番外編「あなたと共に」6

文字数 4,119文字

 ヴァルムさんのいう通り、その後は無理な押し込みもなく、子供たちとも良好な関係のまま年を重ねた。
 カエル君も調子のいいときは店を手伝ってくれたりしたけど、年々寝込む期間が長くなってるのが心配だ。
 テリエルは背も伸びて(まだ顔に幼さは残るものの)いっぱしの女性に成長していた。十四の時に薬師の資格を取って、十五(成人)となる今年、帝国の医学校に入る。
 初志貫徹。彼女はいまだにカエル君を溺愛している。カエル君はと言えば、相変わらずクールに彼女をいなしていて、年々美しさと大胆さを増していく彼女のアタックにも揺るがない彼のありようは、尊敬の念さえ抱かせる。
 僕みたいな俗物は、距離を詰めるのも躊躇ってしまうようになったというのに。

「ランク」

 噂をすれば――というか、僕の頭の中でだけど――テリエルはいつものように執務室に続くドアからやってきて、背もたれのない丸い椅子を移動させると、僕の隣に座る。

「カエル見なかった? もうすぐ簡単には会えなくなるのに、ちっとも一緒にいてくれない」
「ビヒトさんと一緒なんじゃないの? 最近は執事の仕事を習おうかなって言ってたし……」

 カエル君の憧れとか、お手本というのはビヒトさんのようだ。思えば、その口調も冒険者のビヒトさんのものと似てる。彼が冒険者になるのは無理だろうから、その選択は当然と言えば当然なのかもしれない。
 帳面を開いて在庫の数合わせをする

をしながらの答えは、お嬢様には気に入らなかったようだ。

「んもう! 今日はお客も多くないでしょ。ランクくらいは別れを惜しんでよ」

 腕を伸ばして帳面をひったくるから、彼女の金髪が僕の顔を撫でていった。
 いつまでも子供の頭身でいる気なのかも。

「テリエル……」

 やや呆れた声に、そのまま彼女は振り向いた。
 しまったと思うには遅すぎて、碧の瞳が至近距離で「何よ」と語りかける。

「……別に君はこのまま戻ってこないわけじゃないだろう? 二年だ。ヴァルムさんも帝都にはちょいちょい顔を出すと言ってるし、あっという間だよ」
「本当はひとときだって離れたくないんだもの! 寝込む日数が長くなってるし……帰ってくる前に、二度と会えなくなったりしたら……」

 不安に少し伏せられる瞳や、紅も引いてないのに艶やかな赤い唇に、ほんのりと色気が乗ることを彼女にはもう少し自覚してもらいたい。
 こちらに傾いた身体をやんわりと押しやると、彼女は不服そうに頬を膨らませた。
 そういう顔は、まだまだ子供なんだよな。

「大丈夫だよ。僕らは彼に無理はさせないから。安心してしっかり勉強してくるといい」
「それって、私が無理させてるみたいじゃない!」

 せっかく離れた距離を、またぐいと詰められて、僕は額を抱えた。

「ねえ。テリエル。ちゃんと社交界の作法も勉強してるんだよね? 先輩や同級生にそんな風に詰め寄らないでくれよ?」
「当り前じゃない。私だってちゃんと人は選んでるわ」
「普段の生活っていうのは、意外と出るものなんだよ……」

 思わず出たため息をどうとったのか、「大丈夫ですぅ」なんて、ちょっとプリプリしながら彼女は外へと出て行った。
 陽に当たった金の髪が風に遊ばれて、ちらりと華奢なうなじを覗かせる。
 だめだだめだ。暇が過ぎると余計なことを考えてしまう。ヴァルムさんに休みでも貰って、ちょっと遊んでこようかな……
 無理って言われることも頭の隅に置いておきながら、その夜、僕はここに来て初めて長期休暇の話を切り出した。


 ◇ ◆ ◇


「いいぞ」

 って、あっさり承諾されて、焦ったのは僕の方だった。
 せっかく店も軌道に乗ってきて、顧客もついてきてるのに、面倒くさいから二年くらい閉めててもいい、なんて言うんだもの。
 長期と言ったって、さすがにそんなに休む気はないんですけど!
 「その代わり」なんてにんまり笑ったヴァルムさんとの交渉の末、半年に

もらって、僕は帝都の空の下にいる。

 大きな帝国に比較的新しく組み込まれた我が国(ふるさと)は、帝都を中心に語るとだいぶ外側に位置している。砂漠の国とも交流があったので、あちこちの言語や文化が混ざり合う面白い地域だった。
 突然帰った僕に家族は驚いて、父など「解雇されたのか」と開口一番怒鳴りつけた。酷い話だ。
 まあ、すぐ誤解は解けたし、ビヒトさんがお土産代わりと持たせてくれた、彼お手製の転移陣と通信具にはたいそう喜んで、さっさと店仕舞いして酒を出してきたんだけど。
 二日ばかり店を手伝って、その後は帝都にいるからと退散してきた。
 懐かしくはあったけど、すでに自分の居場所ではないなって確認できたから。
 みんな元気だったのも、安心材料だったんだろう。

 それで、僕が帝都で何をしているかというと。

 着慣れない礼服を着込んで(日中はまだ暑いので上着は腕にかけてるけど)手にした本に視線を落としながら、人を待っている。
 ちらほらと同じように佇む人がいるので、そう珍しい光景じゃないんだろう。ただ、田舎で楽な服装にすっかり慣れてしまったから、きっちりした縦襟のシャツや長めのジレは窮屈に感じる。浮いてやしないかと、内心気が気じゃない。
 チラチラと周囲の視線は感じれど、いちいち反応するな、とはヴァルムさんの言葉だった。彼と僕とでは、見られる理由がだいぶ違う気がするのだけど。

 テリエルが医学校に入るにあたって、パエニンスラ領主の推薦を受けたことから、ヴァルムさんや彼女が実は領主の縁戚なのだと知った。
 別に、一般の試験を受けても実力的に問題はなかったようだが、年若い女性であることを鑑みると、隣国の領主の縁故や冒険者ヴァルムの後ろ盾は、妙な輩を遠ざけるだけの力を発揮するようだ。
 そうと分かって聞いても、驚くのは驚くよね。
 今更、態度は変えられないんだけどさ。
 そして、そうして入学したからには、テリエルも今まで通りのほほんと出来るわけもなく。
 週(七日)に一度の休みの日に息抜きに連れ出そうと、こうして待っているわけなのだ。

「ランク!」

 久しぶりの、聞き慣れた声に顔を上げる。
 駆け出そうとして、なんとか自制心を引っ張り出し、優雅に見える早足で近づいてきたテリエルはキラキラとした笑顔に少しだけ疑問を滲ませて、僕の腕に絡みついた。

「どうして、ランクがここにいるの? お爺様は?」
「別の用事があるって。そんな風にしがみつくのは、お嬢様として正しいの?」
「いいの。ずっとしつこい人がいて。ちょうどいいわ。今日のランクの恰好なら満点! お爺様に感謝しなくちゃ!」
「満点?」

 うふふ、と笑って、彼女は背伸びをしながら僕の耳元に手を添えて囁いた。

「今日はこの腕を貸しておいてちょうだい。ランクとなら、人気のティールームに行っても大丈夫よね?」

 ひとりでいた時よりも多くの視線を感じて、内心焦りながら彼女の手をほどく。手にしていた本をしまってから、もう一度彼女に肘を差し出した。

「腕くらいいくらでも貸すけど、人気のお店なんて僕のボロが出るよ。確かに、見た目だけはヴァルムさんにもお墨付きをもらえたんだけど」
「大丈夫。お爺様と行くよりは目立たないわ」

 淑女らしく楚々と添えられた手とは裏腹に、歩き出した彼女の足取りは軽やかだった。

「テリエル、足元がおろそかになってやしないかい?」
「大丈夫よ。久しぶりに会ったのですもの。このくらいの方がいいわ」

 色々含みを感じつつ、僕はいつもより幾分ゆっくりと帝都の石畳を進むのだった。



 世のほとんどが休みとなる休息日だが、都会ではそういう客を狙って休みをずらして営業しているところが多い。
 興行ものもその一つで、今日はヴァルムさんから演劇のチケットをもらっていた。その人気の高さもさることながら、商売人には少し敷居が高いので、そうそう何度も見に行けるものでもない。隔離されたような半島の片田舎に住んでいればなおさら。正直、とても楽しみだ。
 実は今日の予定はヴァルムさんがテリエルと行くはずだったのだが、演目が悲恋物で「寝に行くようなもんだから」と代わりを任されたのだ。役得、ということになるんだろう。
 しばらくは黙っていたテリエルだったが、寮から離れ、辺りを見渡すと、ほっと一息吐き出した。

「どうしたの? 寮にはまだ慣れない?」

 テリエルが寮に入って、まだ二度目の休日だ。自由にしていた家とは勝手がずいぶん違うに違いない。

「寮は、いいの。決まりごとが多い分、考えなくていいから。ただ、よく知らない人たちからしつこいくらいに声をかけられるのが嫌で……小父様のコネの方が入りやすいからって、確かにそうだし、なりふり構っていられないから仕方ないのは解ってるんだけど……私は医者になりたくて来たのよ。嫁ぎ先を探しに来たわけじゃないわ」
「……あぁ……」

 僕には苦笑するくらいしかできない。
 外戚とはいえ、身分のしっかりした、しかも魅力的な女性だ。政治的な目的を持って近づいてくる者も多いのだろう。

「中にはいい人もいるかもしれないよ」
「私にはそんな余裕はないの! 余計なことに勉強の邪魔をされたくないわ」

 だから……と、彼女はにんまりと笑った。
 そういう表情は、彼女のお爺さんとやっぱり似ている。

「人気のお店なら、目撃者も多いでしょ。大丈夫。しゃんと背筋を伸ばしていれば、今日のランクはいいとこの御曹司に見えるわ」
「えぇ……?」

 すぐにばれるんじゃないかと苦笑いしたけど、結局、この日を境に、煩わしいことはかなり減ったのだと後で聞いた。彼女が説明を求められた時、いったい何を言ったんだろうと、僕としても、かなり複雑な心境である。

「嘘は言ってないわ」

 との一言で、それ以上訊けなくなった自分も情けない。真実を知らなければ、僕は勘違いした周囲の人間と同じように、彼女の許嫁か恋人という立場にいられるということを心のどこかで喜んでいたのだから。
 もちろん、その虚しさは重々承知の上で。
 なんだか腰の落ち着かない感じはあったけれど、半年の滞在期間中、月(四週)に一度よりは多いくらいの頻度で、僕はテリエルと二人の時間を過ごすことになって……なんだか泥沼に嵌まっていくような気がしていた。
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