2月・小さな恋の物語 竜に育てられた少女

文字数 7,162文字

「レクシア、両腕を机に乗せるのはいいが、その中に頭を沈めるな。そこに居眠り以外の目的はあるのか?」
 気付かれた私は顔を半分腕から出した。
「だってぇ……お父さんの話は家でも聞いて飽きちゃってるし……」
「学校では先生と呼ぶように。――これっ、トレグレニグも寝ようとするでない。隣の首が注意してやってくれ」
 トレグレ君がうるさいので目が冴えた。仕方なく姿勢を正して授業の進行度を確認する。
 人と比べて圧倒的に体の大きな竜族が集まるためのクラス。一年生でも教室の天井はあまりに高く、私が見上げ続けたらサイズ感覚が狂ってしまう。
 捨て子だった私は、今巨大な教卓の近くで立つ蒼い竜――イリオス先生に拾われて育てられた。お父さんは私を神族と予想したけど、別に確証は無い。
 体の構造はほとんど人間と同じ。だけど竜族と一緒に育ってきたので、ここオセロニア学園に入学しても人間とはどう話していいか分からず孤立し、イリオスにお願いして竜族メインのクラスに入れて貰った。ここは男性比率が高すぎるけど、人間よりよっぽど馴染みやすいし、それなりに楽しく会話も出来る。イリオスと比べてみんな気性が荒いのだけが怖いけど。
 ふと、窓の外を眺めれば、体育の授業をする人間達が見える。私のような人間と同じ体をした魔族や天使、竜人、というか巨大な竜族以外はみんな種族の差を感じる事無く一緒にグラウンドを駆け回っている。
「おい、男共! 授業だろうと私のチームで敗北は許さんぞ、走れ!」
 運動着から伸びる赤い尻尾を揺らしながら発する、勇ましい恫喝がガラス越しにでも私に届く。
「今はアルンさんのクラスが体育か……」
 学園の竜人に混ざって、本当の竜族が人間の姿で授業を受けている例外がある。それが今男子を率いてボールに向かっている同級生のアルンさんだ。
 私は同じ体格の生徒とは、実際に話したことはほとんどない。けど、雰囲気や力などで、私は彼女を竜族と確信。私が人間達を見ている時は、アルンさんを見ている時だ。他の人に目線を向けて、もし目が合ったらと思うと印象悪く見られそうで怖いのだ。アルンさんに気付かれた事も、多分無いんだけど。
 学園に入る前は竜族として荒々しく過ごしてきたのに、どうして自慢の鱗を一部剥いでまで人間の姿になって、みんなと馴染めるのだろう。私と彼女とでは、何が違うのだろう。
 そんな疑問と、ちょっとの憧れで、私は今日も彼女を眺め続けていた。
 授業の終わりを告げるチャイムで、私は慌てて正面を向く。聖なるブレスで消されていく黒板の字は――今回はお父さんの授業だから書かなくてもいいね。
「さて、これで今日最後の授業が終了だな。放課になるまえに荷物検査をしようと思ったが――今回は無しにしておこう」
 一部の教師がやってくるアクション。イリオスもその一人だ。しかしこの発言によって、歓喜だったり不穏だったりする声が教室にこだまする。
「今日はバレンタインだ。儂が持つ者持たざる者を確認し、無用な争いに巻き込まれるわけにはいかぬのでな」
 そう言ってイリオスは教科書を口にくわえ、教室から出ていった。
 助かった。こっそり作っていたチョコが入った大きめの箱を、他ならぬお父さんに今見られるのは避けられた。
 後ほどサプライズで日頃の感謝を伝えようとしていたので、ひとまず安堵の息をついて箱を通学鞄の中へ持っていく。さっきまで鞄に入れていなかったのは、鞄確認の荷物検査対策だ。
「あっ――」
 うっかりミス。思わず漏れた声と共に、箱が床に落ちる。幸い崩れもしなさそうな綺麗な倒れ方だったが、そんな小さな音に反応したクラスメイト達。
 圧倒的男子比率の竜族のみんなからしたら、女の子の声って珍しいようで。私が何かしくじったような声を出したので、みんな反応して振り向いたようだ。
 普段人見知りなせいで、ぶっきらぼうでちょっとだけ陰気臭い。そんな私が年頃の女の子らしい色とデザインをした箱を持っていた事が、みんなにバレてしまった。恥ずかしいのもあるけど、時期が時期だ。
「大丈夫、何でもないから、何でも……」
 改めて拾った箱を鞄に入れたが、クラスで特にうるさい三つ首のトレグレ君が話しかけてきた。
「レクシアちゃんタイムリーだねぇ。なあ右の」
「誰かへの贈り物じゃないか? なあ左の」
「少なくともお前らよりは、イケメンの俺の可能性高いなぁ」
「「同じ顔や」」
 三つ首の漫才じみた会話に、クラスのみんなが笑った。しかしその明るめなムードは続かなかった。
「そういえば今年は一年生にとって学園初のバレンタインだが、このクラスで誰か貰った者はいるか?」
 クラスの一人がそんな質問を投げる。そして別の一人が軽く腕を上げた。
 しばらくの静寂の後。
「オォン、テメェら裏切者が出たぞ!」
「竜族は本来孤高な種族ナリ!」
「逃げたぞ、追えェ!」
 咆哮と足音で教室が震える。私はその場で耳を塞いで静止。
 私は椅子の背もたれに体を沈め、シャツの胸元とスカートの裾を握って荒めに呼吸した。少し体が震えていた。
「はぁ、はぁ……バレンタインの男子って、あんなに怖いの……?」
 多少愉快で荒っぽくても、学園で授業を受けるくらいなので、みんな基本的にメリハリをもった真面目な竜達だ。神族女子の私がいきなりクラスに入ってきても、暖かく迎えてくれた良い竜達だ。そう思っていた。
「怖い。道理で数日前から教室がピリピリしてたんだ。この時期は男子と関わらない方が、私も男子も安全なのかもね……」
 私が話題の火種になってしまったし、もし私がクラスメイトに義理チョコでも送ろうものなら大騒ぎになっていたかもしれない。申し訳ない気持ちだ。このクラスに私というイレギュラーが入る事の危険性を、まだ教師陣は理解していないかもしれない。
「まあこれで放課後になるし。暗くなったり部活動が始まったりする前に、お父さんにこれだけ渡して帰ろうかな」
 私は周りに馴染めないから帰宅部だけど、だからこそ部活人間が騒いでくる前に帰るのは理想なのだ。
 幼少期お父さんから貰ってから、ずっと大事にしている羽のアクセサリー。それを付けた青い鞄のチャックを眺めてから、席を立って歩き出す。私以外の机や椅子は巨大なため、その足がぶつからないように避けて進んだ。


 そして先生を探す最中、クラスメイトの何体かが廊下に倒れているのを見つけた。
 その中に一人立つのは、沢山の曲がり角と黄色の翼が印象的なベテラン竜教師、ウィルグ先生だ。厳しい指摘はちょっと怖いけど、困っている生徒はいつでも助けてくれる。それを知る一部生徒からはとても好印象の先生だ。
「これは……一体何があったんですか?」
 私が顔を見上げて聞くと、ウィルグ先生はため息をついた。
「以前勉強を教えて貰ったとの件でチョコを献上してくる生徒が、儂のもとに幾人かおった。それを見たこやつらが、無謀にも迫ってきたというわけだ」
 それで、先生が成敗した、と。言われずともそれは、眼前の光景が証明している。
「レクシア君は確か、この生徒と同じクラスであったな。儂が言っても聞かん愚か者共だ、折を見て注意してやってくれ」
「あっ、はい、分かりました」
 私が少し早口になりながらも返事をすると、先生はその四本の足を逆方向に向け、全く、やれやれと繰り返しながら去っていった。優しい先生である事は知ってるけど、顔と声の威圧感に臆してしまうのは治らないなぁ。
 揃えた両膝を曲げ、抱えて、倒れたクラスメイトの体を拳で軽くつついてみる。
「あの、ロックドラゴン君」
 私の身長の二倍ほどある石の竜の首が、震えながら浮き上がる。私の持っている箱を見つめている。
「同士は多い……オレは、まだやれ――」
 箱を背中に隠したら、また倒れちゃった。他の男子も泡吹いてるし、ここはもう放置しておこう。――あ、また忘れてた。学園のスカート短いんだから、しゃがむなら注意しないと。
 そんな事より、私は別の事を心配していた。
「こんな状況でお父さんに近付いたら、余計な争いを引き起こしちゃう……」
 お父さんも私も、オセロニア学園では珍しく争いを好まない性質だ。私はやむを得ず諦めて、元来た道を引き返した。


 冬は日が早く沈むため、教室はもう黄昏に染まっている。
「普段はあれほどじゃないのに……男子って怖いなぁ」
 どうしたらいいか分からず、机の中央に置いた箱を眺めながら半分放心している。
「ああいう事してるから貰えないって分からないのかな……はぁ、どうしようこのチョコ」
 せっかくだから私がここで食べちゃおうか、なんて箱のリボンを解き始めたその時。こちらを覗き込む視線に気付いた。
「……誰、ですか」
 声をかけると、私が少し開けて閉め忘れた扉から、運動着を着た女子生徒が入ってくる。
「やあ、初めましてだ」
「あ……」
 後頭部で結んだ長い白髪、赤く立派な角と尻尾。この生徒は知っている。
 アルンさんは私の席まで悠々と歩くと、机を挟んで正面に立った。
「私は一年のアルン、火竜だ」
「えっと……わ、私は……レク――」
 自己紹介を返すために単語を探した。でも、ずっと見ていた人がこの教室にいるなんてまだ落ち着かない。目が合うのが気まずくなって少しづつ俯く。
 名前を言い終わる前に、アルンさんが私の下がった顎に手をかけて、再び上に浮かして目を合わせた。いつの間に距離が近くて、視線の逃げ場がない。その赤い瞳の炎は、私の心を熱くさせる。
「大丈夫だ。レクシア。実は私は、お前を以前から知っている」
 竜だし、体育の雰囲気から荒っぽい人と思ってたけど、この距離で見える整った顔と、長いまつ毛の美しさはイメージを否定した。
 どうしよう、私今顔に変な物ついてないかな、なんて気にし始めてしまう。全くそんな事はないのに、距離がどんどん近付いてくる錯覚に襲われ、心臓が破裂しそうだ。
 おしゃれもしない人かと思ったけど、角の所にアクセサリーを見つけた。
「あっ……その角のそれ……」
 どうにか出した発言は、やはり衝動的な発見報告が優先されてしまった。変な人と思われたに違いない。
「お、これに目を付けたか。私のお気に入りだ。というか、お前の髪留めも同じ店の奴じゃないか? 分かるぞ、あの店のセンスは他とは一線を画す」
 アルンさんは私の突然の話題変更に対応して笑ってくれた。そして私の言いたかったことも言ってくれた。
「そうだよね……! そっか、分かるんだ……!」
 今まで竜人の女の子とも話して無かったので、こういう話題を話せる人なんていなくて。緊張が和らいで、どうにか相手の顔を見る事に慣れてきた。
 私がようやく顎の補助無しでも顔を上げられると、アルンさんがそれに気付き、手を放してくれた。そしてリボンが解けたチョコの箱を指差した。
「それ、どうしたんだ? もう放課後の部活が始まる頃だが」
 バレンタインについても把握していて、そして私が渡す側の女子である事を理解しての疑問だろう。
「うん……渡す予定はあったんだけど、出来なくなっちゃって。私が食べちゃうつもり」
「……そうか、それは残念だったな」
 詳しい事は聞いてこなかった。相手も竜だ、色々と察してくれたんだろう。
「アルンさんは、渡したの……?」
「生憎興味が無くてな。この催しには参加していない」
「そう……」
 一応聞いてみたけど、内心期待していた返事が返ってきた。私もお父さんに渡そうとしてただけだから、アルンさんもなんというか、恋愛関係の話には疎いみたい。
 ちょっと雰囲気悪くなっちゃったけど、アルンさんが私の机に座った事でそれは破られた。窓から差し込む夕日はアルンさんの背中が受け止め、一部夕焼けに染まった顔に浮かんだ微笑は、私の視線を釘付けにした。
「じゃあ何かの縁だ、私にも少しくれないか?」
「あぁ、うん。もちろんいいよ」
「よし、ちょうど甘い物が食べたかったんだ」
 歯を覗かせて悪い子っぽく笑ったアルンさん。そんな顔も出来るんだ、と、また一つ相手を知れて嬉しくなった。
「この時期の人間の教室は臭いそうだもんね、ふふっ」
 私もつられて笑いながら、箱の蓋を開け、手作りチョコをお披露目する。三種の丸いチョコが横に並んでいて、左からブラック、ホワイト、ブラックだ。
「ん……箱の大きさに対してチョコの位置が高い。もしやこれは、別の台紙で浮いてるな?」
「そう、正解」
 目ざとく気付いたアルンさんの近くに、箱を持ち上げて向けてみる。すると、期待通り真ん中のホワイトチョコを手に取って、ひっくり返し、裏側に作っていたブラックを元の位置に置いた。
「レクシア、お前もしかすると天才だな?」
「あの一瞬で見破ったアルンが凄いんだよ」
「そうかもな、ははっ」
「ふふっ」
 楽しいって、心から思った。こうして気の合う同学年の女子生徒と話して、一緒に笑うのが。
「じゃあ、遠慮なくいただくぞ」
「うん。召し上がれ」
 最初にブラックチョコを食べて分かりやすそうに苦い顔をしたのが意外で面白くて。
 逃げるようにホワイトチョコを食べて、普段のカッコいい顔はそれこそチョコのように溶けて。なんだかとっても可愛くて、愛おしくて。
 食べられちゃった真ん中のチョコみたいに、今の私をひっくり返されたとしても――あなたに挟まれるように包まれて、同じ色に染まってみたい――なんてことを、ふと、考えてしまって。
「ん、どうしたレクシア、変な顔して」
「はっ――何でもない、何でもないよ!」
 箱を持ってない方の手を横に強く振って誤魔化す。心の声が漏れてないか心配になる。
 不思議な気分だ。今までにない経験によるドキドキで、おかしくなっちゃったのかな。
「おかしな奴だな。ほら、作った本人も食べてみろ、店を出せるくらい美味いぞ」
「う、うんっ!」
 左右両方同じだけど、どっちか一瞬だけ迷って手に取る。ちゃんと出来てるかひっくり返してみてから、口の中へ。
 同じものを事前に味見してた。けど今回は、ミスしちゃったかな、ってくらい甘く感じた。
 そうして三つ目はアルンさんに譲って、長いようで短い時間が終わってしまった。
「こんなに美味いなら、来年はちゃんと強引にでも渡してみろ。それでも厳しいようなら、また私が食べに来てやるぞ」
 冗談だ、と付け足したアルンさんの笑顔が、味の何よりの証明だ。またこの人が食べる姿を見たい。もっと腕を上げて美味しいのを作ったら、この人の顔がどんなに可愛くなってしまうのか、気になって仕方ない。
「うん……でも大丈夫。来年は絶対、受け取ってくれるから!」
 だって来年、本気のチョコを作って渡したいのは――今日美味しく食べてくれた、あなたなんだから。
「ははっ、そうか。なら頑張れ。私も応援してるからな」
 そう言って机に座った腰を浮かせたアルンさんは、片手を軽く振って微笑んだ。
「私はもう行かなくては。久々に部活に遅れてしまった。責任とれるか、レクシア?」
「え、えぇ⁉ あ、アルンさんが勝手に来て、居座ってただけでしょ?」
「ははっ! そう慌てるな。手厳しいが、確かにその通りだしな。あと、今後さん付けは要らないぞ。じゃあ、またなレクシア!」
「あっ、うん。またね、アルン……!」
 私の声が聞こえてなかったかもしれないくらい、足早に教室から出て行ってしまった。
「…………ふぅーっ……」
 長く息を吐いて、胸の上を軽く押し込み、その手を握った。一応自分の姿を見下ろして、ネクタイなどを確認する。――良かった、制服とか乱れてなかった。というか、全体を通して変な事言ってなかったかも不安になってきた。悪い癖だ、気にしても仕方ないよ。
「またね、か……また、なんて機会あるのかな」
 教室はあまりに遠いし、アルンの周りには私の苦手な人間達がいっぱいだ。現に二月の今日が初対面だし、偶然会うのは難しいだろう。
 でも。
「いつか、私もあっちの教室に行けるように、頑張りたいな」
 主に、初めて出来た同性の知り合いに会うために。
「友達……にはまだ、なれなかったかな」
 静かな教室が、今は寂しい。
 あの人との関係もまだ、一度会っただけの知り合い止まりだけど。今でも少し速くなっている心臓の鼓動と、季節を忘れるくらい熱くなった体は、私の気持ちを表すには過剰すぎるほど分かりやすかった。
「ていうか、友達になりたいくらいはさっき言えたよね! もー私ったら、ばかぁ……」
 そうは言うけど、実際あの場で思い出しても言えるか、となると厳しかったと思う。まだ自分の中で、相手に対しての思いは上手く説明出来ないから。多分今日の夜寝る時まで、ずっとさっきの出来事を心に溜め込んでいるだろうし。
「と、とりあえず……帰ろうか……」
 そう言って体を動かせた時には、アルンと話し終わってから数分が経ってしまっていた。振り返って、窓の綺麗な夕焼けを見上げると、アルンの顔が浮かんでくる。
 来年のバレンタインに向けて、気合が入ってくる。今よりもっと綺麗なのを作って、今彼女から胸に放たれた炎のような気持ちを伝えよう。まあ……相手も女の子だから、バレンタイン的に困惑されるかもしれないけど。
「その日までに、何回会えるかな……せめて、友達にはなっておきたいし……」
 人間のいる廊下を歩けるように特訓する決意などをみなぎらせ、私はようやく校舎を出る。以前ならうるさかった部活動の喧騒が、今は私の背中を押した。


「あ、お父さん夜普通に家に帰ってくるから、そこで渡せば良かったんだ」
 帰り道に今更気付いて、私は別のチョコを用意しに駆け出した。
 お父さんに今日の話をするか。それとも初めての隠し事をするか。そんな小さな悩みすら楽しくて、可笑しくて。クスクスと笑いながら、つい大きくジャンプした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

イオラ(2年D組)

学園を舞台にした短編の全体としての主人公。彼女を主軸として、関わりのある生徒達の様々な視点で物語が展開されていく。

見た目や成績のわりに、かなりのおっちょこちょい。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み