第7話 警醒の道

文字数 1,066文字

〈七〉警醒(けいせい)の道

 四郎は大学からの帰り、神社にふらりと寄った。

 この神社は、大鴨川(おおかもがわ)を下流から遡上(そじょう)した場合、その川が東西の支流に分かれる分岐点(ぶんきてん)にある。東に小高野川、西に小賀茂川、南に大賀茂橋を(のぞ)み、すぐ南東には京安帝国大学が、南西には同智社大学がある。参道は南北八百メートルに及びその一帯は豊かな森となっている。正月ともなれば初詣(はつもうで)でかなりの(にぎ)わいを見せるが、普段はひっそりとしていて訪れる者はいない。

 学問の思索(しさく)にふけるとき哲学の小道を歩くことが多いのだが、今日はこちらで思索にふけることにした。北に延びる小石の()()められた参道をジャリジャリと歩く。参道には人っ子一人いない。空はもう薄暗くなっていた。
 四郎は黙々とひたすら歩く。しかし歩けども歩けども、楼門(ろうもん)が見えてこない。彼は一旦立ち止まって周りを見渡す。一向に変わらぬ砂利(じゃり)の道と両側の森。なにか同じ所を何度も歩いているような気がする。

「あれ、おかしいな。こんな遠かったっけ」
(つぶや)きながら、また歩き出した。

 四郎は気がついたら両手を(いの)るように合わせその中に何かを(いだ)きながら歩いていた。彼は子供の姿に戻っていた。そして泣きじゃくっていた。泣きながら暗い森の中を延々と歩き続ける。そのうち道は砂利ですらなくなり、山中の獣道(けものみち)のようになってきた。そのままあてどもなく歩き続けると、急に視界が開ける所へ出た。そこは白い砂浜だった。

 眼前(がんぜん)には闇然(あんぜん)とした雨雲に(おお)われた空と、白い波頭(はとう)幾重(いくえ)にも連なる時化(しけ)の海が果てしなく広がっていた。陣風(じんぷう)のうめき声が彼の耳をつんざく。

 彼はおもむろに(こぶし)を広げた。手に抱いていたのは一匹のノミの死骸(しがい)だった。恐らく何かの実験に使って死なせてしまったものなのだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
四郎は慟哭(どうこく)しながら砂浜に穴を掘った。ノミを丁寧(ていねい)埋葬(まいそう)すると、そこに(ひざまづ)きながら手を合わせた。

 黒々とした荒波が次々と白い浜辺に打ち寄せては引いていく。大洋から憤怒(ふんど)(ごと)(ひび)濤声(とうせい)は、あたかも砲撃(ほうげき)轟音(ごうおん)のようにも聞こえた。やがて地鳴りを(ともな)った霹靂(へきれき)閃光(せんこう)とともにとどろき、墨汁(ぼくじゅう)のような不思議な雨が横殴りに降りかかってきた。
 白い砂浜は珊瑚礁(さんごしょう)(くだ)けてできたもののようだった。ところどころ原形を留めた珊瑚礁が砂の中に残っている。四郎はそれを手に取ってみた。しかしそれは珊瑚礁ではなかった。

 それは、人骨(じんこつ)だった。


 四郎は我に返った。彼は楼門の前につっ立っていた。汗をびっしょりかいている。体の寒気が止まらない。手で顔を覆う。
「なん・・だ、いま・・の」
やっと(しぼ)り出した声は、ひどく(ふる)えていた。
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登場人物紹介

ミノル

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生

亜矢子(アヤコ)

同智社大学文学部(英文学専攻)の女学生

四郎

京安帝国大学医学部(細菌学専攻)の学生


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