第11話 泣沢女

文字数 734文字

〈十一〉泣沢女(なきさわめ)

 その後もミノルは(うつ)のまま、部屋から動けず苦しんでいた。
 ミノルは亜矢子が死んでからうまく眠れなくなっていた。その夜、また浅い眠りから覚める。

 このまま三畳一間(さんじょうひとま)の部屋にいると頭がおかしくなりそうだった。ミノルはアパートを飛び出し、神社に足を運んだ。木々の合間からの月明かりが参道を照らす。暗がりによって周りのものは一切見えず、道がわずかに認識できる程度だった。森閑(しんかん)と静まり返った参道は、この世の無常(むじょう)を現しているかのようだった。

 ジャリジャリと小石の摩擦(まさつ)の音だけが静寂(せいじゃく)の中に(ひび)く。それが(むな)しさを一層かき立てた。こんな気持ちを以前も味わったことがある。いつだったか・・・。そうだ、あれは・・(こわ)れかけた心が眠っていた光景を少しずつ呼び覚ます。
 最後に母と会ったときの記憶が、ミノルの中でぼんやりと黄泉帰(よみがえ)った。

 母は病室にいた。美しい人だった。白い病院服に身を包み、まっ白いシーツの敷かれたベットの上にやや上体を起こした状態でねていた。まだ小学生で状況もよくわからないミノルはどぎまぎして何もしゃべらなかった。間もなく、父に(うなが)されて病室を出ようとしたとき

「ミノル・・」

やわらかい声に呼び止められて振り返った。

「ありがとう・・」

そう言って母はやさしく微笑(ほほえ)んだ。
母は結核(けっかく)だった。

 ミノルは今でもあの言葉の意味がわからない。ミノルは母に何もしていない。何もできなかった。何も母に与えてはいないのだ。

「もっと深いところよ」

 次の瞬間、亜矢子の顔が浮かんだ。あの時の()み切った(ひとみ)が浮かんだ。
 母と亜矢子のそれぞれ全く別の言葉が、なぜか重なって一つになっていくように感じられた。

 俺は、()だ、彼女らから(もら)った言葉に(あたい)することをしていない。
 ミノルの目から大粒(おおつぶ)の涙があふれた。
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登場人物紹介

ミノル

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生

亜矢子(アヤコ)

同智社大学文学部(英文学専攻)の女学生

四郎

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生


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