番外編「すれちがい」中編

文字数 5,878文字

 なんだかもやもやしたまま、表面上は変わりなく日々が過ぎていった。
 ユエは数日前にロレットから届いた荷物を嬉しそうに確かめてはにまにましている。出して着ればいいじゃないかといったら、友人の分なのだと笑っていた。
 自分の分はひとつも新調しなかったらしい。相変わらずというか……

 出発の朝、対象の要望で(あつら)えられた護衛服に袖を通してマントを羽織ると、ユエがきらきらした瞳で寄ってきた。何だか久しぶりだ。

「頬擦りでもするか?」

 苦笑して言うと、ふるふると首を振られた。

「ううん。いい。でも、次にわたるに会う時、それ着て来て。写真に撮っておく」
「俺はいつもボケてるじゃないか」
「だんだんわかるようになってきてるから、もう少しでちゃんと写るよ! っていうか、私が執念で写す。すごい、カッコイイ」

 正面から褒められて、気恥ずかしくなる。視線を逸らしたらユエの手が伸びてきた。唇が触れるが、首にぶら下がるように背伸びする彼女が辛そうで、少し屈んでやった。彼女からキスをくれるのは珍しい。いつも、俺の方が我慢できずにしてしまうからなのだが。

 少し幸せな気分でいたら、朝とは思えない長く、深いキスになった。今度は少し不安になる。ユエは魔力が無いから、俺の血や涙や体液に含まれる魔力を体に取り込むと酔ったような症状が出て、酷くなると寝込むことになる。この数ヶ月で大分体が慣れたとは言っていたが――

「ユエ、酔うぞ」

 名残惜しみながら唇を離すと、彼女は照れたように視線を外した。

「大丈夫。このくらいなら、なんとか。3日分には足りないかもしれないけど、お守り代わりというか――」

 その気持ちに、胸の奥がぎゅっと掴まれたような、熱くなるような感覚が湧いてくる。昨夜だって沢山もらった(・・・・)のに。思わず彼女を抱締める。こういうことをするから、離せないんだ。

「何かあったら、腕輪使え? 帰ってくるから。暗くなったら出歩くな。鍵を閉めてめったなことじゃ開けるな。いいな?」
「大丈夫。わかってるよ」

 呆れたように笑う。

「カエルも、気を付けて」

 玄関で手を振り、その後には窓から身を乗り出して手を振るユエを、俺は何度も振り返った。

 ◇ ◆ ◇

 護衛対象と顔を合わせて驚いた。
 ユエほどではないが、濃い茶の髪をしていたのだ。ちらりとアイツの仮説が頭を過ぎった。派手な顔立ちで毛先は緩く波打っており、背の中程まで覆っている。こちらを値踏みするようにぎらぎらと見ている瞳はトパーズのような茶がかった黄色で、肉食獣を連想させた。

 扱いの面倒なお嬢様、そう言ったフォルティスの気持ちが彼女を見ただけでよく解った。俺は執事の指南書を思い出す。こういう依頼が増えるのなら、やっぱり浚っておいた方がいいだろう。

「お初にお目にかかります。本日護衛を務めさせていただくカエルレウムです」

 彼女の前に進み出ると、片膝をつき、最敬礼の姿勢をとる。当たり前のように右手が差し出された。出そうになる苦笑をなんとかこらえて、その手を取り唇を近づける。決して触れてはいけない。大丈夫。忘れてない。
 多少呆気にとられている周りに構わず、何食わぬ顔で立ち上がるともうひとりの護衛が遠慮がちに敬礼して名乗りを上げた。

「エブルです」
「リーディ・ラスキウスですわ。お噂通りで嬉しく存じます。こんなにお若い方とは思ってませんでしたけど。その服も、とても似合っていてよ」

 彼女は上機嫌でこちらに声を掛けてくる。面倒臭いな、と思ったが顔には出さなかった。不機嫌に当り散らされるよりは、周りも楽だろう。

「このような若僧で頼りなく思われるかもしれませんが、精一杯務めさせていただきます。どうぞ」

 手を差し出すと、彼女はす、と目を眇めた。

「わたくし、素手で触れられない程不潔にしているつもりはなくてよ。以前手袋に仕込まれた針で怪我をしたことがあって……それ以来何かを隠せそうな物は少し怖いわ」
「……彼は、」

 エブルが庇い立てしてくれようとしたのを、軽く手を上げて遮る。こういう人間には何を言っても無駄だ。
 手袋を上着のポケットにしまい、マントも外してエブルに預ける。それからもう1度彼女に手を差し伸べた。

「まだ、身体検査でもいたしますか?」
「充分よ」

 にんまりと笑い、手に手を重ねると彼女は馬車へと歩き出した。
 期せずして他人に触れることになったなと、そんなことを思った。躊躇いが少なかったのは、ユエにそう言われていたからかもしれないし、今朝のお守り(・・・)のお陰かもしれない。
 茶の髪を見ながら、エスコートの時のユエの手はいつも遠慮がちだったなと思い出していた。



 馬車の扉を閉めてエブルからマントを受け取る。気遣わしげな瞳にひとつ頷いて見せた。問題無い。
 エブルはジョットより少し上くらいの落ち着いた紳士で、象牙色の髪と瞳だからか黙っていると不思議な雰囲気がある。気配りが上手く判断が的確なので、何度か一緒に仕事をしたときも、とてもやりやすかった。多分、人との距離の取り方が上手いんだろう。こちらが嫌だと思うところまでは踏み込んでこない。

 今回の仕事も彼の方が立場は上なのだが、依頼人があれだ。彼女に関しては全面的にこちらが受け持つことになるだろう。警護に関してはもちろん彼の指示に従う。今回の人選にはフォルティスの気遣いを感じた。

 マントを付け直して竜馬に跨る。手懐けるのに苦労するかと思っていたのだが、こいつは初対面の時から俺を警戒していた。野生の本能ってやつかもしれない。つまり、それが嗅ぎ取れるほどには強いということだ。
 俺達はすんなりと相棒になれた。冒険者の素質もあるんじゃないかと周りは囃し立てたが、それは御免こうむる。比喩でも何でもなく、俺はユエがいないと生きていけない。

 馬車の前後を挟むようにして進んで行く。前はエブルに任せていた。
 言ってみれば里帰りのこの行程は半日どころか、竜馬なら1刻ほどで駆け抜けられる。それを2泊もかけるのは、お嬢様の気紛れと、観光の為だった。

 大回りするように彼女の父親が所有するウルカヌス山の麓の湖畔の別荘に1泊して、国境付近の街の彼女の実家まで送り届ける。到着時間が予想できないので、余裕を見てもう1泊という感じだ。

 鐘1つ分くらいの時間で飽きただの、休憩だの言う彼女をなだめすかし、時には褒めそやして半日ほどかかってようやく湖畔の別荘に到着する。黙っていた方がよっぽど着くのが早くなるというのに、難儀なものだ。

 疲れたと口にする割に、散策に行きたいからと同行を求められた。エブルに目で確認すると苦笑しながら頷いている。竜馬や荷物等を彼に任せて、確実に寒いといいだすに違いないので厚手のショールを余計に持った。

「この湖は時々色が変わるんですのよ」

 風に乱された髪をかき上げて彼女は言った。期待した目で見上げられたので、ショールをかけてやる。ある意味分かりやすくていい。

「晴れた朝が格別綺麗かしら。風の無い時は鏡の様よ」

 彼女の背中が近付いたので、1歩離れる。驚いたように彼女がこちらを見た。まるで、俺が何故離れるのか解らないというように。

「寒いわ」
「では」

 移動して風上に立つ。

「少しは寒さが和らぐでしょうか」

 まだ彼女は不服そうだったが、それ以上は何も言わなかった。
 折角の景色を碌に見ず、つんとして森へ続く散策路の方に足を向ける。ユエなら、色が変わるなんて聞いたら冷え切ったって動かないに違いない。今度、休みに連れてこようか。相棒なら、ユエを一緒に乗せてくれるだろう。

「きゃっ……!」

 前を行っていた彼女が突然小さく悲鳴を上げて縋り付いてくる。何事かと見遣れば、黄緑色の蛇がゆっくりと道を横切っていた。この時期に。もう躰が上手く動かないのか、その動きは緩慢だ。
 やれやれと彼女を背中側に押しのけて、(ヒタム)に手を伸ばす。

「ど、どうするんですの?」
「森の奥に放してきます」
「わ、わたくしを置いて行くというの!? 蛇など殺してしまえばいいじゃない」

 たいした時間じゃないだろうに。流石に俺は眉を顰めた。

「私の故郷ではこの蛇は主の使いなので、むやみに殺生することは止められています」
「ここは貴男の故郷ではないでしょう?」
「それでも」

 話していると鳥の羽音が聞こえた。はっとして上を向くと赤い目の大鷲がこちらに向かって急降下してくるところだった。
 慌てて彼女を背で庇える位置まで戻る。
 大鷲は蛇をその足で掴むと、こちらを一瞥して笑った(・・・)。すぐに木の上まで飛び去って見えなくなったが。

「――戻りましょう。この辺りは私が後で見回っておきます」

 呆然としていた彼女はこくりと頷いて踵を返した。
 彼女を別荘に送り届けて、俺は湖畔の森へ取って返した。
 別荘から死角になるように少し奥まで進んでからそいつを呼ぶ。

「ガルダ」

 すぐに先程の大鷲が目の前まで降りてきて、少年の面影を残す人の姿へとその身を変えた。芸が増えている気がする。

「ヒタムはどうした」
「山の方へ帰した。山の中は年中暖かいからな。うっかりする奴がいるんだ」
(あれ)の為に来たのか?」
「いや。この辺りまでは山の一部だからな。お前を感じたのにユエがいないから、様子を見てた。ユエはどうした?」
「俺は仕事だ。明後日帰ることになると思う。ユエはパエニンスラで留守番だ。暇なら様子を見て来てくれ」
「お前がいないのに、ユエに近付いていいのか」

 にやにやと笑うガルダに、思わず舌打ちが出た。

「勝手に連れ出したりしなければ、文句は言わん。都会の菓子でも買ってもらえ」
「なんだ。随分寛容になったな。ケッコンなんて人間(おまえら)だけの決まり事だぞ。我等には関係ない」

 そんなことを言うが、ガルダはユエに酷いことはしない。止められればやめる。こんなことをわざわざ言うのは、俺に対する嫌がらせだ。弱いくせに生意気だと。

「ユエに何かあれば刺し違えてでも殺してやる」
「主殺しをやるか。まだ実力が足りんな。仕方ない。将来を買ってお願いを聞いてやる」

 仕方ないという割には楽しそうだ。ユエに呼ばれればほいほい来るのだから、素直に行ってくれればいいのに。
 再び大鷲の姿になって飛び立つガルダを見送りながら、ひとつ息を吐く。これで少し安心だ。
 冬の初めの森の中はほとんど動く物の気配もなく、静かなものだった。一通り見回って暗くなり始めてから俺は別荘へと戻ったのだった。



 割り当てられた部屋で食後に茶を淹れているとノックの音が響いた。エブルと視線を合わせる。彼がドアを開けると濃い茶の髪の彼女が立っていた。使用人ではなかったことに俺もエブルもかなり驚いた。

「今晩は。お願いがあって来たのですけれど……」

 彼女は俺の手元をちらりと見て、それはそれは華やかな笑顔を見せた。

「お茶を淹れられるんですの? わたくしも御相伴にあずからせていただきたいわ」

 はっきり言って、もう彼女に付き合う理由はない。寝床を提供してもらっているので、強くは言えないのは確かだが。だいたい、彼女が茶を所望するというのなら、この場に呼び入れる訳にもいかない。
 困惑気味のエブルの肩を軽く叩いて、俺は脱いでいた上着に手をかけた。

「談話室でよろしいでしょうか」
「ええ。よろしくてよ。もう契約の範囲外になるのでしょうから、堅苦しい上着も置いてらっしゃいな」

 シャツにベストという出で立ちなので、彼女がいいというならいいのだろう。
 心配そうなエブルに軽く手を上げて、俺は彼女について行った。

「綺麗な所作」

 俺の手元を見つめながら、彼女はうっとりと呟く。そういえば、ユエもよくそうしている。

「ありがとうございます。以前、少し勉強していたので」
「まぁ! どうりで他の方とは違うはずですわ。何故、護衛の仕事を?」
「色々ありまして」

 ソーサーに乗せて、カップを差し出す。

「どうぞ」
「貴男も飲むところだったのでしょう? 座って、一緒して下さいな」

 断ろうかと思ったが、その眼がそれを許さなかった。

「……では、失礼致します」

 自分の分を淹れるのにこんなに真面目に注いだのは初めてかもしれない。注ぎ終わると手袋を外しテーブルの脇に置いて彼女の向かいのソファに腰を下ろした。

「いただきます」
「え?」

 するりと出た言葉に、彼女は訝しげな顔をした。その顔を見て、そういえば他の人はそんな挨拶などしないのだと思い出した。ユエと暮らしていると当たり前すぎて、それが染みついていることさえ気づいていなかった。ユエが初めに習慣だといった意味がよく解った気がする。俺は素知らぬ顔を通した。

「お気になさらず。祈りの言葉のようなものです」

 一口啜ったお茶はどこか味気ない気がした。腕が落ちたか? やばい。依頼人に気にいられなければ意味が無い。

「あぁ、美味しい。いつもと同じお茶とは思えませんわ」

 謝罪して淹れなおそうかと思ったところでそう言われて、まじまじと彼女を見てしまう。気取ったその笑顔は嘘をついている訳ではなさそうだ。
 ユエはもっと幸せそうな顔で飲むのに――
 でも、彼女はあんな表情は作らないのだろう。それが判ると、味気なさの理由も解ったような気がした。

「ありがとう……ございます」
「……ねぇ」

 テーブルに乗せていた左手に彼女の手が重なりそうになって、思わず引込める。余計なことを考えていて反応が少し遅れたので、わざとらしい感じになってしまった。
 それが彼女の琴線に触れたのか、その眼に獲物を狙う光が灯った。

「護衛業なんてやめて、わたくしの執事になりませんこと?」
「は?」
「護衛よりもずっと楽でいい暮らしを保証しますわ」

 彼女は立ち上がり、こちらに回り込んで俺の隣りに身体を寄せると耳元で囁いた。反射的に身体を離す。

「折角のお申し出ですが、特に不自由を感じていませんので」

 彼女は俺の手を取り、指を絡ませる。絡みつくそれは俺を縛ろうとする鎖のようだった。

「わたくしが、離れたくございませんの」

 何故、その手を掴ませたのだろう。まだユエの言葉が残っていたからか。

「私には婚約者がおりますので。すみませんが」
「既婚でないのならば、どうとでもなりますわ」

 明日も護衛は続く。振り切っても問題無いだろうか。仕事だという思いが、彼女を跳ねのけるのを躊躇わせた。その躊躇いの合間に、彼女は俺の胸に頭を寄せ、空いた手でベストのボタンに手をかけた。

「何、を」
「貴男を手に入れるのですわ」

 意味を理解するのに時間がかかっているうちに、ベストのボタンもシャツのボタンも外され、彼女の手はベルトにかかっていた。
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