第43話 桜を見に行こう その3

文字数 3,366文字

 道は比較的すいていて、特にストレスを感じることなく運転出来た。

 ふと助手席を見ると、いつの間にか弥生は眠っていた。
 サービスエリアから出る前、帽子効果もあって再び勃発した、第二次助手席争奪戦を勝ち取った弥生。興奮の余り立ちくらみを起こして薬を投入、その後突き抜けたテンションで悠人に話しかけていたのだった。
 しかし昨夜からの寝不足に車の揺れが睡魔を誘い、満足に話をすることもなく眠ってしまったのだった。
 高速を降り、信号待ちで後ろを振り返ると、小鳥も沙耶、菜々美も眠っていて、深雪が一人、景色を眺めながらビールを飲んでいた。

「みんな、寝ちゃいましたね」

「この様子だと、昨日は眠ってないようだね」

「ははっ」

「たかが花見でここまで楽しみにさせるとは。少年、君はやはり面白いね」

「俺ですか」

「ああ。みんな君のことが、本当に好きなんだよ。39歳にして巡ってきた春、世の中年たちの希望の光だね」

「変な褒め方しないで下さい」

「ふふっ」

「で、ここからどっちに向かえばいいんですか」

「ああ、越前海岸に向かってくれたまえ。近付いてきたら、道を教えられるはずだ」

「分かりました」



 それから更に一時間ほど車を走らせると、視界に海が入ってきた。窓を開けると、潮風が気持ちよかった。

「海、穏やかですね」

「そうだね。こんなに穏やかな海を見ていると、冬の海が嘘のようだ」

「そうなんですか」

「ああ。冬の海は、本当に厳しいんだ。次から次へと打ち寄せてくる荒波は力強くて、まるでそう……父親のようだ。確かそんな歌もあったような……それに比べると、春の穏やかな海は母親のようだね」




 しばらくして深雪の指示で、車は海岸沿いから山道へと入っていった。そしてほどなくして、人の気配を感じさせないような入り組んだ場所に、車が一台止まっているのが見えた。
 その隣に車を止める。

「ここからは少し歩きなんだ」

「分かりました。弥生ちゃん、着いたよ」

「……」

「弥生ちゃん、起きれるかい?おーいみんな、着いたよ」

 何度か声をかけ、ようやく4人が目を覚ました。

「ふわぁ……悠人さん、到着でありますか」

「おはよう弥生ちゃん。ここから少し歩くみたいだ」

「悠兄ちゃんごめんね。小鳥、いつの間にか寝ちゃってたみたい」

「いいよ。小鳥も昨日、ほとんど寝てなかったろ」

「みなさん、おはようございます」

「沙耶、涎ふけよ」

「すいません悠人さん、悠人さん一人に運転させておいて私ったら……恥ずかしいです」

「あ……あはははっ……菜々美ちゃん、とにかく降りようか」

 大量の弁当を分担して持ち、6人が細い獣道を歩きだした。

「深雪さん、ここって……」

 少し歩くと立て札があり、「私有地につき立ち入り禁止」と書かれていた。

「いいんですか?」

「大丈夫だよ。さあ、もう少しだ」

 木が生い茂り、太陽の光を遮っていた。少しひんやりとするその場所で、耳に入るのは波の音と、自分たちの足音だけ。不思議な空間だった。
 やがて、前方が明るくなってきた。

「着いたよ」

 深雪が振り返ってそう言った。皆がその声に足を速めると、一気に道が開けた。

「うわあ……」

「なんと」

「すごい……」

 そこはさっきまでの獣道とはうって変わり、太陽の光がさんさんと降り注がれる開かれた場所だった。そしてその中心に、見事な一本の桜の木が悠人たちを迎えていた。

「これは……」

「見事な桜だな」

 悠人の腕をつかみ、小鳥が言った。

「悠兄ちゃん……夢の中みたいな景色だね」

「そうだな。この場所だけ、現実から切り取られたみたいだ」

「きれい……」

「どうだね乙女たち。ここが今日の宴の席だ」

 その時、彼らの前に一人の男が姿を現した。

「やあ、深雪」

 年の頃は30歳前後、穏やかな顔をしたその男が、深雪に笑顔で声をかけた。

「久しぶりだね、修司。今日はわがまま言ってすまないね」

 そう言って深雪は、修司と呼ぶ男性に近付いていくと、抱擁を交わした。

「えっ」

「なななんと!」

 思わず5人が息を飲んだ。

「彼の名は坂本修司くん、私の福井の男で、今日ここを提供してくれた地主さんだ。修司、彼らがこの前話した、私の新しい友人たちだ」

「はじめまして、みなさん。いつも深雪がお世話になってます」

 修司が頭を下げた。悠人が慌てて頭を下げる。

「あ、いやこちらこそ。今日はどうも、お世話になります」

「ちなみに今日泊まるのも、彼の旅館だ」

「と言っても僕はただの従業員で、親父の物なんですけどね」

 修司が軽く笑った。

「深雪さん、深雪さん」

 弥生が深雪の袖をつかむ。

「このお方のことを『福井の男』と紹介されましたが、まさか深雪さんは、47都道府県に港を持つ船乗りさんなのですか」

「流石に全県制覇は出来てないが、まあそれなりにね」

「なんと、正にリアルプレイガール!」

「はははっ、みんな驚いてるじゃないか。深雪、ちゃんと話しておかないと。まあそれはともかく、今日はゆっくり楽しんでください」

「あ、は、はい。よろしくお願いします」

「この桜は今日一日、私たちの貸切だからね。さあ小鳥くん、用意しようか」

「は、はい。サーヤ、手伝って」

「う、うむ……」

 深雪の言葉に、小鳥もうなずいた。荷物を置き、桜の周りにシートを敷き、その上に料理を置いていく。

「じゃあ、僕は旅館に戻っているよ。余り遅くならないようにね、ここらはまだ陽が落ちると肌寒いから」

「え?修司さんはご一緒しないんですか?」

「僕は仕事が残ってるんで。じゃあまた夜に」

「ああ、ありがとう修司。また夜に」

 再び修司と抱擁を交わし、深雪が笑顔で言った。




 修司が去った後、深雪に修司のことを聞きたい衝動が、悠人以外全員にあった。だが今その話題に触れると、この場の雰囲気を壊しかねないと、全員がその話題を避けていた。

「悠兄ちゃん、用意できたよ。座って座って」

「ああ」

 悠人は基本、他人の恋愛には干渉しない主義だった。恋愛の形は人それぞれ、自分の価値観を押し付ける気もなかった。
 例え深雪に何人付き合っている男がいようと、それは深雪の自由と思っていた。悶々としている4人とは違い、悠人は全く意に介していなかった。
 それより悠人は、目の前に広げられた料理の量に圧倒されていた。

「悠兄ちゃん、いっぱい食べてね」

「悠人さん、私めは三日前より仕込みに精を出し、悠人さんに満足して頂ける料理を持参致しました。是非是非ご堪能ください」

「あの……悠人さん、私のもどうぞ。勿論、みなさんで召し上がっていただけるよう作ってきたんですけど、悠人さんにいっぱい食べてもらえたらって思って……だって悠人さん、まだ病み上がりだし、食べて元気になってもらいたくって」

「遊兎、これはお前の分だ」

 沙耶がバナナを一本差し出す。

「ぷっ……」

 深雪がまた吹き出した。

「あははははっ、いや全く、本当に飽きないね」

「深雪さん、笑い事じゃないですよ」

「いやいや少年、39歳にして訪れた、誰もがうらやむハーレムじゃないか。しっかり食べてあげたまえ」

「他人事だと思って……」

 そう言って悠人が、小鳥の差し出した皿から卵焼きを一つ口に入れた。

「ん……うまいっ!」

「ほんと、悠兄ちゃん」

「お前ほんとに小百合の娘か?この塩加減も焼き具合も最高だよ」

「やたーっ!どんどん食べてねー」

「悠人さん、あーん」

 弥生が、ポテトサラダを悠人の口元に持ってくる。悠人は一瞬ためらったが、弥生の勢いにおされて思わず口を開けた。

「うまい……」

「だしょだしょ!」

 弥生が腕にしがみついて言う。

「ちょ……弥生ちゃん胸、胸当たってるって」

「あー、ずるい弥生さん」

「やっぱり男心をくすぐるには、この胸とポテトサラダ。あと味噌汁ですよね」

「そ、そんなことないです。男心には肉じゃがなんです」

 菜々美が肉じゃがを盛り付け、真っ赤な顔で皿を差し出した。

「これはこれは菜々美殿、肉じゃがとはまた古典的な」

「古典的じゃないです、私ちゃんと調べてきたんですから。男性には肉じゃがだって」

「菜々美殿、それは都市伝説ですぞ」

「え!うそ、うそっ!」

「全く菜々美殿はかわいいですな」

 悠人へのアピールがひと段落つくと、6人は各々座り、ようやく食事が始まった。

「沙耶」

「なんだ遊兎」

「バナナありがとな。後でデザートにもらうからな」

 そう言って沙耶の頭に手をやった。

「ふにゃ……」
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