第12話 共生の選択肢

文字数 2,503文字

〈十二〉共生の選択肢

 ミノルは授業に出始めた。

 あれからミノルは徐々に持ち直した。暗澹(あんたん)と沈み込むような日が減っていき、眠れる夜も増えていった。
 留年によって四郎と会う機会は減った。しかし会ったときでも、四郎は人が変ったように無口になっていて、どこか影があるような印象を受けた。大学図書館にいくと、時々新聞を(けわ)しい表情で眺めていた。しかし、ミノルはあえて声をかけることはしなかった。

 大学からの帰り、大鴨川にさしかかるとミノルは橋の下に目をやった。老人が孤独の(さび)しさを(まぎ)らわすかのように、食べ残しのパンを千切って()いている。それをハトとスズメが夢中でつついており、カラスが少し離れたところから静かに眺めている。

 ミノルはふと四郎がいつか話してくれた、チョウチョとアリのことを思い出す。確かチョウチョの幼虫はアリに(みつ)を与え、アリは幼虫を守っている。その刹那(せつな)、以前読んだイリヤ・メチニコフの論文が頭をかすめた。微生物学者イリヤ・メチニコフはヨーグルトの乳酸菌の効能を発見した人物だった。
「そうさ共生、相利(そうり)共生だよ!」
突如(とつじょ)目の前が明るく開けたような感覚をおぼえ叫んだ。ミノルは世界の一つの真理に到達した。

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 久しぶりにオサムが京安に遊びに来た。ミノルは丸山公園を案内した。丸山公園は祇園(ぎおん)の奥の坂の上にあり、春には桜の名所として知られる市民(いこ)いの場だ。公園の中ほどに、志半ばで散った維新志士の銅像が建てられていた。この志士は無血革命に尽力(じんりょく)したことで知られ、維新後は海外貿易に尽くすことを夢見ていたという。彼の思い描いた国家像は貿易立国であったろう。言うまでもなく、貿易立国とは異なる他者との共存を前提とした概念である。

「へー、ここにもあるんだ。四国の高智(こうち)に大きいのが造られたってのは聞いてたけど」
「そうさ。こっちのはまだできて間がないけどね。で、この公園からすぐ南に彼の眠ってる墓があるよ」
「そうなんだ。なんか、この場に立つと不思議な感じだな。彼がいたから、今の僕らがいる・・」
像は坂の上から、京安の街を物憂(ものう)げに見下ろしていた。

「僕は今考えている。多くの人に感動を与えられる仕事をしたいって」
オサムは長い沈黙(ちんもく)の後、切り出した。

「それはつまり医者として生きるのではなく、以前言っていたアニメーション映画の仕事をするってことかい」
「ああ」
「それはもったいないだろう。せっかくの今の場所にいるのに」
ミノルは驚いた。

「かもしれない。でも、何かのメッセージをもって人を感動させるっていうのは、人命を救うのと同じくらい尊いことなんじゃないかって思うんだ」
確かにそうだ、とミノルは今だから思う。俺はいろんな人からの言葉に力をもらって立ち直った。その言葉に支えられて、今の自分がいる。今この場に立っている。それはどんな薬よりも治療よりもミノルにとっては大きいものだった。

「それで、今ちょっと考えているストーリーがあってね。もしアニメーションの仕事をすることになったら将来是非(ぜひ)やってみたい」
「どんな内容だい」
「未来の話さ。少年が交通事故で死ぬんだ。でもそれを感情のあるロボットとして(よみがえ)らせる。人が死ねば悲しみ、悪に対しては怒りの感情を持つ。その正義のヒーローが空を飛び、困った人を助け、百万馬力で悪者を倒していくんだ」
「ヒューマニズムに(あふ)れた君らしいストーリーだね。でも、百万馬力って、ロボットは何で動いてんの?」
「原子力さ」
「なるほど、原子力か・・・」

ミノルは亜米利加留学のときの記憶が蘇った。
「未来の人間は原子力をそんなふうに使うだろうか」
「使うさ。使わなきゃいけない」
「そうだな・・」
ミノルは相槌(あいづち)をうつ。
「僕たちはその頃生きちゃいない。でも、未来にむかってメッセージを発することはできる」
オサムは力強く言った。

オサムと別れたあとミノルは大鴨川の河川敷(かせんじき)を歩いた。西日が川面(かわも)を赤く照らす。
 ミノルは思う。医者は一人で戦っているわけじゃない。先人たちの犠牲(ぎせい)と積み重ねの上に立っている。例え志半ばで死ぬことになったとしても、その研究は次の世代に受け継がれ、その上に新たなものが生み出される。医者は過去の人々や未来の人々と一緒に戦っているのだ。自分自身の一生に何も成果がなかったように見えても、やってきたことには必ず意味がある。
 そしてそれは、映画だろうと文学だろうと、その他のことであろうと、なんら変わるところはないのだ。
 ミノルは川面に目を向けた。大鴨川の流れは無数のうねった反射板を形作り、あたかも命を持って動く万華鏡(まんげきょう)のようにキラキラと(かがや)いていた。そこに鮎の姿はもう無い。

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 その夜夢を見た。夢を見ながら夢とわかったのは、留年した自分が四郎と同じ授業を受けていること、四郎が饒舌(じょうぜつ)だったことからだった。二人は大講堂の一番後ろの席で授業の開始を待っていた。

 ミノルは、先日来自分が温めている将来のビジョンを、(せき)を切って四郎にしゃべった。
「胃酸にも耐性(たいせい)を持つ乳酸菌が存在するはずなんだ。病原菌の体内増殖(ぞうしょく)を抑制し、体の免疫力(めんえきりょく)を高めるような乳酸菌が。それ含んだ食品を安く広く流通させれば、経口摂取(けいこうせっしゅ)だから一度に多くの人を救える。売上げは更なる乳酸菌の研究に当てる」
「ほう、その考えはすごいな」
四郎は目を丸くした。

「いや、君が教えてくれたんだよ、君には感謝してる」
「いや俺は何もしていない。お前が自分自身の力で生み出したものだ。どんな困難にあっても、どんなに挫折(ざせつ)しても、お前なら必ず()い上がる。そして最後にはやり()げる。わかっていたさ。・・さぁ・・これでもう大丈夫だな」
四郎は(さび)しそうに笑った。

「どうした。今日はやたら持ち上げるじゃないか」
「それよりお前すごい眠そうだぞ。またバイトやりすぎてるんだろう。俺がノートとっておいてやるから少し休め」
そう言われるとすごく激しい眠気に(おそ)われた。
「そうかい、悪いな」
ミノルは机の上に突っ伏して目を閉じる。
ほどなくして彼は深い眠りに落ちていった。

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登場人物紹介

ミノル

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生

亜矢子(アヤコ)

同智社大学文学部(英文学専攻)の女学生

四郎

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生


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