第27話 初めてのデート その3

文字数 5,715文字

「小百合?」

「悠人……」

 声に振り向くと、公園のベンチに座る悠人が手を振っていた。

「なんか……久しぶりだね」

 小百合はそう言って、悠人の隣に座った。

「そうだな……高校までは毎日一緒だったから、なんかすごく久しぶりな気がするな」

「一週間もたってないのにね」

 そう言って小百合が小さく笑う。

「でも会ったって言っても、すれ違いざまに簡単な近況報告、だもんね。そう思ったらゆっくり話したのって、かなり前になるよね」

「どうだ?大学のほうは」

「うん、それなりに。友達ともよく遊びに行くし、サークルのみんなも優しいし」

「そっか。まぁ楽しくやってるならいいさ」

「悠人は?」

「俺か?俺は相変わらずだよ」

「どうせまた、一人で講義受けて、終わったらまっすぐ帰ってるんでしょう。一人で」

「今の大学にはお節介な保護者もいないしな」

「悠人君、それはもしかして私のことを言ってるのかな」

 拳を握って小百合が言う。

「ははははっ」

「ふふふふっ」



「でも、ほんと久しぶりだな、こんな感じでお前としゃべるのも」

「別々の大学で生活サイクルも変わって、行き違いばっかになっちゃったからね」

「最初の頃はお前も、夜になったら俺の部屋に来てたんだけどな」

「それってちょっと、いやらしくない?」

「全然。子供の時は風呂も一緒だったんだ。今更やらしいも何もないだろ」

「それはそうだけど」

「大体夜って言ったらお前、去年の今頃、毎晩俺の家に泊まり込んでたじゃないか」

「それは悠人の家庭教師だったからじゃない」

「そうだけどな。その節は本当にお世話になりました」

 悠人が大袈裟に頭を下げた。

「いえいえとんでもない。出来の悪い生徒だったけど、なんとか合格させることも出来たし、先生としては満足でしたよ」

「お前とは頭の出来が違いすぎたからな。お前は推薦、俺はランクをひとつ下げてもぎりぎりだったしな」

「でもあの頃、楽しかったよね」

「いやいや、お前のスパルタには正直まいったぞ」

「そう?かなりソフトに教えてあげてたつもりだけど」

「手元に手鍋を置いてる時点でおかしいだろ、それ」

「だって悠人ったら、自分の受験勉強なのに、すぐうとうとするんだから」

「にしても、手鍋でどつかれた身になってみろよ」

「でも本当、楽しかったよ。学校が終わったらすぐに悠人の家に直行」
「監禁」

「おばさんのご飯食べて楽しく勉強」
「洗脳」

「悠人の家が自分の家みたいになってたもんね」
「占領軍」

「……さっきから聞いてたら、ほんと私、悪魔みたいじゃない」

「自覚なかったのか?」

「もっかい監禁したろか」

「はははっ、もう一回あれをやれる自信はないな」

「でも私、ほんとに楽しかったよ。子供の頃からずっと一緒だったけど、あんなに悠人とべったりなんてこと、なかったもん」

「年末からは完全泊まり込みだったしな」

「でも悠人の最後の追い上げ、本当すごかったよ。私の方が体力負けしてたもん」

「まあ、人生で一番頑張った瞬間だったからな。気がついたらお前の方が、先にコタツで寝てたし」

「そうそう。そして私の寝顔に悠人が発情して」

「するかアホ」

 赤面して、悠人が頭をかいた。

「……でもずっと一緒にいて、俺もいつの間にかそれが当たり前みたいになってたな。学校が終わったらいつも一緒で……」

 そう言って悠人が小百合の顔を見た時、一瞬合った目が動かせなくなった。
 小百合の顔が夕日で紅く染まり、それが悠人には、どうしようもなく美しく、そして愛おしく見えた。
 小百合も悠人を見つめる。そして視線はゆっくり悠人の瞳から下がっていき、唇に移っていった。そして次の瞬間、小百合は赤面した。

「小百合……」

「え、何?悠人」

「顔が赤いぞ。大丈夫か」

「ゆ、夕日のせいじゃない?」

「あ、ああ、そうか……そうだよな、ははっ」

 そう言って悠人が再び頭をかいた。

(悠人……)




 半年前。悠人の大学受験前日。
 この日、リラックスして試験に望もうとの小百合の提案で、二人は遊園地に来ていた。考えてみたら長い付き合いだが、二人で遊園地に来たのは初めてだった。

(周りから見たらこれって、デートに見えちゃうかな……)

 そんなことを考えるうちに顔が赤くなり、妙にテンションがあがっていくのを小百合は感じていた。
 悠人を合格させる為、悠人の家での生活が始まってからというもの、小百合は毎日が楽しくて仕方なかった。
 これまでで一番悠人を近くに感じていた。手を伸ばせば、すぐ近くに悠人がいる。そして心の距離も、今まで以上に近く感じていた。その気持ちは日がたつにつれて強くなっていき、いつしか小百合は、自分の思いを認めざるを得なくなっていた。


(私は、悠人のことが好きなのかもしれない……)


 これまでも、悠人とはずっと一緒にいた。でもそれは「家族」としてだった。
 誰よりも自分のことを理解してくれる幼馴染。いつまでも離れることのない存在、それが悠人だった。
 しかし受験生活の中で育まれていった思いは、「家族」としてではなく「異性」としての悠人だった。
 その思いに小百合は動揺した。悠人に悟られまいと、いつも以上におどけたり、勉強を教えることで自分の気持ちを隠そうとした。それは小百合の中にあった、怖さから来るものだった。
 悠人とは家族として、幼馴染としてこれまで共に育ってきた。その関係は心地よいものだった。

 小学校の時、泣きながら頭を撫でてくれたあのぬくもりを、小百合は失いたくなかった。異性として悠人を意識した時、そしてそれを悟られた時、今のこの関係は間違いなく変化する。その時二人は、男と女として結論を出さなくてはならなくなる。
 悠人を失うことを、小百合は何よりも恐れていた。
 互いの気持ちが男と女の関係へと変化すれば、今のままの二人ではいられなくなる。最悪の場合、今の幼馴染としての関係も壊れてしまう。だから小百合は、その思いを自分の中に隠し続けてきた。
 しかし一度灯った思いは、簡単に消せるものではなかった。思いは日に日に強く、確かなものになっていった。
 今日一日だけでいい、素直になって夢を叶えさせて欲しい。小百合にとって精一杯のわがままだった。勿論、受験を前日に控えた悠人に告白する気はなかった。ただ今日は、意地や見栄を捨てて悠人と一緒に楽しみたい、そう思っていた。

 小百合に手を引かれながら、悠人はこの日一日、遊園地中を連れまわされた。ジェットコースターが好きな小百合のおかげで、5回連続乗って死にそうになったり、その後のコーヒーカップでとどめをさされたり、体力的にも限界の受験生にとっては過酷な一日になった。
 しかしそんな中でも悠人は、小百合がここ最近で一番楽しそうにはしゃいでいることを感じ、嬉しく思っていた。だから悠人は小百合の要求に全て応じた。



「こういうのって、人が見たら恋人に見えるよね」

 ベンチに座り、そう言って小百合は自分のグラスにストローを二本さした。

「お前……いつの時代の少女漫画だよ」

「いいじゃないこれぐらい」

「……ったく」

「へへっ」

 そう言って一緒にジュースを飲んだ。

「あれ……欲しい!」

 UFOキャッチャーで、青い小鳥のぬいぐるみを見る小百合の為に、1000円つぎ込んだ。取れた時、小百合は嬉しくて悠人に抱きついてしまった。



 陽が落ちてきた頃、二人はこの日の締めとして、お決まりの観覧車に乗った。ゆっくりと夜景が動いていく。狭い空間で優しいBGMが流れる中、小百合が口を開いた。

「悠人、今日までよく頑張ったね」

「それはこっちのセリフだよ。小百合、ほんとありがとな」

「悠人なら大丈夫、絶対合格するよ」

「だといいんだけど……ははっ」

「またぁ。すぐそうやって不安そうな顔をする」

「いや……楽しかったから忘れてたけど、俺って明日、受験だったんだよな」

「もぉ、今からそんな弱気でどうすんのよ」

「……だな、ここまで来てじたばたしても仕方ないよな」

「そうそう。絶対大丈夫だから。自信持ってよね、悠人」

「でも……今日で終わりなんだな、こんな時間も」

「あ……」

 悠人の言葉に、小百合がはっとした。
 そうだ……合格にしても不合格にしても、悠人の家で一緒に過ごした生活は、今日で終わりなんだ……そう思うと急に、小百合の中に寂しさがこみ上げてきた。

「そっか……そうだよね、こうして悠人と毎日いるのも、今日が最後なんだね」

 その言葉に悠人が、しまった、今する話題じゃなかった、そう猛烈に後悔した。小百合はうつむき、小さく震えながら懸命に笑みを浮かべようとする。

「ダメダメ、今日はリフレッシュの一日なんだから、しめっぽくするのはやめよう!」

「……すまん小百合、悪かった」

「悠人までしめっぽくなっちゃダメだよ。ねえ悠人、隣に行ってもいい?悠人に渡すものがあるんだ」

「え……ああ、いいよ」

 悠人の隣に座ると、小百合はカバンの中から、ラッピングされた包みを出した。

「今日まで小百合先生によくついてきました。これはそのご褒美です。ちょっと早めの……バレンタインチョコ」

「バレンタイン……確かにちょっと早いな。でもありがとう」

「今年は私の手作りケーキだからね」

「えっ!」

「なによその顔。私ももうすぐ18歳なんですからね」

「いや……そうじゃなくてお前、料理には近付くなとあれほど」

「ケーキぐらい作れるって。これでも勉強してるんだから」

「そ……そうか……あ、ありがとう」

「とりあえず一口いっとこうか、悠人君」

「今……ですか」

「うん」

「……明日受験を控えた私の胃袋に今、ですか?」

「ねじこまれたい?」

「いやいやいやいや」

 慌てて包みをあける悠人。見た目には、いかにも女子高生が作りそうな可愛いケーキだった。しかしかつて悠人は、このような状況で地獄を見た経験があった。その時の忌まわしき記憶が今、鮮明に思い出された。

「どうぞ、悠人君」

「あ……ああ……じゃあ、いただきます……」

 生唾を飲み込み、意を決して悠人が口の中に放り込んだ。目をつむって口を動かす。

「……どう?」

「あ……う、うまい」

「本当?」

「ああ、すごい!すごいぞ小百合!これはほんとにうまい!」

「やったーっ!」

 小百合が悠人に抱きついた。

「私も食べるーっ!」



 帰りの電車の中で、小百合はもう一つのプレゼントを悠人に渡した。それは小百合手作りのお守りだった。
「小百合大明神の加護」と筆で書かれたお守りに、悠人は吹き出した。

「なんだこれ……ほんとの神様に叱られるぞ」

「これでいいの。これ持ってたら、間違いなく合格だから」

「こういうセンスは本当、昔っから変わらないよな」

「それが私の取柄だから」

「そうだな。ありがとう小百合、なんか俺、やる気が出てきた」

「よし、それでこそ私の一番弟子」

「保護者から、いつの間にか師弟関係かよ」

「えへへっ」



 風呂からあがり、羊のようにもふもふしてると悠人が笑った寝巻きに着替えると、小百合が部屋に戻ってきた。

「悠人も入っておいでよ。今ならまだお湯、あったかいよ……あれ?」

 悠人はコタツで眠っていた。コタツの上には参考書が広げられている。

「やっぱ……不安は取れないよね……」

 そう言って悠人の肩に毛布をかける。

「大丈夫、大丈夫だからね、悠人……今までがんばってきたんだから……」

 髪を優しく撫で、寝顔を見つめる。

「悠人……」

 潤んだ瞳は悠人の唇に向けられた。

「ご褒美なんて、いらないって思ってたけど……」

 そう言って瞳を閉じる。悠人の唇に、小百合の唇がそっと重ねられた。




 臆病な私は、今も気持ちを打ち明けていない……悠人との関係を壊したくないって思っていたのに、大学に入ってからどんどん疎遠になっていって……何やってるんだか……

「小百合、どうした?」

 悠人の声に、小百合が我に帰った。

「あ、あははははははっ」

「なんだ、その取ってつけたような笑いは」

「ほんと、悠人のそういう突っ込みって容赦ないよね」

「で、今日も部活だったのか」

「うん。サークルの打ち合わせ。もうすぐシーズンだからね」

「スキーって、色々金がかかりそうだよな」

「おかげでバイトばっか。なにしろ旅費も全額自費だから」

「大変だな、お前も」

「そういう悠人こそどうなのよ、最近は」

「俺か?俺はいつも、どこにいても俺のまんまだよ」

「そっか。相も変わらずアニメとゲーム。友達も作らず一人我が道。折角大学に入ったんだから、悠人も同好会とか入ったらいのに。漫研とか天文部とか色々あるでしょ、悠人に向いてそうなやつ」

「友達を作らないんじゃない、きっかけがないだけだよ」

「その気にならないと、友達なんて出来ないでしょ」

「頑張ってまで友達が欲しいとは思ってないな。一人でも何かと忙しいんだよ、俺は」

「孤高のヲタク、なんかちょっとだけかっこいいけどね」

「お前はどうだ?いい友達できたか?」

「もちろん。あ、そうだ。その中で一人ね、かっこいい人がいるんだ。柴田先輩って言うんだけどね、スキーもうまいし優しいし、サークルでも人気者なんだ」

「かっこいいって言うことは、男なのか?その柴田ってやつは」

「そうだよ。私と三つしか違わないんだけど、なんて言うのかな、大人な雰囲気って言うか……他の大学の子からも告白されたりしてるんだよ」

「そっか」

「家もお金持ちらしいんだ。それなのに飾ったところもなくて、私みたいな初心者にも優しく教えてくれるんだ」

「……」

「悠人?どうかした?」

「いや、別に」

「悠人もしかして……むふふっ、妬いてる?」

「んなことねぇよ」

「大丈夫だよ、私はいつも悠人のそばにいるからね。なんたって保護者なんだから」

 その時小百合の携帯がなった。

「あ、はい水瀬です……はい、大丈夫です……今からですか?あ……はい、分かりました」

 携帯をきった小百合が慌てて立ち上がった。

「ごめん悠人。急に呼び出しきちゃった」

「サークルか?」

「うん。ごめんね」

「謝ることなんかないだろ。ほら、急がないと遅れるぞ」

「うん。じゃ、また」

「おう、気をつけてな」

「またね」

 小百合が慌しく走っていった。



 気がつくと暗くなっていた。小百合が去り、辺りは静けさに包まれていた。

「俺も……帰るか」

 そうつぶやき、悠人は家路へと向かった。
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