4月・オセロニア学園

文字数 4,647文字

 もう四月。通学路の桜が舞う季節。
 私は逆に、間違えて一時間早く登校してきたので、普通の時間に登校するみんなの姿も教室の窓から見ていた。早起きし過ぎて目覚まし時計が鳴らなくて、逆に寝坊したかと慌ててしまったのだ。実は同じミスを繰り返しており、そろそろ直したいと思っている。
 2年D組のドアが勢いよく限界まで開かれ、ドンッという聞きたくない騒音が響く。私が窓へ向く視線を離したと同時に教室に入ってきた女子生徒の朱色のポニーテールは、ドアの騒音と老朽化の犯人である事を全く気に留めていない様子で元気に揺れる。
「おっはよーっ!!イオラは今日も早いね、優等生!」
「キュゥーン!」
「おはようございます、リーンさん。ゲイルくんも」
 私は窓から吹く風で乱れかけた髪を片手で整えて、リーンさんと、その相棒の竜ゲイルくんに挨拶を返す。私はおっちょこちょいでここにいるだけなので実際の一番乗りはリーンさんなんだけど、性格とかイメージのせいか、生徒達には私が優等生として認識されてしまっている。
 リーンさんは背の低い体でウサギのように跳ねて、私の隣まで来て窓の外を見下ろした。
「流石四月、部活の勧誘がすごい事になってるね!抜け出すの大変だったよ~!アタシやゲイルもあそこで料理研究部の勧誘とかした方がいいのかなぁ」
「私も登校時間の関係上他の生徒がいなくて、ほぼ全ての運動部から勧誘されて大変でした。リーンさんのように、どこかの部に所属してるわけでもないから、断る理由も探しづらくて……」
 結局最後は走って逃げてきたのだ。先が思いやられてため息をひとつ。――ため息を続けるとオルプネー先生みたいに謎の苦労が頻発するという言い伝えがあるので、こっちも直していきたい。
 やはりこの時期は人の波に紛れるためにも、登校時間は他の生徒と合わせた方が良さそうだ。
「イオラは去年の体育祭で大活躍だったし、そうなるのも仕方ないかもねー。――というかイオラはあんなに運動神経良いのに、どうして運動部に入ってないの?」
 もう何度も聞かれた質問だけど、この場で冷静に考えると、即座に答えは出なかった。
 数秒考えてから、口を開く。
「どうしてだろ……」
 結局、明確な答えは出なかった。別に運動が嫌なわけでもない。
 会話を中断させるように、再び教室に騒音が響く。私の尻尾が驚いて伸びる。クラスメイトのバドフレンくんが凹んだバットを振りながら登場し、怒鳴るような口調で――しかし意外と普通に――挨拶する。それはD組全員が揃い、最初の授業が始まる事を告げる音だった。
 窓の外では、B組のアズリエルさんが遅刻して、既に閉まった校門を飛び越えていた。

 〇 ● Ⅰ ●

 あれから、ずっと考え事にふけり、午前中の出来事はあまり覚えていない。授業はちゃんと聞いたけど。
 昼を過ぎて、本日5回目の授業。
「さぁて、みんな大好き、古典の授業を始めようかねぇ」
 ――別に好きじゃないです。
 静音先生が胸やら尻尾やらを揺らして、堂々とした綺麗な歩みで教室に入ってきた。普段は男子生徒達がその刺激的な格好を嬉しそうに見て、私が男子生徒のイメージ評価を下げまくる。
 しかし、今回それは様々な都合で発生しない行事となった。なんせ昼食をとった後の古典だ。授業を真剣に受けたいと思っている私でさえ、この暖かい部屋に重くなる瞼、教室の古典と外の体育による優しさに満ちた催眠術に抗うのは難しい。細かい傷の形すら把握しきるほど共に過ごす机は、去年どんな男子の先輩が使ったと知れなくても、今すぐに上半身全てを預けたくなるほど安心感がある。物を書くときの八の字型の腕配置は、こういう時に力を弱めると即死トラップ、もとい揺り籠への導きになる。
「そこっ!!」
 カキーン!
「アタシの授業で居眠りとは、良い度胸じゃないか」
 金属の音で目が覚めた。――え、私寝てたの……?
 窓際の、中央より少し後ろの私の席。教室の様子を確認するため、体を起こして目線を時計、先生、視界右の順で向ける。教室のど真ん中には、凹んだ金属バットを構えたバドフレン君がいた。どうやら私が怒られたわけではないらしい。セーフ。
「ホームラン!!甘いぜ静音センセー!そう何度もチョーク投げをまともに喰らったりするような俺様じゃない――」
「野暮は無しだよ!」
「ヴァルムンクゥ!」
 静音先生の二発目のチョークが、油断しきったバドフレン君の額を突いた。バドフレン君は変なリアクションと共に椅子に沈み、チョークで白く燃え尽き、帰らぬ人となった。いや、冗談、帰ってくるけど。
「お、皆の衆も起きたみたいだね。まったく静かだったり騒がしかったり、D組は忙しいねぇ。まあまだ、マシなクラスなんだけどねぇ。優秀な生徒もC組並みに多い。お前さん達には期待しているさね」
 静音先生はそう言って、黒板への記入を再開した。
 ――期待、か。
 考え事の答えが見えてきたかもしれない。学業成績も良いので、きっと優秀な生徒というのは私も含まれているはず。
 期待に応えようとする意思は確実にあった。体育祭でリレーの最終走者になったのも、周囲の期待に応えるための行動。自分がやりたいと思ったり、向いていると思ったわけでは無い。むしろ運動神経はあってもリレーに自信は無かった。白組応援団長ノクタニア先輩の知り合いの、『最速』の異名を持つリンドヴルム先輩を紹介して貰って、しばらく練習をさせてもらったほどだ。
 再び訪れる眠気を覚ますため、チラリと校庭を見下ろす。持久走で歩き出す女子生徒達が、トラックの外側の教師から緩めの注意を受けている。ナイスゴッド先生以外の教師は、持久走などのやる気が無くても大して叱ってこない。
 私も女子生徒だが、体育では、あの女子内多数派に見える歩行者勢には属していなかった。しかし本音としては私も歩きたかった。真面目と褒められ、そのイメージを崩さないようにそれ以降も本気で走った。そしてその授業後に足が全く動かなくなって、リーンさんの配慮で、ゲイルくんに乗せて貰ったりした。
 部活の勧誘は、その種類が多すぎる。全ての期待に応える事は出来ない。それでいっそのこと全てから逃げているのかも。今はそんな風に結論付けた。

〇 ● 〇 Ⅰ

「蘭君は、部活とかに興味は無いんですか?」
「見ての通りの勉強馬鹿だからね。部活強制の学園でもないから、特に考えていないかな」
 彼はそう苦笑して眼鏡を上げた。
 放課後、学園の図書館でC組の蘭陵王君と勉強。彼はいつもここで勉強をしていて、色んな生徒がここを訪れ、勉強を教えて貰ったりしている。私もその一人で、彼曰く、私は一緒に勉強するのが楽しい常連とされている何人かの一人だそうだ。多少は私も彼に教えたり出来る知能を持つから、なんて理由だろうけど、少し嬉しい。
 オセロニア学園では、テストで好成績だった上位20名ほどを学年毎に発表する。蘭陵王君は2年生のランキング1位を常にキープする恐ろしい努力家だ。しかし私も数回に一度17位やら20位やらに顔を出し、廊下に名前が貼りだされるとたまに見る優等生としてイメージが定着している。今回は久々にイオラさんが載ったぞ、なんて楽しまれていそう。少なくとも友人からはそんな風に言われる。
「……いつもよりペンの進みが遅いね、何かあったかな?」
 蘭陵王君の鋭い指摘。部活の話題を出した時点で薄々勘づかれてそうだったし、私は彼に相談をしてみる事にした。
「期待、か。それは私も分からなくもない。けど、私はそれが無くても、好きで勉強をしているんだ」
「な、なるほど……」
「イオラ君。君は――君自身がやりたい事とかは、あるかい?周囲の期待や自分の適性を気にせず、ただ趣味として、興味としてやりたい事は無いかい?」
「考えた事、無かったです……」
 そして私は沈黙。蘭陵王君が手を叩き、私がまた考え事の沼にはまるのを助けてくれた。
「よし。試しに、今から何の目的も無く散歩をしてみたらどうだろう。きっと君はそういう活動をした事があまり無いはずだ」
「えっ、そしたら蘭君は?」
「私は一人でも学びを続けられるさ。それに、イオラ君が悩みを抱えたまま勉強を続けるのは、私だけじゃなく、君としても不本意だろう?」
 その通りだった。私は従う事にして、席を立った。
「蘭君、ありがとうございます。また、次に会う機会には解決させます」
「ああ、また。君の未来に幸あれ」
 図書館から出たあとの廊下の窓からは、満開の桜が輝いていた。

Ⅰ ● 〇 ●

 何の目的も無く一人で学園を歩く。それは本当にためになる活動だった。ここはとても賑やかで、ふと自分の世界を切り離して周りを見るだけで、自然と元気になれた。
 部活勧誘の人込みは避けて、実際の部活風景を覗きに行く。これをちゃんと一年生の時にしていれば良かったかもしれない。
 一通り回りきった。途中から気になる物はほぼ確定していたが、まあ竜人すぐには変われない。まだ決まったわけじゃない、というか私には放棄出来ない学業が――なんて思考が渦巻いて邪魔をしたのだ。
 しかし運動部の枠を越え、文化部まで見に行った事でそれは解決した。華道部にいるとは思わなかった牙刀さん、彼は複数の部を掛け持ちしているんだとか。そんな話を聞いて、急に気が楽になった。牙刀さんは、私が自身を縛っていた鎖を笑い飛ばすような、しかしそれでいて美しく学ぶ充実した生活をしていた。

 そして、陸上部のグラウンドを通り過ぎ、剣道部の扉の前に立つ。戦いの学園たるオセロニア学園では、ここでやっておくと高評価の行動があるので、その準備の為に深呼吸をする。
「牙刀先輩は今日も華道!研鑽相手がいなくなった気分でショックだよ俺は」
 中から聞こえて来る声は、確か1年のドラゴニュート・ウィルくん。
 私は思い切って中に入り、入口近くにあった竹刀を素早く手に取る。案外重い。
「2年イオラ、入部希望です!かかってこい!」
 気付いたウィルくんが竹刀を構え、私の容姿で少し躊躇したように退いてから、その後飛び込んでくる。
「スラスト・ブレイブマイン!」
 その突き技を運動神経で見切り、左手で竹刀を掴んで引っ張る。隙が出来たウィルくん。
「うぉあ!?」
 私は竹刀を引っ張った勢いで半回転し、そのがら空きの背中目掛けて回転切りを放つ。
「疾風円葬斬!」
 ヒット。竹刀が大きな音を響かせるが、竜人の屈強な体は傷つかない。
 良かった、私の運動神経は、ここでも通用した。私に振り返るウィルくんをドヤ顔で見る。
「研鑽相手、私がなってあげます」
 お互い戦闘後の体制でしばしの静寂。やがてウィルくんが口を開く。
「それは嬉しいですけど、まず先輩には、竹刀が刃物の代わりという事を教えておきますね……」
「あ……」
 さっき私は、自信満々に竹刀の刃の部分を握ってしまっていた。実戦なら私は左手大怪我という、笑えない笑い話である。
 それを行ったうえで初対面の後輩にドヤ顔である。次第に顔全体が熱くなってきた。
「あ、えっと……ぅ、うぅ……」
 音を立てずゆっくり下がった。あぁ見ないで、これ以上私を見ないでウィルくん……!
 新たな青春の始まり、それを迎えた私の顔は、恥ずかしさで真っ赤に染まっていた。
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登場人物紹介

イオラ(2年D組)

学園を舞台にした短編の全体としての主人公。彼女を主軸として、関わりのある生徒達の様々な視点で物語が展開されていく。

見た目や成績のわりに、かなりのおっちょこちょい。

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