フロースディーヴァ
文字数 2,000文字
今日もまた、いつもの森へ。ずいぶん遠くにあるものだから、仕事もやめて、この近くまで一人で引っ越してきてしまった。おかげで最近は朝からずっとここで一日を過ごしている。夜になって近くの家に帰る必要性も分からなくなったくらいだ。
「ようやく、ここに柔らかい土を生成する魔術を習得できたんです」
小さく報告して、実際に使ってみる。枯れた切り株にぽつんと咲く、一輪の花。その足元に、こんな絨毯 はいかがだろうか。
魔術は成功。しかしこれが正しい行動なのかは分からない。花を生き永らえさせる事は出来よう。しかし、それは彼女の今の状態の否定になるかもしれない。
枯れた木であろうと、一度咲かせた花がその場でずっと咲き誇り続ける能力。その力を自然の摂理の無視と否定し、時が経てば自然と枯れてしまう現在の能力の方を好んでいるとしたら? 彼女は私を、自身が嫌ってしまった摂理の無視に賛同する、あの貴族達と同類に見るかもしれない。
――いや、もう見られていたな。
忘れるはずもない、少し前の話。この森で見かけるとされた、耳の尖った人間のような、しかし妖精族でもないと思いたいくらい人間に寄った、不思議な種族。彼女らはその歌声で、枯れた土地に恵みを与え、花を咲かせる能力を持っていた。不敬だけれど、神々の事象顕現よりも、ずっと純粋で優しい恵みだと、出かけ先で歌声を偶然聴いた私は思ったのだ。
私は以降その森を訪れ、花や動物たちに囲まれて歌う、その美しい少女を見ていた。彼女自身がどうかは分からないが、動物たちが逃げないよう、私は隠れて遠くから、それを聴いていた。
そうしている時だけ、私はこの醜い世界から抜け出せたようで、とても幸せだったのだ。私のような平和主義者もこの世界にいたのだと喜んだのだ。そのあどけない笑顔に惚れ込み、私はその後の生活の中で、彼女の事しか考えられなくなっていたのだ。
そんな日々が続いて、歌姫の噂は街まで流れる。聞きつけた強欲な貴族が、彼女を捕らえ、鎖で繋ぎ、娯楽の為に歌う事を強要した。彼女をかばった動物が容赦なく酷い目にあってからは、彼女は抵抗する事をやめた。
来る日も来る日も歌い続け、いつの日か笑顔は消え、そのうち、自身の能力が自然の摂理を無視するものとして疑問を持ってしまった。そして、花を咲かせるその能力は変化し、咲かせた花は即座に枯れてしまうようになった。貴族はその変化に苛立っていた。
私はそれらの悲劇を、見ていた。ずっと見ていたんだ。なのに何も出来なかった。この世界は、結局は力が全て。親などに怒鳴られても、断固として戦う術を学ぼうとせずにいた。皆が私のようになればいいのになんて思って、戦いを避けてきた。そんな私は今更、いつか守りたいと思った誰かを守るためにも力を持つべきだと思い知った。貴族たちと戦って勝つための力だけでなく、まず挑むために立ち上がる力すら、私は持っていなかった。
さらにそれからしばらくして、同じく奴隷のような扱いを受けていた同種族の少女が、彼女を助け、逃がした。その後の少女の行方は分からない。
私は貴族の追っ手から彼女を守るため、ついに姿を現し、声をかけた。――当然、彼女が私に向けた視線は、恐怖や悲しみだった。人間は皆貴族と同じような輩と思ってしまうのは仕方のない事だった。
あれ以降、仮名――花の歌姫 の種族は姿を見せなくなった。我々人間は、ある一つの異種族交流に失敗したのだ。あまりに小規模で、短期間だけ噂された種族なので、幻と言う者も多かった。誰もその後を気にしなかった。私を除いては。
私は、貴族に囚われて以降の儚げな彼女も好きだが、以前の見た目相応の無垢な笑顔を取り戻して欲しかった。貴女の力は美しいものであると、励ましたかった。また人間と関わらなくてもいいから、傷はいつか、私の努力で癒えてくれれば嬉しいと思った。
そうして今日も、明日も、今は枯れた思い出の森で、私は残された花たちの世話をしている。
そして歌う。下手で汚い歌声だけど、歌う。彼女が好きだった事を私から楽しんで、彼女にも再び思い出してもらうために。
この私の行いを、彼女は見ているだろうか。見ていたとしても、良く思うか、悪く思うかも分からない。
しかし私は、もう心を奪われた身だ。今後の人生は、ここを訪れたり、植物学などを学んだりして、彼女の事だけを想って過ごすしかないのだ。そしてそうしている時だけ、私はこの戦いの世界の中で、心から穏やかでいられるのだ。
せめて、名前だけでも聞きたかったなんて、傍観者の私が求めていい事では無いだろう。
「嗚呼、そよ風が気持ちいい……今日はとても良い天気ですね。木々や花も喜んでいる、私はそう思います」
どこからか現れた青い蝶が、切り株の花の隣にとまった。
「ようやく、ここに柔らかい土を生成する魔術を習得できたんです」
小さく報告して、実際に使ってみる。枯れた切り株にぽつんと咲く、一輪の花。その足元に、こんな
魔術は成功。しかしこれが正しい行動なのかは分からない。花を生き永らえさせる事は出来よう。しかし、それは彼女の今の状態の否定になるかもしれない。
枯れた木であろうと、一度咲かせた花がその場でずっと咲き誇り続ける能力。その力を自然の摂理の無視と否定し、時が経てば自然と枯れてしまう現在の能力の方を好んでいるとしたら? 彼女は私を、自身が嫌ってしまった摂理の無視に賛同する、あの貴族達と同類に見るかもしれない。
――いや、もう見られていたな。
忘れるはずもない、少し前の話。この森で見かけるとされた、耳の尖った人間のような、しかし妖精族でもないと思いたいくらい人間に寄った、不思議な種族。彼女らはその歌声で、枯れた土地に恵みを与え、花を咲かせる能力を持っていた。不敬だけれど、神々の事象顕現よりも、ずっと純粋で優しい恵みだと、出かけ先で歌声を偶然聴いた私は思ったのだ。
私は以降その森を訪れ、花や動物たちに囲まれて歌う、その美しい少女を見ていた。彼女自身がどうかは分からないが、動物たちが逃げないよう、私は隠れて遠くから、それを聴いていた。
そうしている時だけ、私はこの醜い世界から抜け出せたようで、とても幸せだったのだ。私のような平和主義者もこの世界にいたのだと喜んだのだ。そのあどけない笑顔に惚れ込み、私はその後の生活の中で、彼女の事しか考えられなくなっていたのだ。
そんな日々が続いて、歌姫の噂は街まで流れる。聞きつけた強欲な貴族が、彼女を捕らえ、鎖で繋ぎ、娯楽の為に歌う事を強要した。彼女をかばった動物が容赦なく酷い目にあってからは、彼女は抵抗する事をやめた。
来る日も来る日も歌い続け、いつの日か笑顔は消え、そのうち、自身の能力が自然の摂理を無視するものとして疑問を持ってしまった。そして、花を咲かせるその能力は変化し、咲かせた花は即座に枯れてしまうようになった。貴族はその変化に苛立っていた。
私はそれらの悲劇を、見ていた。ずっと見ていたんだ。なのに何も出来なかった。この世界は、結局は力が全て。親などに怒鳴られても、断固として戦う術を学ぼうとせずにいた。皆が私のようになればいいのになんて思って、戦いを避けてきた。そんな私は今更、いつか守りたいと思った誰かを守るためにも力を持つべきだと思い知った。貴族たちと戦って勝つための力だけでなく、まず挑むために立ち上がる力すら、私は持っていなかった。
さらにそれからしばらくして、同じく奴隷のような扱いを受けていた同種族の少女が、彼女を助け、逃がした。その後の少女の行方は分からない。
私は貴族の追っ手から彼女を守るため、ついに姿を現し、声をかけた。――当然、彼女が私に向けた視線は、恐怖や悲しみだった。人間は皆貴族と同じような輩と思ってしまうのは仕方のない事だった。
あれ以降、仮名――
私は、貴族に囚われて以降の儚げな彼女も好きだが、以前の見た目相応の無垢な笑顔を取り戻して欲しかった。貴女の力は美しいものであると、励ましたかった。また人間と関わらなくてもいいから、傷はいつか、私の努力で癒えてくれれば嬉しいと思った。
そうして今日も、明日も、今は枯れた思い出の森で、私は残された花たちの世話をしている。
そして歌う。下手で汚い歌声だけど、歌う。彼女が好きだった事を私から楽しんで、彼女にも再び思い出してもらうために。
この私の行いを、彼女は見ているだろうか。見ていたとしても、良く思うか、悪く思うかも分からない。
しかし私は、もう心を奪われた身だ。今後の人生は、ここを訪れたり、植物学などを学んだりして、彼女の事だけを想って過ごすしかないのだ。そしてそうしている時だけ、私はこの戦いの世界の中で、心から穏やかでいられるのだ。
せめて、名前だけでも聞きたかったなんて、傍観者の私が求めていい事では無いだろう。
「嗚呼、そよ風が気持ちいい……今日はとても良い天気ですね。木々や花も喜んでいる、私はそう思います」
どこからか現れた青い蝶が、切り株の花の隣にとまった。