一年目 六月中旬 政治家秘書・中村晋介

文字数 1,146文字

「えっと……おめえ……誰だったっけ?」
「あの……松尾正太郎の代りに先生の秘書になりました中村です」
「松尾のヤツはどうした?」
「病気で入院しましたので……私が代りに……」
「ああ、そうか……。松尾は……いつ退院出来んだ?」
「それが……退院出来ても……体力の方は元に戻らないだろうと云う話で……。医者から勤務時間の制限を言い渡される可能性が高いとの事です」
「困ったもんだな……」
 又従兄弟の正太郎の代りに副総理の瓜生の秘書になって半月ほど。
 中村晋介は、毎日のように瓜生一郎から同じ事を聞かれ続けた。
 瓜生は与党第一党所属の国会議員の中でも長老格だ……と言えば聞こえはいいが、党の「定年」制度を特例で免除されているに過ぎない。
 もう、何年も前から、マスコミの使う婉曲表現で言うなら……「老人特有の症状」が現われ始めていた。
 戦前から昭和三〇年代頃まで活躍したタレントの徳川夢声に、晩年、TVに出た時、楽屋では曖昧な状態だったにも関わらず、本番が始まった途端に、何の支障もなく生き生きと現役時代の思い出を語った、と云うエピソードが有る。
 瓜生もそれに近い状態だった。
 国会質問や記者との受け答えは卒なく出来る。
 だが……それは……言わば「体が覚えている」「条件反射」に過ぎない。
 瓜生が、国会や記者会見で良くやる人を喰ったような言動……それを面白がる与党支持者も多い。
 だが……瓜生の発言を良く良く精査すれば……どこかチグハグだ。相手の質問をはぐらかしている……のとも少し違う。
 瓜生は……最早……新しい事を記憶出来なくなり、「過去に経験したパターン」に沿った言動しか出来なくなった「心の時間が止まった」人間と化していた。
 正太郎が秘書を辞め、代りに晋介が秘書になった事も……明日には忘れるだろう。
 先月末に、突然、内閣府の官僚の主導で、与党国会議員の関係者の「身体検査」が行なわれた。
 少し前に、ある全国紙が報じた「CT検査を受けると危険な状態になる遺伝的欠陥を持つ男性が居る」事は本当で……何故か、該当する男性は与党国会議員の秘書や選挙事務所の職員などを解雇される事になった。
 1期目の世襲でない国会議員に至っては……該当者は次の選挙で党の推薦を受けられない事になった。
 そして、松尾正太郎も、その「遺伝的欠陥を持つ男性」に該当し……代りに、中村晋介が瓜生一郎の秘書になった。
 だが……中村晋介には、もう1つ判らない事が有った。
 問題の遺伝的欠陥は……父親から息子に受け継がれるY染色体上にあると云う。
 だが……松尾正太郎には、その遺伝的欠陥が有り……中村晋介には、その遺伝的欠陥は無かった。
 松尾正太郎の父方の祖父と、中村晋介の父方の祖父は……十歳以上齢が離れているとは言え実の兄弟だったのだ。
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