番外編「帰郷」4

文字数 3,469文字

 明かりがついたままの礼拝堂で、ルーメンは死体相手に渋めの茶を飲んでいた。
 祭壇で灯されたろうそくの灯が、入り込んだ風に小さく瞬く。

「……眠れませんか」

 ぽつりと声に出すと、ナトゥラが顔を出した。

「いいえ。眠くないもの。あの子が眠るのを待ってただけ」
「お茶でも?」

 少し迷ったナトゥラにルーメンは続ける。

「毒は入れませんよ」
「期待してないわ。でも、そうね。もらおうかな」

 ルーメンが自分のとは種類の違う茶葉で淹れ始めると、ナトゥラがその手元を覗き込んだ。

「下手ですか?」
「ううん。逆。噂と印象が違うなって」
「どんな噂です?」
「高慢で淫乱な美人」
「間違ってはいませんね。それだけですか?」

 最後の一滴まで注ぎきって、ルーメンはカップをナトゥラに差し出した。

「ありがとう。そうね。他は……恩人に手をかけた前総主教猊下暗殺の首謀者」
「ひねりが無いですね」
「私もそう思う」

 ゆっくりと、ルーメンは隣の彼女の方を向いた。

「あの人はそんなんで殺される人じゃない。どちらかと言えば、首謀する方だもの。でも、彼が総主教猊下を手にかけるはずがないから、その話は矛盾だらけ」
「ずいぶん確定的に仰るのですね。私に恨み言を言いに来たのでは」
「あら。あなたはわざわざ私の恨み言を聞きにこんなところまで来たの? 言い訳をしに来たのではなく?」
「言い訳するほどのことは何もありません。彼は私のせいで命を落としました」
「違うわ」

 きっぱりと確信に満ちた声は、逆にルーメンを動揺させた。

「あなたを護ったのよ」
「同じことです」
「違うわ。私に……私たちに後ろめたいと思うのなら、彼の最期を教えて。悔しそうだった? 怒ってた? 泣いていた?」
「……いいえ。満足そうに微笑んで、私に「自分のために生きろ」と」
「ほら。彼はあなたを愛していたでしょう?」

 花がほころぶように笑うナトゥラに、ルーメンは何が「ほら」なのか解らない。

「判りません。彼のことは、最後までわからなかった。それに、私が本当のことを口にしているとは限らないでしょう?」

 ナトゥラは不思議そうに少しだけ首を傾げて、ルーメンへと手を伸ばした。右目を隠す長い銀の髪を手の甲で掬い上げるようにして、そのこめかみ辺りに優しく手を添える。

「『神眼』持ちが嘘つきでは、仕事にならないでしょう? それに、私が言ったのだもの。『猊下と、猊下の愛するものを愛して』って」
「そんなこと」
「なんにもいらない。何も残さないでって言った私に、一番素敵なものを置いて行った人よ? そのくらい実行するわ」

 ナトゥラの言葉にも表情にも偽りはなく、強く信じているのがルーメンには視える。

「会ってみたかったの。猊下と彼の育てた子に。でも、世間も噂もあんまり冷たいし、そのうち遠くに行ってしまった。信じきれるかも、怪しかった。ジョットの義兄(あに)が父親殺しの犯人だなんて噂、あり得ないと思っていても会ったこともない人だもの。簡単に否定できるものでもないでしょう?」
「もちろんです。彼は多分、もっと酷い噂も耳にしてる」
「そういう意味では、ひとつだけ恨み言を言いたいわ」

 顔を顰めた彼女にルーメンは小さく頷いた。

「あの子に彼の名前をどうして教えたの? 昔ならともかく、今なら辿り着いてしまうかもしれない」
「名前? 教えたりなど……」

 眉をひそめて思い返し、ルーメンは可能性に思い当たる。

「……すみません。教えてはいませんが、聞かれていたのかも。眠ったと、思っていたのですが」
「あら。そういうこと? それとも、一緒に寝るような仲だった?」
「違います。緊張しすぎて眠れなそうだったので、子守歌を――あの歌が、貴女が歌っていたものだと知らなかったのです。私は猊下から聞かされて育って、おそらく、彼女は彼から……」

 ナトゥラは少し目を見開いてから鮮やかに笑うと、ルーメンに添えていた手を頭の後ろに回して引き寄せた。

「同じ歌を聞いて育ったのね! やっぱり、私は間違ってない。彼は猊下とあなたを愛してた。親が子を守るのに、理由はいらないの」
「……は」

 突然頭を抱きしめられて、ルーメンは面食らう。

「そして、子供は守られる理由が分からなくてもいいのよ。もしも間違いを犯していても、きっと正してくれると信じるのが親だもの。ちゃんとあなたの中には彼が居る。きっと、猊下も。私は猊下とは違うけれど、いつでも母のように頼ってちょうだい? 歓迎するわ。お兄ちゃん」
「お……に……?」

 慌ててその手を抜け出したルーメンの頬には珍しく赤みがさしていた。


 * * *


 ひと眠りしたら目が覚めてしまったので、ルーメン主教と一杯飲もうかと起き出したら、妙な場面を目撃してしまった。
 慌ててドアを閉めたけど、自分の母親が知り合いを抱きしめてる場面て、ちょっとショッキングなんだけど!
 母さんて、神官が好みなのか? まあ、父さんに迫ったことを思えば、そうなんだろうけど、そうじゃなくてもルーメン主教は美形だけどさぁ! 二人とも独身だし? 咎められるようなことはないとしても、いや、なんだ……そこに主教様だってまだいるし! どちらかというと咎めてほしいというか!

 ますます目は冴えてしまったけど、部屋に戻るべきかとドキドキいう心臓を押さえて深呼吸する。なんか、もう今日はずっと心臓に悪い日だ。なんとか気を落ち着かせて、背を預けていたドアから離れようとしたところで、そのドアが消えてなくなった。

「う、わっ!」
「……ジョット? 何してるの?」

 後ろにたたらを踏んだ僕を、母さんが抱き留める。

「か、か、か……母さんこそ!」
「私は喉が渇いて。部屋に戻るところ。あなたも早く寝ないと、お祈り中に居眠りする羽目になるわよ」
「ひと眠りしたんだよ。目が覚めちゃったから、ちょっと、寝酒でも引っ掛けた方がいいかと思って……」
「主教様のお酒もらうつもり?」
「え? あ、そう。そう、しようと。本人にも供えればいいデショ」
「飲みすぎないでよ? 酒臭い葬式も嫌よ?」
「大丈夫だって」

 じっと挙動を観察するような母さんの視線を振り切って、主教様の自室へと足を向ける。主教様の傍にいるルーメン主教は何事もなかったかのように、いつものように微笑んで顛末を見守っていた。
 戸棚から一瓶拝借して礼拝堂に戻ると、もう母さんの姿はなく、本当に部屋に戻ったらしい。ほっとしたような、落ち着かないような。

「お部屋に戻らないのですか?」
「すっかり目が冴えちゃったから、ルーメン主教に付き合ってもらおうかと思って」
「構いませんが」

 許可をもらったので、いそいそと酒を注ぐ。
 どうやら手作りの果実酒だったようで、綺麗な赤い液体が出てきた。

「母さん、ご迷惑をかけませんでしたか?」
「いいえ?」
「なら、いいんですけど……」

 カップをひとつ主教様の傍に置いて、自分の分を軽く掲げてから口をつける。
 ベリーの酸味と香りが鼻に抜けていった。

「どこから見てたんです?」

 二口目を飲み込む瞬間に、そんなことをさらりと言われてむせ込んだ。鼻の奥がツンと痛んで、アルコール臭を直に嗅ぐ。あー! もう! 絶対タイミング計ったでしょ!

「み、見て……見てた、わけじゃ。ケホッ。すぐドア閉めましたよ……」
「そうですか。別に、変なことはしていませんよ。前向きな方ですね」
「はぁ……前向き過ぎるというか、泳いでないと死んじゃう魚みたいです」
「変わりませんか」
「変わりませんね」

 ルーメン主教は静かに深く頷いた。それから懐かし気に目を細め、喉の奥で少し笑う。

「何か?」
「いえ。男が無断で一晩帰れない理由がひとつ理解できたので」
「あー……身内ながら、お恥ずかしいデス」
「いいえ。お母様はそうすべきタイミングを間違わなかったんだと思います。あなたを産んでから、同じように誰かに迫ったことはないのでしょう?」
「……たぶん? ここを出てからは、断言できませんけど」

 さっきああいうのを見ちゃったら、余計、ね。

断言しましょう。先ほどのことは、やましい気持ちからではないので忘れてあげてください」

 ルーメン主教がそこまでいうのも珍しい。僕に気を使うタイプでもないし、そうなんだと飲み込むしかない。消化できるかは、また別の話だけど。
 自分の中の意識をそらしたくて、僕は別の話題を探す。何か、あったような。
 頭の中のセンサーはすぐに胸ポケットに行き着いた。

「そういえば」

 ポケットから取り出した鍵を手のひらに乗せて、ルーメン主教の前に差し出してみる。

「こういう鍵を教会の施設で使ったりしますか?」
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