番外編「あなたと共に」3

文字数 5,014文字

 本当に僕が役に立っているのか、怪しくなるほど売り上げが伸びない日々。
 ヴァルムさんの紹介で、冷やかし気味のお金持ちに大きめの女神像(?)を売りつけるのに成功したくらいで、実際少しやきもきしていた。
 売れたのは壺を傾けている女性の像で、水が通せるようになっている。池の傍にあると映えるだろう。女性の身に着ける装飾類に滴石(しずくいし)(水の魔力を貯められる石)が散りばめられていて、流水作用と同時に盗もうとする輩を撃退する防犯機能付きだった。
 張り切って予定価格より上で契約できたので一安心ながら、まだまだお宝は沢山あるのにともどかしい。

 大きさも重さもあるものを、地下から本館の応接室までどうやって運ぶのか心配していたけど、ビヒトさんがサラッと陣を描いて運んでしまった。
 ……運んでいたというのは語弊があるかもしれない。転移陣を自前で作ってしまうのだから、僕の口は塞がる暇がなかった。普通、陣の大きさは決まっているので、それより大きなものは転移させられない。それを、別の陣を余白部分に書き込んで、自由に変えられるようにしてしまったのだ。

「元はヴァルムの発案だから」

 なんて言われても、商売人としては、その陣を売り出した方がよっぽど儲けられるのにと思わないではいられない。確かに、現在転移陣を扱っている魔術屋からは睨まれるのだろうけど。
 僕が活躍できるのは好事家が来た時と時々鑑定の手伝い、それからたまに手伝いと称してやってくるお嬢様の愚痴を聞くときくらいだった。


 ◇ ◆ ◇


 単調な繰り返しの毎日を一年も過ごしていると、色々なリズムが見えてくるようになる。
 相変わらず距離の遠い少年は、月に七日から十日ほど寝込んでいるとか、テリエルがやってくるのはちょうどその時期に集中するとか。
 大きな商談を決めた後は不審人物の目撃が増えるとか。
 目つきの悪い人物が、黙ってやってきて品定めするでもなく適当な品を買って、ここは本当にヴァルムさんの店なのか確認したり。
 どんな店でも押し入り強盗に遭う確率はあるわけで、こんな辺鄙な場所の店でも例外ではないらしい。
 ちょっと嫌な空気が漂ってるなって、護身用の木刀を身近に置いて警戒していた、そんなある日のことだった。

 ヴァルムさんはちょうど遺跡に潜りに行っていて、連絡のつきにくい時期。雪が降る前の、夜の来るのが早く、闇の深い、そういう季節。
 相変わらず客は多くなく、少し早めに店を閉めようかと腰を上げた時だった。
 執務室のドアを勢いよく開けて、テリエルが少年の手を引きながら駆け込んできた。

「どうしたの? 何かあった?」

 少年が店に近づくことはほとんどなく、彼が来たのは実質この時が初めてだったような気がする。
 テリエルは少年の手を離すとそのまま駆けてきて、外へ続くドアの鍵をかけ、窓のカーテンを順に引いていく。
 肩で息をしている少年の顔は青褪めて見えた。

「明かりは消さないで、ここでじっとしていなさいって」
「ビヒトさんが?」
「そう」

 何かあったのかと訝しむと同時に、そろそろ少年の寝込む時期だなと思い当たる。

「顔色が悪いよ。大丈夫かい?」

 少年の様子を見ようと近づくと、同じくらいの速さで後ずさった。
 嫌われるようなことはしてないはずなんだけどなぁ、と苦笑して足を止める。距離を取ったまま屈んで視線を合わせると、気まずそうに下を向いた。

「だ、大丈夫」

 とたた、と軽い足音が割り込んで、テリエルが目の前に立つ。

「カエルは別にランクのこと嫌いじゃないのよ」
「リエル、うるさい」
「……!! うるさいって何!?」

 ぷうっと頬を膨らませて、テリエルは少年を振り返った。

「うるさいから、うるさい」

 はぁ、と小さくため息をついて、彼は片手で額を抱え込むと、その場に座り込んだ。テリエルが慌てて目の前まで駆け寄る。少年は彼女が近づきすぎる前に反対の手を突き出した。その手には黒い手袋が嵌まっている。

「大丈夫だから、リエルも近づくな」

 うつる病気じゃないと聞いているけど、彼はそういうのを気にしてるのだろうか。
 年の割に大人びた言葉に不憫さが沸いてくる。
 テリエルは一瞬ひどく肩を落として、けれどすぐにキッと頭を上げた。
 少年の目の前に手のひらを突き付け返す。

「ちゃんと手袋してるもの! 隣にいるくらい大丈夫なんだから!」

 突きつけた手で、眼前の少年の手を掴むと、彼女は無理やり彼と壁の間に身体を割り入れた。
 むくれて、目には涙を浮かべて、でもその涙を落とすまいと眉間に力が入っている。
 彼女の溺愛ぶりは言動から窺えていたけれど、彼にとっては少々煩わしい、のだろうか。

「……リエル」
「やだ。怖いから捕まえてて」
「ダメだ。手が空いてないと守れない」
「守られるのはカエルの方でしょ」
「違う。リエルには怪我をさせられない。戻りたくないなら」

 リス科の動物のように頬をパンパンに膨らませて抗議を表しながら、テリエルは渋々とその手を放した。
 僕は目の前で繰り広げられる一連の会話を背中がむず痒くなる思いで聞いていた。
 カエルレウム君は至極真面目に言葉にしているけど、どこのジゴロかと思ったよ? いくつだっけ。八歳? 九歳? これ、あれなの? 弟を溺愛、なんじゃないんじゃない?
 こう、子供だけに邪な気持ちがないのが解って、逆に恥ずかしくなってくる。
 というか、大人としてカエルレウム君にはもうちょっと頼ってもらいたいんだけど。あの二人には及ばないとしても。

 よいせ、と立ち上がったところで店内の明かりが一斉に消えた。テリエルの悲鳴が小さく響く。
 外に人の気配を感じて、僕は子供たちを背にドアと向き合った。木刀はカウンターの向こうなのが悔やまれる。
 近づく気配がドアの前まで来たところで、激しい風がドアと窓をガタガタと揺らした。低いうめき声と舌打ち。

「君たち、カウンターの裏側に木刀があるんだ。できればそっちに移動して、じっとしてて。もし、木刀を見つけたらとってくれると嬉しい」

 子供たちの反応は早かった。テリエルは店内を把握しているから、カウンター裏に行くくらいは大丈夫だろう。
 鍵もかかっているから、もうしばらくは猶予が……
 なんて思ったのは浅はかだったらしい。ぶつぶつと何かつぶやく声が聞こえ、風の音がやむと、次には触れていないのに鍵が開いた。
 嫌な予感が形をとる前に、慌ててドアを押さえにかかる。
 待って! 魔術師関与してるとか、嘘だろ?!
 必死に背を押し付けるけれど、何度かガタガタいった扉は、ひときわ強い力で押し開けられた。なんとかつんのめるのをこらえて振り返る。
 フードを目深にかぶった人物が余裕を持って入ってくる。

「怪我をしたくなければ、おとなしくしてろ」

 くぐもった声は、ご丁寧に覆面までしてるのかもしれない。
 店には売上以外の現金はないから、それと商品を奪われる程度なら手を出さなくていいと言われている。
 だけど。

「子供がいるだろう? どこだ」
「ここにはいない」
「悲鳴が聞こえたぞ。オイ! いるなら出てこい! おとなしくついてくるなら、悪いようにはしない」

 もう、全然説得力ないよね。

「……危ないから、そっちのドアから逃がしたんだ」
「なにぃ!?」

 執務室のドアを示すと、彼は早口で何か唱えた。ドアの前にぽっと小さく明かりが灯る。

「くそっ。お前も来い! ガキどもがいそうなところを……」

 目の前に延ばされた腕に、何かが飛んできた。
 「ぎゃっ」と、男は腕を抱えこむ。その視線が飛んできたものを辿った方に向けられた時には、カエルレウム君は宙にいた。左手に木刀を振りかぶって、男の視線が彼を捉えるまでの間に右手で次のナイフを投げる。

「……っ。こ、のっ!!」

 かろうじて避けたナイフは男の頬を掠めて、覆面を切り裂いた。
 振り下ろされた木刀も腕を振るようにしていなすと、軽そうなカエルレウム君の体は床に叩きつけられる。

「カエルレウム君!」

 抱き起こそうと駆け寄って差し出した手を、どういう訳か、彼は力いっぱい振り払った。

「触るな!!」

 半分ショックと、思ったよりもずっと力強かった反動でバランスを崩す。尻もちをつきそうになった身体は、他の誰かを巻き込みながら倒れた。
 計算したわけじゃなかったけれど、それが良かったのかも。僕を追ってきた男も、味方のはずの人間を突き飛ばすなんて思わなかったようだ。
 けれど、僕のクッションになった男は、僕が体勢を立て直す前に僕の体をひっくり返して、横っ腹にブーツで一撃喰らわした。
 情けない声が上がって、痛みで目の前がちかちかする。
 どうにか薄目を開けると、ナイフを取り出した男の手が見えた。

 ちょっと! ダメダメダメ!!

 体を起こそうとすると激痛が走るけど、男に倒れ込むようにしてしがみつくことはできる。振るわれたナイフが何かを切り裂く音が聞こえて冷や汗が出た。
 再び一緒に倒れ込んで、鋭い舌打ちのあと、彼の口の中で紡がれる詠唱に顔を上げる。
 男の顔はカエルレウム君に向けられていた。

「――子供相手にっ!!」

 口を塞ごうと手を上げようとして、わき腹に走る痛みに瞬間遅れる。
 さらに、机の影から飛び出した小さな人影に心臓がつぶれる思いをした。

「――――燃やせ(フラルモ)!」

 呪文の完成の直後、テリエルは手にした木刀を男の頭に振り下ろした。
 蹴られた時の僕と同じような声を上げて、男は額を押さえながらテリエルを睨みつける。その瞳が、怪しい光を宿したように見えて。
 とっさに身体を捻ってテリエルを抱き込んで伏せる。痛いとか言ってられなかった。

「……ランク……!」
「動かないで!」

 ゆらりと立ち上がる男に顔を向ける勇気はない。目をつぶり、息を止めてテリエルを抱く腕に力を込める。
 男が腕を振り上げる気配は感じていた。

「カエルレウム!!」
「ぎゃっ……」

 鋭い一喝に、僕の心臓まで止まりそうになった。抱えたテリエルごと跳ね上がったんじゃないだろうか。
 キン、と金属が床にあたる音がして、続けて人を殴りつける鈍い音。さらには誰かが床に叩きつけられて建物が少し揺れ、それっきり静かになった。
 そっと確かめると、ビヒトさんがうつぶせに倒れている男の腕を捻り上げていた。ほっと緊張を吐き出す。

「大丈夫?」

 テリエルに聞くと、こくこくと頷いた。彼女に手を貸して起き上がらせてから、カエルレウム君の方へと向かった。
 両手を胸の前できつく握りしめて、窓際で縮こまっている彼は、僕に気付くと怯えたように首を左右に振った。
 上着を脱ぎながら、一定の距離を取って足を止める。

「火傷してない? ごめんね。間に合わなかった」

 彼は今にも泣きだしそうな顔をしてうつむき、同じようにふるふると首を振る。力が抜け、ゆっくりと下ろされていく両腕を見て、上着を広げて差し出しながらゆっくりと一歩近づいた。大丈夫。もう一歩。
 シャツの胸の部分が焼け落ちていて、少し赤くなっている。早く冷やしてあげないと。
 そう思っても焦っては台無しになりそうで、ゆっくりとしか動けない。
 広げた上着をカエルレウム君を前から包み込むようにかけてあげる。胸の真ん中に一瞬見えた火傷ではない紋に声を上げそうになって、どうにか我慢した。それは彼に問いただすことじゃない。
 上着に包まれると、カエルレウム君の足から力が抜けた。

「……わ。カエルレウム君!?」

 背後でガツッと不穏な音がして、苦虫を噛みつぶしたような顔でビヒトさんがやってくる。

「ランク。代わろう」
「え……?」

 有無を言わせず、ビヒトさんは彼を僕の腕からもぎ取るように抱き上げると、床に落ちていた黒い手袋を拾い上げた。
 カエルレウム君のだろうか。いつ外したんだろう?

「そっちはもう意識がないと思うから、縛り上げといてくれ。カエルレウムをベッドまで連れて行ったら戻ってくる。テリエル、動けるなら一緒に部屋に戻れ」

 こちらも泣きそうな顔をしながら、それでも頷いておとなしく従う。
 ぴりぴりしたビヒトさんの雰囲気もあるのだろうが、カエルレウム君のことが心配なようだった。

「ビヒトさん、」
「あとで話すから」
「うん。それはいいんだけど、カエルレウム君が……」

 熱が上がってきたのか、顔が赤い。

「この程度なら大丈夫だ……テリエルを守ってくれてありがとう」

 ふと、緊張した眉を開いて、ビヒトさんも泣きそうな顔をしたように見えた。
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