第5話 鶏口となれど……

文字数 2,112文字

 第七スタジオのソファに縮こまり、シマさんはキューシートを読む三田村アナの顔色をうかがっている。新番組の朗読部分に男声が必要になったので、大部屋で営業部の次に近づきにくいアナウンサー部へにじり寄っていき、やっと三田村アナにお願いして第七スタジオまで来てもらった。このラジオ局では、アナウンサーの多くが男性である。実のところ、正社員の女子アナは樋口アナ一人である。なぜなら、競馬実況があるからだ。
「あのさあ、フォークロアっぽくするなら、俺じゃなくて白井さんとか小山さんとかの方がよくないか?」
 声の個性というものは、意識されている以上に奥深い。三田村アナはどちらかというと端正な話し方をするアナウンサーで、競馬実況だけでなく、教養番組やカルチャー番組の聞き手として重宝されている。ところが、痺れるウィスパーボイスの持ち主は、シニカルなほど容赦無い性格なのだった。
「ナレーションならともかく、一人称語りだと情緒が足りんだろ」
 シマさんの好きな己れの声に対して、この言いようである。シマさんは時々思う、アナウンサーさんはスポーツ選手なのではなかろうか。研修時代に中山競馬場を訪れたことがあるが、実況席からでも一番外回りの馬場を駆ける馬は枝豆くらいにしか見えない。アナウンサーさんたちが大部屋のデスクでわいわいと熱心に色塗りをしているのは騎手服表で、レース毎に騎手と騎乗している馬の名前を覚え、双眼鏡片手に騎手服で判別しているのである。シマさんにとっては想像できないレベルの技術である上に、リスナーを盛り上げる丁々発止の語り口は、練習と経験という努力の賜物なのだ。
「一人称でも割とこう突き放して自分を見てる感じだと思うんです、全体的に本を読んでいるみたいな」
 心中だらだらと冷や汗をかきながら、シマさんは言い募る。白井アナは普段柔和な語り口が実況になるとそれはダイナミックな、ファンの多い大ベテランだ。小山アナは三田村アナと同世代だが、時代劇に登場しそうな渋い声音で畳みかける実況が人気である。登場人物になりきり、声音を多様に変化させて話すならば、三田村アナが二人を挙げたのは尤もである。アナウンサーという肩書きに付加されたイメージではカバーできないほど、彼らの“話す”“聞く”というプロフェッショナリズムは、多様でユニークなのだ。
「分かった。じゃあちゃんと指示出してくれよ」
 墓穴〜〜〜!三田村アナは立ち上がり、マイクへ向かった。シマさんはよろよろと調整卓前に座る。三田村さんは、よく人を見ている。聞き手としてのアナウンサーは、相手の人となりを引き出す役目なのだから当然だ。シマさんが三田村アナに朗読をお願いするのは、三田村アナの声だけが理由ではなく、ベテランアナウンサーへディレクターとして明確な意思表示と采配ができない気の弱さと、何だかんだと言って最後にはフォローしてくれる三田村アナへの甘えが有るのだ。
「番組構成を決めるのはディレクターだし、レースを走るのは騎手と馬たちだ。アナウンサーの力量は、それにどれだけ応えられるかだろ?」
 スポーツ選手というより、職人なのかもしれない。“話す”技術を極めた匠、それがアナウンサーである。かっこよすぎる。


第五回 Cueシート原稿

00:00 カットイン

Sing a song of sixpence,
A pocket full of rye.
Four and twenty blackbirds,
Baked in a pie.

When the pie was opened
Birds began to sing;
Was’t that a dainty dish
To set before the king.

The king was in his counting house,
Counting out his money;
The queen was in parlour,
Eating bread and honey.

(ジングル)*制作中
(タイトル)『長靴をはいた私と眠らずの森』(仮)

樋口さんトーク:みなさんこんにちは……

[概要]
『6ペンスの歌』はマザーグース詩集の一編として愛唱されているが、成り立ちは定かでない。シェークスピアの『十二夜』(十七世紀初頭)にそれを伺わせる一節が見られる。十八世紀を通じて何度か文書に記録されているが、歌詞は変遷している(blackbirdsも当初はnaughty boysであった)。現在のかたちになったのは十九世紀半ばと考えられる。

歌詞の解釈についてはさまざま有るが、パイの中に小鳥を仕込んで、切り分けると飛び出すという余興は、十六世紀のレシピ本に実際に見られる。Kingは太陽を、queenは月を、twenty four blackbirdsは24時間を表すという説や、ヘンリー八世と最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンの離婚係争とカソリック教会との対立を暗喩したもの、聖書が24文字規格の英語で印刷されるようになったことを記念するもの、など。

[朗読シナリオ案]
*別紙参照

樋口さんトーク:……それではまた来週お会いしましょう。

(ジングル)*制作中
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