第7話 暖簾に腕押し

文字数 3,249文字

「送ってくよ」
 本日は現場収録である。埼玉県某所で里山環境保護活動主催者へのインタビューと、周辺の里山や自然公園での音録り、つまり木々のざわめきや小川のせせらぎや子供たちの遊ぶ声など、番組の効果音として使うものの録音である。インタビューは穏やかに終わり、風景音の収録は危うく坂になった薮からマイクごと転げ落ちそうになったがどうにか終わり、さて帰社しますか、となったところで、宮野プロデューサーは「別の打ち合わせが入った」と、どこか行ってしまった。取り残されたのは、機材を抱えたシマさんである。
 よくあることとは言え、今回は都内ではなく沿線でもない住宅街そばの里山である。雨曇りが晴れて明るくなってきたのは幸いだったが、土地勘が無いのでさてどうするかな、と考えていたシマさんの携帯に、大谷事務所から電話が入った。
 大谷事務所はラジオ番組の制作外注をしてくれる、大谷社長と契約スタッフ何人かで回している小さな事務所である。その契約スタッフの一人が根津さんだ。根津さんは自営業者だが、幾つか他の会社と契約の仕事もしているのだった。さて、大谷事務所は浦和にある。この日根津さんは大谷事務所で大谷社長の仕事を手伝っていて、帰り際にシマさんが取材で埼玉にいることを聞いたらしい。
「駅まで乗ってきな。機材有るんでしょ」
 シマさんは良く言えばマイペース、悪く言えば気が利かないドンクサであると自覚しているので、あまり他人さまの手を煩わせたくない。一人でできることは一人で片付けたいのだ。誰かと一緒にやると、迷惑を掛ける可能性が高く、その後自己嫌悪に陥るのが嫌なのである。だか、シマさんが遠慮する前に、根津さんは車を出してしまったのだった。
「車好きなんですね」
「そうね、機能美かな〜」
 青のWRXが目の前に止まったので、シマさんは驚いた。シマさんも免許は持っているが、身分証明書代わりで、車を所有している訳ではない。そもそも教習で散々苦労したため、免許が取れた時点で車の運転はもうしない、と切実に心に決めたのだ。そんな車音痴にも分かるほど、よく手入れのされた車だった。助手席をすすめられ、おっかなびっくり座る。フロントガラスを透かして木漏れ日がきらきらと輝く。エンジン音も静かに発車する。でも思い出してみれば、根津さんは録音機材の扱いも丁寧だ。
「乗る機会はあまり無いんだけど、他にお金を使うところも無いし」
 いやいやいや、乗る機会が無いのは、根津さんが忙しすぎるからでしょう、お仕事はほどほどにして、もっと健康に気を遣って、余暇を楽しんだ方がいいと思いますよ。徹夜続きで青い顔して、不規則に食べて栄養ドリンク飲むのは止めた方がいいと思います、と言おうとしたシマさんは、いつも笑えるほど疲れている根津さんが、穏やかににこにこしているので、口を噤んだ。
「誰かに乗ってもらえて、よかったよ」
 これが宮野さんだったら、俺の作ったものを鑑賞しろ! という単純な意味のような気がするが、なんというかロマンチストで繊細でもある根津さんの場合、私が乗っていることが本当に喜ばしいのだろうか。シマさんは内心首を捻った。
「新番組のタイトル、どうして『長靴を履いた私と眠らずの森』なの?」
 うーん、さすがに乗り心地が違う……かな? エンジンが優秀なのか運転が上手いのか、その両方か…… シマさんは人間関係については大分ぼんやり、というか深く考えたくないタイプなのだが、モノづくりのためのネタ探しには熱心なので、早々に滅多に乗らない車体を観察しだしていると、根津さんに声をかけられた。
「フォークロアを元に朗読劇をつくると、どうしても暗く悲しくなっちゃうんです……私のせいですけど」
「音づくりとしては面白いよ、ファンタジー系のコンテンツ無いからねえ、そちらの局は……声優さんの番組もちょっと違うし」
「だから“入れ子式”にしようかと思いまして」
「ストーリーの中のストーリー?」
「はい、異世界転生」
 根津さんの、いつも困ったように垂れた眉が、珍しくちょっと神妙に寄せられる。体格は(縦にも横にも)良いが髭面で猫背、世話好きで細々と働き者で、歳はシマさんより五つ六つしか変わらないのだが、どうもオヤジっぽくなってしまう根津さんは、いい人だなあ、というかカピバラさんっぽいというか、そういう感じにシマさんには見えてしまう。ちなみにシマさんは猫よりも、狸や猪の方が可愛いと思っている。
「シマさんは流行を追わなくてもいいと思うよー」
「……というのは売り文句で、長靴をはいた猫が三男を助けながらあちこち巡る先で見聞きした物語、ってことにしようかと」
「“長靴をはいた私”ってことは、リスナーが『猫』な訳?」
「悲惨で愚かな人間社会も、『猫』の視線で見ると哀れで滑稽だということを書きたいんです……なんて」
「『吾輩は猫である』? それとも『ドン・キホーテ』かな……」
 え、そうかも? 文豪にすみません?? 潜在意識って恐ろしいですよね、教科書に『こころ』が載ってるせいですかね、あの作品青少年の健全な心理発達に良いんでしょうかね。『羅生門』も『山月記』も『舞姫』も、日本人の精神世界に大分深く根付いていると思いますけど。登場人物が男性ばっかりなところは時代のせいなんだか、日本人的感覚性なのか…… 何も知らされずに、でも気づいているのかもしれなくて、けれど何も伝えられなくて、あの惨事の後夫婦関係もギクシャクする“お嬢さん“もかなり気の毒だと思うのは私だけ? などと取り留めのない雑談をしているうちに駅に着いたので、シマさんは礼を言って根津さんの車を降りたのだった。

後日樋口アナにその話をしたら、「シマさん、肝心なところ見落としてるよ!」と呆れられた。


第七回 Cueシート原稿(修正版)

石畳を歩く二つの足音
ドアが軋む
シャリシャリと布を断つ音
時計が時を打つ

(ジングル)
(タイトル)『長靴をはいた私と眠らずの森』

魔法使い1:城の地下には仕立て屋が閉じ込められている。彼女は一着のドレスを解いては作り直し解いては作り直す。
猫:腕が良いなら何故そんなことに?
魔法使い1:王女の結婚のために、コルセットの要らない、それは美しいドレスを作った。ところが王も王妃も花婿も国民も、それをふしだらと罵った。彼女のドレスを愛した王女は、国を逃げ出した。
猫:それは王様が裸でも服が見えるヒトタチだわねえ。まあいいや、三男殿を伊達男に仕立ててもらいましょう。

カットイン

Hickory, dickory, dock.
The mouse ran up the clock.
The clock struck one,
The mouse ran down,
Hickory, dickory, dock

Hickory, dickory, dock.
The mouse ran up the clock.
The clock struck two,
The mouse ran down,
Hickory, dickory, dock

Hickory, dickory, dock.
The mouse ran up the clock.
The clock struck three,
The mouse ran down,
Hickory, dickory, dock


[概要]
『ヒコリー、ディコリー、ドック』は、十八世紀半ばには原曲が成立していたイギリスのナーサリー・ライム(童謡)である。「時計が一回鳴って」「時計が二回鳴って」というように、数え歌に分類される。一行目の『ヒコリー、ディコリー、ドック』は、カンブリア語(古代ウェールズ語)のHevera(8)、Devera(9)、Dick(10)から生じたものだという説も有る。文字盤に猫がネズミを捕るための出入用穴を持つエクセター大聖堂の天文時計がモデルと言われている。

[朗読シナリオ案]
*別紙参照

三男:影キャにそんな目立つ服着ろなんて無理……

(ジングル)
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