第9話 申命記

文字数 1,229文字

概要

 「申命記」の「申命」は「もう一度命じる」という意味があり、この書物には、命令(教え、掟、戒め、律法)の遵守が説かれている。貧しい人々に心を閉ざさず、十分に貸し与えなさいとか、見て見ないふりをしてはならないといった、現代でも通用するような教えもあるが、偶像崇拝者を聖絶しなさい、他民族の者と結婚してはならない、偶像をすべて破壊しなさいといった、現代では理解が得られにくいものもある。
 これに関して鈴木は、掟には偶像崇拝に関するものが多く、たとえば豚肉を食べることを禁止し、他民族との友好的な会食を禁じることで、偶像崇拝が入り込み、「主」の存在が地上から消えるのを防ぐためだったと述べている。また、イエスを信じるものは、「仮に豚肉を食べ、異教の人々と会食しても、もはや信仰が揺らぐとは考えられ¹」ないので、このような教えは使命を終えたと捉えられているとも述べている。
 さらに、「偶像を礼拝してはならないとか、人を殺してはならないという人間社会の普遍の『教え』は、今もそして今後も大切に守られることになります²」とも述べられているが、偶像崇拝の宗教はあるのだから、偶像礼拝の禁止が人間社会の普遍の教えとは言えないだろう。キリストの血の効力が、羊のような動物の血とは比べ物にならないほど大きく、永遠の効力をもっているという考え³についても同様であり、これらは信仰である。

申命記の本文

 読みなれてきたせいか、申命記は比較的に忍耐を要さずに読めた。鈴木の解説どおり、律法の遵守を訴える記述であったが、それに伴って、律法を守る目的や、ユダヤ教における神に対する考え、神観なども記されているように思う。
 モーセ、あるいは申命記の記者はこう述べている。「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神」(申命記5章6節)を「(おそ)れて、そのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え」(同10章12節)、神の律法を遵守することで、「幸いを得る」ことが律法を守る目的だと。
 ここに見られるように、神は祝福をもたらす存在として描かれるのだが、その一方で、他の神々に仕えると、「主の怒りがあなたたちに向かって燃え上がり、天を閉ざされるであろう。雨は降らず、大地は実りをもたらさず、あなたたちは主が与えられる良い土地から直ちに滅び去る」と(おど)す存在としても描かれている。
 モーセの歌では、つぎのように描写されている。(同32章39節)

わたしのほかに神はない。
わたしは殺し、また生かす。
わたしは傷つけ、またいやす。
わが手を逃れうる者は、一人もない。

ユダヤ教の神は畏るべき、畏敬すべき存在なのである。


注釈
₁ 鈴木崇巨. 2016. 『1年で聖書を読破する』. いのちのことば社. p.62
₂ 同上
₃ 同上. p.62-63

参考文献
鈴木崇巨(2016)『1年で聖書を読破する』いのちのことば社
共同訳聖書実行委員会(1987)『聖書 新共同訳』日本聖書協会
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