第4話 三又の肢

文字数 2,376文字

〈四〉三又(みつまた)(あし)

 ミノルの大学の授業は専攻(せんこう)や語学の一部を(のぞ)いて出席はとらないし、欠席の減点もない。もちろん欠席し続けてその間にあった課題などを提出していなければその分は減点になるし、人数の少ない授業では教官の心証(しんしょう)としてマイナスになるであろうが、多くの科目は期末のテスト一発勝負である。実力があればどれだけ欠席しようが自由だ。また、この地は帝都(ていと)から遠く(はな)れているため、表現活動や研究内容もかの地よりは若干寛容(じゃっかんかんよう)な部分があった。自由の学風と呼ばれるのはそのためである。

 ミノルの周りにも出欠をとらない授業はそっちのけでアルバイトに(はげ)む学生が多数いた。みな苦学生(くがくせい)であった。ミノルは授業は全部出ていたが、アルバイトも三つ()け持ちしていた。英語の家庭教師、飲食店の店員、新聞配達である。さらに奨学金(しょうがくきん)も借りていた。ミノルは母を早くに()くしており、また、実家では中学生の妹もいたので父親からの仕送(しおく)りを断っていた。この殺人的なアルバイトの掛け持ちは亜米利加留学の費用を()めるためでもあった。

 その日の授業が終わり、千万偏(せんまんべん)の十字路を横切り市電の停留所(ていりゅうじょ)に向かおうとしていると、後ろから四郎の声がかかった。

「よう、これからバイトか」
「ああ、眠いし腰痛(ようつう)だし気乗りしないけどね」
「ミノルは働きバチだな」
四郎は横に並んで歩きだした。

「まぁ仕方ないよ。留学なんて贅沢(ぜいたく)やらかそうとしてるんだから、これくらいはしないとな」
「そんな寝る間も()しんで働いて勉強して、彼女とうまくいってんのか」
四郎は軽口をたたく。

「むこうがどう思ってんだか。こないだ下鴨川神社のあたりを一緒に散歩したけどね」
「ああ、あのカラスを(まつ)ってるところか」
「カラス?」
ミノルは意外に思って聞き返した。

「なんだ知らなかったのか、お前うんちく詳しいのに。確か初代神武帝(しょだいじんむてい)の道案内をしたとかいう三足烏(さんそくう)さ」
「へぇ・・そうだったっけ」
「俺こないだあそこの横を通った時に、なぜか子供の頃のこと思い出したよ。森でとったカブトムシを家で()おうとした。でも死なせてしまって、家の庭に泣きながら()めるんだ」
四郎は遠い目をした。

「で、どうだった」
「何が?」
ミノルはとぼけた。
「何がって、逢引(あいび)きの感想さ」
四郎はその実関心(じつかんしん)のなさそうな様子で聞いた。いつもどおり話題のネタ()りをしているだけなのだ。
実際これまでの付き合いで、四郎という人間は周りの女性に興味を示さなかった。とあるものには無茶苦茶(むちゃくちゃ)有るのに。

「別に大した話もできなかったよ。あの森、(せみ)もうるさくてムードも無いしね」
のろけ話は流石(さすが)に恥ずかしく咄嗟(とっさ)に蝉のせいにした。

「うるさいとか言うな。蝉の幼虫は七年間も地中にいて、やっと地上に()い出て空を飛べると思ったらその十日後には死ぬんだ。ファーブルも蝉には同情してるだろ」

しまった、またファーブルだ。ミノルは地雷(じらい)()んだことに後悔(こうかい)した。
「蝉には同情するよ。ただ昆虫記(こんちゅうき)は読んだことないからよくわからん」

「あんな面白(おもしろ)いものをなぜ読まん。子供の頃に読んだのだが今でも忘れてない。これを聞いたらお前も今度こそわかる。いいか、青虫を毒針で殺してその表面に卵を産み付けるハチがいてな。その卵がかえるまでの長い間そして孵化(ふか)してハチの幼虫が青虫を食べる間、その青虫は瑞々(みずみず)しい青色のままだ。(くさ)ったり()ちたりしなかった。ファーブルはそれを不思議(ふしぎ)に思った。なぜそんなことが起こると思う?」
四郎はもう昆虫の話で夢中だ。

「さぁ、わからんけど、針の毒に防腐剤(ぼうふざい)でも入ってるんじゃないか?」
ミノルは長くなりそうなのに内心舌打ちしながらてきとーに言った。

「おしい!(すじ)はいい。ファーブルも最初はそう思った。でも調べると驚愕(きょうがく)の事実が判明したのさ」
おいおい、なんの筋だと心でツッコみを入れながら、不覚にも興味が()いてしまった。
「で、なんだったの?」

「青虫は死んでなかった。ハチの針から出されているのは毒薬ではなく強力な麻酔薬(ますいやく)だったんだ。ファーブルでさえ死んでいると思ったほどのね」
四郎はどうだすごいだろうという顔をした。

「しかしそうすると青虫は生きながら食われていってるってことだろ。残酷(ざんこく)じゃないか」
「そうか?俺はこれを読んだとき興奮(こうふん)したね。あとこんなのもあるぞ。シジミチョウの幼虫はな、体から蜜をだす。アリはシジミチョウの幼虫からそれをもらう。シジミチョウの幼虫はアリが周りにいることで守ってもらえる。お互いメリットのあるこういう関係を相利共生(そうりきょうせい)というんだ。そんなシジミチョウも成虫は二週間で死んじまう」

四郎は一息入れてからさらに語気を強めた。
「こんな一生で終わりなんて可哀想(かわいそう)だと思わないか?やつらはもっと大きな可能性を持ってるはずなんだ。やつらは一途で良いよ。強欲な人間なんかより(はる)かに良い」

「だが生き物っていうのはまず伴侶(はんりょ)を見つけ子孫を残すことだよ。たとえそれだけで短い一生終わったとしてそれが下らないとは思わないけどな」
「生き方を選べるやつはいい。だが宿命づけられているやつはどうなる」
四郎は少しムキになってきた。こいつは虫の話になると止まらない。ミノルは話を変えようとした。

「しかし、あれだな、さっきのハチじゃないが、俺たちが医者になった場合も、患者に注射するとき薬を間違わないよう注意しないとだめだな。患者は医者がすることを信じるしかないんだから」
少々無理気味の話題転換だ。

「え?まぁ、そうだな、医学は紙一重(かみひとえ)だ。医学は人を生かす手段にも、殺す手段にもなりえる」
話は途切(とぎ)れた。

市電が来た。これから飲食店のアルバイトだ。四郎とはここでお別れだ。

「ミノル、話をもどすと、ノミはな、あの小さな体で三十センチも跳躍(ちょうやく)できるんだ。これは人間でいえば三百メートル、浪速通天閣(なにわつうてんかく)の四倍の高さまで高跳(たかと)びするのに等しい。この驚異的(きょういてき)な跳躍力を支えているのが・・・」

ミノルは昆虫バカを(ほう)って市電に乗り込んだ。



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登場人物紹介

ミノル

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生

亜矢子(アヤコ)

同智社大学文学部(英文学専攻)の女学生

四郎

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生


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