第2話 プロメテウスの火

文字数 1,387文字

〈二〉プロメテウスの火

 下鴨川神社(しもかもがわじんじゃ)の鳥居前に行くとすでに亜矢子が待っていた。
「もう、おそい」
彼女は(ほお)(ふく)らませる。

「いや俺は悪くないんだ、授業が長引いちゃって」
「もう、ミノルはそうやってすぐ言いわけする」

 つんと横にむけたその顔は子供っぽさを残しつつも目を背けられない美しさがあった。(はかま)矢羽根模様(やはねもよう)の着物がよく似合い、今日はアクセントに白いリボンで髪をポニーテール状にくくっている。

 同智社大学(どうちしゃだいがく)文学部の女学生・亜矢子(あやこ)と出会ったのは大賀茂橋の上だった。この橋の朝は喧騒(けんそう)に包まれる。橋の東にある京安帝国大学と橋の西にある同智社大学への通学にそれぞれの学生・職員が行き交うからである。ミノルは橋を西から東へ、亜矢子は東から西へと急いでいた。ミノルがいつもの(くせ)川面(かわも)へと目を向けたときにぶつかってしまったのだ。亜矢子は尻もちをついて(かばん)から教科書が飛び散った。ミノルはあわてて亜矢子の教科書を(ひろ)い集めて手渡し謝罪した。

 それが二人の(えん)だった。その後、自然と合うようになり、この神社の鳥居前が待ち合わせ場所の一つとなった。

「ねぇ、聞いてる?」
「え、なんだっけ」
ミノルは(あわ)てて聞き返す。

「もう、なんかミノル、この神社にいるときよくボーっとするよね」
「いやごめんごめん、初めて会ったときのことが浮かんで」
「ふーん、本当なんだかどうだか、またてきとーなこと言って」
亜矢子はジッとミノルを見つめた。光の加減によって臙脂色(えんじいろ)に輝く彼女の大きな虹彩(こうさい)は、ミノルの心をいつも射抜(いぬ)くのだった。

「久しぶりにお参りしないか」
ドキッとしたミノルはあわてて歩き出した。

 参拝が終わると二人は元来た参道を下っていく。ミノルはいつも亜矢子の白い手を握りたいと思うのだが、戸外で男女が手をつなぐなど風潮として到底容認されるものではなかった。

「ミノル、この神社は都の北の守り神だって言ってたわよね」
亜矢子は話しかけた。
「うん、そうだよ。それで、北東を守っているのが延歴寺(えんれきじ)、北西を守っているのが愛宕宮(あたごぐう)なんだ」
「愛宕宮って台所とかに(まつ)ってるあれ?」
亜矢子がこちらに(まぶ)しい顔をむける。

「そう。カグツチっていう火の神様だからね。国産みの神様であるイザナギ・イザナミ夫婦の間に生まれた子神さ。でもイザナミはカグツチを産むときの火傷(やけど)で死んでしまうんだ」
「それって火に対する警鐘(けいしょう)を神話に込めたんじゃないかしら」
「というと?」
今度はミノルが亜矢子に顔をむけた。

「私ギリシャ神話なら知ってるんだけど、プロメテウスの火って話があるの」
「うん」
「寒さに(こご)える人間を(あわ)れんでプロメテウスっていう神様が天界の火を盗んで人間に与えるの。でも人間はその火を利用して戦争を始めた。その(とが)でプロメテウスは主神ゼウスに(はりつけ)にされるのよ」

「へー、そんな深い話があるのは知らなかった。」
「そお?けっこうギリシャ神話とか旧約聖書(きゅうやくせいしょ)知ってると、インスピレーション()くのよね」
亜矢子は(うれ)しそうに微笑(ほほえ)んだ。

「伝えようとするメッセージは国が違っても同じなのかもね。さすがは将来の世界的絵本作家さんだ」
「あら言うわね。将来のノーベル賞候補さん」
二人は顔を見合わせて笑った。

 風俗(ふうぞく)が乱れているといわんばかりに、横を年配の夫婦が(まゆ)(ひそ)めてすれ違って行ったのも気にならなかった。
 ミノルは亜矢子のからかうような口調が好きだった。彼女は絵本作家になりたいという夢を持っていた。
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登場人物紹介

ミノル

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生

亜矢子(アヤコ)

同智社大学文学部(英文学専攻)の女学生

四郎

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生


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