第8話 最期の涙

文字数 755文字

〈八〉最期(さいご)(なみだ)

 亜矢子の容体は日を負うごとに悪くなっていった。

 厳しい冬が終わり春になった。鞍馬(くらま)の雪解け水が清流となって大鴨川に注ぐ。(ふき)が芽を吹き、梅が咲き、それが終わると桜が咲いた。河川敷(かせんじき)のいたるところに黄色く光るたんぽぽが顔を出し、天道虫(てんとうむし)が舞う。

 ()え出づる春に生気を吸い取られるかのように、彼女の命は(はかな)さを帯びていった。星空のようにたんぽぽの咲き乱れる川べりを見ていると、まるでそれは二人の運命を分かとうとする天の川のようにも見えた。
 ミノルは病院に行った。それは何度目の見舞いだろうか。もう亜矢子は眼窩(がんか)も落ち(くぼ)んで(くま)ができ、痛々しいほどやつれ細っていた。もう起きる力も残っていない。彼女はベットに横たわったまま天井を見つめていた。

「ミノル、今日で最後にして」
亜矢子はわざと突き放すように言った。

 ミノルは黙って花瓶(かびん)の花を取り換える。彼が持ってきたのはミツマタの花だった。亜矢子は驚いたようにその花を見つめた。
 彼女にはこのミノルからの返歌(へんか)が伝わったはずだ。

「・・・ねえ、いつか愛宕(あたご)の神様の話・・してくれたわよね」
「ああカグツチのことだね」
ミノルは(うなず)いた。

「ミノルが言ったから興味が出て・・手術の合間にね、この国の・・」
亜矢子は痛みをこらえるような顔をしながら、懸命(けんめい)な様子で途切(とぎ)れ途切れの言葉をつむいだ。
「・・この国の、神様について書かれた本・・読んでみたの」
「うん」

「イザナミはカグツチを産んで・・火傷(やけど)で死ぬでしょう。それで・・それで、イザナギはイザナミの体を()いてむせび泣くの・・そしたらね」
ミノルは黙って聞いていた。

「そしたらその涙から・・ナキサワメっていう女の神様が生まれるの・・」
そう言って、亜矢子は目を閉じた。

「それって・・悲しいけど・・素敵(すてき)なお話よね・・」
目尻からは一筋の涙がつたっていた。
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登場人物紹介

ミノル

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生

亜矢子(アヤコ)

同智社大学文学部(英文学専攻)の女学生

四郎

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生


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