え……」

 小鳥の頬を沙耶が張った。

「こ……こ……」

 うつむいたまま肩を震わせる沙耶。

 悠人が気付いた。テーブルの上にポタポタと沙耶の涙が落ちていた。その涙に、沙耶自身も驚いていた。



 ナゼ、ワタシハナイテイルノ……



「この泥棒猫があああっ!」

 そう叫んだ沙耶は、再び小鳥の頬を張ろうとした。しかしその手は、小鳥によってつかまれた。

 見ると小鳥は、口を真一文字に結び、沙耶を凝視していた。対する沙耶は、涙で顔をぐしゃぐしゃにして小鳥を睨みつけている。

 涙の理由はよく分からない。ただ、溢れ出る涙は止めようがなく、そしてその涙が、これまで抑制していた感情を爆発させようとしていることを強く感じた。もう止められなかった。

 パンッ!

 小鳥が沙耶の頬を張った。

「え……」

 悠人が驚く。悠人の中の小鳥は、たとえどんな理由があろうとも、決して人に手をかけたりするような子ではなかったからだ。

「お、おい小鳥、それに沙耶も、喧嘩するなって」

 悠人が間に入ろうとする。しかしそれを小鳥が制した。

「ごめんね悠兄ちゃん。でも分かって。女には言葉じゃなくて、拳でしか語れない時もあるの」

(いやお前、それ男のセリフだぞ……)

「沙耶さん、あなたが私を殴った理由、なんとなく分かるよ。だからいいよ、私もその思い、拳で受け止めてあげる。そしてあなたの思い、吹き飛ばしてあげる!」

「こ……この、この、よくも……よくも私の顔を……!」

 言葉と同時に沙耶が小鳥に飛び掛っていった。そこからはつかみ合いの喧嘩だった。

「この泥棒猫!」

「うるさいこのツンデレ!」

 止めようと思えば悠人も男、自信はあった。しかし悠人も小鳥と同じく、こうなったらとことんやりあった方がいいと思った。

 薬箱を持ってくると、すぐにでも止められる場所から二人の戦いを見守った。

 戦いは数分でけりがついた。最初は互いに手足をばたつかせての打撃戦だったが、力で勝る小鳥が固め技へと移行していき、最後はなんと、プロレスの王道技であるエビ固めを極めた。

 足を持ち上げ、腰を破壊しにいく小鳥。

「うううっ……ああっ!」

 沙耶がたまらずタップした。タップを確かめた悠人が、小鳥の肩を叩いた。

「ギブアップだ、小鳥」



 まず氷をくるんだタオルを二つ用意し、二人に渡す。二人とも、初めにくらったビンタで頬が赤く腫れていた。

「……ったく、女二人が可愛い顔を腫らしてどうするんだ」

 そう言いながら悠人が、二人の体を確認する。小鳥は親指を立てて、

「私は大丈夫、ダメージはほっぺだけだから」

 そう言った。沙耶の膝が少し擦り剥けていたので、そこに消毒液をつけたあと絆創膏を貼る。

「い……痛っ……」

 沙耶が消毒液に、か細い声をあげた。

「当たり前だバカ。いい年して取っ組み合いの喧嘩なんかしやがって。しかも男の目の前で……ほらっ」

 絆創膏を貼り終え、絞ったタオルで沙耶の顔を拭いた。

「涙でぐしゃぐしゃじゃないか、お前の顔」

「ふにゅ……」

 沙耶がしゅんとなってうつむいた。

 悠人は再び紅茶をいれ、二人に差し出した。

「とにかく飲め。飲んだら落ち着くから」

「ありがと、悠兄ちゃん」

 小鳥も椅子に座って紅茶を飲む。沙耶もしばらくうつむいていたが、悠人の手が再び頭に乗ると、小さくうなずいて紅茶を一口飲んだ。

「甘い……だが、うまい……」

「興奮してアドレナリンが出まくっただろうからな、砂糖増量だ」

「この甘み、絶妙だね悠兄ちゃん」

「まーな。どうだ沙耶、少しは落ち着いたか」

「……」

 カップを置いた沙耶が小さくうなずいた。

「うむ……大丈夫だ、問題ない……」

「そうか、よかった。それでどうだ、小鳥が言うところの、拳での決着で何か生まれたか」

「う、うむ……」

 沙耶が照れくさそうに笑った。

「……気にいったぞ、水瀬小鳥。私に拳で語ろうと言ってくれたこと、そして全力で私の相手をしてくれたこと。何より最後の極め技がエビ固めとは」

「あ、沙耶さん、エビ固め分かるの」

「分からいでか!レスラーが新人時代、先輩から洗礼として受ける必殺技!地味さ故に極め技として使われにくいのだが、その破壊力は語りつくせず。何よりあの『格闘王・前田日明』が異種格闘技戦で出したプロレスの必殺中の必殺技だ!」

「すごいすごい、沙耶さんプロレス分かるんだ!」

「専門は昭和プロレスになるがな」

「悠兄ちゃん、小鳥、こんなところで生涯の友に出会えたかも」

「友ってお前……ああそうか、小百合もプロレス好きだったからな。お前もか」

「大好き!総合よりも受けの美学が存在するプロレスが好き!悠兄ちゃんも好きだって聞いてるよ」

「ま……まぁそうだな、俺は昭和も今のも全部好きだけどな」

「おおそうか、遊兎も好きであったか!これは余りにも嬉しい偶然だぞ!」

「そ……そうか……」

(女の子二人とプロレスの話で盛り上がるってのは、ある意味アニメよりディープだよな……)

「で、水瀬小鳥よ」

「小鳥でいいよ、沙耶さん」

「そうか……ならば小鳥、私のこともサーヤと呼んでくれ。お母様はいつも私のことをそう呼んで下さっていた。小鳥、お前には私のことをそう呼んでもらいたい」

「わかった、サーヤ」

「おいおい、よく分からんがお前らその……仲直りというか、意気投合したということでいいのか」

「無論」

「当然」

「なんっつうかその……プロレスで?」

「それもある。あの美学を理解し、愛する者に悪人はいない。だがそれ以上に、初めて会った人間にここまで真剣にぶつかってくるのだ、悪人のはずがない」

「激しく同意!」

 小鳥が沙耶の手を握った。

「私たち、絶対いい友達になれると思う。拳を交えて、サーヤの気持ちも十分伝わったよ。だからサーヤ、これからもライバルとして一緒に仲良く戦おう」

「なんだその……ライバルって……」

「悠兄ちゃんは分からなくっていいの」

 小鳥のその言葉に、沙耶が赤面した。悠人への気持ちが、小鳥に見抜かれていた。
「うむ、遊兎、これは女の友情の話だ。お前が入ってくる余地はない」

「そうかよ……」

 頭をかきながら悠人は苦笑した。

「まぁとにかくなんだ、そういうことだから小鳥、今日からしばらくの間、沙耶をよろしくな。沙耶も、よろしくな」

 そう言って沙耶に手を差し出す悠人。沙耶が見上げると、沙耶を包み込むような温かいまなざしがあった。

「うむ……頼むぞ、遊兎」

 沙耶が悠人の手を握った。その上から、小鳥の手が重ねられた。



 その後三人は、改めて小鳥の作ったカレーを一緒に食べた後、それぞれ自分の部屋で床についた。沙耶には悠人の隣の部屋、四畳半の和室に布団を出した。



 沙耶は早々に眠りについた。

 念願かなって家を出たこと、憧れの悠人に出会えたこと、初めて出来た同性の友人小鳥のこと、そして本気の喧嘩……全てが新鮮だった。その一つ一つに思いをはせ、新しい人生のスタートに胸を躍らせていくうちに、眠りに落ちていった。悠人の匂いに包まれながら……



 小鳥日記の筆は進んだ。悠人の嫁になるために戦うべきライバルが、また一人増えた。しかし、弥生の時も感じていたが、小鳥は沙耶のことも応援したいような気持ちになっていた。恋敵を敵としてでなく、友として大切にしたい、そう思っていた。

(私って甘いのかな、お母さん。でも……いいよね)

 布団にもぐると、小百合の声が聞こえたような気がした。

「自分に正直になるタイミング、逃しちゃ駄目よ。でないと小鳥も、母さんのように悔いを残しちゃうからね」

「分かってる、分かってるよ、お母さん……大丈夫だから安心してね」



 悠人は煙草を吸いながら、今日一日を振り返っていた。今日はカーネル、沙耶と初めて会った。にも関わらず、なぜか悠人の頭の中には小鳥がいた。

 今日二人が喧嘩を始めた時は、どうしようかと真剣に思った。

 子供の頃から人が争うことを極端に嫌っていた彼にとって、目の前で本気の喧嘩が繰り広げられることなど、あってはならないことだった。

 しかし不思議だった。あの、人が争う時に感じる心の痛みや嫌悪感を今日、感じなかった。それどころか、喧嘩の先にある新しい展開が見えていた。それはなぜなのか。彼は自問した。そしてその結果として出てくるのは、やはり小鳥の顔だった。

(不思議な子だな、本当に……)

 煙草を消した悠人が布団にもぐった。明日もまた仕事。そして仕事から帰ってからが楽しみだった。また小鳥の笑顔を見れる……それが何より今、悠人が求める楽しみになっていた。
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