aside_ニヒ

文字数 2,868文字

※「蒼き月夜に来たる 43.孤児院とカエル」並びにユエとの出会いの辺りのニヒ視点


 いらいら。いらいらいら。

 なんでわかんないかなっ。そうじゃないのにっ。
 みんなみんなきらい。人狼がいちばんきらい。

 だれか、しらない人がきた。
 話しかけられないように、カーテンのかげにかくれる。
 声は女の人。言ってることは半分くらいしかわからない。

「ニヒ」

 ナランハの声がする。
 ナランハはちょっとすき。やさしいの。
 わたしが言うことを、いっしょうけんめいわかってくれようとするの。

 しらない人が「こんにちは」って言ってる。
 ユエ? それが、お名前?
 もういちどナランハに呼ばれて、しかたなくちょっとだけ顔を出した。

 しゃがみこんで同じくらいの目の高さになっているその人は、黒っぽい髪に黒っぽい瞳で、わたしを見たとたん、とってもおいしいものを食べたときのみんなのように、きらきらとした顔をした。

 なんでそんな顔をするの?
 わたしをつかまえて、うっちゃうつもり?

 わたし、しってるんだ。
 ししねこぞくの女の子は高く売れるんだって、じゅう人のぼうけん者がこっそり話してるのを聞いたことがあるから。

 女の人はそのあと「かわいいね」とか「ぎゅってしていい?」とか言って、「ぎゅっ」てなんだろうと考えてたわたしにいきなりだきついた。
 すりすりと頭がこすりつけられて、そのほっぺたが耳にもさわった。
 びっくりしてはらうようにぴぴぴと動かすと、うでの力がゆるんだから、わたしはふーーっ! っていかくして、かのじょの手をひっかいてやった。

「ニヒ!」
「ユエ!」

 わたしと女の人の名前が呼ばれる。
 また怒られるかな? でも、わたし悪くないよ? きゅうにだきつくこの人が悪い。
 そのままふくろに入れられて、つれさられるかもしれないんだよ?
 そりゃ、あんまり強そうな感じはしないけど……

『ごめんね。大丈夫だよ。あんまり可愛くて先走っちゃった』

 びっくりした。
 いみがわかったから。母さんみたいに、やさしく言ってくれてる。
 かわいい。かわいいって。
 ひっかいたのが、ひどく悪いことをしたように思えてきて、じんわりと血のにじむきずに目がいった。

『大丈夫大丈夫。舐めとけば治るよ』

 そういってぺろりときずをなめる彼女にもう1度びっくりする。
 わたしはけがしたときはなめちゃダメって言われたのに!
 母さんには小さいころずっとなめて治してもらってたのに、どうしてダメなのかわからなかった。
 それが、彼女はなめて治すって!
 頭にふさふさの耳もないし、おしりにしっぽもついてない。
 彼女はじゅう人じゃないのに。

 うちとちがうねって言う彼女の手をあわててつかんで、なめてあげようとしたらその手をひっこめられた。
 わたしじゃダメなの?

 彼女はどうしてダメなのか、どうすればいいのかやさしく教えてくれた。
 他の人のはびょうきをもらうかもしれないから、ダメなんだって。
 わたしのためだったなんて、ぜんぜんわからなかった。
 ちゃんとしたほうほうで彼女のきずを治してあげたくて、わたしはあやまった。
 お水とぬのがほしいって言ったら、マーテルが笑って「私が治してあげるから大丈夫」と言ってくれた。

 ◇ ◆ ◇

 ちゃんとお話しできるユエは大好きだ。
 絵本もよんでくれるし、わからない言葉は教えてくれる。
 みんなの言うこともわかるようになってきて、わたしの言うことも伝わるようになってきた。
 もういらいらすることも、ほとんどない。
 ユエが毎日くればいいのに。

 ある日の夕方、めずらしい時間にユエはきた。
 いつもは朝早くが多いのに、どうしたんだろうって思いながらも飛びついた。

「久しぶり、ニヒ」

 頭にほおずりされて、くすぐったい。
 よいしょってだっこされたら、ユエのうしろに知らない男の人が立っていた。
 ひょうじょうがなくてちょっと恐い。
 びっくりしてユエのうでから飛び出して、その人からはなれるようにした。

 じっとかんさつすると、冷たいこん色の目が何かを思い出させる。
 なぜかしんぞうがどきどきしてきた。
 何ににてるんだろう?
 わたしはにおいをかいでみる。
 どこかでかいだことのあるにおいがまじってる。
 どこで。
 この人はユエとちがっていきなり動いたりしない。わたしといっしょ。かんさつしてる。
 今はわたしを。

 何でユエのうしろにいるんだろう。ユエをどうにかするつもり?
 ユエに手をかけたらひっかいてやる。

 ずっとにらみあってたら、びくりと体をふるわせてきゅうに下を見た。
 あ、ファルが服を引っぱってる。
 危ないよ!

 危ないと思ったけど、その人はファルに手を出すでもなく、オロオロしてユエに助けてほしそうにしていた。
 あれ? 弱い? わたしのかんちがい?
 それに、ユエとはしりあいみたいだ。おともだちなのかな。
 なんだかこんらんしてると、ユエが青いアメをくれた。すごくあまくておいしかった!

 そのあとユエにおねがいされて、その人はファルに絵本をよみに本だなの方へ歩いて行った。
 そばをとおる時にやっぱりきんちょうして、ユエのスカートにしがみついて彼を目でおいかけた。

 あ。
 きゅうに思い出した。
 まじったにおい。
 あの人狼とにてるんだ。
 おんなじじゃない。でも、にてる。
 どうしよう。ユエがねらわれてる? でも、にてるだけだし。
 どうなのか、わからない。

「ニヒは、本読むの聞きに行かないの?」

 ユエの声がして、はっとした。

「……ユエは仲良し?」

 ユエがどう思ってるのか心配で聞いてみた。

「カエルと?」

 カエル……名前でよぶくらいは仲良しなのかな?

「仲良しだよ。多分。悪いおじさんから助けてもらったよ」

 少してれたように笑ったユエから「好き」のにおいがちょっとだけした。
 わたしたちにむける「好き」とはちょっとちがう「好き」。
 ユエが、そう思ってるなら大丈夫かな?

「じゃあ、大丈夫、かな」

 わたしはユエの足にしがみついて、頭をぐりぐりとすりつける。
 ユエはわたしをだっこして、ぎゅっとだきしめてくれた。

「うん。大丈夫大丈夫。怖くないよ」

 ユエはちょっとかんちがいしてるみたいだけど、別にいいや。
 そのままファルの所につれていかれて、いっしょにお話を聞いた。
 すごくきんちょうしていて、やっぱり強そうに見えない。

 でも、いっしょにおにごっこした時はすごかった。
 あのミゲルに1回もタッチされなかった。
 ユエのこともタッチさせなかった。
 ユエをだっこしてくるくる回っているときに、とても幸せそうな顔をしていた。
 ユエのことを「すごく好き」なにおいがしていた。

 それを見て、わたしはようやく安心する。
 彼はあの人狼とはちがう。べつのものだ。
 わたしと同じくらい……もしかしたら、わたしよりもユエのことが好きかもしれない。
 だったら、大丈夫だ。
 まちがっても彼はユエにけがさせたりしない。
 仲良くなれるかはわからないけど、次に会ったらまたいっしょに遊んでもいい。

 またね、と帰っていく2人にわたしはぶんぶんと手をふった。
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