番外編「ビヒトの里帰り」5

文字数 2,555文字

 扉を開けたのは、いつもの家令ではなく、すぐ上の兄のカルトヘルだった。彼はビヒトの顔を見て盛大に眉をしかめた後、開きかけた口のままユエに気付き、そのまま数秒絶句していた。

「……兄上、おはようございます。ヴィッツ兄上からの手紙を受け取ったので、急ぎ足を運んだ次第なのですが」

 ハッと気を取り直したカルトヘルは、咳払い一つしてからビヒトに視線を戻した。

「来るとは聞いてないぞ。兄上は昨夜遅く出て戻ってない。昼前には戻ると思うが」
「兄上がいらっしゃるということは、留守を任されていたのですね。父上はそんなに? 返事より早く着くように来て正解でしたか?」
「……お前は、またそういうことをサラッと……もう熱も下がった。とりあえず中で……紹介してもらおうか」

 少し身体をずらしたカルトヘルに、ユエが緊張しながらも興味で目を輝かせている。兄の思い違いはすぐに正せるとして、ユエのことはどこまで開示すべきなのか悩ましい。思案しながら彼女を促せば、見知った顔がにこやかに礼をとった。家令も代替わりしたようだ。

「ヴェルデビヒト様、お帰りなさいませ」
「ビヒト、だ」

 軽く手を振って訂正するけれど、案の定、目も口も丸くしてユエは彼を見上げてくる。

「ビヒトさん、本当はそんなお名前なんですか?!」
「いや、今は本当にただのビヒトなんだ。後で説明するから……」
「わかりました」

 物わかりよく口を閉じるユエを、カルトヘルはそっと窺うように見ていた。



 応接室に通されて、型通りの挨拶を済ませると、茶が揃う前に先手を打ってしまう。

「ユエはヴァルム様の養い子の奥さまです。『魔法の国』であるアレイアに興味があるというので連れてきた次第。彼女はパエニンスラの城付きで通訳もしており、職務的にも勉強になるだろうと城主も快諾されたものです」

 カルトヘルは一瞬言葉を詰まらせて、それでも探り当てた次の疑問を口に乗せた。

「通訳とは、『繋ぐ者』の加護ありき、ということか」
「そうですね」

 カルトヘルは渋い顔をして、お茶を淹れ終わった使用人たちに手振りで下がるよう示した。
 機を見てビヒトが魔道具を作動させる。

「本当にお前はそつがないな。彼女に魔力がほとんど感じられないのは、気のせいじゃないんだな?」
「そうです。彼女の紋は体内にあるようで見つけられていませんが、私の会った『繋ぐ者』たちの中で一番強い能力を発揮していると思います」
「えっ……そうなんですか?」

 本人も驚く様子に、ビヒトは小さく微笑んで軽く頷いてみせる。

「けれど、魔力が

ない彼女は大きな魔力にさらされると、それだけで体調に異常をきたすようです。あまり長居は考えていませんので、ご理解いただけますかな?」
「俺は興味ない。父上と兄上にもそう伝えろ」
「そうします。父上の様子は……」
「熱は下がったが、体力が思ったより落ちているのにショックを受けてる。歳だよ。気弱になってるようだが、何か気を引くようなことがあれば、まだ数年は元気でいるだろうさ」

 肩をすくめるカルトヘルに、ビヒトは「そうか」とほっと息を吐いた。


 ◇ ◆ ◇


 客室に案内された後(ユエと離れるのは心配だったので、自室は固辞して並んだ客室にしてもらった)、父ヴァイスハイトの朝食が終わった頃、その部屋を訪ねていく。ヴァイスハイトの書斎だった部屋は、もう兄ヴィッツの魔力(気配)が濃厚で、ビヒトは父の気持ちがなんとなく解るような気がした。
 ノックの返事を待たずにドアを開ける。どうせ、国に入った時点で訪問は知れているのだ。

「只今戻りました。父上、お久しぶりです」
「返事を待て。ばかもの。もういきり立つばかりの若者ではないだろう?」

 しかつめらしい顔で振り返る父の変わらぬ口調に少しだけ口角を上げながら、ビヒトはユエを促す。

「我が国一の『魔法使い』を早く紹介したいと思いまして」
「……ユエと申します。はじめまして。お加減はいかがですか?」

 ヴァイスハイトは、緊張しながら、それでも流れるように挨拶をした娘をじっと見ていた。

「はじめまして。お嬢さん。見ての通り、起きて好きなことをやれる程度には元気だ。ありがとう」

 彼の示す机の上には書きかけの魔法陣や古びた書物が乱雑に積まれていた。ふらりと足を踏み出しかけて、ユエはハッと踏み止まる。

「お元気そうでよかった。ヴィッツ兄上は呼び出しですか? 彼の手紙を見て、来てみたのですが」
「朝方に謎の大きな魔力を感じたと言って出て行ったわ。お前たちだったのだな。であれば、理由などわからんだろう。そろそろ戻ってくるのではないか」

 無理な侵入はやめたが、試みてはいたのかと苦笑する。

「すみません。お騒がせしました」
「よい。いい訓練だ。お嬢さんのその声は『繋ぐ者』かね? ヴェルデ……ああ、いや、ビヒト、とは」
「ヴァルムの養い子の奥さまですよ。『魔法の国』が知りたいと言って。故あって魔力とは無縁の生活だったらしいので」
「ほぅ」
「今はパエニンスラ城主の覚えもめでたいですから、妙な勧誘はおやめくださいね」

 牽制するかのような言い様に、ヴァイスハイトは拗ねたように口角を下げた。

「まだ何も言っておらん」
「ユエは大きな魔力にさらされると体調を崩しますので、我が国とは相性が悪そうなのですよ。そういうことを踏まえたうえで、少しユエに魔術のことを教えていただければと思いまして」
「それは……構わんが。体調を崩す?」
「えぇ」

 疑問の顔は、けれどノックの音ですぐにかき消えた。

「入れ」
「戻りました。父上、どうにもわからない。感じたのはほんの一瞬で……」

 早口にまくし立てながら入室してきた男は、ユエを見てぎょっとし、ビヒトを見て、深くため息を吐いた。

「まさか、お前か」
「私ではありませんよ。兄上。お久しぶりです」
「手紙が着いた頃だろう? 少し早すぎるのではないか?」
「まあ、いろいろありまして……」
「わかった。聞くから書斎に来い」

 くるりと踵を返して、ヴィッツは鷹揚に手招きしながら行ってしまう。

「まったく、ユエ様にご挨拶もなく……失礼しました。長兄のヴィッツです。普段はもう少し落ち着いた人なのですが。では、父上、少しの間ユエをお願いします」
「ああ。承知した」

 ヴァイスハイトは口元に薄く笑みをたたえて、しっかりと頷いた。
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