2月・小さな恋の物語 赤き竜鱗の剣

文字数 7,127文字

 オセロニア学園の今日は、バレンタインデー。
 女子が用意したチョコを筆頭とする菓子を、意中の男子とやらに贈る催しだそうだ。同じクラスの女子に聞いて回った所、そういった解答が圧倒的多数だった。そして、私には無関係な話と斬り捨てるだけとなった。
 今日最後の授業である体育。グラウンドでチームを分け、スポーツで競い合う。そんな中だというのに、うちのクラスの男子はどうなっているのか。
「結局貰えたか?」
「無い無い。まあ? 放課後が残ってますから、へへっ」
「そうだ、嘆くのは早い。もう俺は放課後、義理でも良いから必死でおねだりする気でいるぜ……」
「お袋に馬鹿にされたかねぇ、オイラもそれに混ぜろ」
 魔族の汚い会話と笑い声だ。人間の中にも一部このような発言をする者は発見した。進級も近付くこの時期、お一人寂しい男子共はバレンタインに希望を託すのかもしれない。後は同性への自慢だろうな、大方そんな感じが会話内容から見える。
「そういう姿勢でいるお前達に、チョコを渡そうと思える女子はいないだろう。自分を磨く努力はしたのか?」
 私が彼らのもとへ歩いて声をかけると、皆揃って姿勢を正した。
「赤き竜燐の剣だ」
「普段は凛々しい女騎士様でも、このタイプのイベントには心揺れますかい?」
「ち、チョコください!」
「そうか、忘れてたけどアルンさんも女子にカウント!」
――胸を見ているのがバレバレだぞ、汚らわしい。着痩せするタイプなんだ、実際はもうちょっとあるぞ。
「そんな催しは知らないな。私がお前達に渡せるのは変態への制裁くらいだ」
 私は人間に姿を変えただけの、誇り高き竜族だ。人間と交流を深めるべく共に授業を受けているが、どうも体育やら部活やらの時間に加減を間違えたらしい。今ではバット、ラケット、竹刀。何を持たせても赤く炎が燃えているように見えるとかで、赤き竜燐の剣とかいう二つ名を付けられ、それなりに学年の人気者だ。悪い気はしないが、か弱い乙女、なんて冗談は言えなくなったな。
 さっき私を挑発してきた奴は、自慢の尻尾でぶん殴ってやった。
 さて、そろそろ授業としても対戦開始。しかしどうしたものか、しばらく経ってもチームの男子はバレンタインの話題に持ちきりだ。普段はオセロニア学園の生徒らしく、競争心に満ち溢れているというのに、情けない事だ。
「おい、男共! 授業だろうと私のチームで敗北は許さんぞ、走れ!」
 恫喝するように自軍を鼓舞し、戦場へ駆けた。
 ――バレンタインの男子は、好きになれんな。
 そうして終わりを告げるチャイムが鳴る。途中から他の生徒も全員本気だったが、それ以上に動いた私は良い汗をかいて、それなりの満足感を得た。ちゃんとゲームも勝てたしな。
 息をついて、足や腕に残る竜としての鱗をコツコツ叩く。そんな事をしながら、私はある校舎の窓を覗き込んでいた。
「あいつはチョコとか、用意してるんだろうか」
 巨大な竜族が入れるように作られた、巨大な校舎。そんな一年生の教室で一人、私達と同じサイズの人の体をした女子生徒、名はレクシア。
 私は人間と交流する事に抵抗は無かった。しかし、あの子は特殊な境遇からか、神族でありながら竜族の方が馴染めるらしく、人間達とは距離をとって学園に通っている。入学してすぐの事だ、私以外に彼女を気に掛ける者――というか、名前まで知っている者すら少ないだろう。
 私の周辺に竜人は沢山いるが、純粋な竜族はいない。私とレクシアは、種族的孤立状態にある点において、どこか似ている気がして。
 竜族の方が馴染んでいる彼女は、私を見てどう思うだろうか。そんな事を考え、こうしてたまに覗きながら、こんな季節になってしまった。
「この後は部活が控えてるから、運動着はこのままでいいか」
 撤収していくクラスメイトを見ながら、今日の予定を脳内で確認。普段なら部活の時間まで、生徒達とお喋りに興じて交流関係を広げるのだが――
「今日誰かと話しても、あの話題しかされないんだろうな」
 思わずため息が出る。会話タイムは中止。というか、教室や廊下に居座ってるだけでも、バレンタインの雰囲気は生徒達から漂ってくるはず。午前中もそんな感じだったのに、もううんざりしてきた。
「よし、今日は学園を散歩して避難だ」
 普段行かない場所はどこだろう、そう思考を巡らせながら、私は重くなった足を浮かせた。


 折角の機会だ、巨大な竜族の校舎に入ってみる事にした。基本的に生徒はわざわざここに来る事は無い。必要な特別教室も無いし、天井が高いしドアも大きいしで、感覚がおかしくなる。さらに、竜族は割と凶暴と噂されているのだ。
 私はそれらに対して何の問題も感じていないが、うっかり竜族に友達が出来ると、同族を優先してしまうかもしれない。それで人間と交流する学園生活を崩してしまいかねないと思い、あえて行かないようにしていたのだ。
 気の遠くなるドームのような廊下を進むと、さっそく大きな足音が。
「全く、教師に対してあの無礼な態度は何なのだ……」
 愚痴りながら歩いてきた四足歩行の竜教師、ウィルグ先生だ。教師の中でも長い事この学園にいるらしい老教師で、私はこの教師が誰かを叱ったりする所しか見ていない。小言を言われないか警戒しながら進む。大丈夫、部活の時間はまだ先だし、テストの点はどうにか及第点だし、この広い廊下を走ろうとも思わない。
「そこのおぬし」
「はい、私に何か」
 不機嫌そうだったし、やっぱり話しかけられてしまった。内心を悟られない礼儀正しい態度、これが私の持ち味の一つだろう。なんてな。
「この先、素行の悪い生徒が暴れておったし、少々危険と言える。特に用も無いならば、ここで退く事も視野に入れるべきだ」
「忠告痛み入ります」
「うむ、ならば、気を付けるのだぞ」
 そう言ってウィルグ先生は去っていった。流石だ、私がそれでも進む気である事がバレバレだった。
 さらに進むと、廊下に何体かの竜が倒れていた。争いの形跡も無く、一方的にやられたと見るべきだ。
「確かに、少々強大な問題児がいるようだな」
 こういった場面を目撃する事で、竜族の悪い部分だけの噂が広まっていくのだろう。彼らだって良い所はあるが、伝わっていないのは寂しいな。
「しかし、逆に楽しみになってきたぞ。何か収穫があるまで戻らないからな」
 私を満足させる強者よ来たれ。久々に竜の血が疼き、一歩一歩踏みしめる足の力が強まった。


 そうしてしばらく歩くと、ドアが少し開いた教室を見つけた。竜族では通れない、ちょうど私が普通に入るくらいの隙間だ。
 突然剣が飛んで来たりしないか一応警戒しつつ、中を覗き込んでみる。そこには、たった一人窓際の席に座っているレクシアがいた。
 私はただ静かにその光景を眺めた。口を開いたまま声が出ないし、周囲の警戒なんて忘れてしまった。
 大きな教室の片隅で、差し込む夕日に照らされて佇む少女は、どこか寂しさも感じさせながら、同時に、あまりにも美しかった。
 椅子の足が踏んでしまうのではと心配になるほど広く長い、山吹色の髪。それは夕日で神々しく輝き、整った黒と白の学園制服がさらに引き立たせる。
 竜の国に一人生きる姫。この光景を真実と捉えるのは一般生徒には難しい話であり、うっかりすると都市伝説と化してしまいそうだ。それほどまでに彼女は他の生徒と違い、だからこそ、こんな時に寂しさを感じさせたのかもしれない。
「……誰、ですか」
 彼女の下がっていた頭がこちらを向き、低く声をかけてきた。流石にこうまじまじと眺め続けると気付かれてしまうのも仕方ない。
 しかし思えば、これはチャンスだ。他の竜族もいない中で、気になっていた彼女と話せる絶好の機会。きっと無意識に、私はこれを求めて竜の校舎へ赴いたのだろう。
「やあ、初めましてだ」
「あ……」
 挨拶して彼女の席へ向かう。竜族以外の見た目の生徒に驚いているのか、または私が竜だと気付けたか。困惑しているようなので、机を挟んで対面してから私はすぐに名乗った。
「私は一年のアルン、火竜だ」
 座る彼女を見下ろす構図となる。私が竜族だからだろうか、その頭に着けた竜角の髪飾りによって、疑似的に竜人族に見える頭部に安心感を得る。他にも様々なアクセサリーを付けていて、意外とファッションに気を遣っているのが分かった。自らの肉体のみを誇りとする周りの竜族は、そんなものに目もくれないはずなのに。
「えっと……わ、私は……レク――」
 おもむろに見上げ、顔の全体を見せてくれたレクシアだが、徐々に声が小さくなって首も下げていく。最初のイメージは思考の読めないクール系だったが、全くそんな事は無く、むしろ分かりやすかった。
 まあ、こんなクラスにいれば自己紹介は苦手か。申し訳ないから助けてやろう。
 私は手を伸ばし、レクシアの顎に手をかけて持ち上げた。私の手と比較して圧倒的に白い肌は見た目通り柔らかい。困惑して目が泳ぐその顔があまりに可愛いから、つい悪戯心が芽生えそうだ。
「大丈夫だ。レクシア。実は私は、お前を以前から知っている」
 自己紹介から救ってやるが、レクシアはまだ何も言えない様子。私が顔を近付け、その瞳を見つめると、相手はそれに応えるように目を合わせた。
 その赤い瞳は柔らかく輝く水晶のようだ。黄や青のイメージカラーに対して目立つそれから、私は竜の息吹を感じた。神聖種族だが、その瞳の額縁から覗いている世界は竜のものなのだと感じさせる、興味深いものだ。
「あっ……その角のそれ……」
 小声のレクシアが目線を上げた事で、私は我に返った。どれくらい時間が経ったか分からない。本当に意識を吸い取られそうな瞳だった。
 さて、その彼女が見つけたそれは、私の角にあるチェーン型のアクセだ。竜人以外の女子は角への理解が無いし、男子共は気にしてすらいないから、気にかけて貰えたのは初めてで嬉しかった。
「お、これに目を付けたか。私のお気に入りだ。というか、お前の髪留めも同じ店の奴じゃないか? 分かるぞ、あの店のセンスは他とは一線を画す」
 私がそう言って微笑むと、相手も目を輝かせて喜んでいた。
「そうだよね……! そっか、分かるんだ……!」
 このままガールズトークを続けるのも悪くなかった。だが視線が瞳以外に逸れた私は、机に置いてあった直方体のお洒落な箱に気付き、顎から手を放して指さす。
「それ、どうしたんだ? もう放課後の部活が始まる頃だが」
 十中八九、バレンタインのチョコが入っている事は箱のデザインから察する事が出来る。まあレクシアも女の子だ、私以外はみんなこのイベントは大事にしているのだ。――ちょっと寂しかった。
「うん……渡す予定はあったんだけど、出来なくなっちゃって。私が食べちゃうつもり」
 レクシアは箱に視線を落とすと、気持ちを誤魔化すように掠れた笑いをしながら答えた。
「……そうか、それは残念だったな」
「アルンさんは、渡したの……?」
 見上げて問うてくるが、相手の期待するであろう二択の外だ。
「生憎興味が無くてな。この催しには参加していない」
「そう……」
 再び顔を降ろすレクシア。こんな綺麗な奴の気持ちを受け取らず、こんな顔をさせるなんて、一体どんな野郎なんだ。異種族に理解の無い竜族かもしれないが、私はその誰かへの恨みを募らせた。
 しかしここで気になるのは、相手は竜か、人の見た目をしてるかどうかだ。レクシアはどんな男が好みなのか、気になってしまった。もし竜の腹に合わせてるなら、夕飯前に一人で食べるのは厳しくないか?
「じゃあ何かの縁だ、私にも少しくれないか?」
 私はレクシアの机に腰掛けて、ダメもとでお願いしてみる。
「あぁ、うん。もちろんいいよ」
 軽く了承された。男子に贈る予定だったチョコが食べられる! 私は歯を合わせて笑った。
「よし、ちょうど甘い物が食べたかったんだ」
「この時期の人間の教室は臭いそうだもんね、ふふっ」
 口元に手を添えて笑う姿を見ると、やはりこんな女子のチョコを受け取らない奴が信じられない。
 開いた箱の中には、丸いチョコが横に黒、白、黒と三つ並んでいる。白黒制服の学園にいると、それでやりたい事が分かってくる。
「ん……箱の大きさに対してチョコの位置が高い。もしやこれは、別の台紙で浮いてるな?」
「そう、正解」
 人差し指を立てて口角を上げたレクシアが、箱をこちらに持ち上げて差し出してくる。私は考え通り、真ん中の白を持ってひっくり返し、予想通り現れた黒いチョコを先ほどの位置に戻した。オセロニア学園らしさの溢れる仕組みだ。
「レクシア、お前もしかすると天才だな?」
「あの一瞬で見破ったアルンが凄いんだよ」
「そうかもな、ははっ」
「ふふっ」
 いつの間に私達はこの空気に馴染んでいる。普段喋る友達よりも、遠慮が要らなくて心から楽しい。
「じゃあ、遠慮なくいただくぞ」
「うん。召し上がれ」
 真ん中のチョコを手に取り、眺める。これは恐らく市販では無い。良く出来たチョコだ。これだけの物を渡したいと思える存在が、目の前のこいつの中にはいるんだ。私はそいつが誰なのか分からないし、当然ここにはいない。
 レクシアの全てをここで知る事は出来ないし、レクシアが私の知らない誰かを想っているというのが、少々寂しかった。学ぶ教室も違うから、今後も簡単に相手を知るのは難しいだろう。
 黒いチョコは見た目通りブラック。苦いのも味なら好きだが、今回は私の気持ちを後押ししているように思えた。
 逃げるように反対側の白を食べて、軽率に励まされる。単純な私は、その甘味の落差に溺れるように菓子を楽しんだ。
「ん、どうしたレクシア、変な顔して」
 別にそんな顔はしてないが、遊び心でからかってみる。
「はっ――何でもない、何でもないよ!」
 心当たりがあるのかないのか、手を振って慌てる姿が愛しい。もうちょっと反応を調べてみたい、こいつの笑顔、怒り顔、泣き顔、色んな顔が見てみたい。
 両端に挟まれてひっくり返った、このチョコレートみたいに。彼女を私の世界に連れ込んででも、近くにいて欲しいと思った。
「おかしな奴だな。ほら、作った本人も食べてみろ、店を出せるくらい美味いぞ」
「う、うんっ!」
 少々挙動不審になっているレクシアは、私の思考に気付いているんだろうか。鈍感そうだから分からないかな。
 そうして残り二つは私とレクシアで分けて、楽しい時間は終わった。私がふと時計を見ると、とっくに部活は始まっている事に気付いたからだ。時間の流れは早い。
 机から飛び降りて、再びレクシアに振り向く。
「こんなに美味いなら、来年はちゃんと強引にでも渡してみろ。それでも厳しいようなら、また私が食べに来てやるぞ」
 冗談だ、と付け足して笑った。来年もフラれて、私に慰められて欲しいなんて、最低な事を思った。この想いは、口には出せない。
「うん……でも大丈夫。来年は絶対、受け取ってくれるから!」
 そう言ったレクシアの満面の笑みは、私に衝撃と悲しみを生んだ。
 勇気を出して再挑戦出来るくらいに、私がチョコを褒めて慰めてあげられたんだ。その成果がこの女神たる笑みだ。私は喜ぶべきなんだ。
「ははっ、そうか。なら頑張れ。私も応援してるからな」
 笑って応援したが、複雑な感情だった。勿論レクシアが元気になってくれて、幸せを掴めそうになるのは嬉しいという思いだって、無くは無いんだ。
「私はもう行かなくては。久々に部活に遅れてしまった。責任とれるか、レクシア?」
「え、えぇ⁉ あ、アルンさんが勝手に来て、居座ってただけでしょ?」
 こいつは本当にからかい甲斐がある。ついついおかしくて笑ってしまった。
「ははっ! そう慌てるな。手厳しいが、確かにその通りだしな。あと、今後さん付けは要らないぞ。じゃあ、またなレクシア!」
 これ以上話し続けると、もう離れられなくなってしまう。私は別れを告げると、逃げるように教室から飛び出した。


 大きな廊下をのんびり歩く。どうせ遅刻だ、急いだ所で変わらない。
 それに気持ちが落ち着かないと、部活どころじゃなかった。風が通る運動着に、雪さえ降るこの季節だが、体が熱くなっていた。運動で感じる強い炎とは違う、温もりの炎だ。
 あの夕焼けで見たレクシアの姿が、顔が、声だけが、私の脳を支配する。
 どうやら私は、初対面からの短時間で、あの女神に心を奪われてしまったようだ。
「全く……相手は女だぞ。分かってるのか、この私め……」
 明日以降も普通に学園は時を刻み、レクシアはクラスの竜族と過ごすのだろう。来年チョコを渡す誰かの事を想いながら。そしてその場に、私はいない。
 そんな事を考えながら、私は普段通りの毎日を過ごせるだろうか。無理だ。もっと話したい、もっと知りたい、私の傍に欲しい。欲しい。
「あの交流で友達にはなれただろうが、あくまで友達止まりだな……」
 来年にはレクシアはどこぞの男子とくっつく、そう思うと悔しかった。それでいい筈が無い。
「そうだ、私もバレンタインにチョコを作って、あいつが男に動く前にくれてやろう!」
 私も女子だ、このイベント中に行動する力がある。男の方にはそれが無い。勝機を感じた。
 今後機会を探して、定期的にレクシアと関わってさらに仲良くなろう。私を忘れないでいて貰おう。
「待っていろ、白のレクシア。一年後に黒の私が、お前を挟んでひっくり返してやる」
 バレンタインなど下らないと思っていたが、撤回した。これは女の戦いだ。戦いにおいて、私は負けるわけにはいかない。
 高鳴る鼓動、燃え上がる想い。私は新たな感情と共に、校舎の外へ一歩踏み出した。
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登場人物紹介

イオラ(2年D組)

学園を舞台にした短編の全体としての主人公。彼女を主軸として、関わりのある生徒達の様々な視点で物語が展開されていく。

見た目や成績のわりに、かなりのおっちょこちょい。

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