番外編「飲んで呑まれて」1

文字数 6,083文字

※時系列としては「水龍と火神鳥」の前後くらい。
 帝都でユエとカエルを見送って、パエニンスラに戻ったところから。
 代書屋(ジョット)さんのお話です。


 帝都でユエちゃんたちと別れて、パエニンスラへと戻ってきた。
 2週間以内には彼女達も戻って来られるだろうということだったけど、ちょっと心配だ。あの3人で、道中大丈夫なんだろうか?
 間に入るユエちゃんが大変そうだ。

 ルーメン主教はユエちゃんと関わるようになってから、随分と雰囲気が丸くなった。時々、じっと見られるのはまだ緊張するものの、長い時間じゃない。ちょっと人使いが荒いけど、その分報酬はきっちりはずんでくれるし。

 自分でも書けるはずの簡単な書類まで任されるのは、彼なりの気遣いなのかもしれないってフォルティス大主教は言う。基本的に人を信用していないので、自分の仕事を他人に任せることは、あまりしないのだと。

「まぁ、その代わり、使えると判ったら容赦なく無茶振りされるがな」

 豪快に笑うフォルティス大主教の言葉に、頷きたくないのに顔が下を向いた。にこやかに「お願いします」と、1日に何度も村と港町を往復させられたことを思い出す。

 確かに、代書屋(本業)の仕事もちょこちょこ振ってはくれる。お茶や異国の珍しい飲み物を淹れてくれて、黙ってそこで見ていることも多い。初めは信用が無くて監視されてるのかと緊張していたのだけれど、少し気を付けて見てみると、彼の左眼(『神眼』じゃない方)は思ったよりも温かい色をしていて、うっかりかち合ってしまっても緊張したりしない。
 そういう時は、右眼も厚く前髪を流して、見えないくらいにしてくれていることにも気付いた。

 ひとつ気付き始めると、彼の行動の意味が全く変わって見える。面倒臭い細々とした仕事を押し付けているのではなくて、代書の方が口実で、実はお茶に誘われているんじゃないかとさえ思えてきた。
 他の仕事が一段落した時とか、逆に暇で仕方ない時とか、そういう時に頼まれることが多いのだから。
 特に話が弾むわけでもないと分かっているから、仕事の形にしてるんじゃないかと。

 そうやって緊張が解けてくると、元々お喋りな性質なものだから、口も滑らかになってくる。今回の帝都滞在の間に、随分軽口を利けるようになったと思う。まだ、ユエちゃん程ズバズバは言えないけどね。

 彼の印象が変わってくると、カエル君が、普段は見せないような子供っぽさで彼に対しているのが不思議になってくる。
 ルーメン主教は確かにユエちゃんを気に入ってるけど、カエル君から取り上げようとか、そういう気配はない。逆に、お膳立てしようとしている節さえある。
 そういう大人ぶった余計なお世話が、気に障るのかなぁ。

「ああ、あれは、子供が好きな子に構われたくて、からかい過ぎて嫌われるのと同じようなもんだ」

 パエニンスラの教会で、またお世話になるからと、大主教に挨拶しにきたら、そのまま部屋に引き入れられた。
 お疲れさん、なんて言いながら、金属製のカップを手に押し付ける。なみなみと注がれる葡萄酒に、この人はこの人でまた変わってるんだよな、と苦笑した。
 普通は一介の代書屋なんて部屋に入れないものだ。

 自ら床に座り込んで、座れと手招きされ、僕も嫌いじゃないから向かいに座って、つまみになりそうな物を鞄から取り出す。そうすると宴会の始まりだ。

「……え? ってことは、ユエちゃんじゃなくて、カ、カエル君を……?!」

 神官や騎士の世界では、そういうのも多いとは知っていたけど……まさか、ルーメン主教が?
 女性といかにもな雰囲気で歩いているのを何度か目撃しているのに、と狼狽える僕に苦笑して、大主教は手の中の葡萄酒を口に含んだ。

「あまり誤解してやらないでほしいんだが、あいつの中では男も女もほとんど区別がないようだ。どれも『人間』という括りで見ている。今までは感心さえも向けなかったのが、ようやく少し視界が開けてきたところなんだと思う。だから、妙に聞こえるかもしれんが、ユエさんもカエル君も、ルーメンには同じように特別な存在なんだろう。カエル君の方が分かりやすい態度が返ってくるので、つつきたくなるんじゃないか」

 区別が無い、という表現に、なんだか少し納得する。僕達とは見えてるものが違うんだ。

「女性の誘いは今でもあまり断らんみたいだから、ベッドの相手は女がいいのだろうなぁ」

 神妙な面持ちでお酒を口に運んだのに、うっかり吹き出してしまった。大主教が笑いながらタオルを渡してくれる。

「え? それって、あの噂、本当ってことですか?」

 誰とでも寝る、淫乱。

「レモーラでは、どうしてる?」
「時々、女性を伴っているのは見かけますが……」

 どれも外から来た人物だった。回数は多くない。村人とそういう雰囲気なのも見たことが無い。
 中央では、男性にも女性にも、結構な頻度で声をかけられていたけれど。

「自分からは誘うことはないと言っていた。請われれば、厭いません、と。これでもだいぶマシになったんだ。嫌なら断れと教えたからな」

 重い口調で言われると、また意味が変わる。
 『

寝る』。
 飲み込んだお酒が、胃の中で質量を増したような気がした。

「主教は行為そのものにも、興味が無いのですね」
「解ってくれると、嬉しい」

 ああ、そうなると、カエル君のちょっと潔癖にも見える性格で、中央に蔓延する噂を耳にしたりしたら、嫌悪感を抱くのかな。

「仲良くなれそうにもない、かぁ」

 小さく零れた言葉を、フォルティス大主教は拾ったようだった。

「カエル君か? ちょっと話をしたが、多分、大丈夫だ。彼も根元では判っている。ルーメンがからかうから、ややこしくなるのだ。彼も何か抱えていて……ルーメンはそれを気付いてる。然るべき時には、然るべき対応をするだろうよ」

 騎士としても優秀だったのだろうが、彼は確かに神官としても優秀だ。しっかりとした目と、真直ぐな心を持ってる。信頼を寄せる信者は多いだろうな。

「なんだ。ちょっと羨ましいなぁ。いいホテルも取ってもらってるし! 頑張ってる僕にも、少し目をかけてくれないかなぁ」

 ちょっとふざけてそんなことを言ってみたら、大主教は肩を揺らして笑った。

「ジョット君もかなり懐かれてるだろう?」
「懐かれてるって……使い勝手がいいだけのような……ユエちゃんたちと仲がいいから、とか、誰かに似てるからとか、なんじゃないですかね? 時々、僕を見る目が、僕を見てるんじゃないような気がするんですよ。なんとなくなんだけど……」
「誰かに見かけが似てたって、それだけで目をかけるような性格はしてないがな。に、しても、似た者、か」

 彼は顎をさすりながら、しばし僕の顔をじっくりと眺めていた。

「まぁ、どこにでもある顔なんで、似た人ってのも山ほどいる気はするんですけどね」
「ああ……しかし、ルーメンが気にするほどの人物は……」

 普通に肯定されて、ちょっと傷つく。
 本人は、頭の中で色々思い浮かべていて、気付いてないようだけど!

「ヒントみたいのはないのか? 何か聞かれたり」
「特に……初めて会った時に、出身地を聞かれたくらいですかね」
「出身地? また妙なことを。ちなみに、どこなんだ?」
「ネブラです」
「ああ、昔から熱心な信者の多いとこだな。だが、そっちに知り合いがいるという話は、聞いたことが無いな」
「んー。あとは両親の話を少し」

 フォルティス大主教はしばし動きを止めて、パチパチと目だけを瞬かせた。

「……初対面で? そんなことまで? ルーメンが?」
「そうなんですよ。僕も不思議に思ったんですけど……って、そう言われてみると、ルーメン主教ってそんな話聞くタイプじゃないですね……あの時は面接気分だったし、初めて話したから深く考えなかったけど」
「差支えなければ、聞いてもいいか? ご両親は、健在で?」
「母は元気過ぎるくらいです。たまに来る手紙から声が飛び出して来そうですよ。父は……中央の神官だった、というくらいしか」
「……あぁ……」

 地方で派手に遊んで、あとは知らんぷり、なんて話も結構聞く。大主教はそういうののひとつだと思ったのかもしれない。顔を曇らせてしまった。

「あ、違うんですよ? うちは、母が。母の方が入れ込んでたみたいでですね。僕のことも知らせるなって町の主教を脅しつけたくらいで……それを誇らしげに子供に語るような人でですね……主教は呆れながらも色々便宜を図ってくれたので、僕はどちらかというとツイてたんですよ」

 慌てて苦笑しながら付け足すと、フォルティス大主教はふっと頬を緩めて、僕のカップに酒を注いだ。

「なんだ。じゃあ、それは父親の方が可哀相だな。こんな、いい息子がいると知らないのか」
「ええ。そうなんです。母のことは、強烈過ぎて忘れてないかもしれませんが。新年からついてないと思ったでしょうね」

 あはは、と笑った顔を、大主教は少し首を傾げて眺めていた。

「新年?」
「ええ。聖水配分に、以前の総主教と一緒に来られた方のひとりらしいです。母の自慢なんですよ」

 一瞬、大主教の瞳が揺れた……ような気がした。

「フォルティス大主教? 心当たりでも?」
「……いや。……いや。俺は以前のお偉いさんは数人しか分からない。役に立たなくて、悪いな」
「20年以上も昔の話ですしね。ルーメン主教なら、もしかしたら、なんては思うんですけど。今度、聞いてみようかな。教えてくれると思いますか?」
「ルーメンが知っている人物なら、あるいは。だが、あいつは確証の無いことは口にせんからな」
「そういう人ですよね! まぁ、母の自慢の想い人のイメージが壊れるのも嫌なので、聞くこともないと思いますけど」

 注がれたお酒をのどに潜らせる。ピリッとした刺激が、心地良かった。
 その後は注ぎつ注がれつ、下世話な話で盛り上がった。そんな話をしていても、フォルティス大主教は他の不真面目な神官のように、女性と関係を持つようなことはない。奥さんと子供さんを亡くしているというから、その辺が理由なんだと思う。
 煮え切らない僕とは違う。
 帝都でどこに泊まったんだと追及されて、のらりくらりと躱していたら、意地悪い笑みを乗せて、カップを持った手で指をさされた。

「ま、あの様子じゃあ、ユエさんは諦めなきゃならないだろうからな。これ以上は言うまい」
「よ、余計なお世話ですよ! まだ判らないでしょう!?」

 そう言った僕の強がりは、10日ほど経って砂漠から戻ってきた2人に見事に打ち壊された。
 本当に、この世には神様なんていないんじゃないだろうか。
 信者、やめてやろうかな! それほど熱心じゃないのは確かだけどさ!

 ほんのりと艶を増したユエちゃんに、ぴたりと寄り添うカエル君を見たら、その変化は一目瞭然だった。
 夕食の時に、ユエちゃんの隣にも座らせてもらえなかったからね! 悔しいを通り越して呆れるというか。

 そのまま2人を返すなんてしたくなくて、カエル君だけ酒に誘った。それには意外とあっさりついて来て、拍子抜けしたものだ。もちろん夜の間に帰すつもりなんてない。

 人見知りの彼でも落ち着いて飲めるように、あまり人の多くない小さな店を選ぶ。隅の方で、栗の蒸留酒を一瓶テーブルの真ん中に置いて、砂漠であったことを聞きだしていった。

 出だしは順調だったのに、砂漠に入ってからはトラブルの連続だったようだ。僕がそれらに出会っていたら、とても無事に帰れる気がしない。カエル君に同情しそうになって、いやいや、結局、美味しい思いもしたんだろって無理矢理拗ねた気分を掘り起こした。

「で、結局あのスイートルームに泊まったの?」

 ちょっと言葉に詰まって、コップを空にしてから彼はぼそりと答えた。

「……泊まった。ユエと」

 それは、決定打で、分かってたけど、やっぱり楽しくはない。
 何か自分の気の済む方法はないかと考えて、少し幸せを

もらうことにした。
 大丈夫だ。僕も酔っぱらってる。男も女も、どっちも人間!
 テーブルの瓶はそろそろ空になりそうだった。

 テーブルに90度の位置で座っていたので、身体の角度を変えて、とりあえず手を差し出す。新たに酒を注ぎながら、きょとんとする顔に作り笑顔も忘れない。

「やっぱり! 悔しいけど、しょうがないよね。おめでとう」

 おずおずと出される手には、いつもの黒い手袋がはまっていた。

「ねぇ。こんな時まで

しなくてもよくない? 直接、祝わせてよ。トモダチでしょ?」

 カエル君は少しだけ迷いを見せてから、手袋を外した。
 ぎこちなく近づいてくる手を、こちらから掴みに行って、両手で包み込んでぶんぶんと振ってやる。

「あ……ありがと……」

 僕は立ち上がりながら、その反動で掴んだ手を引いてやった。カエル君が前のめりになる。
 すかさず、彼の唇に自分のそれを触れさせる。かる〜くね。
 潔癖な彼には充分な嫌がらせだろう。
 目を瞠る彼に、にやりと笑ってやった。

「ユエちゃんと何度もしたんでしょ? 僕にも分けてよ。間接で我慢するか――」
「――ジョット!!」

 痛いくらいに肩を掴まれて、思った以上の剣幕にやりすぎだったかと目を逸らす。

「……あー。ごめ……」
「何やってるんだ! 大丈夫か?! 酔ってるのか?! 何とも無いか?!」
「へ?」
「立ってられるか? 具合、悪くなったり――」

 カエル君は真っ青な顔で、とても怒っているような感じではなかった。予想外の反応に困惑する。
 なにこれ?

「え。いや、まだ、飲める、けど」
「頭痛とか」
「ないない」

 両手を胸まで上げて振って見せると、怖いくらいに真直ぐな瞳からぼろりと涙が落ちていった。

「え?! なんで? ご、ごめん。そんなに嫌だった?」
「……良かった……」

 しがみつくように抱き締められて、益々困惑する。
 彼も酔ってるんだろうか。こんな風になるのは見たことが無い。
 子供みたいに少し震えて泣いている彼の背を、ともかく、ぽんぽんと宥めるように叩いてやる。

「なんか、ごめん?」

 小さく首が振られる。すっかり、気が削がれてしまった。
 何度か深く呼吸をして、彼は耳元で静かに言った。

「俺は、ユエじゃなきゃ駄目なんだ。ジョットには悪いけど――」

 もう一度抱き締める腕に力を入れてから、カエル君は離れて行った。

「すまん。取り乱した。忘れてくれ。ああ、でも、もう2度と同じことはしないでくれ」
「え? ああ。僕も、もうする気はないけど……何か、あるの……?」
「ある。でも、言えない」

 ぐっと奥歯を噛むような表情に、僕が思っているよりも、カエル君の事情は重いんだと思い知った。
 そして、僕が思うよりも、彼の中で僕の価値は高いんだということも……
 なんだかこそばゆい。
 い、いやいや。僕はいたって普通だ。ルーメン主教の気持ちなんて、解らないから。うん。絶対。

「ん。わかった。じゃあ、悪いと思ってくれるなら、せめて朝までは付き合ってくれるよね?」

 カエル君は少しの間僕をじっと見て、ふっと表情を緩ませると、振り返って酒をもう1本追加した。
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