第5話 小鳥と始まる日常 その3

文字数 3,218文字

「さ……流石に買いすぎだろ……」

 ここに越してきた時でも、ここまで買い物をした記憶はないな……そう思いながら悠人が鍵を開けようとした時、ドアの隙間に挿してある一枚の紙に気付いた。

 宅配便の不在表で、家に入り連絡すると、15分ほどして業者が荷物を持ってきた。荷物はダンボール二箱と、細長く厳重に梱包された筒状の箱だった。

 ダンボールには小鳥の服、その他もろもろの日用品が入っていた。

「女の子にしては少ない荷物だな……まぁ3ヶ月だからこんな物か……で、これは何なんだ?」

「ふっふーん、これはね」

 そう言って小鳥が筒状の梱包を外していくと、中から三脚と望遠鏡が出てきた。

「結構高そうなやつだな」

「これは、小鳥がバイトしまくって買った宝物。悠兄ちゃんの天使の次に大切な物なんだ。悠兄ちゃんと一緒に星が見たかったから、これは持ってこようって決めてたんだけど……でもここって星、ほとんど見えないんだね」

「昔はもう少し見えてたんだけど、街が明るくなりすぎたからな。過疎ってきてるとはいえ、これでも都会なんだよな……ま、3ヶ月ここにいるんだから、そのうち山にでも連れていってやるよ」

「楽しみにしてるね。でも悠兄ちゃん、春先でこんなんだったら、夏なんて見える星ないんじゃないの」

「この街で間違いなく見える星って言えば、月ぐらいかな」

 その言葉に反応した小鳥が、

「月って言えば……」

 そう言ってダンボールの中に手を入れ、何やら冊子のような物を取り出した。

「じゃーん!」

「だから……じゃーんなんて擬音、リアルで口にするやつはいないぞ……ってこれ」

 それは月の土地権利証書だった。



「お前、月の土地持ってたのか」

「悠兄ちゃん、ここここ。ここ見てよ」

 小鳥が指差すそこは権利者の欄だった。そこには悠人の名前が記載されていた。

「これって、俺の土地なのか?」

「悠兄ちゃん、小鳥に約束してくれたでしょ。大きくなったら小鳥と結婚して、月で一緒に暮らしてくれるって。だから小鳥、未来の旦那様の名義で買ったんだ」

「なんとまぁ、5歳の時の約束をしっかり覚えていたとはな……ちょっと待ってろ」

 悠人は笑って立ち上がり、洋間に入っていった。ごそごそと音がしてしばらくすると、小鳥が手にしているのと同じ物を持ってきた。



「ほら」

「え……?」

 悠人が開いたその権利証書には、小鳥の名前が記載されていた。

「悠兄ちゃん……?」

「なかなか面白いイベントになったな、これって」

 そう言って悠人が笑った。

「……」

 悠兄ちゃんも約束、覚えていてくれたんだ……小鳥の胸が熱くなった。

「ではお互いに贈呈式を」

 悠人がそう言って小鳥に権利証書を渡す。

「……ありがとう、悠兄ちゃん」

 権利証書を抱きしめる小鳥。そして小さく肩を震わせた。

 その小鳥の頭を、悠人の大きな手が包み込む。

 あたたかい感触。あの時と同じ、忘れたことのないぬくもり……

「悠兄ちゃんっ」

 そう言って小鳥は悠人に抱きつき、胸に顔を埋めた。

「甘えん坊な所は、あの頃のまんまだな、小鳥」

 悠人が小さく笑いながら、小鳥の頭を撫で続けた。



 その後小鳥の服を片付けるため、悠人は洋間に小鳥を入れた。
 四畳半の洋間の扉を開けると、目の前の壁一面に黒い本棚が並び、アニメと映画のDVD・ブルーレイが所狭しと並べられていた。

「すごいね、この部屋」

「ま、二軍だけどな。一軍は和室にいてるやつら。とにかくここはほとんど使ってないから、小鳥の好きに使っていいよ」

 生活臭のしない部屋、おそらくここは悠人にとって倉庫なんだろう、そう小鳥は思った。しかし見事に整理されており、掃除も行き届いていた。その几帳面さに小鳥は驚いた。

 向かいの壁には黒の三段ラックが五つ並んでいた。その上に飾られているフィギュアを見て、小鳥がはっとした。

 それは、悠人手作りの小百合と小鳥のフィギュアだった。

 手をつないで歩いているもの、ブランコの小鳥を押している小百合、そしてベンチに座る小百合の膝の上で寝ている小鳥。

「手なぐさめって言うか……まぁ楽しかった思い出を残しておきたかったんで……な」

 照れくさそうに悠人が笑う。小鳥は両手を口に当ててつぶやく。

「小鳥とお母さんの……大切な思い出だ……」



 夕食を終え、洗い物を一緒に済ませると、

「風呂、先に入っとけよ」

 ジャージに着替えた悠人がそう言った。

「悠兄ちゃん、どこか行くの?」

「日課のウオーキングだよ。昨日はバタバタして出来なかったけど、基本毎日一時間ぐらい歩いているんだ」

「小鳥も連れてって!」

 小鳥が洋間に入り、同じくジャージに着替えて現れた。



 悠人はいつも入浴前に、マンションから見下ろせる川の堤防沿いを、1時間ほどウオーキングしていた。1年間で休日を30日と決め、雨や体調不良だった時を考慮して、年の前半はなるべく休みなく歩いていた。

 堤防沿いを悠人と小鳥が歩く。かれこれ3年も続けているので、結構なスピードで歩いているのだが、そのペースに小鳥も続いていた。

 驚いたのは、小鳥の息がほとんどあがっていないことだった。さすが中学時代、陸上部部長だっただけのことはある。悠人が感心してそう思った。

 小鳥が空を見上げると、雲ひとつない、いい天気なのにも関わらず、ほとんど星が見えなかった。

「本当に星が見えないんだね」

「そうだな……条件がよくてもこの辺じゃ、冬に1等星が2~3見えるのが関の山かな。オリオン座すらまともに見えることがないんだからな」

「じゃあ夏なんか、ほんとに見えないよね」

「ああ」

「同じ空のはずなのに、小鳥の家からだと満天の星空。でもここだとその星が全然見えない……宇宙には無数の星があって、間違いなくその光がここにも届いているはずなのに、今この場所からはそれが見えない。小鳥たちからしたら、それは存在してないのと一緒たって話し、悠兄ちゃんは知ってる?」

「聞いたことぐらいはあるけど……星がある事実は変わらないだろ」

「……見る人がいなかったら存在しないんだ、っていう人もいるんだ。でね、その話を聞いた時に考えたことがあるの。
 もしこの世から、小鳥の事を知ってる人が一人もいなくなったら、小鳥はここにいないのと同じになっちゃうのかなって」

 小鳥がうつむきながら小声でそうつぶやく。歩く速度も心なしか落ちていた。

「……お前、小百合と同じで頭いいんだな。んで、頭いい分、俺らバカが悩まなくていい様な事で悩む」

「……」

「大丈夫だよ」

「え」

「お前がどこにいたって、俺がお前の事、いつも思ってるから。今までだって、そうだっただろ?」

「悠兄ちゃん……」

「誰がお前のこと忘れても、俺だけはお前のこと、覚えてるよ。だから大丈夫だ」

 そう言って悠人が、小鳥の頭に手をやりぐしゃぐしゃと撫でた。

「うん……えへっ」

「いやだから『えへっ』も普通口にする言葉じゃないだろうて」




 小鳥が洋間で、今日買った丸テーブルの上にノートを広げていた。中には、小鳥が悠人と叶えたい望みが書かれてあった。

 今、小鳥が書いているページには『月の土地のプレゼント』その下に今日の日付、そして赤で花丸をつけた。願いが叶ったら花丸をつけていくルールだった。

「今日はたくさん花丸をつけられるなぁ」

 嬉しそうに笑いながら、小鳥が他の項目にも花丸をつけていく。

『一緒に買い物』

『手作りハンバーグでうまいと言わせてみせる』

 そして最後の項目は『悠兄ちゃんと結婚』そう書かれていた。



 悠人が寝る前の煙草をくわえ、白い息を吐きながら考えていた。

 明日一日で、小鳥が生活できるように全部用意しとかないと……とりあえず起きたらまずは『ジェルイヴ』の鑑賞会か……小鳥がヲタクになるとは、小百合も誤算だったろうに……

 そこまで思ってふと悠人の頭に、もう一人身近で知っているヲタクの顔が浮かんだ。



「……そういや明日の夜、弥生ちゃんが帰ってくるんだったっけ……小鳥のこと、どう説明するかな……」
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