パール・バックの聖書物語 旧約篇
文字数 3,852文字
0 序
1 天地創造
2 エデンの園
3 カインとアベル=最初の殺人
4 ノアと洪水
5 バベルの塔
6 アブラムとロトの旅
7 ロト、捕虜となる
8 神のアブラムへの約束
9 旅人たちの訪問
0 序
パール・サイデンストリッカー・バック。The Good Earth、大地という長編小説で知られる小説家。中国語を話したアメリカ人。来日経験のある彼女は The Story Bible という聖書物語を書いている。
原語で聖書を読んだ父親が、なぜ彼女にヘブライ語とギリシャ語を教えなかったのか知らないが、パール・バックは英語で聖書に親しんだらしい。ヒンドゥー教、仏教などの聖典に対する理解も深かったであろう彼女は、キリスト教徒のバイブルを、このように捉えている¹。
バイブルは、旧約も新約も、いろいろな読みかたがある。ある人たちにとっては神の教えであり、たしかにそういう要素を含んでいる。他の人たちにとっては英語で書かれた最も純粋な文学である。またさらに他の人たちにとっては人間性の苦悩、葛藤、歓喜を知らせる知識の要約である。子どもたちにとっては話の本である。
キリスト教は東洋から発生した宗教であり、バイブルをアジアの本と理解する彼女はどのように聖書物語を書いたのだろうか。先に記した彼女の言葉を念頭に読み、思うところがあれば書き記したい。
1 天地創造
物語は、「はじめに神は天と地とを創造された」という文ではじまる。神が世界を創るという七日間の創世神話は、ミケランジェロに礼拝堂の天井画を描かせ、ハイドンにオラトリオを作曲させる霊感をもたらした物語である。
パール・バックは第一日目が始まる前の状況を、次のように描いている。
はじめに神は天と地とを創造された。
最初は何もなかった。地も、空も、光も、音も、生きているものも何ひとつなかった。すべてはやみと静寂であった。
やがて神の霊が何もないところに来て、それに形を与え、光をもたらされた。
つまり、世界創造の前は無ではなく、神が存在しており、創世の力をつかってすべてを造形したと描かれているのである。
人間は六日目に創造され、最初の人間アダムは、伴侶であるエバと「川と宝石の、花咲く木とゆたかな果実の地」であるエデンで暮らすこととなり、創造を終えた神は休むことになる。
バビロニアの習慣がどの程度反映されたものなのか知らないが、神が六日間で世界を創造し、七日目に休んだ、というのが天地創造で描かれた神話である。
2 エデンの園
エデンの園では、人間の不従順とこれに対する神の罰が描かれる。アダムとエバは、中央に命の木と善悪の木がある園で幸福に暮らしていたのだが、あるとき、蛇が「たけ高く美しい姿」であらわれ、こういう。
「それを食べると、あなたがたの目が開け、神々のように賢くなって、善悪を知る者となる」
善悪を知る木から実をとって食べてはいけないと神に言われていたのであるが、蛇によって「禁じられているがために、ほかのすべての実よりも好ましく」みえるようにされ、エバはその実を食べてしまう。さらに、彼女はアダムにもその実を与え、彼も禁じられた果実の味を知ることになるのである。最初の罪である。
この不従順を知った神は怒り、蛇、エバ、アダムに天罰を下すことになる。蛇は腹で這 い歩くようになり、エバはアダムに支配されるようになり、アダムは額に汗して働き、さいごに土に還 るものとなった。そのうえで、アダムとエバはエデンの園から追放されるのである。
このように、エデンの園は神に対する人間の不服従と罰を描いていると思われるのだが、ひとつ気になる箇所がある。それは、パール・バックが最後の部分に記した、「これで世界の完成は終わった。アダムとエバが従順でなくなったからである」という一文である。これは、人間の本性は、善悪を知るが、不従順であるという一種の性悪説のように思われる。
3 カインとアベル=最初の殺人
エデンを追放されてから、アダムは土を耕し、エバは夫を支えた。やがてカインとアベルが生まれる。兄カインは父の仕事を好み、土を耕したが、弟アベルは羊の世話を好み、羊飼いとなった。そして、人類最初の殺人が行われるのである。
きっかけは神への捧げものであった。カインとアベルは「おのおの祭壇を建て、主に供え物をした」のであるが、神はアベルのささげものをよろこび、「カインをよろこばれなかった」のである。カインは胸の中に「燃える怒り」を抱き、アベルといっしょに野に出かけ、けんかの結果、アベルを殺害し、死体を野原に横たわるままにした。
パール・バックは、このことをもう少し詳しく描写していて、「アベルは自分の身を神にささげているかのようであった」が、カインは「自分を惜しみなく供えようとはせず、神ののぞまれるものすべてをささげてはいなかった」と書いている。つまり、ここにおいて、神が供え物の評価に差をつけたのは、彼らの神に対する献身の度合いに差を認めたからだと考えられるのである。
パール・バックはカインを、神への献身が不十分なもの、信仰の足りないものとして造形しており、カインがノドという地で家族をもち、財を築く場面でも、「彼らは神を崇拝 しなかった」と説明されている。
4 ノアと洪水
アダムとエバには、セツをふくむ新たな子供たちが生まれ、大地は子供や子孫であふれるようになった。しかし、「人が地上にふえ始めると、人の悪もふえ始めた。」 セツの子孫であるノアたちをのぞき、主の言葉を聞こうとせず、「何が正しいことであるかがわからなくなり、またそれを気にしようともしなくなった」のである。
そこで、神はノアに箱舟をつくらせたあと、四十日と四十夜の間、雨を降らせ、地のおもてから人間たちを消し去った。
これが聖書物語に記された洪水神話の大体であるが、要するに神は律法を守らない人たち、破戒の人たちが滅ぼされ、律法を守る人たちが救済され、祝福を受けるという話である。このような洪水神話は世界各地にあり、聖書の洪水神話はシュメールの神話に影響を受けたものらしい。
この神話は映画にされるなど、現代文化にも影響を与えている神話で、日本文学の代表的作家にもインスピレーションを与えている。たとえば、『方舟さくら丸』という作品を書いた安倍公房には、「安倍公房は初期の作品から、旧約聖書の『ノアの方舟』のような、洪水で人間が滅びるイメージを繰り返し描きました²。」という批評がある。
5 バベルの塔
バベルの塔も、洪水神話と同じようなものかもしれない。バビロニア国の一部であるシナルの地に住んだノアの子孫たちは、「異教徒の神の神殿のように高い壮麗な」塔をつくり、「自分たちのなしとげた仕事を誇示」しようとした結果、神にことばを乱され、「同じことばを話す民の小さな群れがいくつも地上にあらわれ」るようになったからである。
並木浩一は「神はこれを人間の自己神化の試みとみて,以後作業のできないように言語を〈乱した〉」と評している。結局、神の目に悪と映るものが神罰を受ける話である。
6 アブラムとロトの旅
クルアーンでも高く評価されているアブラムは、ユダヤの聖典ではイスラエル民族の祖とされる。彼はセムの子孫であるテラの息子で、「あなたは国を出て、親族にわかれ、父の家を離れ、わたしが示す地へ行きなさい。」という神の声に従い、やがてカナンに住むようになる。
その後、テラの孫ロトと別れることになるが、カナンの地にとどまることにしたアブラムは、神から、「目をあげなさい。あなたの今いるところから北を、南、東、西を見わたしなさい。あなたの見わたす地全部を、あなたとあなたの子どもたちと、子どもたちの子どもたちに与えます。あなたの子孫を地のちりのように多くします。」と祝福されたと、パール・バックの聖書物語に書かれている。
ロトに関しては、「低地の町々の与える快楽を楽しむように」なったと語られており、アブラムとは対照的に描かれている。
7 ロト、捕虜となる
アブラムには義人として描かれる場面がある。ロトを救出する話がそれである。アブラムと別れたロトは、ソドムの町に住んでいた。ソドムの人々は「自分たちの快楽と富の追求以外は何も考えなかった」らしいのだが、彼らがエラム王たちとの争いに敗れたとき、ロトの財産は奪われロトは捕虜となった。そのロトを救出し、エラムの王たちの軍勢に奪われた財産をすべて奪いかえしただけでなく、「報いとしてはただ、自分の小さな軍隊の若者たちのために必要な食糧を受け取った」のがアブラムだったのである。
8 神のアブラムへの約束
神はアブラムの「義のために」、彼に大いに報いるという。それは一体何だったかというと、高齢であるアブラムとサライに子が生まれ、アブラムは「多くの国民の父」という意味のアブラハム、サライは「女王」を意味するサラになるという約束であった。
神は、やがてカナンの地は、永久にアブラハムの子孫のものになると告げるのだが、要するに、神が忠実であるアブラハムを祝福すること、神の意思がアブラハムを通してこの世で実現することを描くことが、この物語の主眼であろう。
9 旅人たちの訪問
注
₁ パール・バック. 刈田元司訳. 1999. 『聖書物語 旧約篇』. 教養文庫. p.3
₂ ヤマザキマリ. 2022. 安倍公房 砂の女. NHK出版. p.28
1 天地創造
2 エデンの園
3 カインとアベル=最初の殺人
4 ノアと洪水
5 バベルの塔
6 アブラムとロトの旅
7 ロト、捕虜となる
8 神のアブラムへの約束
9 旅人たちの訪問
0 序
パール・サイデンストリッカー・バック。The Good Earth、大地という長編小説で知られる小説家。中国語を話したアメリカ人。来日経験のある彼女は The Story Bible という聖書物語を書いている。
原語で聖書を読んだ父親が、なぜ彼女にヘブライ語とギリシャ語を教えなかったのか知らないが、パール・バックは英語で聖書に親しんだらしい。ヒンドゥー教、仏教などの聖典に対する理解も深かったであろう彼女は、キリスト教徒のバイブルを、このように捉えている¹。
バイブルは、旧約も新約も、いろいろな読みかたがある。ある人たちにとっては神の教えであり、たしかにそういう要素を含んでいる。他の人たちにとっては英語で書かれた最も純粋な文学である。またさらに他の人たちにとっては人間性の苦悩、葛藤、歓喜を知らせる知識の要約である。子どもたちにとっては話の本である。
キリスト教は東洋から発生した宗教であり、バイブルをアジアの本と理解する彼女はどのように聖書物語を書いたのだろうか。先に記した彼女の言葉を念頭に読み、思うところがあれば書き記したい。
1 天地創造
物語は、「はじめに神は天と地とを創造された」という文ではじまる。神が世界を創るという七日間の創世神話は、ミケランジェロに礼拝堂の天井画を描かせ、ハイドンにオラトリオを作曲させる霊感をもたらした物語である。
パール・バックは第一日目が始まる前の状況を、次のように描いている。
はじめに神は天と地とを創造された。
最初は何もなかった。地も、空も、光も、音も、生きているものも何ひとつなかった。すべてはやみと静寂であった。
やがて神の霊が何もないところに来て、それに形を与え、光をもたらされた。
つまり、世界創造の前は無ではなく、神が存在しており、創世の力をつかってすべてを造形したと描かれているのである。
人間は六日目に創造され、最初の人間アダムは、伴侶であるエバと「川と宝石の、花咲く木とゆたかな果実の地」であるエデンで暮らすこととなり、創造を終えた神は休むことになる。
バビロニアの習慣がどの程度反映されたものなのか知らないが、神が六日間で世界を創造し、七日目に休んだ、というのが天地創造で描かれた神話である。
2 エデンの園
エデンの園では、人間の不従順とこれに対する神の罰が描かれる。アダムとエバは、中央に命の木と善悪の木がある園で幸福に暮らしていたのだが、あるとき、蛇が「たけ高く美しい姿」であらわれ、こういう。
「それを食べると、あなたがたの目が開け、神々のように賢くなって、善悪を知る者となる」
善悪を知る木から実をとって食べてはいけないと神に言われていたのであるが、蛇によって「禁じられているがために、ほかのすべての実よりも好ましく」みえるようにされ、エバはその実を食べてしまう。さらに、彼女はアダムにもその実を与え、彼も禁じられた果実の味を知ることになるのである。最初の罪である。
この不従順を知った神は怒り、蛇、エバ、アダムに天罰を下すことになる。蛇は腹で
このように、エデンの園は神に対する人間の不服従と罰を描いていると思われるのだが、ひとつ気になる箇所がある。それは、パール・バックが最後の部分に記した、「これで世界の完成は終わった。アダムとエバが従順でなくなったからである」という一文である。これは、人間の本性は、善悪を知るが、不従順であるという一種の性悪説のように思われる。
3 カインとアベル=最初の殺人
エデンを追放されてから、アダムは土を耕し、エバは夫を支えた。やがてカインとアベルが生まれる。兄カインは父の仕事を好み、土を耕したが、弟アベルは羊の世話を好み、羊飼いとなった。そして、人類最初の殺人が行われるのである。
きっかけは神への捧げものであった。カインとアベルは「おのおの祭壇を建て、主に供え物をした」のであるが、神はアベルのささげものをよろこび、「カインをよろこばれなかった」のである。カインは胸の中に「燃える怒り」を抱き、アベルといっしょに野に出かけ、けんかの結果、アベルを殺害し、死体を野原に横たわるままにした。
パール・バックは、このことをもう少し詳しく描写していて、「アベルは自分の身を神にささげているかのようであった」が、カインは「自分を惜しみなく供えようとはせず、神ののぞまれるものすべてをささげてはいなかった」と書いている。つまり、ここにおいて、神が供え物の評価に差をつけたのは、彼らの神に対する献身の度合いに差を認めたからだと考えられるのである。
パール・バックはカインを、神への献身が不十分なもの、信仰の足りないものとして造形しており、カインがノドという地で家族をもち、財を築く場面でも、「彼らは神を
4 ノアと洪水
アダムとエバには、セツをふくむ新たな子供たちが生まれ、大地は子供や子孫であふれるようになった。しかし、「人が地上にふえ始めると、人の悪もふえ始めた。」 セツの子孫であるノアたちをのぞき、主の言葉を聞こうとせず、「何が正しいことであるかがわからなくなり、またそれを気にしようともしなくなった」のである。
そこで、神はノアに箱舟をつくらせたあと、四十日と四十夜の間、雨を降らせ、地のおもてから人間たちを消し去った。
これが聖書物語に記された洪水神話の大体であるが、要するに神は律法を守らない人たち、破戒の人たちが滅ぼされ、律法を守る人たちが救済され、祝福を受けるという話である。このような洪水神話は世界各地にあり、聖書の洪水神話はシュメールの神話に影響を受けたものらしい。
この神話は映画にされるなど、現代文化にも影響を与えている神話で、日本文学の代表的作家にもインスピレーションを与えている。たとえば、『方舟さくら丸』という作品を書いた安倍公房には、「安倍公房は初期の作品から、旧約聖書の『ノアの方舟』のような、洪水で人間が滅びるイメージを繰り返し描きました²。」という批評がある。
5 バベルの塔
バベルの塔も、洪水神話と同じようなものかもしれない。バビロニア国の一部であるシナルの地に住んだノアの子孫たちは、「異教徒の神の神殿のように高い壮麗な」塔をつくり、「自分たちのなしとげた仕事を誇示」しようとした結果、神にことばを乱され、「同じことばを話す民の小さな群れがいくつも地上にあらわれ」るようになったからである。
並木浩一は「神はこれを人間の自己神化の試みとみて,以後作業のできないように言語を〈乱した〉」と評している。結局、神の目に悪と映るものが神罰を受ける話である。
6 アブラムとロトの旅
クルアーンでも高く評価されているアブラムは、ユダヤの聖典ではイスラエル民族の祖とされる。彼はセムの子孫であるテラの息子で、「あなたは国を出て、親族にわかれ、父の家を離れ、わたしが示す地へ行きなさい。」という神の声に従い、やがてカナンに住むようになる。
その後、テラの孫ロトと別れることになるが、カナンの地にとどまることにしたアブラムは、神から、「目をあげなさい。あなたの今いるところから北を、南、東、西を見わたしなさい。あなたの見わたす地全部を、あなたとあなたの子どもたちと、子どもたちの子どもたちに与えます。あなたの子孫を地のちりのように多くします。」と祝福されたと、パール・バックの聖書物語に書かれている。
ロトに関しては、「低地の町々の与える快楽を楽しむように」なったと語られており、アブラムとは対照的に描かれている。
7 ロト、捕虜となる
アブラムには義人として描かれる場面がある。ロトを救出する話がそれである。アブラムと別れたロトは、ソドムの町に住んでいた。ソドムの人々は「自分たちの快楽と富の追求以外は何も考えなかった」らしいのだが、彼らがエラム王たちとの争いに敗れたとき、ロトの財産は奪われロトは捕虜となった。そのロトを救出し、エラムの王たちの軍勢に奪われた財産をすべて奪いかえしただけでなく、「報いとしてはただ、自分の小さな軍隊の若者たちのために必要な食糧を受け取った」のがアブラムだったのである。
8 神のアブラムへの約束
神はアブラムの「義のために」、彼に大いに報いるという。それは一体何だったかというと、高齢であるアブラムとサライに子が生まれ、アブラムは「多くの国民の父」という意味のアブラハム、サライは「女王」を意味するサラになるという約束であった。
神は、やがてカナンの地は、永久にアブラハムの子孫のものになると告げるのだが、要するに、神が忠実であるアブラハムを祝福すること、神の意思がアブラハムを通してこの世で実現することを描くことが、この物語の主眼であろう。
9 旅人たちの訪問
注
₁ パール・バック. 刈田元司訳. 1999. 『聖書物語 旧約篇』. 教養文庫. p.3
₂ ヤマザキマリ. 2022. 安倍公房 砂の女. NHK出版. p.28