二十二日

文字数 767文字

ショペンハウアー「読書について」を読んで、真に価値のある本というものは古典だと断言したのを拝見しまして、まぁ、それについては否定しません。価値があるから、残り続けているわけですから。
そして、原作から派生した作品(この場合、漫画や映画、解説本なんかを指しているのでしょうか)は全て愚作。作品の解説や他人の意見も無価値。そう言わんばかりの発言でしたが、これも否定しません。やはり、そこに他人の意志が介入してしまっているから、本来の味から薄くなっているのでしょう。
ですが、新作に群がるのを愚かだと断罪するのは肯定できませんでした。
購買意欲を注いで悪書を手に取らせる、なんて陰謀めいた発言もなさっていましたが、それは少し語弊があるように感じられます。
人はあるものよりないものに興奮するんですから。
いくら良書でも、いえ、良書だからこそ、手に取るのが怖いのですよ。理解できない、それが怖くてたまらないのです。
それに、いま、私たちと共に生きている人が執筆している本の方が、親近感が湧くじゃないですか。悪書を読んで、痴呆になる(ここまで過激でありませんでしたが)なんて、むしろ、良書の古典ばかり読んで全てを悟っている方が呆れてしまいます。いつか昔の時代の方が良かった、なんて言い出してしまうのではないのでしょうか。そうなりゃ、人は終わりですよ。
金目当てのために愚作ばかりが刷られ、量産され、読者がそれに埋もれて、人が、文学が衰退していると警笛していましたが、笑ってしまいました。
この本はベストセラーとなって各国に飛ぶように売れ、見事に金儲けの一役を買ったんですから。
余談ですが、この本の巻末に解説がありました。解説を任された、この人は、一体、どんな顔で執筆していたのでしょうか。
そんな愚痴です。
スマホは順調です。一時間と十五分でした。
順序が逆でした。
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