番外編「ビヒトの里帰り」3

文字数 2,404文字

「いいじゃねぇか。嬢ちゃんと行くのは楽しそうだ」
「わ。やった! ビヒトさんも、いいですか? お家にお邪魔したいとか、そこまでは言いませんから! お爺さんと観光して待ってます! ……その、ご挨拶くらいさせてもらえると、嬉しいですケド……」

 言葉の吐き出し先を失ったビヒトに、ユエは遠慮がちに「魔法使いに会いたい」と告げてくる。
 ヴァルムが「いい」というのだから、大丈夫なのだろうか。それとも、逆にハプニングを期待して?
 少し厳しい視線でヴァルムを見れば、彼はにっと笑った。

「嬢ちゃんは旅行らしい旅行はしてねえんだろ? 機会があって、本人が行きたいっつーんだ。行かせてやれ」

 ひとつ息をついて、渋々と「わかりました」と頷けば、ユエは心底嬉しそうに小さくガッツポーズをした。

「ビヒトさん、いつも忙しそうだから全然お話聞けるタイミングが無くて。道中楽しみです!」
「まあ、そうですね。ユエ様を連れてだと、当初の予定より少し日数がかかりそうではありますね。そう面白い話もないと思いますよ?」
「何言ってるんですか。家族が魔法使いってだけでご飯三杯はいけますよ!」

 よくわからない例えにビヒトが首を傾げると、ヴァルムがポン、と手を打った。

「嬢ちゃんも行くなら、ガルダに頼むか。そんなら予定より早く行ける」
「ヴァルム。いつも言ってるだろう? そうほいほいとガルダを呼び出すな」
「そう言うがな。あいつは嬢ちゃんを常に見張っとるから、どのみちパエニンスラから出るとなると追いかけてくるぞ。んなら、最初から巻き込んでも同じだ」

 思わずユエを見やれば、彼女はえへへと笑ってちょっと肩をすくめた。

「そういえば、そう、かも」

 その立場は難儀でもあるはずなのに、彼女は何も知らなかった頃から変わらない。カエルレウムの秘密を知った時も、変わらなかった。その強さが羨ましくもあり、それ故に厄介だなとビヒトは思う。
 実家に長居しない理由ができた。そう、思おうか。
 あの火の山の(ヌシ)が、アレイアの主や魔法陣をどう見るのか……ビヒトも興味が無いわけではなかった。

 話が決まると、ヴァルムはバルコニーの一つに出て行って、指笛を鳴らした。甲高い音は夜空に吸い込まれていくようだ。
 しばらくして、そのバルコニーに羽音が舞い降りてきた。ヴァルムはカーテンと透明な氷板石の扉を開け、少年の姿になったものを促す。城の面々には数年前にも顔を合わせているから、特別な紹介は要らなかった。
 赤い瞳の少年は、今夜は全身黒いものを身につけていた。ハイネックのぴったりとした長袖に、皮のジャケットと皮のパンツ。ベルトはごつめでシルバーの装飾が目を引く。踏まれれば痛そうなブーツにもシルバーの鋲があしらわれていた。
 彼は誰に挨拶するでもなく、まっすぐにユエの隣へと向かった。ユエは彼が近づくと席を空ける。

「いいぞ。弱っちいのが座っとけ」
「うん。椅子をもう一つもらうから大丈夫」

 言っている間に椅子が運ばれてくる。
 ビヒトの傍に置いてもらって、ユエはすとんと腰掛けた。それを見届けてから、少年はゆったりと椅子に座る。

「で?」
「アレイア大公国に行こうって話になって。ガルダも行かないかなって」
「アレイア? ……ふぅん? 何がある?」
「ビヒトさんの故郷で、お父さんに会いに行くんだって。私、魔法の国には行ったことないから、行ってみたくて」

 機嫌を損ねれば城ごと崩しかねない相手に、やっぱりユエは変わらない。飾らず簡潔な物言いは、けれど彼には好ましいようで、ひやひやしながらもビヒトは感心する。
 赤い瞳がビヒトを捉えて、少しだけ眇められた。

「――なるほど。魔術の。あの国の出か。それは、面白そうだな」

 にやりと笑う姿にビヒトの背に緊張が走る。

「あ。暴れたりしないでよ? お父さんご病気らしいし、喧嘩売りに行くんじゃないからね!」
「さすがに、俺もそれはしない。あそこの主は特別だからな」
「特別?」

 ガルダはビヒトを見たまま頷いた。

「お前は、知ってるんだろう? いいぞ。連れて行ってやる。以前は国に寄らず通り過ぎただけだったからな。楽しみだ」
「よかったぁ。助かる。ありがとう。じゃあ、私たちご飯まだ終わってないから、一緒にデザートでも食べよ」

 ユエがにっこり笑うと、今まで怖いくらいの雰囲気を纏っていた少年は、とたんに少年らしい表情を見せた。

「でざーと?」
「今日は何かなぁ」

 それが合図だったかのように、控えていた者がワゴンを回す。本来、領主へと先に出すものだが、彼の指示は少年へと出されていた。
 差し出された皿には、生地を薄く焼いたものとクリームが層になっているミルクレープが乗っていて、置かれた皿にオレンジのソースが加えられる。
 すっかり釘付けになっている少年にユエはフォークを差し出した。

「どうぞ」

 ぱっと顔を輝かせた少年は、握り込んだフォークを口に運んで幸せそうに笑った。



 ユエの旅支度を待って、その間に気球用のカゴだった物を用意する。バスケットのように持ち手になるものが取り付けられていて、ガルダが運びやすいようになっていた。こんなものまであるのかと少し呆れる。ユエには「前に、ちょっと」と肩をすくめられたので、まあ、事情はいろいろあるのだろう。
 出発は夜中。早朝にはアレイアかその近くに降りられるはずだ。
 風は当たらないようにとガルダが調整してくれるらしいのだが、念のためにと毛布も持ち込んだ。「寒けりゃ火も貸すぞ」と軽く言われて、高度な魔法も彼らには呼吸と変わらないのだと改めて突きつけられる。

 カゴに乗り込めば、ヴァルムのおかげで少々狭苦しいだろうに、ユエは毛布を巻き付けながらビヒトとヴァルムの間で楽しそうだ。これで何かあったら、カエルレウムへ顔向けできない。
 今回の旅には大きなハプニングがありませんようにと、ビヒトは雲の隙間から瞬く星々へ視線とため息を落とすのだった。
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