6月・時の記念日(4月異世界探訪 後編)

文字数 5,895文字

 あれから、長き時が流れた。
 拙者が呼んだ魔王の名が気に召した織田信長殿は、自ら進んで第六天魔王と名乗る。そして様々な戦略を駆使し、この大きくも小さき島国の領土を広げていった。その奇術の中には、この世界よりいささか進んだ技術が揃う、オセロニア界の技術を利用したものも含まれていた。
 伝統的な鎧と同時に、マントなどの異国の装束を身に纏う。さらに拙者の知識を信長殿が独学で応用し具現化した、暗き炎のような魔力はもはやこの時代の人間の限界を超えており、魔王と呼ぶに相応しきものとなっていた。
 拙者――竜戦士・牙刀は、信長殿の家臣よりも近しいような待遇で役目を全うし続け、この世界の知見を広げるとともに、強者との稽古に励んでいた。ここまでの過程で、同郷の友や故郷への帰り方などは見つかっていない。
宗三左文字(そうざさもんじ)を出せ」
「は、はっ」
 信長殿が愛刀の一つをここへ運ぶよう、部下の一人に命じた。
「信長殿。貴殿の魔力を吸い過ぎたかの名刀だけは、ご自身か、拙者が持ってくるべきかと」
 ある危険性を示唆したが、信長殿は細い目をぬぅっとこちらへ向けた。
「牙刀。言わずとも分かっておる。故に試すのだ」
「しかし」
「無駄口は要らぬ」
「ぐっ――」
 そうして部下が刀を持ってくる。信長殿がその柄を握ると、鍔から紫の眼球が一つ具現化。その眼が輝き、鞘が膨れ上がる。
「こ、これは――ッ⁉」
 部下が慌てた時にはもう遅い。その魔力に耐性の無い身体は一瞬で削り取られ、骨だけが残るのみとなった。
 信長殿が鞘から抜いたその刀は、もはやこの国の刀の形はしていない。紫のオーラを纏う、身の丈ほどもある大きな魔剣。
「やはり魔力に適応した者はそうおらぬか。せいぜい狸くらいよ。参るぞ、牙刀」
 骸骨となった部下を払いのけるように破壊し、風も吹かぬ室内でマントをなびかせ、骨を踏みつけて歩いて行った。
「――承知」
 骨となった者へ心中で謝罪しながら、後に続いた。
 信長殿が魔王と化したのは、拙者が原因なのだろう。訪れた先の世界で、拙者はあまりにも変化を及ぼしすぎた。
「牙刀。日ノ本の平定はそう遠くない未来に迫る」
 並んで歩く廊下で、信長殿が口と足だけを動かす。
「然り。拙者の刀が求めるような強者は、今や上杉殿ぐらいしか見当たらぬ」
「我は思うのだ。その竜の刃が求める相手が果てた時が、お主が元の世界へ帰りし時だと」
「……さらなる修業のために、拙者はここへ迷い込んだと」
「我はお主を気に入りすぎた。故に、上杉は後に回し、騒々しい西へ――京へ往く」
 信長殿は拙者を含む少数の小姓のみを連れ、城の者達へ命ずる。
「戦支度をして待機せよ。出陣の命は、この宗三左文字の魔力で伝える」
 短く覇気の籠る返事を聞き、拙者らは馬を走らせた。
 馬の扱いも慣れたもの。拙者の容姿も小姓の皆は理解してくれている。それほどまでに、長き時が経った。こうしてついに、その時は訪れたのだ。


 信長殿が京の寺にて宴を催し、就寝。その後の深夜。拙者は不穏な気を感じて外の様子を見に行った。
 そして遥か遠くに感じる、闘気。
「謀反……」
 家臣の一人が軍を率い、少数が寝転んでいるだけの無防備な寺へ向かっている。完璧なタイミングの裏切り行為である。あの軍が間近に迫れば、こちらは成す術なく戦死するのみであろう。
 これを調査し、事前に止めるよう動けるのは、竜の俊足で単独行動の可能な拙者のみ。
「急がねば!」
 地を蹴って駆け込む瞬間――
「あなたが干渉するのはここまでです」
 背後から届く小さな声と、竜鱗すら貫いて発生した体の痺れ。
「ぐうっ……⁉」
 進むべき道には、どこからともなく現れた金の砂時計が無数に配置され、行く手を阻む。
 振り向いて声の主を確認する。この世界の女性が扱う重ね着の衣に、この世界にいなかった長い金髪を伸ばす老婆がいた。
 その青い瞳の輝きは、落ち着いているように見えて、神聖的な圧倒感というものも感じさせる。
「オセロニア界の時空の回廊に歪みが生じ、その異変は、偶然重なった神々の休日によって修復がされませんでした。私でさえ転移に調整を要し、時の記念日を控えたこの時期まで待たせてしまう事となりました。あなたには迷惑をかけてしまいましたね」
 老婆が淡々と事件の詳細を話しているようだが、ほとんどの意味は分かりかねる。ただ一つ言えるのは、事情を知る元の世界の住人が、ようやく来られたという事である。その発する力と達観した姿勢。十中八九神族だろう。
「オセロニア界より来たれし女神よ。拙者は、この世界での信長殿との戦いや生活は大きな経験となり申した。むしろ感謝いたそう。――故に、ここで主を危機から救うは、元の世界へ帰る事と同じと言えるほどに、大事な目的なのだ!」
 振り返って砂時計を斬り落とそうとしたが、刀はその手前で固まったように止まる。そして反撃にと雷撃が体を痺れさせる。
「本来この時空に、私やあなたは存在してはいけないもの。時の楔でこの寺の外への干渉を封じました。これから信長さんが超えるべき戦いの時が始まる。宿命に逆らってはいけません」
 干渉。信長殿がオセロニアの技術で魔王と化した事による責任を感じていた拙者にとって、刺さる単語であった。
「――この状況と、今後の行動方針。諸々、全てお聞きしたい」
 遥かに規模の大きい概念の圧力によって折れた拙者に、老婆神は優しく頷いた。
「何ィ事ぞ」
 騒ぎを聞きつけ起きてきた信長殿が、障子を開けてこちらを睨みつける。女神が屋内で話すと言って移動を促し、拙者らはそれに従った。
 ――今夜の事件は、運命的なものであり乗り越えるために努力せねばならない事である。
 この時空に現れた異物である拙者に限り、その発生を事前に変えてしまう可能性を持ち得た。
 彼――織田信長の運命は、彼自身と、その時代に生きる者達で立ち向かわなければならない。
 そう、眼前の老婆神――ウィブサニア殿は淡々と告げるのであった。
「是非に及ばず。運命(さだめ)なら――受け入れるしかあるまい」
「信長殿⁉」
 拙者は話を聞いても納得出来ずにいた。変えられるなら変えて良いのではないか、何故全てを知っていて行動をしないのか。
 しかし信長殿は、怯む事無く状況を把握し、あらゆる武器を装備し始めている。
「ここまでで得た武力、知略を以て、乗り越える。それで良いのだろう? 老婆よ」
「こちらの歪みのせいで、辛い事を話したのを申し訳なく思っています。ですが、あなたはとても強い人ですね」
 老婆の口から発せられる声は、見た目相応である。しかし、その達観した落ち着きや口調で、老婆として生きてきたわけではないと感じさせる。
「そう、乗り越えさえすればいいのです。生きとし生ける者が皆そうしてきたように。その先にある未来は、あなたにとって望ましい、素敵なものになるでしょう。この時空では、大した助言が出来ませんけれど……その潔さと勇敢さは、忘れないでください」
 ウィブサニア殿は優しく語り、そして去っていく。話は終わりなのだ。
 拙者は何も出来なかった自分を責めながらも、無理矢理にでも状況に納得しようとする。
「なれば……拙者も信長殿と共に戦おう」
 しかしここで武人として華々しく死のうという意向に移るほど、拙者はこの時代に染まっている。
 ウィブサニア殿が顔だけ振り向き、告げる。
「あなたはこれから本来の時空に戻ります。時の記念日が時空を正常に戻します」
「クッ……!」
 当然のように言う。こちらにも道を選択する権利はあるはずだ!
 静かに抜刀。相手は背を向けたままだが、確実に受けきれるというような意識を感じた。
「もう、喧嘩しないのっ!」
 突如、重低音が響いて戦闘が未遂に終わる。拙者とウィブサニア殿の空間にぽつぽつと四角い穴が開く。それは広がって寺を覆い尽くそうとするが、ウィブサニア殿が砂時計を動かすと、硝子のように崩壊した。
「痛ってて……っ」
 硝子の崩壊と同時に出現し、尻もちを着いたのは、褐色肌をした女性の悪魔。砂時計の使用と同時に、老婆から少女の身体に変身したウィブサニア殿が悪魔に歩み寄る。あらゆる事象に理解が追いつかず、拙者も信長殿も大した事は言えぬままである。
「何のつもりですか、エルロージュ」
 呼ばれた悪魔は素早く浮き上がり、見下ろしながら頬を膨らませる。
「こっちの台詞! ウィブちゃんひどい! 物質の床とか久々すぎてビックリ――じゃなくて!」
 浮いたままこちら側へ移動し、女神に指を指す。
「世界の何もかも把握した通りに動くなんて事無い、それはかの竜や、あの子を見てれば分かるでしょ? きっとこれもそう、ここまで来たら自由にやらせてあげようよ」
 少女の姿をした女神は、表情を変えずに悪魔を見上げる。
「どの世界のどんな人でも、時間だけは平等です。過去に遡り、宿命に逆らう行為は有り得ません。禁忌の彼でさえ、今は抗えぬ宿命を受け止めているのです……」
 天井から音。続けて何度も鳴る音。侵入してくる炎は、それが何なのかを伝えてくる。
「信長様!」
 小姓の一人が、不思議な客人には目もくれずに駆け込んでくる。襲撃が始まり、火を放たれた事は聞くまでもない。騒動に時間をかけすぎたようだ。
 その時、拙者は体重が急激に軽くなるのを感じた。そして気付く。いつか見た時空の歪みが空中に発生し、拙者を飲み込まんとしている事に。
「私に交渉しても、引き戻すのは私ではありません。これは世界の意思です。重ね重ね、お騒がせしてしまい申し訳ありません」
 ウィブサニア殿が砂時計を動かしながら、落ち着いた歩みで燃える寺から消えていった。
「もう、ウィブちゃんったら! 大事な事は先に言って欲しいし、別れの挨拶くらいさせようよ!」
 エルロージュ殿が歪みの手前に硝子のような壁を張り、吸引を遅らせるが、拙者の身体の移動は着実に進んでいる。
 協力的な姿勢に礼を言いたいが、まずは信長殿へ視線を飛ばす。拙者が初めて仕えた主は既にこちらに背を向けて。全て理解し、納得したように魔剣を握っている。
「殿は、真の強者でござるな……」
 この騒動で情けなくも愚図愚図していたのは、部外者だけであった。
「いつしか異界の力に頼り、謀反を受けるような魔王と化したのは我が過ち。ならばここは魔王らしく暴れてやろうという、それだけよ。これまでの支援、大儀であった」
 灼熱の地獄を歩いていく魔王信長殿は、その魔力で炎すら従えているようにも見えた。
「ねえ、それだけでいいの? それなりに長い付き合いだったんじゃないの? あ、そうだ、こっちの世界の人達が迷惑かけちゃったんだし、例えば剣の魔力強化くらい最後にやってもいいんだよ?」
 エルロージュ殿の早口に反応して、魔王が一瞬足を止める。
「……我が首を奴に渡す気は無い。もしこの命尽きた時には、オセロニア界にでも埋めて参れ」
 魔剣を一振りすると硝子が割れ、拙者は歪みへ身を投じていった。
「え、えぇ……何それ……」
 最後に見えた光景は、目を引きつらせながら消えていくエルロージュ殿の姿であった。


 拙者は時空の歪みから投げ出され、決闘の森の外に降り立った。成人女性の姿で迎えたウィブサニア殿曰く、オセロニア界での時間はほとんど経過していないという。
 ただし大きな変化として、拙者らが与えた影響により、今のオセロニア界には戦国の世を生きた者達に限りなく近い人物達が違和感なく存在する世界になったのだと。先程まで拙者が冒険していた異世界は、今やこの世界の歴史の一つとなっているかもしれないとの事を知らされた。ウィブサニア殿は、これからそういった時空の変化の調査の為忙しくなるとの事。
 今後の対策として、此度の冒険の一部始終を報告した後に女神殿とは別れた。
 その後入れ替わりで、硝子の穴から上半身だけ出した、半透明のエルロージュ殿が現れた。こちらが諸々の礼を言うと、気さくな会話から始まり、自然に友人と認められた。
 そして、かの寺で信長殿は奮闘の末、華々しく散ったと伝えられた。
「あ、そうそう。頼まれた首は座標魔法で隣の森に送っといたんだけど、そこにけっこう魔力とかが充満してたみたいでね? うっかり肉体再生して、魔物として動き回っちゃってるみたい……ごめんね?」
「う、うっかり……であるか……」
「でももしそれがノブナガさんの意思だったなら、アタシが変えちゃうのも良くないし。きっとこれは、この世界とあの世界を生きた牙刀くんが頑張るべきなんじゃないかな。というわけで、また会ったら遊ぼうね~」
「どうにもせわしない様子。エルロージュ殿は、これからいずこに?」
「い、いやぁ……お願い聞いただけとはいえ、世界の運命に干渉しちゃったのアタシだからさ……? しばらく狭間に籠るから、ウィブちゃんにアタシの話はしないでね、それじゃ!」
 苦笑を浮かべた時の悪魔は、はじめからそこにいなかったかのように痕跡も無く消滅した。
「うむ……ならば拙者も、成すべき事を成すのみ」
 拙者は一切の迷いなく森へ進み、木々が燃える幻覚を見た。
 そして現れる獄炎の魔物。そして第六天魔王。
「きっと貴殿であったのだろう。拙者をあの世界に呼び出し、この世の史実としたのは」
 この世界で拙者に魔王と呼ばれ、彼にとっての本来の世界で魔王として生き、そして正式にこの世界で魔王として具現化した。
「我が名は第六天魔王信長ァ! 我の手により――天下布武は形を成す!」
 魔王はこの世界でも同じ野望を抱き続ける。すぐ後ろに控える拙者の故郷を獲った際には、約束通り拙者に治安を任せるやもしれないが。
「あの世界に行く前から分かっていたのだ。拙者の求めた強者は、魔王信長殿だと!」
 望む強者が果てた時、拙者は元の世界に帰った。魔王の予言は的中したのだ。
 拙者があの寺で戦うべく残ろうとしたのは、望む強者が拙者以外の手に落ちるのが認められなかったのだろう。
 こちらが居合の構えをとると、魔王はその名刀・宗三左文字の魔力を蠢かせ、紫の目を光らせる。
「ムゥ……牙刀か。よもやこの世界で我が野望を止めるのが、お主であろうとは」
「いかにも。オセロニアは逆転と戦いの世界。ただ拙者は貴殿と刃を交えたかっただけの、狂戦士の一人に過ぎぬのだ」
 この魔王を止められるは、拙者のみ。戦国の英雄を魔王と化した責任を、なんとしても果たさねばならぬ。
 炎の幻覚は最後に見た燃える寺へと変わる。柱が倒れ、一騎討ちが始まる。
「デ、アルカ。面白い。来るがいい、牙刀よ!」
「望む所。二度目の森の決闘、改めて――いざ、尋常に勝負!」
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登場人物紹介

イオラ(2年D組)

学園を舞台にした短編の全体としての主人公。彼女を主軸として、関わりのある生徒達の様々な視点で物語が展開されていく。

見た目や成績のわりに、かなりのおっちょこちょい。

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