aside_テリエル

文字数 2,634文字

※「蒼き月夜に来たる 9.誰がタメに鐘は鳴る から 10.そしてアサが来る」 までのテリエル視点


 宣誓書のチェックを終えた私はユエを気にしながら席に戻る。
 あの神官はプロラトル家に興味があることを隠しもしない。何か知っているのか……何を確かめたいのか。
 そっと隣に座るカエルを見ると、緊張した面持ちでユエの背中を見つめている。
 宣誓は始まっているが、こんなに近くとも声は聞こえない。懺悔の時などに使うプライバシーを守るための魔道具を使用しているのだろう。
 私達は見守るしか無いのだ。

 不意に神官が立ち上がり、ユエの後ろへと回り込んだ。そのまま、彼女を包み込むように覆い被さる。
 カエルの拳がキツく握られるのが目の端に見えた。
 人に触れないように生きてきた彼には、あの距離はどう映るのだろう。私でさえ無駄に近いと思うのだ。彼には許せないだろうか。羨んでいるだろうか。
 神官が離れても、さすがにユエの背中は緊張していた。
 少し心配していたが、彼女は見掛けや甘い声でどうにかされてしまうような娘ではないようだ。

「ビヒト」
「承知しております」

 不穏な事があれば、教団を敵に回してでもユエを連れて帰らなければならない。
 彼女の為では無い。カエルの為だ。
 今回ここに来るのに同行を願い出たのはカエルだ。私は勿論却下した。何が悲しくて敵の懐に自ら飛び込むような真似をさせねばならないのか。
 彼は動けるようになったのならば、ずっと家に閉じこもっていたくないと言った。ユエのお守りとして街に出て行けば、少しずつでも村に馴染んで不審さが和らぐのではないか、と。

 私はカエルがしたいというなら、何だって叶えてあげたい。
 彼が健康で幸せでいられるのなら、何だって。
 だから、護衛の振りをして、決して目立たないことを条件に渋々許可を出したのだ。
 正直それ程強弁に同行を主張されるとは思っていなかった。彼は彼なりにユエに興味を持ち始めたと思ってもいいのだろうか。
 ユエは悪い子ではない。どちらかと言えば好きなタイプだ。だから、出来ればこの二人が自然に寄り添ってくれればと思わずにはいられない。

 ビヒトにプロポーズしたらしいけど。

 変なことを思い出して、思わず笑いが漏れた。両隣から怪訝そうな視線が飛んでくる。そっと、咳払いで誤魔化した。



 宣誓は滞りなく進んでいる。
 相手の瞳を覗き込むという体勢のせいで、目の前で延々とラブシーンを見せられているような錯覚に陥りそうだ。
 それとも、そういう嫌がらせなのかしら。
 うんざりしてきた頃ユエの頭がふらりと動いた。
 神官が終了を宣言したようには見えなかったのに……
 少し緊張した間があって、彼が立ち上がった。ユエの隣で何か促している。
 ユエは勢いよく立ち上がると、振り返ろうとして崩れ落ちた。
 ビヒトとカエルが同時に立ち上がる。
 私はカエルを手で制して、成り行きを見守る。ユエは神官の腕の中だ。
 ビヒトが早足で彼らに近付いた。

「ユエ様をこちらへ」

 すんなりと彼はビヒトへ彼女を譲り渡す。
 ユエのことは心配だけれど結果を聞かなければいけない。何一つ聞こえなかったのだから。
 結論から言うとユエの疑いは晴れたことになる。記憶の揺れはあれど、どちらかというと忘れたのは常識だ、と彼は言った。
 みな一瞬ぽかんとして、そして少し納得した。神官の冗談だったとしても、ユエを表すのにとても適切だと思ったのだ。

 そして加護。思っていたのとは違うものだったけれど、確かに彼女は持っていた。
 『青い月』という加護は何を表しているのか。地底湖にかかる月と関係があるのだろうか。
 あるような気がする。
 神官の残念そうな態度とユエへの執着から見て、彼の知りたいことは知れなかったのだなと感じた。
 寄付という名のお金を払い、足早に教会を後にする。

「ユエの様子は」
「芳しくありませんな」

 ユエはぐったりと身体を預けており、頭をぴたりとビヒトに寄り添わせていた。
 可哀想だがビヒトには馬車を動かしてもらわなければならない。
 先に馬車に乗り込んで、ユエを渡してもらおうと振り返ると、すでにカエルがユエを抱えていた。

「ユエを」

 カエルに手を差し出すが、困惑気味の顔が見えるだけだった。
 不思議に思ってよく見ると、ユエの腕がカエルの背中にしっかり回され、その背を掴んでいる。

「お嬢……離れん……」

 時間が惜しい。

「そのままでいいわ。あなたが抱えていなさい」

 私はカエルを急かして馬車のドアを閉める。
 カナートの向こうから神官が一部始終を見守っているのが見えた。

 馬車が走り始めると、ユエが何か言っていた。落ちつく場所を探しているのか、頭をカエルの胸に押し当てて時々動かしている。

「何?」
「ぐるぐるするって……後は聞き取れない……」

 抱えている方のカエルも顔色が悪くなってきた。

「……お嬢……」
「何?」
「ユエの手が……力が抜けて……」
「大丈夫よ。意識が落ちただけ」

 浅いけれど、きちんと呼吸をしている。

「ユエ……ユエ?」

 カエルが抱えていた手を離そうとする。

「カエル! 離しちゃダメ!」

 ビクリと肩を跳ねさせ、怖々と抱え直す。

「手袋もしてるじゃない。しっかり捕まえてて。もう、着くから」

 ユエがぐったりしているのはカエルのせいではない。でも、カエルはそう錯覚している。
 泣き出す一歩手前の少年の顔が見えた。

「カエル、大丈夫よ。あなたのせいじゃないから。しっかり捕まえてないと、逆に不安なのよ」

 しっかり捕まえていたい気持ちと、今すぐ離してしまいたい気持ちがせめぎ合っているのが分かった。
 カエルの状態も不安だ。
 家までがこんなに長いと思ったことはなかった。
 ビヒトは馬車を停めるのもそこそこに御者台から飛び降りてきた。
 私は自分でドアを開け、馬車から降りたが今日は誰ひとり咎める者も居ない。

「ビヒト、ユエをお願い」

 ひとつ頷いて馬車を覗き込んだビヒトは眉を顰めた。

「カエル様、ユエ様を」

 カエルは細かく震えていて動かない。

「坊ちゃま――――カエルレウム」

 凜としたビヒトの声が響く。この声を聞くのは、久しぶりだ。
 名を呼ばれて、カエルはようやくユエをビヒトへと渡す。
 あんなに離したがっていたのに、いざ腕の中にその存在が無くなると悔しいような、寂しいような複雑な顔をして震える自分の掌を見つめていた。

「カエル」
「――分かってる。ちょっと、驚いただけだ」

 重そうに腰を上げて、カエルは溜息を吐いた。
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