ホワイトデー・円周率の日SS

文字数 2,949文字

 朝からいい匂いがしていた。
 パンを焼くような、香ばしい匂い。意地汚い私は、それがいつものパンと違うのを敏感に嗅ぎ取ってしまう。
 アレッタが、おやつを作っているのだとにんまりして、目を開ける。
 ――あれ?
 いつも私を見つめている紺色の瞳がない。
 ベッドの半分はもぬけの殻で、いつもと違うことにキョトンとしてしまう。
 寝過ごした? と、若干焦りが湧いてきたところで、朝一番の鐘が鳴った。
 そうだよね。寝過ごしそうなら、カエルが起こしてくれるはずだ。
 どこに行ったんだろうと不思議に思いながら、身支度を整えて本館に向かう。
 途中で庭を見下ろしてみたけど、紺の髪は見つからなかった。

「おはようございます。ユエ様」
「おはよう。ビヒトさん、カエルどこにいるか知りません?」
「厨房におりますよ」
「あ、そうなんだ。じゃ、いいや」
「何か?」
「ううん。ずいぶん早起きだなって思って。今日って何かあったかな?」

 ビヒトさんもちょっと首を傾げているので、思い当たるような特別な日ではないんだろう。
 きっと、突然食べたくなったものでもあったのだ。
 そういうことってよくあるある。
 勝手に納得して席についたら、本人が厨房から戻ってきた。

「……ユエ。起きたのか」
「鐘鳴ったよ? なんか作ってたの?」
「ああ。ちょっと。飯、用意するな」

 踵を返そうとしたカエルをビヒトさんが引き止める。

「私が行きましょう。カエル様も、お座りください」
「そうか? じゃあ、頼む」

 にこりと笑って、ビヒトさんは厨房へ消えて行った。
 屋敷の主人夫婦も私たちも、いつもはもう少しあとに朝食なので、手順を狂わせてしまったかもしれない。
 心配するほどじゃないと、カエルは笑うのだけど。


 ◇ ◆ ◇


 特に変わったこともなく一日を終え、夕食のデザートを楽しみに待っていた私に、給仕をしていたカエルが囁いた。

「デザートは出ないから、部屋で待ってろ」

 目の前でリエルが頬張るババロアを見ているのに、出ないってどういうこと!?
 憤慨しそうになって、ふと今朝のことを思い出す。不自然な早起き。
 微妙な表情をした私に、くいと顎でもう一度促して、カエルは空いた食器を手に取った。
 渋々と従う。これでお説教とかだったら家出してやる。
 怒られるようなことは、してないぞ! ……たぶん。

 疑心暗鬼に駆られて、そわそわと落ち着きなく待っていると、戻ってきたカエルの手にはお皿とフォークが。
 皿の上には直径15センチほどの丸いケーキ? が乗っていた。
 促され、座った目の前のテーブルに差し出される。

「召し上がれ」

 疑問にじっと見つめると、コホンと咳払いをしてカエルは目を逸らす。

「……ほら、先月、もらっただろう? あれの、お返し……」
「え。でも……」

 あれから4週間も経っている。
 指折り数えて、確かめる。
 カエルはお返しするならそんなに日は開けない。この程度のお菓子、次の日にだって作れるはずだ。誕生日にまとめてとかならわかるけど、誕生日はまだ先だし、半端すぎてなんだか納得いかない。

「なんで、今日?」

 うっ、とカエルが小さく呻く。後ろめたいのか、口元を片手で覆って、視線は外したままだ。

「いや。その……ば、『ばれんたいん』にはお返しの日が、あるって……」
「へ?」

 いやいやいや。まて。何故それをカエルが知ってる。
 こっちにはバレンタインもないし、確かにかこつけたけれども、ホワイトデーの話はしなかったし。

「……カエル、わたると会ったの!?」

 立ち上がって詰め寄る私に、カエルは抱き留めるように軽く腕を回した。

「ね、狙ったわけじゃない。たまたま――」
「ずーるーいー! なんで、ふたりで!」
「だから、わざとじゃないって。いいから、食べてくれないか」

 元の世界のわたると会う夢を共有するのは、コントロールできることじゃない。わかっていても、身内の私が見ていない夢を、カエルだけ見るのは納得がいかない。
 あ、そうか。そう言われるのが嫌で黙ってたな?
 押し戻され、椅子に座らされて、私はそれと対峙する。
 パイ生地に、たぶんカスタードクリーム、その上に輪切りのオレンジが乗ったものだった。

「全部は多いよ。カエルも一緒に食べよ?」

 嬉しくないわけではないから、憮然としながらもそう提案する。

「え? そう、か」

 何やら少し動揺して、カエルは珍しく時間をかけてそれを切り分けた。4つに分けるだけなのに、何をそんなに悩んでいたのか。
 4分の1を受け取ると、カエルはお茶を淹れてくれた。

「いただきます!」

 カスタードだと思ったクリームは、酸味のあるレモンクリームだった。表面にはマーマレードが塗ってあって、ほのかな苦みがアクセントになっている。
 思ったよりもさっぱりしてるから、もしかしたら丸々食べられたかもしれない……

「どう……だ?」

 緊張気味に訊くカエルの様子にはまだ違和感がある。味見をしていなくとも、たぶん、自信はあるんだろうに。自分の分にも手を付けないで、じっと見守られていると少々食べづらい。

「美味しいよ? 思ったよりさっぱりだから、いくらでも入っちゃいそう。とはいえ、時間が時間だから、あんまり食べるのも怖いけど……」
「よかった。じゃあ、こっちも……」

 カエルが自分の皿にてをかけた瞬間、私のフォークが何か固いものに当たって音を立てた。

「へ?」

 ちらりとカエルを見ると、すっかり動きを止めている。
 カエルに限って、異物混入はあんまり考えられないけど……急いでたらうっかりはあるかな?
 少々掘り進むと、黄色っぽいものが見えた。なんだろう?
 フォークの先で掬い上げる。

「……へ? わ……」

 それは、金の指輪だった。

「厨房の誰かが落としちゃったのかな? 探してたり……」

 するりと伸びてきた手が、それを取り上げ、服の裾で汚れをふき取ると、カエルは私の手を取った。左手を。
 呆気に取られている私に構わず、指輪はゆっくりとその薬指に嵌められる。
 そこでその指輪に乳白色の石が嵌まっていることに気が付いた。少し傾けると、蒼いシラーが揺らめく。

「向こうでは、結婚相手に指輪を贈る習慣があると……生まれた月の宝石は護り石の役目を果たすって言うから、似たような特徴の石を探して……普段し慣れないから、失くしそうだっていうなら、鎖も用意した。首から下げておけば、そんなに邪魔には――」

 思わず飛びついて、説明を続けようとする口を塞ぐ。
 馬鹿だなぁ。気にしなくていいのに。こっちのやり方で充分なのに。
 カエルは、私の籠める愛情の何倍ものものを返してよこす。今回だって、私があげたものをわたるが知ったら頭を抱えるに違いない。
 全然、見合わないよ。

「カエル、大好き」

 珍しく、照れて真っ赤になっているカエルだったけど、一度抱き合って冷静になったら、ふんどしのことをぶり返して説教された。
 解せぬ。



Happy White Day ・・・?

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※円周率の日、パイ(π)の日、国際結婚の日、でもあるようですね。
 誕生日は面倒で設定してなかったんですが、性格からいくとユエは風の星座。カエルは土の星座っぽいので、今回ユエの誕生日が5月29~31日のどれかに決まりました。おめでとう(?)
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