第4話 ヒトの口に戸は立てられぬ

文字数 2,783文字

 大部屋で、シマさんの隣りの席は宮野ディレクターである。しかし宮野ディレクターは、ほとんど席にいることがない。時々キューシートを打っていたりするが、昼間は大概取材かミーティングで出ており、社に戻ってもスタジオか編集室に篭っている。小さなラジオ局では、一つの番組に二人以上の制作局員が関わることは滅多にない。シマさんが宮野ディレクターのアシスタントである意味は、宮野ディレクターとシマさんに割り当てられた番組を分担して回すか、取材のアポ取り、出演交渉、穴時間埋め、その他諸々の…… 臨時的フォローである。そんな訳で、一つの番組を二人で作っている訳ではないのだが、時々スポンサーとのミーティングや、取材に同行させてもらえる。これまた小岩井プロデューサーと同じで、変わった権威どころに知り合いが多いのである。

「シマ君、宮野は?」

 なので、シマさんは今、宮野ディレクターがどこにいるか知らない。多くの場合、知らない。住井ディレクターに尋ねられても、返答しようがないのである。

「すみません、存じ上げません。取材だと思います」
「素材のダット、第二スタジオに置きっぱなしだぞ。上書きされたくなかったら、ちゃんと保管してくれないか。これから収録なんだ」

 眼鏡にワイシャツ、スラックスで、制作部では最も常識人を自認している住井ディレクターは、宮野ディレクターと馬が合わない。ラジオに対する情熱は等しく有り余るものの、教育・教養番組担当でクラッシク派の住井ディレクターに対して、宮野ディレクターは情報・エンタメ番組担当で芸術は爆発タイプだ。同期ではなく住井ディレクターが二つ上らしいが、宮野ディレクターが年次に注意を払うことはない。シマさんは、二人とも嫌いではないのだが(そもそも上司である)、二人のゴタゴタに巻き込まれるのは勘弁して戴きたかった。ちなみにダット(DAT)とはデジタル音声テープのことであり、2000ゼロ年代末までにはMDとICレコーダーに取って代わられてしまうのだが、ここではまだ使われている。

「すぐに引き取ります」

 席から慌てて立ち上がったシマさんにやれやれと同行しながら、住井ディレクターはぼやく。

「宮野はもうちょっとデスクも頭の中身も整理しないとな……」

 シマさんはそそくさと第二スタジオに向かいながら、笑って誤魔化す。宮野ディレクターのデスクは、資料と本とキューシートとダットと同録とタバコの箱が、中国は桂林の水墨画状態になっている。そしてシマさんのデスクも、だんだんと同じ景観になってきているのだ。

「あ、シマちゃん。これ、宮野さんの字だよね?」

 取手を回して、第二スタジオの重い防音扉を開けると、マッキーさんがいた。これから収録になる番組の営業担当代理として、立ち会っているらしい。編集用コンピューター脇に積まれていたダットを渡してくれる。貼られた付箋は確かに、みみずが這うような宮野ディレクターの字だ。それにしてもまた、こんなにインタビュー録って、編集が大変だろうに。

「宮野は自分ができることは、他の人間もできると思ってるからな。無茶言ってきたら、部長に相談するんだよ、シマ君」

 溜め息を吐いて調整卓前に座り、住井ディレクターが言う。半分皮肉なのだろうが、半分は本当に気に掛けてくれているのだろう。宮野ディレクターが作る番組の実力を分かっているからこそ、評価を一番気にしているのも、住井ディレクターなのである。宮野ディレクターは本来、大学院を出て研究者になるはずだった。それがどういう差し金か、ラジオ局で働いている。

『ちょうど院の短期留学に行っていた時、ロスアンゼルス暴動が起こったんだ』

 真夜中の編集室で一度だけ、宮野ディレクターと根津さんが話していたのを、傍らで聞いていたことがある。

『渦中にいて思ったんだ、研究も重要だが、俺が伝えたいのは、当事者の生の声なんだって』

 研究者としてデータの分析やフィードバックで社会に貢献することはできる。でも俺は、感情と体験から発せられる声で、他の多くの人々を動かしたいんだ。そこに誰かが生きていたってことを、知らしめしたいんだ。ラジオなら、それができる。

 よく言う、どこの研究室からも煙たがられたからだろう、とは住井ディレクターの意見である。経済評論家のコメンテーターが、ガラス向こうから手を振っている。聞き手役のアナウンサーが、インターコムを上げて『よろしくお願いします』と合図を送ってくる。住井ディレクターは、レギュラー出演者から信頼を寄せられる、話しづくりのプロだ。ロジックをぶらせず、かつ平易で緩急のある、リスナーの興味を引っ張り続けることができるよう見事に作り込む。ラジオでも、ディレクターによって制作スタイルは随分違うし、それぞれの作り方を押し通せる辺り、自由というか、自由すぎるというか。

 住井ディレクターの前方へ持ち上げられた片手を、マイク越しに出演者たちは見つめている。ジングルが鳴り出す。シマさんはこの瞬間が好きだ。ディレクターからキューが出る。今日はどんな話が聞けるのだろう。

「すまん、忘れた!」

 廊下を駆ける地響きに、防音扉ががばりと開いて、宮野ディレクターが飛び込んできた。宮野さん……せっかく上手くまとまるところだったのに!


第四回 Cueシート原稿

00:00 カットイン

The lion and the unicorn
Were fighting for the crown
The lion beat the unicorn
All around the town

Some gave them white bread
And some gave them brown
Some gave them plum cake
And drummed them out of town

(ジングル)*制作中
(タイトル)『長靴をはいた私と眠らずの森』(仮)

樋口さんトーク:みなさんこんにちは……

[概要]
『ライオンとユニコーン』は連合王国(ユナイテッド・キングダム)徽章に見られる、イングランドのシンボル(ライオン)とスコットランドのシンボル(ユニコーン)であり、この童謡はイングランドによるスコットランドの統合を意味していると言われている。ウィリアム・キングにより原型と思われる歌詞が記録されたのは合同法成立の一年後、1708年のことである。歌詞にはバリエーションがある。

『鏡の国のアリス』にもこのライオンとユニコーンが登場するが、こちらはグラッドストンとディズレーリの英国議会における対立を描いたものだと言われている。作者ルイス・キャロルが明言していたわけではないが、挿絵の顔は二人の首相にそっくりである。


[朗読シナリオ案]
*別紙参照

樋口さんトーク:……それではまた来週お会いしましょう。

(ジングル)*制作中
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